【70】薬害C型肝炎救済で患者の皆さんと共にー平成19年(2007年)❺

●テロ特措法での混乱

私が福田首相に対して先に質問をした場がテロ特措法を審議する特別委員会であったように、この頃同委員会の理事として多忙を極めていました。このテロ特措法とは、あの2001年9月11日に起こった同時多発テロがきっかけとなって、制定されたものです。アフガニスタンを根城にするタリバンやアルカイダなどの国際テロ集団との戦いが始まり、「テロとの戦争」という時代が始まったことは周知の通りです。国連安保理事会は、直ちに安保理決議1368号を満場一致で採択しましたが、これは加盟国の個別的、集団的自衛権を前文で確認。その上で、この攻撃を国際の平和と安全に対する脅威と認定し、テロの防止、抑圧のために国際社会が一致協力することを求めたものでした。

それ以後、不朽の自由作戦(OEF)、国際治安支援部隊(ISAF)、地方復興チーム(PRT)と、大きく三つの活動がアフガニスタン及びその周辺で展開されており、OEFについては、アフガニスタン本土への派遣と海上での阻止活動(OEF-MIO)とに分かれています。日本は、このうち、海上阻止活動(当時8カ国が参加)に、インド洋上で取り組む各国艦隊に対し、燃料や水を補給していました。その実態は、純然たる対テロ警察活動への支援であり、軍事的掃討作戦や治安維持にあたるものではありません。OEF活動になんらかの協力を行なっている国は75カ国にものぼり、まさに、国際社会が一致協力して取組む貴重な試みと言えました。

それに対して「戦争に加担するものだから、参加すべきではない」という民主党を始めとする野党の態度は、「一国平和主義」の域をでない、自分勝手な振る舞いと言わざるを得なかったのです。テロ特措法は11月13日に衆議院では可決され、参議院に送付されました。しかし、民主党は露骨な審議引き延ばしで、法案は野ざらし。このため、臨時国会は二度も延長され、14年ぶりの越年国会となりました。結局、参議院に送付されてから、60日目に当たる08年1月11日に、憲法の規定に則り衆議院で再可決され、ようやく成立したのです。

このように、衆議院で可決されたものが、参議院で否決、そして衆議院で再可決されたというのは、1951年(昭和26年)以来、実に57年ぶりのことだったのです。既に11月1日にテロ特措法は、期限切れで失効していましたので、新しいテロ特措法の成立を固唾を飲んで見守る各国注視のもとの出来事でした。

●被災者生活再建支援法と政治資金規正法改正で与野党合意形成果たす

ねじれ国会の中にあって、公明党が与野党政策協議での合意形成に向け、懸命に努力して橋渡し役を果たしたケースが二つ挙げられます。一つは、11月に成立を見た「被災者生活再建支援改正法」です。自公民三党による修正協議で最終的に与党案をベースにした修正案がまとまったのです。その与党案も、また修正案もいずれも公明党の考え方が基になったものでした。被災者の救済を最優先に考えたのは、赤羽一嘉衆議院議員をはじめとする阪神淡路大震災を身をもって経験した公明党議員の政策判断力によるところが大きいといえるものでした。

またもう一つは、「政治資金規正法改正」です。これは、それまで、5万円以上の支出に限られていた政治資金の公開制度を、最終的に、人件費を除いて、一円以上の全ての支出の領収書公開をすることにしたのです。福田内閣の発足時に交わした自公連立政権合意に盛り込んだもので、自民党との協議でもこだわり続け、与野党協議でも合意への牽引役を果たしました。清潔な政治の実現に向けての公明党の面目躍如たる動きでした。

●薬害C型肝炎救済法での立ち回り

2007年の夏から秋にかけて、血液製剤「フィブリノゲン」などを投与されC型肝炎ウイルスに感染した人々が国と製薬会社を相手に起こした訴訟への判決が相次ぎました。この訴訟にあって、薬害肝炎全国原告団(山口美智子代表)の皆さんや弁護団のメンバーの要請を受けて、幾たびも国会内やそれぞれの地元でお話を聞く機会を設けました。私は厚労副大臣を辞したのち、党内の肝炎対策プロジェクトチームの座長をつとめることになり、積極的に動きました。

そんな中で、9月7日のブログでは、「治療費への公的助成に大反響」と題して以下のように綴っています。

「昨6日の公明新聞に『C型肝炎に公費助成』とのトップ記事が出たため、嬉しい反響がありました。今まで長い間議員をしていますが、こんなに喜んでもらえたファックスも珍しいともいえるものを西宮市の女性から頂きました。この方は、統一地方選挙の直前にC型肝炎が発見され、インターフェロン治療を医師から勧められたといいます。しかし、選挙が終わってからの治療開始にしたため、4月から導入された高額医療費の立て替え払いが不要になり、大助かりになったことも触れられていました。ご自身もさることながら、周辺にも肝炎で悩む人が多いことから、こうした治療に関わる費用に対して公的な助成がなされることに、多大の期待をされていることがうかがわれました。どの範囲にまで助成の手が及ぶかはこれからですので、しっかりと目配りをしていきます」

ここではC型肝炎にかかって訴訟を起こした原告だけではなく、同様の被害にあった方々も含めて全員を一律に救済すべきかどうかという問題がありました。全員一律だと、対象者が大変に多くなり、国の責任をどこまで認めるかで対応が分かれる問題が発生するわけです。渋る厚労省との間で、協議が二転三転しました。そんな中で、12月19日に太田昭宏代表が福田首相に直談判した結果、首相は議員立法で一律救済に踏み切ると決断(12月23日)しました。最終的には翌年1月11日に救済法が全会一致で成立するのですが、この年末から年明けにかけての急転直下の解決には公明党の力が大きく、後々まで関係者の間で語り草になっています。

原告団代表の山口美智子さんは「公明党は一昨年6月から何度も独自のヒアリングを開き、真剣に私たちの被害に耳を傾けてくれました。(中略) 福田首相への直接、働きかけていただいたおかげで、ここまでこぎつけられたと思っています。(一律救済へ道筋をつけたことを)本当に嬉しく思います。」(公明新聞08年1月12日付け)と、語っていました。私もプロジェクトチームの座長として、太田代表と連携を取りつつ、福田首相にアタックした身として印象に残る闘いとなりました。

であるからこそ、この時の原告団や弁護士団のグループ代表と今もなお、時々集まって思い出話に花を咲かせています。結果として、いかに壮絶で愉快な闘いだったかが分かるといえましょう。(2020-7-19 公開 つづく)

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