Monthly Archives: 2月 2019

❻生命の変化を「十界論」で分析

生命って不思議なものです。その捉え方の極致ともいうべきものが「一念三千論」であり、その基礎をなすのが「十界論」です。人の生命状態はたしかに千変万化です。「今泣いたカラスがもう笑ってる」「女心(男心)と秋の空」など、移りやすい心の変化をいい表す表現は色々とあります。仏教でいう「十界論」を初めて知ったときは、なるほど言い得て妙だなあと本当に感心しました。

地獄界から仏界まで、人の一瞬の生命状態が十の範疇に分かれて捉えられます。私はかつてこのことを人に説明するにあたって、通勤ラッシュ時の満員電車の中での心情風景で例えました。朝ご飯もろくに食べず、慌てて通勤電車に押し込まれたと想像してみてください。もみくちゃで自分の身体でありながら全く自由が効かない状態ー地獄界です。そのうち、少し時間が経ち多少自分の身体と人の身体の間隔にゆとりが出来ますと、猛烈に空腹感が襲いますー餓鬼界です。あっと思う間も無く隣の人に靴を踏まれました。痛さで舌打ちしたくなりますー畜生界です。素知らぬ顔の隣の人に猛烈な怒りがこみ上げてきますー修羅界です。揺れる車中。乗降客の連続で、やがてゆとりが生じてきますー人界です。そのうち座席が空きます。良かった、座れたー天界です。新聞を開き見て、あれこれと情報に接するー声聞界です。そのうち、自分の今日の仕事、課題を解決するヒントを思いつきますー縁覚界です。はっと前を見ると、かなりのお年寄りが立っている。あっ、いけない。座席を替わろうー菩薩界です。その人が降りて、再び座席につき、深い眠りにつくー仏界です。最後の仏界については、いささか冗談気味ですが、あとは本質を突いているものと自賛したものですが、いかがでしょうか。

このように僅かな時間とちょっとした空間を想像すだけでも人はクルクルとその命のありようが変わる存在だということがわかります。これはある意味で瞬時の状態を分析したものですが、これを人の一生に拡大してみるとまた面白いことが見えてきます。図式化すると一目瞭然で分かりやすいのですが、ここではそれが出来ないので、文章のみになるのが残念です。縦軸が十界。横軸を時間にしてL字を描いて下さい。

時間が経つに連れて、十界は上下運動を繰り返します。地獄界から人界、天界つまり六道をいつも行ったり来たりの上下する生き方をするのを指して「六道輪廻」というのでしょう。声聞、縁覚という境涯には程遠い、時たまでしかないという人も少なくないと思われます。また逆に、地獄、餓鬼、畜生界とは縁遠い福運に満ちた人もいるでしょう。いや怒ってばかりの修羅界を低迷する人も時に出会います。一生というスパンに押し広げますと、人に応じて、より馴染みの多い境涯というものがあることに気づきます。なかなか人のため、世のために身を粉にして動く菩薩界とは縁遠いというのが実態かもしれません。

こうした人生の低迷状況(六道輪廻)を上向き傾向(声聞、縁覚界から菩薩道の実践)に引き上げるのはどうすればいいか。それを日蓮仏法では南無妙法蓮華経という題目をあげ続けることで可能になると、説いているのです。

 

 

Leave a Comment

Filed under 未分類

❺「円形組織論」の提唱

「組織」とは難しいものです。なければそれが目指す目的が叶わないし、あればあったで、個人の自由を束縛しかねない。創価学会をめぐる様々な問題も「組織」というものがもたらす様々な弊害と無縁ではありません。

創価学会に入る前。私はその組織形態に漠然とした怖さを感じていました。戦闘的、堅苦しさ、厳しい上下関係などといったイメージ、印象がぬぐえなかったからです。

しかし、実際に組織の中で活動をするうちに、当初抱いていたイメージとはかなり乖離があることがわかってきました。なぜだろう。どうして創価学会の外からの印象は実際のそれと違うんだろう、と考えました。その結果、私がたどり着いた結論は、世の中にある組織というものが持つイメージが、自ずと決まった型を持ってることに気づいたのです。

つまり、私たちは組織と聞くと、直ちに図式イメージとして三角形を連想するのです。いやそんなことない、と仰る向きには、「組織の頂点」「組織の底辺」という言葉があることを指摘すれば十分でしょう。皆さん無意識のうちに、組織と聞くと、頭の中で三角形を描いてると言っても過言ではありません。立体的にはピラミッドであり、歴史的事象としては、インドでのカースト制度、日本での士農工商を思い浮かべることが出来ます。三角形、ピラミッド型は、図式の持つ性格として、固定的な厳しい上下関係が奴隷的な服役の辛さとともに連想されます。

私はこういう連想を惹起させる図式イメージを後退させ、それに代わりうる新たなイメージとは何かと考えました。その時に、はたと思いついたのが、平面的には円形、立体的には球のイメージでした。円形を導入すると、次々と解決します。組織の頂点ではなく、組織の中心。組織の底辺ではなく、円周上。働く力は、求心力と遠心力。たしかに、創価学会のリーダーは組織の頂点であぐらをかいてるのではなく、組織の中心で頑張っています。固定した上下関係ではなく、皆平等な平面上にあって、内外関係が発動し、柔軟です。

信仰をしたからには中心を求めようとする力(求心力)が働くし、信仰をしたけれど、嫌だからやめたいとの外を求める力(遠心力)も働きます。この二つの力のバランスが取れている状態が普通で、円周上にある人々というのが組織の最前線のイメージでしょう。せっかく始めたのだからもっと頑張ろうというのが、成長でしょうし、いやもう嫌だと外向きの力が勝ると、組織外に飛び出る退転状態というように説明できます。

かつてある新聞のインタビューに答えて池田先生は創価学会の組織について、車軸のようなものですと述べておられたとの記憶があります。また、スピーチで「皆で円陣を組むようにすれば、あらゆる角度を向き、しかもあらゆる人が第一線である」(平1-12-28)とも。

三角形の図式イメージなく、円の大事さを感じます。

Leave a Comment

Filed under 未分類

❹「広宣流布」という壮大な人生の座標軸

Continue reading

Leave a Comment

Filed under 未分類