【71】いち難さってまた一難苦難続きの福田政権ー平成20年(2008年)❶

●ガソリン税騒ぎのてんまつ

出発直後の福田内閣が塗炭の苦しみを味わった法案が、もう一つあります。ガソリン税の暫定税率維持などを盛り込んだ租税特別措置法改正案でした。テロ特措法案を2007年秋から臨時国会でようやく処理(1-11)したのも束の間、一週間後の17日から開幕した通常国会で、「ガソリン税」問題が火を吹きます。内外両面で、まさに彼方(あちら)と思えばまた此方(こちら)と言った風に、前門の狼、後門の虎の如く苦しめられます。

この法案の狙いは、ガソリンにかかる揮発油税の暫定税率(1リットル当たり48.6円)などを10年間延長するものでした。これに対して、民主党は通常国会を「ガソリン値下げ国会」と銘打って、暫定税率廃止を真正面に掲げたのです。暫定税率廃止が実現すると、その分の税収(国税1兆7千億円、地方税9千億円)が吹っ飛びます。道路の維持、補修・建設に充てられる道路特定財源が消えてなくなると、経済の混乱やら住民サービスに大打撃がもたらされます。

国会はテロ特措法に続き、またしても与野党全面対決の修羅場と化しました。民主党始め野党の徹底抗戦の前に、衆参両議長による斡旋も功を奏しません。結局は年度内成立の期限日である2月29日に、野党三党が欠席する中、自公与党は租税特別措置法改正案の衆院採決に踏み切って可決し、参院に送ります。しかし、参院では野党側はまたもこれを棚ざらし状態に放置したのです。民主党の審議拒否戦術は、予算委員会始め徹底して貫かれました。これは3月末の暫定税率を期限切れに追い込むという当初の方針を一歩も譲らぬ意志の現れだったのです。この間に首相や与党側は、翌年度からの道路特定財源を廃止して、一般財源化するとの譲歩姿勢を示しました。さらに、修正協議を呼びかけたり、暫定税率を2ヶ月延長する「つなぎ」法案の準備もしました。にもかかわらず、民主党などは一切耳を貸そうとしませんでした。

その結果、民主党などが主張した「ガソリン値下げ」(1リットルあたり25円ほど)が遂に実現したのです。ただし、それはたった一ヶ月の間だけ。結局は租税特別措置法改正案は、政府与党の意思通り、4月30日には憲法の「みなし否定」規定によって、衆院で再可決され、再び暫定税率が復活しました。しかも5月1日からのガソリン価格は、世界的な原油高も加わり、暫定税率上乗せ分どころか一気に大幅な上昇になってしまったのです。切り替わりの4月末は、各地で誰も彼もガソリン買い溜めに走る大騒ぎとなりました。

この動きの背景には、08年から09年へと、政権奪取に向かって上潮状況にあった民主党の押せ押せムードがありました。規定方針に沿って値下げを実現させたことで、民主党の株は確かに上がったのです。道路を巡って旧来的な路線にこだわる自公与党と、多少の混乱は引き起こしてでも新たな路線を模索した民主党とでは、国民目線は後者に強い息吹を感じて軍杯を上げたというほかなかったと思われます。束の間にせよ、やれば出来るじゃないか、と。尤も、それは中期的観点の見方でした。政権獲得後には民主党はガソリン税率を廃止したものの、同時に本則税率を引き上げたのです。このため国民の実質的負担は変わりませんでした。長期的には民主党の稚拙さが、あたかも田舎演劇での役者のように馬脚を現してしまったのです。

●日銀正副総裁人事でもひと苦労

租税特別措置法改正案で揉めている最中に、もう一つの難題が政権を襲います。3月20日に任期切れを迎える日銀の福井総裁の後をどうするかの問題でした。政府与党は3月7日に正副総裁人事案(武藤敏郎総裁、白川方明、伊藤隆敏副総裁)をだしたものの、衆議院では通りましたが、参議院では民主党の不同意で挫折してしまいます。元大蔵事務次官を日銀総裁に充てるのは疑問あり、との反対意見でした。擦ったもんだの挙句、総裁空席という前代未聞の事態を招いてしまいます。4月には日銀金融政策決定会合や先進7カ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)が予定されており、切羽詰まってきていました。

このため、政府は窮余の一策として、承認されたばかりの白川副総裁を3月20日に総裁代行として指名しました。また、いつまでも「代行」で行くことは、日本の金融政策にとって不利であるとの判断も加わり、4月9日に白川氏を総裁に昇格させる案を出して、やっと認められたのです。綱渡りでした。福田首相は、内外の法案の不調整もさることながら、この日銀総裁人事の不如意には、心底から疲れたように私の眼には写りました。

●防衛省再生への提言

私が直接担当する安全保障分野でも、滑り出した防衛省の改革をめぐり喧しい議論がなされていました。石破茂防衛相が制服組と背広組の機能別再編を提案をしていました。一方、公明党でも太田昭宏代表が、中期防の見直しの中で、防衛費の削減を盛り込ませる手立てを講じようとしました。そんな頃に、世界日報4月20日付けで、「防衛省再生への提言」との連載二回目に私が登場しています。「大臣の補佐体制強化を」という見出しです。

石破大臣の提案をどう思うかとの質問に、「今回のイージス艦『あたご』の事案で運用企画局長が説明にやってきた。こういうケースで政党に説明にくるのは運用企画局長だが、詳細を知らなかった。知らずして運用の企画が出来るのか。石破さんが日常的に感じているのはそういう点だろう。参事官については、それぞれラインの仕事を持っているため、防衛大臣をサポートするスタッフとしての役割は薄くなりがちだ。参事官制度本来の役割を果たしていないということだろう。その意味で石破さんの言うところの混在させた形でやると言うのは発想としてはいいと思う」と答えています。

また、自衛隊の憲法上の位置づけをどうするか、との質問には、「必要最小限の自己防衛のための軍事力を持つのはいい、それを称して自衛隊といい、その存在を、憲法にきちっと書く。それによって自衛隊員に引き起こしているだろう葛藤を除くことになるし、様々な解釈が生まれてくることも防げるのではないかと私は思う。現状追認なら、今のままでいいとの考えが党内では主流だが‥‥」と、憲法9条3項に自衛隊明記をとの持論を展開しています。

これがのちに、安倍首相が投げかけてきた「憲法改正案」に入ってくるのです。(2020-7-21公開 つづく)

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