【49】「国民年金の未納問題」が発覚し大騒ぎー平成16年(2004年)❷

●「一級のミリタリーは一級のシビリアン」

3月の21日の日曜日、私は念願だった防衛大学校の卒業式及び関連行事に参加しました。同大学校は、神奈川県横須賀市走水にありますが、この日は第48期生の卒業式でした。国会議員になって、外交・防衛分野を担当してきた身として、一度は行きたいものと思っていたのですが、ようやくその機会がめぐってきました。この催しに参加したいと思った理由には二つあります。一つは、先輩市川雄一元書記長から、常々防衛大学校の卒業式には行っておいた方がいいと聞かされていたことがあります。もう一つは、たまたまこの時の防衛大学校の学長が西原正さんであり、この年の送辞を担当したのが元外務省高官だった岡崎久彦さんだったからです。このお二人とは中嶋嶺雄先生が主宰される私的勉強会(新学而会)でご一緒している仲間だったのです。

市川さんからしばしば聞かされたのは、1993年の卒業式の時のことです。この年の来賓代表は作家の塩野七生さんで、その送辞が市川さんの心を捉えて離さなかったというのです。実はその内容が、この年の雑誌『文藝春秋』3月号の巻頭文「日本人へ・十」に紹介されていたので、ポイントになるところを挙げてみましょう。

この日の挨拶は、一言で要約すると、「一級のミリタリー(軍人)は、一級のシビリアン(市民)でもある」ということに尽きます。塩野七生さんは、「一級のシビリアンでなければ、戦場でも勝てないから」だとして、幾つかの理由を挙げています。勇敢で、人望があっても充分ではないとして、必要な要素を列挙しています。

補給線の確保(部下たちの腹具合への注意)、良き味方を作ること、部下たちをやる気にさせる心理上の手腕、柔軟な思考法などを挙げた上で、「軍事とは全く政治と同じに、いや他のあらゆる職務と同じに、各分野で求められる資質が総合的に発揮されてこそ良い結果につながるのです」と言うのです。「コントロールなど必要としない、一級の武人になってください。そうすれば、アレキサンダーもハンニバルもスキピオも、カエサルも考えなくてすんだ最高の難問、戦争をしないで、どうやって勝者であり続けるかとく難問の解決への道も、自ずから開けてくるのではないか」と続け、「あなた方も、明日シビリアンの世界に放り出されても、一級のシビリアンで通用するミリタリーになってください。そしてこれが、古今東西変わらない、一級の武人になる唯一の道だと信じます」と結んでいます。

この挨拶に市川さんはぞっこん参ったようで、当日の式典のあとの懇親会の場で、高く評価するスピーチをしました。さぞや懇親会では盛り上がったに違いありません。なお、私の出た卒業式で岡崎さんは、「米英というアングロサクソンとの協調の重要性」「集団的自衛権の行使が喫緊の課題」といったかねての持論を展開されました。74歳の同氏が50歳ほど年下の卒業生に、50年後の日本を託す思いが鮮烈に伝わり、これはこれで大変に印象深い中身でした。

●国民年金の未納、未加入問題で大騒ぎ

この年の国会での大きなテーマは年金改革問題でした。大型連休も終わって、関連の法案審議が本格化しようという矢先に、閣僚の国民年金の未納という問題が明らかになってきたのです。発端は3人の閣僚(中川昭一経産大臣、麻生太郎総務大臣、石破防衛庁長官)でした。当初はその3人だけが槍玉に上がっていましたが、そのうち、激しく追及していた民主党の代表、そして前代表、さらには首相、元首相ら与党の最高幹部から、果ては共産党の議員まで与野党を問わず続々と国会議員の中から国民年金未納者が明るみに出てきたのです。公明党ははじめの頃は誰も名前が出ず、ほっとしていましたが、やがて残念ながら一人、二人と出てきてしまい、みんな同じ穴のなんとやらという格好になってしまったのです。私の場合は、約18年間の公明新聞記者時代を経て、ほぼ2年間の国会議員秘書から党地方本部嘱託と都合291ヵ月間、厚生年金に加入。その後、議員になった時点から国民年金に加入(この時点で、131ヵ月間加入中)しており、問題はありませんでした。

ことの発端は、国民年金の加入を呼びかける役回りを担った女優の江角マキコさん自身の未加入問題が話題になったことにありました。やがて、国会議員はどうなんだということになって、閣僚から始まったわけです。いわゆる刑事問題などといった次元では勿論ないのですが、国民に年金加入を求める側の議員がそうした問題に無関心だったことが白日の下に晒されたわけで、何とも格好のつかない不始末でした。最終的に福田康夫官房長官が事態の責任をとって辞任することになった(2004-5-7)のです。

実はこの問題は私の周辺でも小さな波紋を引き起こしました。5月14日に姫路で「赤松正雄と夢を語る会」を開く予定にしていて、その講師に石破防衛庁長官を呼ぶべく、ご本人から内諾を得ていました。ところが土壇場になって、私の周囲の婦人層から「石破さんは、国民年金未納の3人のうちの一人だから、まずいのでは」との声が上がってきたのです。当時話題になっていた「だんご三兄弟」をもじって「年金未納三兄弟」と、石破氏も揶揄られていました。そんなことから、彼に姫路訪問を断らざるを得ないことになってしまいました。別に犯罪を犯したわけでもなく、呼んでも良かったのですが、時の空気とは怖いものと改めて思い知りました。

●「年金制度改革」で公明党が活躍

前年の衆議院選挙ではマニフェストが話題を集め、各党共に、目玉政策を組み込むことに懸命になりましたが、公明党は年金制度改革に取り組んだことは先に述べた通りです。そうしたことを受けて6月5日に年金改革法が遂に成立しました。日本の社会保障制度は、この年金改革に続き、2005年には介護保険改革、2006年は医療保険改革と三年続けての一大改革を成し遂げることになるのですが、そのトップを切った年金制度改革は、公明党が主導的役割を果たしたのです。その舞台回し役は、厚労大臣だった坂口力さんが果たしたのです。

この公明党の働きには、多くの専門家が高い評価を下しましたが、特に印象に残っているのは、堀勝洋上智大教授の「従来なら、政治が避け、先送りしてきた〝国民に不人気な政策〟を、しかも参院選前に断行した。私はこれは大英断だ、非常に勇気のあることだと思っています。この決断に果たした公明党の役割は非常に大きかった」というコメント(公明新聞2004-7-2付け)です。負担が増えて、受給が減ってしまうこうした改革については、どうしても政治は先送りしてしまうものです。それをむしろ逆手にとって、『年金百年安心プラン』と銘打って、積極的に国民にプラスイメージで投げかけたのは、身内ながら大したもんだと、その戦略の巧みさを褒めたいと思ったものです。(2020-6-4 公開  つづく)

 

 

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