【28】自民と「連立」という画期的決断ー平成11年(1999年)❸

自自公連立政権誕生の経緯について

7月24日の臨時公明党大会で、公明党は連立政権に参加する方針を決定しました。それを踏まえて、神崎・小渕の両党首は26日に党首会談を持ち、大筋の決着を見ることになりました。ただ、小渕首相が進める、自公の連立の動きー結果的に自自公連立になるのですがーについては、自由、自民双方の中から、不協和音が聞こえなかったわけではありません。まず、自由党からは、衆議院の比例区の定数を50削減を実施すべきで、それが飲めなければ、連立離脱も辞さずとの態度が示されたのです。これは小渕・小沢会談で次国会まで継続審議とし、冒頭処理することで決着を見ました(定数削減は、最終的には20削減で決着)。一方、自民党内から一部議員が、公明党との連立に反対する強硬な姿勢を示したり、加藤紘一前幹事長や、山崎拓前政調会長ら幹部が、公明党とは閣外協力に留め置いた方がいいとの主張がなされたりしました。
そうした動きがありましたが、最終的には三党間における政権・政策協議は、10月4日に合意書を交わすに至りました。正式には5日に自自公連立政権がスタートし、公明党からは続訓弘参議院議員が総務庁長官に就任することになったのです。この間の小渕首相の苦労たるや並大抵のものではなかったことが後で分かります。公明党にとっても、長きにわたって批判の対象としてきた政党と、政権を一緒にするとの選択をした画期的な決断でした。

意味深い連立参加のインタビューに登場

当時、公明党の兵庫県本部長をしていた私に、神戸新聞社から「自自公連立 県内関係者に聞く」とのインタビューの依頼が舞い込み、9月1日付けの同紙に掲載されました。(全文は以下の通りです)

ー世論調査などで、自自公に対する有権者の否定的な見方が目立つ。
「半分は当たっているが、半分は当たっていない。自民は比較第一党の支持を得ているが、過半数ではない。他党と組まざるを得ない。どの党と組むかが(選挙などで)示されていないという批判はある。しかし、有権者は比較第一党の自民に、その選択権をあたえているとも言える」

ー公明は変わった、との見方もある。
「かつては野党結集の中核的役割を果たしたのにーという見方だ。事実、新進党という形で結実したが、内部的な問題で崩壊した。今、自民に対抗する勢力をつくるには、非常に手間と時間がかかる。仮にできたとしても、新進の二の舞になりかねない。公明は自民と組むことで、公明の主張を実現する道を選んだ。基本的には変わっていない。中道左派から中道右派へのシフトだと思っている」

ー先の国会で、重要法案が自自公の数の力で次々に通ったとの印象がある。
「自民案をそのまま通したとすれば批判もあるだろう。しかし、嫌がる自民に大幅な修正を認めさせた。公明が施した修正にこそ意味がある。中身を見てほしい。数で何でも押し通すことはしない」

ー解散・総選挙の時期は
「なるべく早く有権者の判断を仰ぐ必要はある。しかし、来年度予算編成でわれわれの政策を反映させることを考えると、最も早いケースで来年一月の通常国会冒頭だろう」

ー非自民・非共産を掲げる連合・五党協の枠組みは維持できるか
「これまでの枠組みを大事にしようという点では一致している。ただし、非自民を旗印にするのは難しい。『自民単独過半数を許さないための選挙協力』であれば矛盾しないと思う」(西海 恵都子)

この西海記者は、今では神戸新聞編集局長になっています。女性初のポジションです。このやり取りでの私の発言はなかなか良くできていると思って、自画自賛していますが、いかがでしょうか。

東ティモール問題でのインタビューにも

この頃、東ティモール問題が浮上。党外交安保委員長として、産経新聞のインタビューを受けたものが、10月30日付同紙に「PKO、PKFで5原則重要」との見出しで大きく取り扱われました。
要旨を抜粋しますと、記者から、東ティモールへのPKO 参加はあるのかと問われ、「当事国の同意がPKOの一つの精神で、紛争当事者の一方を支援することはできない。参加は難しい。PKO、PKF活動で五原則は重要だ。五原則を外せば、紛争が起こりかねない状況で出動することが可能になる」と述べ、どこまでも五原則にこだわる考え方を強調しています。その上で、どう東ティモールの復興に貢献するかについては、「傷病者治療、紛争後の国土開発への貢献が第一。第二に火の粉が降りかからない地域で避難している難民などへの人的支援だ。紛争を鎮火させるための人的貢献はすべきではない」と、同地域の平和構築のための人的支援に!どこまでもこだわる姿勢を明確にしています。

多国籍軍への自衛隊の派遣を公明党が認めるのかどうかが当時最大の(今も同様だが)焦点だったので、記者は執拗に訊いてきました。それに対して私はどこまで慎重な態度に終始しています。「武力で武力を鎮圧することに加担するのが、21世紀へのメッセージとして妥当なのか。自衛隊が多国籍軍に参加しないことがグローバルスタンダード(国際的な基準)ではないと、批判されることに国民が負い目を感じることはない」と述べたり、多国籍軍参加につながるような法整備には同意できないと強調し、あくまで憲法の枠内での後方支援の方法を模索すると訴えています。

東ティモールに私は行ったことはないのですが、この後、同国に深い関係を持つ二人の人物と大変に親しくなります。一人は元防衛施設庁長官で東ティモール大使になった北原巖男氏。もうひと方は国連職員として世界の紛争現場で調停者として活躍してきた伊勢崎賢治・東京外語大教授。北原氏が2008年(平成20年)に大使赴任する直前に三人で会って、あれこれと意見交換をしたことが懐かしく思い起こされます。北原氏は大使を辞めた後も、東ティモール日本友好協会の責任者として懸命の努力をされています。(2020-4-8公開 つづく)

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