「連続革命」の重要性ー創価学会創立記念日に想うこと

世界三大宗教の立ち位置

「末法万年尽未来際」という言葉があります。「未来永劫」という超長い時間のことで、日蓮仏法において、世界広宣流布が永遠にわたって続きゆくことを意味します。このことをどう捉えるか。これまで私は広宣流布というものは、目の前で今展開する時代に一過性のものとしてだけでなく、これからまさにずっと「永遠」にわたって続きゆくものだと、漠然と考えていました。日本において、こうした試みが他にあるかと云うと、ありません。伝統的仏教各派は、確かに存在して日本社会にそれなりの影響力を持ってはいますが、創価学会ほど の躍動感漲る目的を持ったものではないことは誰しもが認めるはずです。今やそれは、世界各国各地域にまで広がり、形態は全く異にしていますが、キリスト教やイスラム教の布教と、肩を並べるまでに及んでいます。元外務官僚にして作家の佐藤優氏が、世界三大宗教の一つに創価学会SGIをあげる所以でもあります。

ただ、世界における創価学会SGIの在りようと、日本のそれは全く違って見えます。かたや草創期、片方は安定期。言い換えれば、右肩上がりと平行期という風に、時代状況の差がもたらすものと位置付けられるのかもしれません。これは、時間の経緯と共に現れる組織にまつわる宿命とでも言えることでしょうか。いつまでも草創期のパワーは持続せず、組織を取り巻く風景は、年の経るに従って違って見えてくるのは、ある意味で仕方がないことだと云えます。かつて池田先生は講演の中で、「末法万年」と、現在の状況を比較する譬え話をされたことがあり、印象に残っています。つまり、それはいわば1万mの距離を行くにあたって、今は50m地点にいるようなものだとされたうえで、まだまだゴールは先で遥かに遠いのだから、短兵急に捉えてはいけないとの意味に私は理解しました。

「総体革命」を誓った若き日の記憶

その際に、中国の「長征」のことを周恩来首相との交流を交えて話されたことも記憶に残っています。草創の革命期において、長い苦難の道を彼らがいかに耐えつつ踏破したのかという故事を語られました。共産中国は建国70年ほどで、今や米国に追いつくまでの経済大国に到達し得ており、「物語」として完結しているかに見えます。先生の示唆は普通に捉えれば我々への「励まし」でしょう。しかし、その道はもちろん平坦ではなく、波乱万丈の道が続くはずです。つまり、身近な中国の先例をあげながら、池田先生は広宣流布の道が果てしなく遠いことを語り、我々が諸難に負けずに頑張り抜くことの大事さを強調されたのだと思います。

私たち革命の第2世代(先生の会長就任=1960年以後に入会したものを私は勝手にそう位置付けしたいと思います)は、大学生だった若き日に先生のもとで、「総体革命」を誓いました。日本のあらゆる分野に進出して日蓮仏法の体現者として活躍することを夢見たのです。あれから55年ほどが経ちました。その結果をどう見るか。正直言って「革命未だならず」が実感でしょう。そう、未だ我々の目指す革命は成就していないのです。であるなら、その成就まで連続革命の闘いを起こすしかないといえましょう。かつての仲間たちが寄ると触ると、昔日の思い出を語る中で、今ある風景に愚痴をこぼしたり、切歯扼腕することが少なくないと思われます。ですが、そういう非価値的なことに大事な時間を取られず、連続革命に向けて、闘いの持続をし抜いていくほかないものと思われます。(2019-11-25)

 

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