【68】「時間の政治学」をめぐる一考察ー平成19年(2007年)❸

●朝日新聞「政態拝見」に再び登場

この年(2007年)は参議院選が予定されていました。投票日は当初は7月22日の公算が大きいと見られていましたが、国会の会期延長という事態が起こり、7月29日にずれ込みました。こうしたことから、どう影響が出るか、メディアは大いに注目していました。そんな時、6月26日付けの朝日新聞4面の大型コラム『政態拝見』欄に再び私のことが取り上げられました。タイトルは「延びた参院選」。文章の書き出しから、いきなり私の名前が出てきます。以下にそのまま引用します。

【公明党衆議院議員の赤松正雄氏がときどき使う言い回しに、「時間の政治学」というのがある。例えばこんな具合だ。全面改憲を目指すという安倍自民党と現憲法の骨格はそのままにするという公明党の関係が、「時間の政治学のなかで、どのように変貌を遂げていくか。これこそ21世紀初頭における自公連立の最大の課題である」(同氏のブログから)。時間の積み重なりが政治の展開に与える影響を予想することは難しい。そんな意味で使っていると、赤松氏は言う。

その典拠は国際政治学者、永井陽之助氏の「時間の政治学」にある。古い本だが、「政治的資源」としての時間を多面的に論じて示唆に富む。為政者の方は時間を思いのままに利用したい。しかし、時間の方がそれを許すとは限らない。さまざまに応用できそうなものの見方である。】

このコラムは前回同様に根本清樹編集委員によるものですが、「衆院総選挙の周期と、自民党総裁選挙の周期が時間的に一致していないため生じる事態」として、05年の郵政選挙で圧勝しながら、自民党総裁任期切れのため退陣した小泉前首相と、総選挙を経ずに後継首相となった安倍首相のことを対比して挙げています。「『時間』の扱いに筋を通せ」との主張です。「政治のルールの見直しは差し迫っている」と結んでいますが、安倍首相周辺は総裁任期を延長してまでルールをねじ曲げこそすれ、見直さずにその後も時間が経ってきています。現在も、自民党総裁選挙と衆院解散総選挙の時期が依然として気になるところです。

なお、引用された私のブログの課題提起も、以来15年を経て基本的に、「連立維持」の政態は変わっていないのも興味深いことではあります。尤も、安倍首相は、再登板後も改憲に意欲を見せてきていますが、公明党の山口代表が加憲派から護憲派に先祖帰りしたと揶揄されるほどの抵抗ぶりで、微妙な変貌が見られます。ここでも「時間の政治学」が働いていると言えましょう。

●参議院選挙での与党敗北という厳しい結果

安倍さんが首相に就任して、参議院選挙を迎えるまでの一年足らず、当初は支持率が70%近くあったものの、その後急速に低下しました。その最大の理由は、郵政民営化法案に反対して除名された議員を11人も復党(06年11月27日)させたことにあると見られました。小泉さんの改革路線を否定するものだと、一般の人の目には映ったのです。加えて、閣僚の不祥事(佐田行革相)やら失言問題(久間防衛相、柳沢厚労相)、事務所費問題(松岡農水相=自殺、赤城農相)などが相次いで起きました。

しかも、07年の春から夏にかけて、年金記録漏れという一大問題が発生して、日本中が大騒ぎとなってしまいました。これは安倍首相の失政というよりも、長年の社会保険庁の不作為と怠慢によるものでしたが、国民の怒りは収まらず、選挙直前の6月には30%台にまで内閣支持率は落ち込んできました。

この間、公明党は改正官製談合防止法(談合に関与した公務員への罰則を創設)に尽力したり、耐震強度偽装事件を受けての建築士制度の改革で資格区分を見直した改正建築士法成立に貢献しました。また、救急医療用ヘリコプターを用いた救急医療に関する特別措置法(ドクターヘリ法)の成立にも力を注ぎました。太田、北側の新たなコンビで精一杯頑張ったのです。それもあって、4月の統一地方選では、全員当選を見事に果たす(二回連続)結果を生み出していました。

ただ、7月29日の参議院選では、自民党は6年前の64議席から37議席へと、歴史的敗北を喫し、非改選と併せて83議席になってしまいました。一方、公明党も選挙区2、比例区7の合計9議席で、6年前の13議席から4議席減となり、非改選と併せて20議席に目減りしてしまいました。これで自公両党で103議席となり、過半数の120を大きく割り込む結果となったのです。

民主党は、6年前は26議席でしたが、今回は60議席を獲得。非改選と併せて109議席になり、参議院で比較第一党になりました。自民党が他党に参議院で第一党の座を奪われたのは1955年の結党以来のことです。しかも、自公併せた与党勢力が民主党議席に及ばず、衆参ねじれ国会の構図を余儀なくされてしまいました。安倍首相は一気に苦境に立たされ、公明党も自民党の数々の問題に連帯責任をとらされてしまったのです。

●公明党の全国県代表協議会で参院選を総括

自公連立のスタートから7年が経っていました。小渕、森、小泉、安倍と4代に渡っての自民党政権との共闘も、急速な野党・民主党の追い上げもあり、かなり揺らいできていたのです。安倍首相が保守色の強い傾向を露わにしていた分、公明党内には「暮らし」をなおざりにされてはならないとの空気が漲ってきていました。

8月22日に開かれた公明党全国県代表協議会の場で、太田代表は、「閣僚の不祥事、失言が相次ぐ中、危機への対処は適切さを欠き、極めて悪いものでした。有権者は民主党に投票することで、政権の危機管理能力に怒りと不満の意思を示したのです」「国会運営では、国民の目には与党の採決強行の連続と映ってしまった。公明党も自民党と一体だと思われてしまいました」などというように述べて、頭を下げました。

さらに、参議院選について「小泉改革から派生して起きた地域格差や負担増といった『影の部分』への不満や怒りが溜まり広がっていきました」と分析し、「安倍政権は、生活者重視の政策の実現のために、これまで以上に力を注ぐ必要があります。政府や自民党に対して、もっと強くよりはっきりした意見を申し上げて参りたい」と強調したのです。

このあと、質疑応答の場面で、私は苦言を呈しました。「『言うべきは言う』というのでは弱いのではないか。言ったけれども受け入れられず、結局は何も変わらなかったというのではどうしようもない。『やるべきことはやらせる』ということが必要だと思う」と述べ、政府、自民党に結果責任を問うまで厳しく要求するべきだと力説したのです。私以外にも多くの意見が出されました。

この日のやりとりを巡っては、翌日の朝日新聞朝刊が「公明、『直言路線』に転換」「参院選総括ー『くらし』優先求める」との4段見出しで、報道しました。その記事では、私の発言が「党内には不満が強く、注文も飛び出した」との注釈付きで紹介されました。

こうしたことも、言うはやすく行うは難しで、結局は不十分なままの状態が続いていくことは、如何ともしがたかったと言わざるを得ません。(2020-7 -15公開 つづく)

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