【30】森政権の危うくおかしな滑り出しー平成12年(2000年)❷

●産経「私にも言わせて」欄に登場

自自公政権下、自民党、自由党との間で防衛問題の協議を進める中、4月6日付け産経新聞「正論」欄に、政治評論家の屋山太郎氏が「自民党に公明党化の恐れはないか」とのタイトルの論考を寄せました。歯切れのいい論陣をはる、名うての論客です。そこでは、自由党の政権離脱によって、安保政策の牽引車が消えてしまい、ブレーキ役の公明党が影響力を増すことから、安保議論が姿を消すのではないかと、書かれていました。論考のなかで、公明党の安保政策が、あろうことか旧社会党の非武装・中立論と似ているとの文言のくだりがありました。これは黙っておれないと、この「私にも言わせてほしい」欄に寄稿したのです。この文章全七段のぶち抜き、13字詰め104行の結構大きなたたみ記事でした。「『自民の公明化』に反論 ー安保論議消失の心配無用」という見出しです。

屋山さんは、新進党の新人コンテストで面接を担当したようです。その際に、公明党出身者が異口同音に「平和と福祉をやります」と、答えたというのです。それで、「平和はどうやったら守れるのですか」と、いたずらっ気を出して訊くと、また異口同音に「こっちがじっとしていれば安全です」といったといわれるのです。この辺り創作の匂いがふんぷんとしますが、それを受けて、彼は「公明党の平和観というのはいってみれば念仏平和」だ、と書いていました。

●屋山太郎氏の「念仏宗教観」

これに対して、私はー「念仏平和」って言葉、初めて聞きました。念仏を唱えて、戦をした人々のことではないでしょうね。居酒屋談義じゃああるまいし、こういう「いってみれば」は名だたる評論家のなさることではありませんね。(中略) 自分で勝手に、公明党の安全保障政策をかつての社会党のそれと似ていると決め、(屋山さんは)「日本は平和をいつまでも享受できると思っているのか」「解に危険なのは念仏宗教観を現実政治の中に取り入れてしまうことである」と述べています。こういう論法には、大いに疑問を感じますーと続け、公明党は、北東アジアに平和をもたらすべく、予防外交の限りを尽くす一方、必要な抑止力を持つことは当然だとの考えを披瀝しています。そして、公明党が賛成したればこそ、周辺事態法が成立したではないか、その事実をどう見られるのか説明してほしいとたたみ込みました。

この文章の最後では、「屋山さんは、いたずらっ気を出して書いたら、まんまと乗ってきたと、ほくそ笑まれているかもしれません。もっとも、連立を組む前まで、『次々と右傾化政策に賛成する公明党 』と、産経を除くメディアから攻撃されてきましたから、『正論』でのご批判は、格好の中和剤だと、私こそ喜ぶべきなのでしょう」と結んでいます。今読み返しても中々面白い文章展開だと自賛しています。いかがですか?

ところで、この後、市川さんと一緒に屋山さんとお会いする機会がありました。あれこれとお二人が議論をされていたことが思い出されますが、細かなことは忘却の彼方です。その折は流石に「うちは念仏じゃあなく題目ですよ」とも言えず、借りてきた猫ならぬ、飼い主に連れられた犬のように、大人しくしていました。

●森喜朗首相のもとで世紀末から世紀明け

小渕さんの脳梗塞入院による森喜朗さんへの交代は、4月5日。それからほぼ1年間だけ森政権は続きます。世紀末から新世紀明けまでの貴重な期間をこの人が日本の命運を担うことになったのです。自民、公明・改革クラブ、保守の実質3党による連立政権でした。公明党は、この間に①アレルギー性疾患対策を求める署名集め(約1464万人分)②中小企業全国実態調査(調査総数約22000社分)の結果を踏まえての中小企業対策ーなどを首相に提出すると共に、実施を要求しました。併せて、5月には交通バリアフリー法、児童虐待防止法、ストーカー規制法、循環型社会形成推進基本法などを矢継ぎ早に成立させることにも貢献したのです。いずれも公明党ならではの視点のもので、連立政権の一翼を担う政党らしい闘いぶりに、支持者は勿論、有権者は大いに賛意を抱いてくれました。

●衆議院解散総選挙(6-25)で、三回目の当選果たす

森喜朗首相の登場は、〝密室の交代劇〟といった批判を浴びましたが、滑り出し直後の5月15日に神道政治連盟国会議員懇談会の場での発言が大騒ぎの原因となります。同首相はそこで「日本の国は、まさに天皇を中心とする神の国であるということを国民のみなさんにしっかりと承知していただく。そのために我々(神道政治連盟関係議員)は頑張ってきた」とのいわゆる「神の国発言」をしました。これに対して、共産党をはじめとする野党は猛烈に反発し、総理大臣に不信任決議を出そうとします。これを逆手にとって首相は衆議院解散を断行しました。

当時の公明党の受け止め方は、「いかにも」という空気でした。「言わずもがな」の発言に呆れたというのが本音だったのです。神道政治連盟という集団内部での心情は確かにそういうことでしょう。ですが、それをわざわざ時の首相が、日本は神の国であると表明するというのは、不用意極まりない失言というほかありませんでした。これによって、この国の起源を巡る侃侃諤諤の議論が一時的に生み出されました。この騒ぎの直後に、テレビ朝日の人気番組「朝生まテレビ」に私は初出演しました。

総選挙は、前回の小選挙区比例代表並立制の選挙制度における初の選挙に続くもので、2回目。新進党の解体で公明党は久方ぶりの独自の選挙となりました。前回は近畿比例ブロック定数33のなかで、新進党の名簿四位で、悠々当選を果たしましたが、今回はそうはいきません。公明党としての単独名簿の当選圏内ギリギリと見られた名簿五位でした。投票日当日、最後の最後までヤキモキする危ない闘いでようやく滑り込みました。これで当選三回となったわけですが、きわどい結果に胸撫で下ろしたものでした。(2020-4-14公開 つづく)

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