【64】安倍首相、太田代表が誕生。予算委でがん質問ー平成18年(2006年)❽

●安倍首相が誕生。公明は太田・北側体制に

平成18年(2006年)9月26日に、自民党は約5年余の任期を終えた小泉純一郎首相に代わって、安倍晋三氏が麻生太郎、谷垣禎一両氏と闘った結果、総裁に選ばれ、首相に就任しました。

昭和17年生まれの小泉さんから昭和28年生まれの安倍さんへ。このバトンタッチには若返り過ぎとの見方もありました。このあと、福田、麻生とまた年配組に戻るので、一層その感は深いものがあります。ふた世代飛び越えたことで、私などにはいわゆる団塊の世代前後が埋没するのではないかとの懸念がわいてきました。

安倍首相誕生にあたり、9月27日の私の国会リポートには「かねてポスト小泉は、チーム力で勝負するしかないという見方を提示してきました。小泉さんのようないわゆるスーパースターは望むべくもない時代状況(安倍さんがそうなるとの可能性はありますが)のなかでは、複数の人々がチームを組んで政権の運営にあたるしかないと思うからです」と述べています。さらに「小泉さんの5年半は功罪相半ばする奇妙な時代と位置づけましたが、安倍さんのこれからは、功罪どちらかがはっきりする分かりやすい時代になるだろうとの予感がします」と意味深長な表現をしています。

一方、公明党は9月30日に党大会を開催、神崎さんに代わって、新しい代表に太田昭宏さんが選出されました。幹事長には北側一雄さんがついたのです。冬柴鐵三前幹事長は新しい安倍内閣の国土交通大臣に数日前に就任していました。太田さんと私は、若き日に同じ職場(公明新聞記者)で、仕事をした仲の同い年。初めて出会ったのが昭和46年。あいまみえた瞬間に、強いオーラを感じ、この男は将来間違いなく公明党を担う逸材だと確信したものです。あれから35年。ついに実現しました。嬉しい思いで一杯になり、微力ながら支えようと胸中深く誓ったものです。

党大会に来賓として出席した安倍首相は、「祖父も父も創価学会とは深いご縁がありました」との話をして、場内を沸かせました。加えて、もう一人の来賓・作家の堺屋太一さんも太田さんが大学相撲で鳴らしたことに触れ、「裸一貫、一発勝負で頑張ってください」と印象的なエールを贈ってくれました。政界随一との評判の高い演説力と磨き上げた哲学の深さを持つ新代表と共に戦おう、との高揚感が漲ってきたものでした。

●臨時国会から予算委員会理事に、質問にも立つ

安倍首相誕生のどよめき覚めやらぬ中、臨時国会が開かれ、私は予算委員会に所属、理事になりました。党代表と幹事長の若返りに見合うかどうかというよりも、遅咲きの私にも立法府の中での重要なポジションがようやく回ってきたのです。よし、やるぞとの気合いを込めて連日の委員会運営に臨みました。

デビュー場面は早速やってきました。10月5日の予算委員会で30分間質問に立ったのです。この場で、私はがんと闘う全ての人々への思いに渾身の力を込めました。厚生労働副大臣の11ヶ月の総決算の意味を含めて、先の通常国会で成立した「がん対策基本法」のこれからの施行をめぐる問題に集中しました。その中で、「がん対策推進基本計画」が作られる際に、❶緩和ケアと放射線治療の充実を盛り込むべし❷大学医学部における教育現場にその方向を反映させよーこの二つの主張を、柳沢伯夫厚労相、伊吹文明文科相にぶつけました。さらに、その上に、「がん登録」の全面展開を安倍首相に求めたのです。

質問に際して、私は7月の米テキサス州ヒューストンのMDアンダーソンがんセンターでの視察で得た様々の知見ーとりわけチーム医療の重要性などを盛り込みました。すでに月刊『公明』9月号に書いた、リポート「チーム医療の威力を米国に見る」や、『週刊社会保障』の連載印象記「日米がん治療の差はどこに」などで述べてきたことを改めて強調したわけです。

これに対して、柳沢氏は、拠点病院を中心にチーム医療の取り組みに力を注ぎたいと答え、伊吹氏も医学教育の現場に、放射線治療や緩和ケアなど新しい治療を取り込むべく努力するとともに、チーム医療をフォローしていきたいといった積極的な姿勢を示してくれました。また安倍首相も、がん撲滅という目標に向けて、個人情報保護に配慮しながら、「がん登録」のようなバックデータ作成に向けて努力したい旨の答弁をしました。

今振り返りますと、ショートクエッションならぬ、長口舌の見本のような下手な質問でしたが、熱意だけはテレビを通じて国民の皆さんに十二分に伝わったものと確信します。興味深いエピソードですが、私の質問が医療の細部にまつわることに及んでいたこともあり、「赤松って医者出身か、医療関係者なのか?」という疑問を持つ人がいたとか。このようなお世辞まがいの流言もどこからか届いてきたのは、お笑いぐさでした。

●骨髄、さい帯血移植専門の医療センターを

この質問ではもう一つ大きなポイントがありました。骨髄、さい帯血移植についての大規模な医療センターを作れとの主張です。柳沢氏は患者さんにとって、近くの施設に通う方がいいのではとの観点もあり、大規模な移植センターに集約することがいいのかどうか、今後必要な調整を行いたい旨の答弁をしました。

先にこの回顧録でも取り上げたように、長年にわたってさい帯血バンクのボランティア活動に取り組んできた有田美智世さんがこの質問のTV中継が終わったあとで、絶賛する電話をしてきてくれました。予め連携をとった上での質疑でしたから、当然といえば当然なのですが、やはり褒められると嬉しいものがありました。有田さんは、この時の私の質問についても彼女の「へその緒通信」に書いてくれたのです。以下引用します。

「赤松さんは、浜四津さんの代表質問(10月4日参議院本会議)のビデオを何回も見て、衆院予算委員会の自分の質問の中に、総理大臣答弁でははっきり回答がなかった『移植センター』設立について取り上げてくださり、『さい帯血移植、骨髄移植を集約的に実施する大規模移植センター設立を目指すべき』と、今度は柳沢厚労相に回答を求めたのです。(中略)  この日、厚労大臣の口から初めて『大規模移植センター』という言葉が出たのです。『この時の浜四津・赤松議員の連携が、10年遅れていると言われ続けてきた日本の白血病などの治療分野の遅れを取り戻せた』ー将来、必ずそう言わせるほどの結果を出せるように、私は関係者への働きかけをさらに強めていきたいと思っています」。

いやはや、有田さんの強い意志が明確に伝わってくる迫力漲る文章です。この人は今もなお、「日本さい帯血バンク支援ボランティアの会」の代表として懸命の闘いを続けています。「さい帯血移植」が「人生初めてのボランティア」との広告コピーが胸を撃ちます。(2020-7-7 公開 一部修正=8-30 つづく)

 

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