公明新聞コラム『北斗七星』担当者に (42)

【昭和60年(1985年)2月創成会結成 3月 ソ連、ゴルバチョフ書記長就任。3月 科学万博つくば85開催 6月 男女雇用機会均等法成立(翌年施行) 8月 中曽根首相、戦後初の靖国神社公式参拝 日航ジャンボ機墜落】

1985年(昭和60年)。公明新聞の一面下のコラム『北斗七星』の担当をすることになりました。入社してから16年目のことです。新入社員の頃から、新聞記者として、密かに目標にしていたことでした。とうとう自分が書けることになったことは、険しい山登りをした挙句、ついに頂上に到達したかのように嬉しい思いがしたものです。社説を書くことや人物をいかにうまく描くかということも大事な課題でしたが、コラムには、また別の味があります。二週間に一度のサイクルで回ってくる原稿書きに一意専心、頑張りました。

初めての機会は、10月27日付けです。私にとって記念碑的作品ですので、全文転載してみます。

今日から読書週間が始まる。ほぼ同時期に、二十一年ぶりの優勝に沸く阪神タイガースとこれを迎え撃つ西武ライオンズとのプロ野球日本シリーズが続く◆例年にも増しての喧騒の中、秋の夜長を読書で過ごすことは、プロ野球ファンならずとも困難を要することかもしれない。が、年頭の読書計画を全うするためにもここは頑張りたいところ◆活字文化から映像文化への傾斜が強まっているとはいえ、活字を通じての情報入手は、クリエイティブ(独創性)という点で圧倒的な強さを持つ。それだけに、読書を習慣とした人間は幸せだ◆作家・城山三郎氏は読書法を①集中豪雨型②交流・交易型③気まぐれ型にわけ、時に応じ、必要に合わせて駆使する。昭和二十八年から仲間五人で、日曜日の午後をつぶし読書会を必ず開いてきてるという城山氏のまねは到底できなくとも、せめて、気まぐれだけでなく、読書週間ぐらい集中豪雨的にまとめてどかっと読書にひたりたいもの◆限られた人生の持ち時間、読める本はたかが知れている、として計画だてて読むのをあきらめるか。だからこそ、寸暇を惜しんで読書に挑戦するか。どちらの生き方を選択するかで、おのずと人生の実りは違ってこよう◆横浜国大の岸本重陳教授は「大学生なら、ひと月に5千㌻は本を読め」と呼びかける。「それくらいの読書量を必要不可欠に伴うほどの認識渇望がなければウソ」(「世界」八五年五月号)という同教授は「学生の時でさえ五千㌻も読めないのだと、あとはどうなる」と厳しい。いつか世の中のことを「分かったつもり」になってしまった社会人の耳にこれは痛く響く(赤)

そこはかとなく教え諭すような上から目線が気になる文章です。実はこれ、予備校時代の原体験に基づいています。本屋での棚に並んだ膨大な書物を前に、ある友人と交わした会話ー本はこの世に読み切れぬほどあるのだから、まじめに読むのは諦めるか、だからこそ一冊でも多く読もうと、挑戦するかーが頭から離れなかったからです。あれから20年ほどが経って、この文章を「北斗七星」に書き、それからまた、35年ほどが経って改めて今読み直してみて、変わらぬ思いを抱きます。

本を読むことに執念を抱き続けた私は後年になって『忙中本あり』なるタイトルで読書録を出版するに至ります。これはまた、数多のエピソードをもたらすのですが、それを披露するのは後日のお楽しみということに致します。ともあれ、昭和60年という年は、私の「文章修行」にとって、一つのピークであり、新たな門出へのプロローグとなったのです。

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