【61】BSE、ガン治療の視察でアメリカへー平成18年(2006年)❺

●BSEの検査でアメリカ・コロラド州デンバーに出張

ベトナムに続く、私の海外出張第二弾は、7月2日から7日までの一週間の米国行きでした。目的は二つです。一つは、米国産牛肉の安全を試す調査に、日本の政治家として参加し、農水、厚労省の専門官と合流するというもの。もう一つは、米国最先端の医療施設を視察するというものでした。同行はもちろん宮崎淳文秘書官です。気苦労は多かったものの、見るもの聞くもの初物ばかりで、エキサイティングな旅となりました。

米国産の牛肉がおかしいーBSE(牛海綿状脳症)の症状を持つ牛の肉は健康に害を及ぼすのではないか?この年の初めから半年というもの、日本国内で大騒ぎとなり、同国産牛肉の輸入がストップとなりました。ようやく米国側から再発防止に向けて最善を尽くした、との報告があり、35の食肉施設を事前に再調査することになったのです。そのうち、私が今回調査に赴いたのは、コロラド州デンバーにある食肉処理場でした。

日本でも既に東京・芝にある食肉処理場を見学していました。屠殺現場を見るのは初体験。引かれゆく牛に哀れを催し、引き裂かれる場面ではそれなりに心揺らぎました。今回は日本人の食生活に直接繋がるものだけに、万が一にも再び危険な部位が入っていることがあると、一体何を調査してきたのか、とお叱りを全国民から受けるだけに、極めて緊張したものです。

米国側はランバート農務次官代理(マーケティング・規制担当)とマン農務副次官(食品安全担当)、カーペンター検査官らがワシントンからやってきました。私は、「いい加減な会社の施設は切り離し、まじめに取り組むもののみで対日輸出をしたいのが本音ではないか?」「作業従事者が危険部位を除去することを知らなかったとは驚く。こんなことがまかり通っていたことをどう思うか?」などとかなり突っ込んで質問してみました。米側からは「良い会社、悪い会社と区別するのではなく、米国の食肉生産企業全ての問題として全体のレベルアップに取り組む」「二度とこういうことが起こらぬように、幾重にも研修を繰り返し、技術を高める努力をする」との答えが返ってきました。

作業中の従業員に「我々は日本人だが、何をしに来たか知ってるか?」と訊いてみました。「新聞を読んで知っている。実際に見てもらえるのは嬉しい」との返事。上司なり現場指導者の指示があったというのではなく、「新聞を読んで」というのが気になりましたが、それ以上は追及しませんでした。ともあれ、あれから15年ほどが経ち、その後は類似の事件は起きていないはず。現場的にはきちっと仕事が行われてきていると信じたいものと思います。

●医療事情調査のためテキサス州ヒューストンへ

「せっかく米国にまで行くのだから、医療事情をぜひ見てきたらどうですか」ー川崎大臣の温かいお言葉をいただき、私たちはコロラド州から足をテキサス州ヒューストンにまで伸ばして、「テキサス大学M.D.アンダーソンがんセンター」を訪れることにしました。時あたかも日本では、がん対策基本法が公明党の強い後押しもあってようやく成立した直後でもあり、がんに対する国民的関心が一気に強まっていました。今こそがん診療の先進国の知恵に学びたい、そう勢いこんで精力的に視察をし、関係者との懇談にも臨みました。

日米の医療現場の差異は、「チーム医療」とされます。米国では腫瘍内科医、腫瘍外科医、放射線治療医、放射線技師、看護師、薬剤師らがチームを組んで治療にあたります。主治医の個人的力量に左右されがちな日本との大きな差だと思われます。テキサス州立大学のコックス博士、同夫人の小牧律子教授のお二人にご案内役をしていただきました。お二人から「米国での放射線治療は、治療医と患者との間で、治療をどう組み立てるかとの戦略を立てるスタッフの存在が決定的に大きい。治療医がなんでもかんでも抱え込む傾向にある日本はどうしても負担が大きくなる」と指摘されました。

加えて日本の場合、とても看護師や薬剤師までが医師と同列の立場で治療にあたるとは考えづらいし、患者の存在が脇に追いやられるとの印象も拭い難いものがあります。現場で説明を聞きつつ、私は米国のチーム医療の図式イメージは円であると直感しました。円の中心は患者と一体になった治療医。周りをぐるりと各種のスタッフが囲むというものです。それに比して、日本の場合は、主治医を頂点とする三角形と言えましょうか。そして患者は円の外にある、といったものなのです。

米国におけるがん克服戦略は、国家あげてのもので、その成果は着実に功を奏していますが、同時に患者にとってバラ色かといえば、そうでもありません。当然のことながら、治療には高額の費用がかかります。日本と違って国民皆保険制度の仕組みがなく、圧倒的多数の貧困層にとっては、このセンターも高嶺の花の存在なのです。とはいうものの、同センターにおける患者ががんに勝つためのさまざまな仕組みが凝らされているのは驚きでした。例えば、偶々私たちが訪れた時に、「乳がんが骨にまで達している」という母親と、パソコン画面を覗く娘さんという二人連れに出会いました。日本の場合はどうしても医者任せの傾向が強く、自分で病状を把握して積極的に克服への道を探るということは少ないように思われるだけに、かなり違うなとの実感を持ちました。

●深いインパクトを受けた能勢之彦さんとの出会い

この地の医療に30数年にわたって取り組む能勢之彦さん(ベイラー医科大学教授)との出会いは強烈なインパクトを受けました。彼はこの年の春に某総合雑誌が組んだ特集「世界に輝く日本人20」のなかに取り上げられており、人工臓器開発の第一人者として知られていました。「チーム医療に感銘を受けました」という私に対して、現地で共に働くスタッフ(ご本人は家来と言っていましたが)を横にしながら「チーム医療といっても、最後は中心になる治療医の強い一念であり、断じて治すとの責任感ですよ」と強調されました。そして、「米国から学ぶべきことは多いが、日本が太刀打ちできないかというと、そう悲観することもないですよ」と言われたことも印象的でした。

普段から私なども色んな場面で使う「中心者の一念」ということで、まさに「お株を奪われた」感を強くしました。合わせて「医療にあっても大事なのは武士道なのです」と胸を張られてしまいました。「頼もしきサムライ、米国にあり」との思いを痛感したものです。能勢さんとそのスタッフとの出会いは、あたかも明治維新直後の遣米使節団の生き残りに出会ったかのようで、この旅での大きな収穫となりました。

ぜひ、後日、日本で再会をと思いましたが、この出会いから5年後の2011年10月に79歳でお亡くなりになられてしまったことはまことに残念でした。もう10年近く経ちますが、お元気でおられたら、今回のコロナ禍をめぐる米国の医療の対応などについて、ぜひご意見を聞きたいところではありました。

なお、この米国での調査を踏まえて、副大臣を辞任してから衆議院予算委員会で後日質問に立ちましたことも付言しておきます。(2020-7-1公開 つづく)

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