【35】国交委員会の顔として国の内外へー平成13年(2001年)❸

●衆院国土交通委員長としての闘い

衆院国土交通委員長の仕事として、通常の委員会の仕切りとは別に、道路建設をめぐる会合に出席することがしばしばありました。5月末の一週間には三回も出ました。22日に日本道路建設業協会懇談会、23日に全国道路利用者会議、25日には道路整備を求める全国大会といった具合です。それぞれ、道路舗装などの関連業者、トラック輸送などの運輸業者、地方自治体関係者によって構成された会合です。

小泉純一郎首相は就任直後から道路特定財源の使途見直しを打ち上げていました。つまり、道路を作るってことを特別視しないで、他のものにも使えるように一般財源化しようというのです。これでは道路整備を求める関連業者、自治体、そしてそれに連なるいわゆる道路族といわれる国会議員たちも困ります。勢い、私が出た三つの会合でも「首相発言何するものかは」とばかりに、従来通りの道路建設に全力あげますとの発言が相次ぎました。どういうわけか、公明党には道路建設のエキスパートが多く、22日の会合には、森本晃司、太田昭宏、井上義久氏と三人もの有力議員が来ていました。この三人も力強い発言をされたことはいうまでもありません。

23、25日の会合は、いわゆる総会方式の会合で共に委員長としての挨拶を求められました。とりわけ、25日に砂防会館で開かれた道路整備大会は熱気溢れる雰囲気の中、扇千景大臣と私の揃い踏みとなり、少なくとも私の気分は盛り上がりました。

●ユーモア忘れぬ挨拶で自己満足

扇大臣は、15本もの政府提出法案が国土交通委員長によって生殺与奪が握られているなどと、私への気配りを混ぜた、かなり長い話でした。かつてある総理大臣が「皆さん、スピーチは短く、幸せは長く、そして道路はしっかりと、です。以上、終わり」とやって大受けしたとかという小話をつい思い起こしました。私は「出来ることとと、出来ないこと」をはっきりさせる姿勢の扇大臣ですから、首相の目指すところに、どう対応されるか、固唾を飲んで見守っているとの言い方で、政府中枢に下駄を預ける無難な話をするに留めておきました。

尤もそれだけでは、私の気分はおさまりません。ちょうど同席していたのが大石久和道路局長と、この大会の新しい会長が私の地元の赤穂の北爪市長でしたから、こう締め括りました。「もし、道路建設をめぐる動きが皆さんの意に添わないものなら、大石さんのもと、赤穂の討ち入りといった事態も起こりかねないと存じます」と、ユーモア混じりのサービスも忘れずに付け加えておきました。他愛もないエピソードですが、ちょっとしたスピーチにもウイットとユーモアを忘れぬ私の姿勢を出せたことに、自己満足したものです。

●扇千景国交大臣との出会い

2001年の小泉純一郎第一次内閣では、様々な意味で話題を呼ぶ人の入閣がありました。公明党的には坂口力さんが厚生大臣と労働大臣の兼務(2000年末)から、初代の厚労大臣に就任したことが大変重要な意味がありました。医師の資格を持つ人が大臣になるのは坂口さんが初めてです。自民党的には医師会との関係から、従来医師資格を持つ人は遠ざけられた経緯があったようですが、公明党ということで実現したものと見られます。坂口さんはこのあと、縦横無尽の活躍をされていきますが、それはまた後で触れることにします。

小泉内閣の〝目玉閣僚〟の一人は、紛れもなく、女優出身の扇千景さんでした。この人は参議院議員でもあり、これまで私とは特に深い関係にはなかったのですが、実は委員長主催の懇親会で、私はこういう話をしました。

実は、私が昔に見た印象深い映画に、皆さん御覧になったかどうか、『36人の乗客』というものがあります。36人の乗客が乗っているバスの中に、犯人がいる(乗客35人と犯人1人)というもので、なかなかスリル満点の面白い映画でした。小泉博さん主演で、志村喬さんらの名優も出ていたサスペンス映画でしたが、実はそのバスの車掌役が誰あろう扇千景さん、今の大臣だったのです。その時は誠に可愛い女優さんでした。ずいぶん若い時に観たのですが妙に覚えているんです。それは脚本の出来栄えもあったのでしょうが、やっぱり扇千景さんが‥‥。

扇大臣は、「まあ、あの映画を赤松委員長は観てくださったの?」と、その場で声を上げてニコニコ。ただそれだけの話ですが、一場の座興としては上出来だったと自負しています。なお、今ではこういう委員長主催の懇親会は、予算の都合上取り止めになっていますが、当時は未だやっていました。引き出物まで出すしきたりがあり、その中身を何にするかを考えるのが委員長の役目だったのです。通常地元の名産にすることが多かったのですが、私はそれを地元とは全く関係のない「赤玉ポートワイン」にしました。何故かっていうと、与党の筆頭理事が赤城徳彦氏(後の農水相)、野党の筆頭理事が玉置一弥氏だったからです。つまり、赤城の赤と、玉置の玉と、二人の頭文字を取ったしだい。これまた一座興ではありました。従来からの慣例に身を任せるだけで、無駄使いはやめようということに気がつかず、戯れ言にうつつをぬかしてた、至らない身を恥かしながらここで告白しておきます。

●団長としてフランスからスペインへの視察旅に

国会の委員会は、数年に一度海外視察の機会が巡ってきます。実は私が委員長に就任したこの年がたまたま国土交通委員会に当たる年でした。どこへ何を調査に行くか、全て委員長に決める権限があります。私は、都市の再生に向けて街づくりをどう進めるか、高速道路網や高速鉄道網の実態はどうなってるかーこうしたことを目的に、フランスとスペインに8月24日から31日までの7泊8日の日程で行くことを決めました。

フランスは日本の新幹線とあらゆる面で競うTGVと呼ばれる高速鉄道網を持っています。そして首都パリは歴史と伝統に輝く建造物をあまた持ちつつそれを保存し、かつ同時に新世紀に相応しいものにすべく、再開発に取り組んでいる都市です。また、スペインでは、港湾都市のバルセロナは万博やオリンピックなどのイベントを通じて街づくりを巧みに展開してきた都市です。さらにこの国はAVEなる高速鉄道網を持ち、フランスと並ぶ欧州での一大観光国です。当時の日本はまだまだインバウンドにはほど遠い国だっただけに、この両国から多くを学ぼうと勢い込んで向かいました。

この視察旅は、フランスではパリのほかに、高速鉄道で2時間離れたディジョンのアルケ・スナン(サリーヌ・ロワイヤル=世界文化遺産の製塩工場)を訪れました。また、スペインではバルセロナの他に、マドリードから車で1時間かけてトレドにも行きました。ここは街全体が世界文化遺産です。この地はまさに中世そのもので、時間と空間を超えて、タイムマシンに乗って到着した素晴らしい場所でした。

この視察旅をした際の私の新国会リポートは帰国後の9月3日、6日、7日と上中下の三回に渡って報告を克明に発信しています。一番最後に、「都市再生が小泉政権にとって重要な課題に浮上している今日、様々な意味で刺激を受けることが出来ました。日本らしさや各地域の個性を生かしながら、政、官、民すべての知恵を結集してこの課題に取り組みたいと決意しています」と。(2020-4-26公開 つづく)

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