【36】「9-11」同時多発テロと「新しい戦争」の時代ー平成13年(2001年)❹

●生映像で見た「9-11」の衝撃

2001年の9月11日(日本時間でいうと、前日の午後9時頃)。私はNHKテレビの特集番組を観ていました。ちょうど姫路城の心柱を取り替えることの大変さを、事細かにやっていました。姫路城が築城400年で修理を始めるということで、歴史的な経緯を追っていた番組でした。なかなか見応えがある中身でした。世界文化遺産としての姫路城がいかに作られ、そしてそれを維持していくことがいかに重要で大変かを思い知った、その直後のこと。画面に突然、あのニューヨークのビルに飛行機が激突するシーンが映し出されたのです。あたかも映画の一シーンのように。何が起こっているのか。にわかに信じられない一瞬でした。これが虚構でなく、まさにリアルタイムでの実況中継になっていることに気付いて、ことの重要さに驚愕したのは少し時間が経ってからでした。「破壊は一瞬、建設は死闘」という人生の師・池田先生からいつも聞かされてきた、重みのある言葉がつい浮かんできました。

あの巨大ビルが航空機の体当たりで破壊される姿を観ていて、衝撃的で未だに脳裏に焼き付いているような場面があります。ビルから逃れるために、階段を懸命に降りて行く人々と、真逆に下から上に向かって消火活動に向かう消防士たちの交錯する映像です。暫くしてのちに、巨大なビルが崩れ落ちて行くわけですが、ほんの少し前に、誇らしげ(そう見えました)な顔つきで、登っていった勇者の姿が今もなお瞼から消えない気がします。仕事とはいえ、犠牲を厭わぬ献身的な勇姿に胸詰まる思いがしました。米国本土がこんな形で空爆の対象となるとは。本当に驚くとともに、誤れる宗教的信念に基づく、一部のイスラム教徒たちの自己破滅的行為に心底から恐怖感を抱きました。21世紀が始まっていきなりのこの恐怖。「新しい戦争の時代」の幕開けを実感したものです。

●大沼保昭先生宅でジェラルド・カーチスさんと

この「9-11」の衝撃はその後の国際政治に大きな影響を与えていくのですが、私的には、ジェラルド・カーチスさんと、大沼保昭元東大教授との懇談会が忘れられません。大沼さんとは、中嶋嶺雄先生及び市川書記長とのご縁もあり、大変に親しくさせていただきました。残念ながら先年帰らぬひととなられたのですが、東大での最終講義を聴講させて頂いたり、ご夫人や娘さんらと共に親しいお付き合いさせていただきました。この懇談会は杉並の大沼宅で事件の一ヶ月後の10月10日に開かれたのですが、当初市川さんも参加される予定でしたのに、急遽都合がわるくなり、私一人の参加となりました。

カーチスさんは、周知の通り、『代議士の誕生 日本保守党の選挙運動』で著名な米国コロンビア大学教授などを歴任した政治学者です。東大でも教鞭をとったこともあり、大沼先生とは懇意でした。お会いした三ヶ月ほど前にも『永田町政治の興亡』という新刊本を出したばかり。ここでの懇談で、極めて印象深かったことは、カーチスさんの圧倒的な怒りでした。冷静たるはずの学者とはとて思えぬ異常さでした。日本人の立場ーというか私個人のスタンスからすると、米国が狂信的イスラム教徒に狙われる理由はそれなりにわかるのですが、そんなことはとても言い出せない剣幕でした。米国の強いナショナリズムのあり様を思い知った一幕でした。大沼先生はその時も讀賣新聞からコメントを求めておられており、ファックスを通じて原稿のやりとりをされていましたが、いつも通りのこの人らしい鋭い見方を提示されていたことを思い出します。

●同時多発テロを受けて各紙のインタビュー受ける

「9-11」の米国発の同時多発テロを引き起こした事態を受けて、私は讀賣新聞と東京新聞のインタビューを受けました。10月8日、11月6日の両紙の紙面を飾ります。どちらも今なお、新鮮味を失っていない中身だと自負できます。
まず讀賣から。

ー公明党は今回、湾岸戦争当時と対応が違うが?
赤松)現代文明の利益を享受しているすべての民族に攻撃を仕掛ける相手に立ち向かうことは必要だ。実力行使には抑制的でなくてはいけないが、なおかつ国際社会で名誉ある地位を占め、一国平和主義の落とし穴に陥らないために、どうすべきかを一生懸命考えている。反文明、反法治のテロに、『ノー』という意思を早く示す必要がある。緊急対応するための特別措置法を作ることには支持者も納得してくれると思う。
ー武器使用要件の緩和と憲法の兼ね合いは?
赤松)武器の使用は重要な懸案で、同じ場所にいる外国人要員を守れない国連平和維持活動(PKO)協力法の規定は少し縛りすぎだ。(中略)憲法が禁止しているのは、国権の発動としての武力行使であり、(武器使用要件の緩和を集団的自衛権の行使と結びつけるような)厳密な『縮小解釈』は問題だ。国と国という伝統的な戦争概念を超えた『新しい戦争的犯罪』と言うべき今回の同時テロに対し、従来の自衛権に関する解釈にとらわれすぎると対応が難しいのも事実だ」ー以下略

ここで注目して欲しいのは、私が「縮小解釈」なる言葉を使っていることです。昔も今も憲法の「拡大解釈」を問題視する向きは多いのですが、「縮小解釈」という表現を使う人はいないようです。適正な解釈をせずに、厳しく縛りすぎるのは〝過ぎたるは及ばざるが如し〟のようだと、私は言っているのです。この時の讀賣新聞のインタビュアーは、穴井雄治記者。この人当時は公明党番記者でしたが、あれから20年。今では、雑誌『中央公論』の編集長になっています。

次に東京新聞。

ーテロ対策法は周辺事態法より武器使用範囲が拡大した。平和外交を掲げる公明党は変わったのか?
赤松)自衛隊員が自己の管理下に入った者を守ったり、同じ場所にいる他国の要員を助けるというのは自分の身を守るのと同じ次元の話だ。(中略)」はっきり言って公明党も変わってきている。『こんな政党じゃあなかったのに』というのは固定した見方。政党は時代に合わせて進化していかなければならない」
ー公明党が与党内で果たすべき役割とは?
赤松)紛争を起こさせないための『予防外交』に力点を置く。非政府組織(NGO)を活用したり、米国一辺倒ではなく、多方面の外交に目配りしたり、公明党が貢献する分野はいくらでもある」ー以下略

この時のコラムは、「政治家に問う『新しい戦争』と日本」というタイトル。私のものの凸版見出しは、「時代に合わせ進化する平和の党」でした。主見出しは、「武器使用縛りすぎは酷」。袖見出しは「『予防外交』で歯止め役に」。当時、ここまで言い切る公明党の人間はいなかったはず。それなりに注目されました。この時の東京新聞のインタビュアーは、高山晶一記者。やはり番記者でしたが、今は、同社政治部長。私が付き合った記者の皆さんは、みんな優秀だったなあと改めて感じ入っています。(2020-4-28公開 つづく)

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