【66】米軍再編問題でグアム島への視察にー平成19年(2007年)❶

●「米軍再編」に対応するためグアム島へ視察に

「米軍再編」に伴って、沖縄駐留の米海兵隊約1万人がグアム島へ移転する計画が2006年に公表され、受け入れ態勢を検討する必要から、自民、公明両党が専門家議員を派遣することになりました。2007年の新年の気分覚めやらぬ2月3日、4日の二日間です。山崎拓元防衛庁長官を団長に、自民党から町村信孝前外相、大野功統元防衛庁長官ら5人。公明党からは私と佐藤茂樹安保部会長の2人。合計7人のチームでした。

日本から2500キロ、航空機で3時間半。沖縄との距離が1600キロで、ほぼ2時間半ですから、近いといえば、近い位置にあるといえます。その沖縄の負担が減ることになるなら、いい話ではないかという単純な発想を持つ向きもありました。私はその辺りを現地で確かめようとの思いがあり、到着後直ちに開かれた会議での米側の説明のあと、直ぐにこう訊きました。「沖縄からグアムへ海兵隊が移転するといっても、所詮は分散であって、沖縄からの海兵隊の撤退を意味しないと思うのですが、間違っていますか?」

「うーん。難しい質問で、私には答えられません。将来どうなるかは、今は分からない」リーフ米太平洋軍副司令官はこう答えるのがやっとでした。「プレイボール」を宣告する始球式で、いきなり豪速球を投げたかのような質問ぶりでした。場の空気はしらけました。尤も、グアムに海兵隊が移転するといっても、沖縄の現実は変わらないとの危惧の思いをぶつけて、私としてはそれなりの自己満足感はありました。

グアムにおける受け入れについて、いかに日本側にカネを負担をさせるかに大わらわの米側。グアム移転による負担の重荷回避に躍起の日本側ー両者の思惑の狭間で、沖縄、グアムの地域住民の生活への影響が見逃されがちだということだけは明確でした。翌4日に海軍と空軍の基地をバスで視察しました。その途上、住宅、学校、病院、水道、道路など住民生活万般において日本の支援がいかに必要かが語られました。耳を傾けながら、前途がいかに多難かに思いを致さざるを得ませんでした。

実はこの問題は、その後に現地で受け入れ反対の住民運動が巻き起こっています。2012年に米軍は計画を大幅に変更、移転人数の半減などを試みようとしていますが、決着は未だつかない状況です。一方、沖縄の嘉手納基地、辺野古への移転をめぐる事態も膠着状態が続いていることは周知の通りです。

●困難を極める北方領土問題

毎年2月7日の北方領土の日が来ると、決まって関心が高まるものの、それが過ぎるとまた遠のく。私は外交安全保障分野の担当者として、毎年自らの姿勢を戒めながら気を引き締めて日露関係に思いを凝らしたものです。20世紀末から21世紀の劈頭にかけての橋本、エリツィン時代に、日露関係は一気に盛り上がって、すわ歴史的解決がなるかと期待を抱かせたりしましたが、結局あえなく潰えました。また、鈴木宗男、田中真紀子ご両人らによる外務省を震撼させたバトルもあって、この年の日露関係は膠着状態にありました。

そんな中、麻生太郎外相が北方領土の総面積を二分することで、折り合えないかとの発言が物議を醸していました。これについては私の同僚の高野博師参議院議員(外務省出身)も同じことを委員会で提案していました。彼は私にも得意然として語っていたものですが、ロシア問題の専門家の間では、至って評判が悪かったようです。着想はユニークでも、ケーキを切って半分ずつ分けるのとは違う、ということでしょう。余談になりますが、高野氏は後に落選してから米国に渡って、ハーヴァード大学の客員研究員となりました。帰国後は民主党の外交顧問になろうとしましたが、公明党の反対で立ち消えになりました。好漢惜しむらくは才が勝ち過ぎるところがあったようです。個人的には私は親しかっただけに、この振る舞いは、残念に思います。

この年の記念日の前日・6日には、「新しい日露関係・専門家対話(2007)」開催を記念するロシア代表団歓迎レセプションが開かれました。これは、かつての「日露専門家会議」を引き継いだ「安全保障問題研究会」(佐瀬昌盛会長)の主催で開かれ、通算25回目となります。ロシア側からは、ヴャチェスラフ・ニコノフ氏(ロシアのための統一基金総裁)を団長に13人が参加しました。日本側からは木村汎、袴田茂樹さんらロシア問題の専門家が多数来ておられました。私はこの場での佐瀬会長との立ち話で、同会長と中嶋嶺雄先生の総合雑誌上での領土問題を巡る論争を話題にしました。かなり機微に触れるディープなものでしたが、佐瀬さんに軍配を挙げざるを得ないと、率直に伝えました。佐瀬さんは当然ながら、ご機嫌そうでした。中嶋先生、御免なさい。

●亀井静香氏の伝聞質問を打ち砕いた首相答弁

2月13日の衆議院予算委員会での亀井静香氏(国民新党代表代行)の質問は、前半は郵政民営化解散で自民党を出たことへの恨み辛みのぼやき調。後半は、自民党と連立を組む公明党、その最大の支持母体たる創価学会への八つ当たり質問でした。誤った認識によるいい加減な質問ですが、ここでは最低限の問題点を指摘し、安倍首相のこの問題についての明快な答弁を紹介しておきます。(以下、私の2007-2-14のブログからの転載です)

【亀井質問は聞いていて、大きく三つの誤った主張がありました。一つは、「創価学会の言う通りの教育基本法を強行採決して成立させた」という点。二つは、「自民党への復党問題に、公明党が堂々と横やりを入れている」という点。三つは、「池田創価学会名誉会長に会ったとの報道がある。間違いだというなら、法的措置をとるべきだ」という点。

安倍首相は①教育基本法は、自民党と公明党で長い間相当の議論をした。自民党が100%これだったら(いい)という最初の望み通りにはいかないが、連立政権でできたベストだ②復党問題について公明党から何か意見を言われたことはない。選挙で連立を組む政党同士が協力するのは当然である③池田名誉会長にお目にかかったことはない。首相がいちいちマスコミを訴訟(の対象に)すべきではないーこう明確に答弁した。

安倍首相の切り返しは見事だった。「総理の汚名を晴らすべき」と亀井氏が言ったのに対し、「新聞報道とか週刊誌が本当だったら、亀井さんは今頃大変なことになっている」と述べたことには、場内大爆笑。

しかし、総理の「汚名」とは一体なんだろう。いずれも新聞報道や伝聞に基づく中途半端な質問。これには呆れるばかりだった。こんな質問をするようでは「亀井氏の汚名」となるに違いない。】

最近の国会ではこうした質問は殆ど見られなくなりましたが、果たして公明党、創価学会への真の理解が進んだ結果なのかどうか。「自公連立20年」の効用ではあるのでしょうが、ただ単に沈潜しているだけではないのかと、懸念を抱きます。(2020-7-11公開 つづく)

 

 

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