【52】防衛大綱に伴う予算攻防の夜の衝撃ー平成16年(2004年)❺

●自衛隊富士学校での浜四津さんの勇姿

自衛隊が持つさまざまな施設に私は担当者として積極的に出かけました。9月のある日、静岡県駿東郡小山町の陸上自衛隊富士学校と山梨県にある北富士演習場に視察に行ったのですが、いつもと全く様子が違いました。私が部長を務める外交・安保部会と、女性局の合同視察だったのです。しかも浜四津敏子代表代行も参加しました。自衛隊のあるがままの姿を知っておきたいとの浜四津さんの意向もあり、女性隊員との懇談なども企画され、実り多いものになりました。

当時発売されたばかりの総合雑誌『文藝春秋』10月号に「大和撫子 イラクで奮戦す」という女性隊員三人の座談会が掲載されていて、興味深いものがありました。浜四津さんとの懇談の場では残念ながら本音トークは聞けませんでしたが、その代わりに、この時大変珍しい場面を見ることができたのです。それは、富士学校の校庭で、96式装輪装甲車、90式戦車への試乗を迫られ、浜四津さんが受け入れて、なんと車上の人になったのです。

最初、私は代表代行はよもや乗るまいと、思っていました。もし、週刊誌などの知るところとなると、いいように揶揄られ、自衛隊アレルギーを持つ婦人層からも批判されるのではと、懸念したからです。自衛隊の装甲車の助手台に颯爽と立って、走りゆく車上の姿。つくづく度胸があるなあと思いました。昭和42年ごろ慶大で後輩として出会って以来、いつもチャーミングな先輩でした。その浜四津さんが見せた全く別人のような勇姿。今なおぼんやりながら思い浮かんできます。このことは一切当時のメディアでも党内でも語られていません。私自身黙っていました。今、はじめて明かします。15年ほど経っていますからもう時効でしょう。

●尖閣列島を空から訪問する

国土交通委員会の一員として、尖閣列島を上空から視察をしようとの話が持ち上がり、11月17日に私も参加しました。日本の領土であるのに、中国、台湾もその領有を主張するという異常な事態が続いている中で、様々な課題もあるので、現地を見ておこうということになりました。視察を決めた直後に偶々原子力潜水艦の侵犯事件もあり、一層意義深いものになりました。これより数年前、石原慎太郎氏や西村慎吾氏らの衆議院議員有志が海路この島々に来たものですが、石垣島から北へ130-150キロほど離れており、ヘリコプターでほぼ1時間ほどもかかる行程でした。

一機につき定員は7人。乗組員が4人でしたから議員は2-3人。午前と午後の二回に分けて乗り組みました。魚釣島を中心に北小島と南小島の三つの島から成り立っていますが、魚釣島を見た印象は大きいなあというもの。幅3-5キロにも及ぶ堂々たる島です。かつて明治の頃には、この島でアホウドリの羽を加工したり、カツオ漁の拠点があって、工場を営んだ人々が住んでいたといいます。今は勿論無人島ですが、ヘリで20分ほど接近、旋回して見たところ、研究用にと放たれた山羊が数頭走ってるのが見えました。また、かつて右翼団体が岩に描き残した日の丸の旗もくっきりと見えました。またその側に、小さな灯台と思しき建造物も見えましたが、日本の領有を示すもっとしっかりした建物を作る必要を感じたしだいです。

●防衛大綱めぐる予算攻防にしのぎを削った夜に

この年の暮れは、新しい防衛計画の大綱と次期中期防衛整備計画が決定されるに至りましたが、私は与党プロジェクトチームの副座長を務めました。座長は自民党の額賀福志郎さんです。元防衛相も務めたベテランです。約一ヶ月の間に、合計8回ほどの議論を展開して、大綱や中期防の中身をめぐる詰めの作業をしたあと、陸上自衛隊の定員についての交渉に関わりました。

この時の経緯については、12月9日付けの日経新聞が詳しく報道しています。

新たな「防衛計画の大綱」の焦点だった陸上自衛隊の編成定数は15万5千人で決着したのですが、定数削減に難色を示した自民党、防衛庁。大幅な圧縮を求めて譲らない財務省。そして目に見える防衛力縮小を求めた公明党というように、三者の立ち位置がぶつかり合ったのですが、最終的に「三方一両損」に落ち着いたとの見方を示しました。当事者としてもその見方が的確だろうと思います。

この時の大綱の編成定数は16万人ですが、常備自衛官は14万5千人。予備自衛官は1万5千人で構成されていました。これを予備自衛官を8千人減らして7千人にして、常備自衛官は3千人増やして14万8千人にするという形で決着させました。それぞれのメンツが立つことになったのです。

この経緯を日経はさらに詳しく解説していますので、その部分をまるごと引用します。

「中期防と大綱を絡ませ、利害を調整するために登場したのが、自民党の額賀福志郎元防衛庁長官と公明党の赤松正雄氏だった。関係閣僚と与党幹部による異例の折衝を落としどころに導くには、官僚ではなく『政治家の関与』が欠かせない。七日夜。額賀氏と赤松氏は『防衛庁と財務省が激突していてはどうしようもない。「常備」は十五万人を割り込ませ、十四万八千人にしよう』と申し合わせた。八日、日中の閣僚折衝は決着に至らず、額賀氏と赤松氏は三度にわたって財務省に出向き「十五万人5千人」で合意した。どの関係者も『満点』とは言えないが、誰もが『実』をとったー。これが陸自編成定数の結末だった」

この顛末は勿論、額賀福志郎さんのリードによるもので、私は呼吸をうまく合わせただけでした。で、全てがうまくいった夜遅く、額賀さんが二人だけの打ち上げをしようと、とある赤坂見附のお店に連れて行ってくれました。ドアを開けた途端、目に入った風景に私たちは度肝を抜かれました。カウンターに10人足らずほどの男性客がずらり並んで座っていたのですが、全員坊主頭だったのです。壮観というか異様というべきか。後で、北陸地域の某宗派の理事を務める僧侶の皆さんの集いだと分かったのですが、後ろ姿を見つめながらの二人だけの会はイマイチ弾まず、盛り上がりに欠けてしまったのは否めませんでした。(2020-6 -13公開 つづく)

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