【61】4-② 人間らしい暮らしへあくなき挑戦──中内㓛『流通革命は終わらない』

 

 ◆経営者に邁進する決意が固まったひとこと

 中内㓛といえば、高度成長期の日本にあって、「主婦の店ダイエー」で「流通革命」を起こした〝偉大な経営者〟である。その彼がもしかすると中途半端な経営者に終わったかもしれないというエピソードが、この本に出てくる。〝経済界ご意見番〟として著名だった三鬼陽之助氏との出会いの場面である。当時、中内さんの『我が安売り哲学』(昭和44年出版)は、「消費者主権」の考え方を初めて打ち出したものとしてベストセラーになっていた。経済学者・伊東光晴氏らの手になる『戦後日本思想大系』の中に取り入れられたほど評価は高かった。

 ところが三鬼氏は「バカヤロー!経営者になるのか、物書きになるのか、どっちだ」と、怒鳴ったというのだ。この言葉で絶版を決断できたと、中内さんは感謝している。経営者に邁進する決意が固まったということに違いない。昭和49年、53歳だった。これ以後一切本は書かなかった。若き日、「新聞記者になりたかった」という中内さんだけに、書くことへの執着は強かったはず。それを断ち切った一言だった。

 『流通革命は終わらない』は、日経新聞の『私の履歴書』が原型である。中内さんは、メーカー、生産者に代わり、スーパー、消費者が主権者になる、それが流通革命だとテープレコーダーのように言い続け、どんな批判にも屈せず行動し抜いた。その信念に貫かれた人生だったことがここには描かれている。

 既成の概念、権威に対抗し続けた顛末の圧巻は「松下幸之助氏との対決」のくだりである。昭和40年代初頭、ナショナルとダイエーの対立は国会も巻き込む話題となった。「水道から出る水のように、豊富に、世の中の人たちに電化製品を供給したい」という「水道哲学」と、「ひとたび市場に出た商品の価格は、需要と供給の関係で決定されるべきである」との「安売り哲学」がぶつかった。「もう覇道はやめて、王道を歩むことを考えたらどうか」──〝流通経路破壊はやめてくれ〟との松下氏の苦言に中内さんは無言で抵抗した後、「そうですか」とだけ答えた。反論を呑み込んだのである。「会談が物別れに終わり、『真々庵』を出ると、雨が降っていた。松下さんが傘を自分で差して、私を送ってくれた。それを最後に、再び会うことはなかった」。

◆戦争一色だった青春

 スーパーの登場に怯えたのは地域の小売店も同様だった。スーパー進出反対のデモが各地で展開された。それには「日用の生活必需品を最低の値段で消費者に提供するために 商人が精魂を傾けて努力し その努力の合理性が商品の売価を最低にできたという事が何で悪いのであろうか?」との張り紙で反論した。「地元商店街とは共存共栄するつもり。反対はないと思う」と、中内さんが語った言葉が第二部の資料集にある。「革命」に犠牲はつきもの。時代の流れにさをさす人と抵抗する動きは避けられない。私は、現役時代から大型スーパーに圧迫される小売市場を救済する試みに、現在に至るまで参画し続けている。政治がなすべきことの大きさを実感してきたものである。

 大正11年生まれの中内さんの青春は戦争一色だった。従軍体験が後々の人生の骨格を形成した。関東軍二等兵として昭和18年1月に入隊。鼻毛も眉毛も凍る零下40度の極寒の地での従軍から、19年夏には炎熱のフィリピンへと軍曹として転戦。6月6日未明に北部山岳地帯での敵塹壕への切り込みで、手榴弾のさく裂に遭う。全身に破片が突き刺さり、大腿部と腕から「ドクドクと血が噴き出し、出血多量で眠くなる」──偶然近くにいた衛生兵や古参の上等兵ら戦友の対応のお陰で、「これで一巻の終わりだ」と覚悟した窮地から救われた。

 「傷口にはウジ虫がわき、腐った肉を食う」「アブラ虫、みみず、山ヒル‥‥。食べられそうなものは何でも食う。靴の革に雨水を含ませ、かみしめたこともあった」などの悲惨な体験は、大岡昇平の『野火』の世界そのものだと振り返っている。この辺り、「とても長いあとがき」の「野火は今も燃えている」に詳しい。「人生は、一期一会の出会いの旅。若者との対話を大切にし、逃げて行く今を懸命に生きる。緊張感を持った、今、今、今の連続。刹那生滅、刹那無情」といった心情の発露は、後に続く私たちへの遺言のように響く。

【他生のご縁 母校の80周年での語らいと共演】

 私は長田高校(旧制神戸三中)の中内さんの後輩になります。同校80周年記念式典に、神撫会会長(同窓会長)と、現役衆議院議員として一緒に招かれました。控室で、中内先輩はちょっと精彩がないように見えました。「何もかもうまくいかないよ、最悪だ。福岡ダイエーホークスが優勝したことだけが嬉しいけど」と呟くように口にされました。「大丈夫ですよ、元気出してください」と精一杯私は激励したものです。

 私は高校時代に、母校の先輩であるジャーナリストの大森実さんの講演を聴き、志を立てました。この日の壇上挨拶で、そのことに触れました。大森、中内の御両人はこの本に登場する友人同士。私の後に話された中内さんは本来の元気さをすっかり取り戻されたように思えました。

 

 

 

 

 

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