【40】「たったひとりの反乱」騒ぎに発展ー平成14年(2002年)❹

●「連立離脱」騒ぎを引き起こす

5-27から三日間、私はホームページの国会リポートで予算委員会集中審議の模様を上中下と三回にわたって克明に報告しました。見出しを並べますと、「体調不良か、超変人かー小泉首相の不可思議」(上)、「もはや『倒閣』に加わりたい気分」(中)、「難民問題に確たる方針なき現状あらわに」(下)といった具合です。このリポートを始めて3年あまり、回数にして180回を越えていました。少々調子に乗っていたかもしれません。確かに小泉首相は前回に見たように、新聞報道でもちょっとおかしいとの空気は漂ってはいました。ですが、「もはや『倒閣』に加わりたい」というのはいささかオーバーです。しかし、書いてしまったものは取り消せません。新聞各紙が飛びついてきました。

5-29、5-30付けで各紙がいっせいに書きたてました。「倒閣」に加わりたい 首相答弁に怒りー公明・赤松氏HPで(読売)、倒閣に加わりたい気分ー公明議員、ネットで首相批判(日経)、「熱冷めた」倒閣を宣言ー公明・赤松氏 HPで首相批判(東京)、公明・赤松氏「倒閣」宣言?ー鈴木氏問題首相答弁に不満(毎日)

これだけではありません。朝日新聞は、「さえない『盟友』」とのタイトルでのたたみ記事に、小泉首相 途切れる答弁、意味不明ー疲れたまってる?との見出しで、私とのやり取りを紹介。「赤松正雄氏の鈴木宗男代議士に関する質問に、なぜか瀋陽総領事館事件を持ち出して『非常事態にどう対応するのか、心構えが必要だ』。与党の一員の赤松氏ですら、自分のホームページに『でたらめな答弁』と書き込まざるをえなかった」と書きました。また、産経新聞は、どうしたの!?小泉さんー精彩欠く答弁/マスコミにも恨み節 公明・赤松氏「倒閣したい」ー与党から失望の声、との見出しで、事細かに報道しました。

●首相から間接的謝罪の弁届く

勿論、当選3回の人間が「倒閣」云々をひとりで口にしたところで、どうにもなるものではありません。ですが、そこがIT時代の微妙な側面で、一気にメディアに材料を提供してしまったということです。産経は、「党としてではなく、私個人の『反乱』」だと私のコメントを紹介しながら、「首相と公明党の微妙な関係も印象づける出来事といえそうだ」との論評も加えたのです。

この騒ぎは、首相からの間接的発信で一件落着しました。29日の夜に、「答弁に不満があるということなら、私の不徳の致すところかな」「質問が一つではない。前段、中段、後段があって、どれに答えればいいか全体を考えているもんですから」と釈明ととれる発言があったのです。讀賣新聞が30日付けで、「記者団に答える形で陳謝した」、と一段記事で書きました。尤も、同首相は、30日の昼に、公明党の中堅、若手議員と官邸でカレーを共にしながら懇談した場で、「あの時はヤジがひどくて、それをやり返したんだ。赤松さんは勘違いしたんだ」と釈明したと、東京新聞が掲載しました。この場に私は呼ばれていず、後で知ったのですが、結局はうやむやになったというところでしょうか。

この事件も、ひと段落がついた6月半ばになって、讀賣新聞が「政界投光機」というコラムで、「連立と独自性ー公明若手の『折り目』」という記事を村岡彰敏政治部次長が書いています。

小泉首相と私との行き違いについて触れた後、「その後日談である」、とした後にこう続けています。「赤松氏は、冬柴幹事長ら党幹部に、『不満があっても表に出すものではない』と注意された。ところが支持者からは、『よく言ってくれた』『非は非とすべきだ』という激励のメールが相次いだ」と、さらに「今月7日の公明党衆院議員団会議で、赤松氏は確信を持って主張した。『政治とカネをめぐる不祥事は、政治に清潔さを求めてきた公明党の過去を消し去るほど惨憺たる状況だ。連立のパートナーであっても、言うべきことを言わないと、やみくもに自民党を守ることになってしまう』」「公明党が自民党と連立を組んで二年半が過ぎた。政権の円滑な運営のために与党の連携を維持しつつ、どう党の独自性を打ち出すかは『永遠の課題に違いない』」「ここで注目すべきは、赤松氏の言動の底にのぞく自民党観と、政治構造の流動化の予感だ」と。

村岡記者は、このコラムで、公明党の中堅・若手の描く戦略は、〈今のうちに政策や政治姿勢における自民党との違いを明確にし、いわば『折り目』を付けておく。自民党の分裂や総選挙敗北など不測の事態によって連立解消に至れば、その折り目できれいに離れ、新たに政権を目指す〉ものであると、いささか大胆な予測をしているのです。私以外の公明党の人間にも取材をしたうえで、こういう結論に達したものと思われますが、まあ、「当たらずといえど遠からず」というよりも、〝当たらぬうえに近からず〟との感想を当時抱いたものです。この村岡記者はその後敏腕ぶりを発揮して、政治部長などを経て、今では同社の経営管理担当の副社長になっています。

●有事法制めぐりNHK日曜討論に出演

この頃、国会の内外で有事法制をめぐる議論が大きな争点になっていました。NHK テレビの「日曜討論」では、反対の立場が鮮明な社共両党に私は議論をふっかけたことが印象に残っています。例えば、共産党には、「我々与党は、滅多にないことであっても、万が一、外国から攻められたら、どうするか。いわば使ってはならないものを作っておく必要があるとの姿勢だが」、と前置きしたうえで、「あなた方共産党は、有事法制そのものに、反対なんでしょうか。二年前に日本共産党は、七中総で、いざという場合、自衛隊を使う必要がある場合には、使い方を考えねばならないという趣旨の決議をされていますが、それはどういうことなんでしょう?」と。

また社民党には、(抑止論は)古臭いとの発言をされたけれど、先週この場に出られたあなた方の党の人は、要するに、何も持たないのが一番いいという言い方をされていたけれど、それこそ古い考え方ではないのですか?」といったように。

●社共両党の安保観を問いただす

また、同じ頃、衆院憲法調査会では小委員会で、自由討論をしました。5月9日には共産党議員に、6月6日には社民党議員に、それぞれの党の安全保障観を問いただしました。これは、私の国会リポートで克明に一部始終を報告しています。それぞれとの細かな議論を掲載した後で、寸評をしており、注目されます。まず、共産党については、「中立自衛で、戦力や軍隊は持たない。しかも自衛隊は違憲という。そのくせ、なくすかどうかは別途考える。これではどうも分からない」と。

次に社民党については、「非暴力抵抗は美しい。実に。しかし、現実の責任政党としての政策選択肢は、そのような非現実的路線でいいのか」と。

今では見る影もない両党ですが、当時はそれなりに存在感がありました。それだけにこういう論戦が意味を持ったと思いますし、わたし的には手応えを感じたものです。(2020-5- 8 公開 つづく)

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