【96】渾身の予算委質疑の二日後、病に倒れ又入院ー平成24年(2012年)❹

●「原発」めぐり野田首相らを追及

久方ぶりに7月12日に予算委員会での質問に立ちました。50分間、NHKTVの放映付きでした。野田佳彦首相、枝野幸男経済産業相、古川元久国家戦略担当相らが相手です。この質問では事前に衆議院調査室の協力をいつになく得て、準備を重ねた上で挑みました。冒頭、九州を襲った大雨災害にお見舞いを述べ対策を要望しました。ついで、民主党がようやく綱領的文書を見直して新しいものを作ろうとしているにもかかわらず、一向に進んでいないことを取り上げて、厳しく糾弾しました。政権交代を目標にしてきたのなら、それを達成した3年前に、直ちに新しい綱領を作るべきだった、遅すぎるではないか、との指摘です。

この日の本題は、原子力発電について、国のエネルギー計画全体の中の位置づけがいかに杜撰なものであるかを追及したことです。原発に過剰に依存することから脱却すると言いながら、その実、15%は維持していこうとする狙いばかりが顕著に窺え、再生可能エネルギーの充実には全く熱意が見られないとして、厳しく指摘しました。

併せて、国民に提示するエネルギー計画の選択肢について、原発軸だけでなく、時間軸やコスト軸など、幾つもの軸を示さなければ、国民をミスリードするということを指摘したのです。枝野、古川両大臣は、そういうご意見を踏まえて今後対応しますという始末。そんなことでは国民が今後のシナリオを考える上で戸惑うだけだと、政府の姿勢の甘さを強調しました。野田首相は、政府のキックオフのあり方の不味さを認めた上で、今後どのように進めていくかは、「宿題にさせて欲しい」と殊勝な姿勢で答えました。

この質疑は、自分の国会での予算委員会質疑の集大成とでもいうべきものになりました。各方面から、概ね高い評価を頂きました。ですが、そんな中で、福島県のご婦人から一点、電話で苦情を頂きました。自公政権も原発を推進してきたのだから、その責任について、一言詫びてほしかった、と。これには3-11以前と以後とでは、革命的な意識変化が起こったのだから、一言触れるべきであった、と深く反省した次第です。

実は、この予算委員会で、野田首相は宿題にさせて欲しいと言ったので、注目していましたが、待てど暮らせど、言及は無し。このため、私は8月3日付けのブログで「エネルギー・ベストミックスをめぐる新たな選択肢」と題し、次のような新機軸を提案しています。

【この基軸は、時間を2030年、2040年、2050年と三つに分けた選択肢であり、同時に原発は全てゼロにするというものだ。つまり、これは明白に脱原発の考え方に立脚した選択肢だといえよう。政府の選択肢が、第一シナリオに、原発ゼロを目途にしているものの、第二、第三シナリオでは、脱原発依存の方向性を色濃く出している。

私の提示した基軸では、例えば、30年後、40年後に、原発をゼロにするには、再生可能エネルギーをどれくらい充足させればいいか、また火力発電やコジュネをどれくらい用意すればいいか、との視点に立ち、明確な方向性を示している。】

脱原発と脱原発依存ー一見似ていてその実大きく異なる二つの指標。民主党政権は極めて曖昧なまま潰えましたが、後を継ぐ自公政権も目をよく凝らしていないと、同じ穴のむじなかもしれないことを注意していく必要があると思っています。

●持病の大腸憩室炎が悪化、緊急入院

予算委員会が終わってほっとした二日後のことです。議員宿舎の朝。猛烈な腹痛が襲いました。トイレに入っても便も出ず、痛みも収まりません。自分自身、「ん、これはいつものヤツだが、ちょっと通常とは違うぞ」との不安が広がってきます。通常は同居家族もいず、一人暮らしですから、こういうときは困ります。

私はかねてから、大腸の中に憩室が複数あって、時々それが悪さをするために、腹痛に悩まされるという持病めいたものがありました。そうポピュラーな病ではないので、一般的にはあまり知られていません。一年に3、4回ほど大便が出そうで、出ないという症状に苛まれ、20-30分ほどトイレで悪戦苦闘するのです。単にでないというのでなく、その間、猛烈な腹痛の上、とめどなく流れ出る汗のため、人事不省のようになることもあるのです。

議員宿舎のそばにある病院に自力で辿り着き、診て貰いましたが、詳しいことは分からず、直ちに、港区大門にある済生会中央病院にタクシーで向かいました。診察やら検査の結果、大腸憩室が腸内で破裂しているとのことでした。腸そのものが破裂すると、命に関わる大事になり兼ねませんが、憩室の損傷ということなら、点滴で対応出来るということで、ひとまずは安心しました。しかし、結果的にこの日から18日間にもわたる入院ということになってしまい、各方面にご迷惑もかけ、ご心配をおかけしてしまいました。

あの脳梗塞から一年あまり。またしても入院ということで、つくづく自分の体力のなさに恥じ入る思いでした。妻や、一緒に住む老義母も、結婚以来一度も病気を患うこともなく、元気で暮しているのに、不甲斐ないと反省することしきり、でした。大腸の大事さは様々な医療関係書にも説かれている通りです。

この時の入院に際しては、元同病院の幹部医師だった大山廉平先生を、厚生労働副大臣時代に共に仕事をした秋月玲子医官の紹介で知るに至りました。病室にお見舞い頂き、病気治療には笑いが必要と、綾小路きみまろのDVDを差し入れしていただくなど、大層お世話になりました。この先生は読売新聞社の診療所の専属医もされており、橋本五郎読売新聞特別編集委員の胃がん手術も担当、彼をして命の恩人と言わしめている名医です。私もその後今に至るまで、様々の機会に助けていただいています。

●退院直後に、外務委員会で質問。党中央委員会で「原発」に注文

7月31日午前10時に退院したあと、1時からの本会議に出ました。外務省のレクを受けるなど、翌朝の質問を考えて、質問どりに夕刻対応しました。かなりハードな準備でしたが、長い入院期間でしたから仕方ありません。同委員会では、丹羽中国大使が就任以来、5回も帰国しているのに、一度も国内の地方での交流をしていないことを取り上げました。外務省が、帰国の際には、出来るだけ地方に行くようにとの指導をしているのに、それに反していることを問題視したのです。

丹羽大使は、尖閣諸島問題で、外務省の方針と相違したことを外国誌上で発言していることで批判を浴びていました。地方交流という基本的な懸案を地道にこなすことも求められるとの観点から質問したのです。

また、原発をめぐる党の政策チラシについて、党中央幹事会で私は表現が一部適切でないところがある、として改めて党内論議を深め、決定をしなおすように求めました。午後からの政調全体会議で議論された結果、①原発の新規着工は認めない②1年でも早い「原発ゼロ社会」の実現のために、省エネ、再エネ、無駄のない火力発電に最大限の力を注ぐ③再稼働は国民が納得し、信頼できる確かな安全基準ができるまで許さないと整理しました。これで「1年でも5年でも早く原発ゼロ社会の実現を目指す」と記述することになったのです。このあたりは、私の党内における大きな闘いだったと密かに自負するものがあります。(2020-9-9公開 つづく)

 

 

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