【54】安保専門議員たちと訪米ー平成17年(2005年)❷

●交通機関の「安全神話」崩壊の悲劇

阪神淡路の大震災から10年が経ったこの年。今度は文字通りの巨大な人災事故が私の住む兵庫県で起こってしまいました。平成17年4月25日月曜日の午前9時過ぎ。JR福知山線の上り快速電車が塚口駅と尼崎駅の間で脱線事故を起こしてしまったのです。通勤時間でもあり、大勢の乗客が乗っており、107人の死者と562人の重軽傷者を出す大惨事になってしまいました。

実は前日の日曜日に私は同線のJR川西駅から乗車し尼崎駅まで移動していました。「ウイークエンド街頭演説会」と称してJR伊丹駅や阪急・川西能勢口駅の駅頭などで演説をしたあと、姫路での囲碁連合会の祝賀会に出席するべく動いていました。その翌日にこの事故が起こってしまい、直ちに県本部内に事故対策本部を立ち上げました。すぐに現場に駆けつけるのが当然だったのですが、残念ながら25日は東京・中目黒にある防衛研究所で幹部候補生への講演が予定されていました。このため、翌日の26日の朝、憲法調査会や安全保障委員会の参考人質疑を行ったあと、空路伊丹空港から尼崎へと向かいました。

同僚の赤羽一嘉代議士らと一緒に現場に向かい、一昼夜を跨いで続けられていた救出作業を確認したり、鉄道事故調査委員会のメンバーに声をかけたり、JR西日本の南谷昌二郎会長とも話を交わしていました。そのあと、伊丹市と川西市在住の犠牲者のご家庭に弔問に訪れました。震災や水害の事故死者の弔問もそうですが、列車事故死に遭われた皆さんの遺族への激励は胸塞がれる思いがします。伊丹市の犠牲者は27歳のOL。通勤途上でした。結婚を6月に控えておられたと云います。一方、川西市の死者は、54歳の主婦。偶々親の介護をするために、大阪へ行くところでした。ご主人の優しい物腰での対応ぶりには返って哀しさを募らせられました。

この日の動きを書いた当時の私のリポートには「かねて日本は交通や治安・警察の分野で日本ほど安全な地域はないとの『安全神話』が確立していましたが、残念ながら最近はそこに揺らぎが見られます」と懸念しています。冬柴鐵三幹事長の地元でもあるため、事後の救済活動に筆舌に尽くせぬご苦労をおかけしたご活躍も忘れえぬ思い出です。

●日米安保専門交流訪米団に参加して

一昨年に続きこの年(平成17年)のGW も、安全保障を専門にする議員団の一員として訪米しました。今回は12人の与野党議員と一緒でした。連日さまざまな日程をこなしましたが、私として強い印象に残っていることを取り上げてみます。まず第一に、ヘリテージ財団におけるシンポジウムに参加して発言をしたことです。今回は、自民党の額賀福志郎、久間章生の両氏に加え民主党の前原誠司氏の3人と一緒に出ました。私は日米関係における、直近の日本の防衛の仕組みをめぐる対応について述べました。加えて、自衛隊の平和的活用だけでなく、NGOといった民間パワーやODAとの組合せによる非軍事・経済・文化面での複合的な日本独自の貢献ーつまり「行動する平和主義」こそ日本の進むべき道であり、望まれる役割だと強調しました。

この時の訪問では、様々な米側要人と会いましたが、興味深かったのは、ドナルド・ラムズフェルド国防長官、ローレス国防次官補、リチャード・アーミテージ前国務次官、スタンレー・ロス前国務次官補らと懇談をしたことです。それぞれ短い時間でしたが、私らしくあれこれと話題を選び、対話を楽しみました。特に面白かったのは、ラムズフェルド氏に、当時日本で話題になっていたジェームズ・マンの『ウルカヌスの群像』を持ち出し、「貴方のことが書かれていましたね」と水をむけたのですが、全く通じなかったのです。通訳との間でしばし揉めた後、「OH! RISE of the Vulcans」と彼が叫びました。要するに、ウルカヌスとはラテン語。英語ではバルカンと云うと知って赤面しました。同長官は続けて、あっさり「あんまりよく読んでいないよ」と交わされてしまいました。

尤も、別な場面で、アーミテージ氏に同じ本のことに触れて、「群像に取り上げられている人々(パウエル、ウルフォウィッツら)は元気でやってるのか」と訊いてみました。すると、「個人でなくチームでやってるから大丈夫。心配ない」「パウエルは元気だ。そのうち日本にも行くはず。彼が再び米国の表舞台に登場したら、国中の皆んなが歓呼の声で迎えるに違いない」との答え。大いに満足したものです。

●防衛専門誌『セキュリタリアン』に登場

防衛専門誌『セキュリタリアン』の7月10日号の「わたしの目線」という欄に、「〝新しい言葉〟で時代を切り取る」との見出しで、わたしの日々の活動の中での想いが紹介されました。冒頭、編集者の「〝ゲストネーション・マナー〟〝忙中本あり〟これらの言葉は、赤松正雄・衆議院議員のオリジナルである。政治家にとって大きな力となる「言葉」。かつて新聞記者として活躍した経歴を持つ赤松氏は、その言葉に強いこだわりを持っているという」とのリードで書き出されています。

まず、政治の世界に身を置いて約12年、一貫して取り組んでいるテーマは外交・安全保障。この分野に取り組む理由はどこにあるのだろうか、との問いかけがあり、それに答えています。高校時代に講演会で聴いた国際政治学者の猪木正道京都大教授、毎日新聞の大森実記者の迫力あふれる話に感激したこと。そして、大学時代に聴いた中嶋嶺雄、永井陽之助といった二人の講師の講義に深い感銘を受けたことなどを熱っぽく語っているのです。この4人は私が青春期に触れた学問上の恩人でしたから。

この話の最後には「国会議員になったら外交・安全保障をやらない手はない。県会議員や市会議員の皆さんは、地方の問題で頑張っているけれども、外交・安全保障だけは国会議員の専任事項だと思うんですね。国会議員にさせて頂いたからには、外交・安全保障とか憲法をやらないともったいない」ーこれはズバリ本音です。こう思っていても中々担当できずにいたり、担当してもすぐに変えられたりするケースが少なくないのに、私はずっと居座り続けさせて貰いました。恐らく他に能力がなかったのでしょうが、ラッキーではありました。

GWの訪米で米高官に「ゲストネーション・マナーを守って欲しい」と強調したことについて、その意味するところを訊かれました。これは私の持論で、折りあるごとに国の内外で発信してきましたが、米国の地でローレス国防次官補という向こうの高官に述べたのは初めてです。

「その時印象的だったのは、ゲストネーション・マナーは私の造語なので、彼は分からなかったと見え、通訳にどういう意味だと聞き返していて‥‥(笑)。でもすぐ分かったようで、『大事な指摘をいただいた。我々としては十分に気をつけているんですけれどね』という答えが返ってきました」ゲスト・ネーションマナーという言葉は、国民からすれば、まさに「我が意を得たり」という気がするのだが、見事に一本、という感じだったのだろうか。「まあ、小手ぐらいですかね。めーん、というわけにはいかなかったかな(笑)」ーこんな風に綴られていました。

(2020-6-17公開 つづく)

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