【52】4-① ものづくりは何処へいったのか──内橋克人『新版 匠の時代』

◆「市場原理優先」への反抗心

 神戸新聞で先年連載されていた『共生の大地へ 没後一年 内橋克人の歩いた道』で改めて内橋さんの凄さを知った。この人は、同紙記者を7年ほどの間勤めた後にフリーのライター、経済評論家になって、88歳の死の間際まで書き続けた。世に最も知られているのは『匠の時代』全12巻だが、その仕事はひたすら市場原理優先の政治経済への反抗に貫かれ、ものづくりにこだわり、人びとの「共生」への道を探し求めたことに尽きるだろう。

 神戸が生み出したジャーナリストの先達として、かねて畏敬の念を持ち続けてきた私とも交流の接点があり、それを大事にしてきた。今でこそ、政権与党の一翼を担う存在であるが、かつて反自民の中核であった公明党とも内橋さんはそれなりの絆があったのだが、この20年はいささか遠い存在になったのは口惜しい。今に健在ならば、その辺りについて弁明をしつつ、教えを乞いたかった。

 実は『匠の時代』を読むよう私に勧めたのは、市川雄一元公明党書記長だった。市川さんはNHKの人気番組「プロジェクトX  挑戦者たち」の主題歌・中島みゆきの「地上の星」が大好きだった。そのわけはこの歌詞のこの部分だと、しばしば講釈を聞かされたものだ。内橋さんとほぼ同世代の市川さんは、新たなものを生み出す挑戦の姿勢を共有していたように思われた。TV番組は一世風靡したが、この本の刊行はそれより遥か前のことである。

 再読したのは、岩波現代文庫全6巻の新版。「余りに多くのことを語らねばならない」との書き出しで始まる「諸言」が胸を撃つ。記述は、2011年3月20日の夜。あの東日本大震災、福島第一原発事故に直撃された9日後のことだ。ここで、特に印象深いのは、このシリーズに著者が取りかかってから35年を経ており(現実には更にその後の10年がプラスされる)、「(この間に)日本社会と経済・産業・技術のすべてが、姿も本質も、歴史的に入れ替わってしまったように思われる」と書かれていることだ。

◆地から空から「もう待てない」との声

 「失われ続ける」日本の現実を横目で見ながら、この本に出てくる栄光の匠たちの姿を追う。世界初のクオーツ腕時計、電卓の開発。汚水、海水をも真水に変えてしまう「逆浸透膜」を可能にした東レの超極細繊維。世界に誇る新幹線の技術、「人のいのち」を救う人工透析の技術などなど、限りなく眩しい技術発掘の歴史が続く。内橋さんは、「技術と人のどんな〝めぐり合い〟あって誕生したものか」と問いかけ、答えを求めて、この本を書き始めた。それが、今やすべてが変容してしまった。「グローバル化時代の当然の帰結という宿命論が通念となった」という結論で済ませていいのだろうか。

 かつて、かの戦争に負けて欧米の技術との差を思い知らされ、日本は立ち上がった。苦節30数年を経てバブル絶頂期を迎える。そして今、半導体を始めあらゆる分野で、中国の後塵を拝し、台湾、韓国に並ばれた。今再びの技術差に喘ぐ。「『市場主語』ではなくて、『人間主語』の時代へ向けて、『匠たちよ、再び』と呼びかけたい」との内橋さんの声がぐっと胸に迫る。

 私はこの人のNHKラジオ第一での朝のニュース解説にいつも聞き入った。フーズ(食料、農業)、エネルギー、ケア(介護、コミュニティ)の頭文字を取った「FEC(フェック)自給圏構想」を提唱し、この三つは市場原理に委ねてはならない、市民が手放してはならないものだと、力説されたものである。こうした言葉の数々を聞くたびに、政治の現場を預かるものの一人としてその非力が恥ずかしかった。

 公明党が世に出て60年。前半は庶民大衆の声を真正面から体して闘った存在であったことは紛れもない。だが、後半の30年は、格差拡大が止まらない。中流層の下流化が懸念されている。グローバル化の帰結やら、失われた年数の増大を自民党のせいだけにはできない。一緒に政権与党を構成してきた責任も問われよう。保守政治の悪弊を中道化の波で変えていくので、今しばらくの猶予をと言い続けて、久しい時間が経った。もう待てないとの声が地の底から、空の闇から聞こえてくる。

【他生のご縁 「神戸空襲を記録する会」】

 「神戸空襲を記録する会」という団体があります。先の大戦での神戸空襲で犠牲になった人々の慰霊祭を毎年開催する一方、死没者の名簿を収集確定する作業を進めてきました。1971年から始まり、2013年には神戸市大倉山公園に慰霊碑を作りました。その第二代会長になったのが、私の高校同級生の中田 政子(故人=旧姓三木谷政子)さんです。この本の挿絵を描いてくれた冨士繁一君共々高校時代からの仲間です。

 この会に神戸新聞出身の内橋さんは多大な応援をしてくれ、2015年5月17日には神戸で『『戦後70年」を抱きしめて──「再びの暗い時代」を許さない』という印象的な講演もしてくれました。公明新聞時代に僅かなご縁もあった私は会場でお会いし言葉を交わしました。中田さんの業績は甚大なものですが、常々内橋さんに精神的支柱になって貰ったと、口にしていたことを記憶しています。

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