【73】クラスター弾をめぐる福田首相と公明の連携ー平成20年(2008年)❸

●去年の熱気は何処へやら今年の憲法記念日

ねじれ国会が続いていることもあって、平成20年の憲法記念日は、国民投票法の成立を経た後の一年前と違ってすっかり低調でした。メディアも「政界改憲熱 今は昔」「首相抑制 民主も乗らず」「打開へ再編期待の声も」(朝日新聞5-2付け)と書き立てました。首相が安倍さんから福田さんへと代わったことの影響です。

福田首相は施政方針演説で、憲法については「全ての政党の参加のもとで真摯な議論が行われることを強く期待している」というだけで、明らかにトーンは前任者に比べて低いものでした。中山太郎自民党憲法審議会長は、「『私の内閣で改憲を目指す』とした安倍前首相は間違っていた」と明言したうえで、「福田首相はよくわかっていて、発言も過不足ない」と改憲にはやるのではなく、じっくり国民の意見を聞くことの大事さを指摘しています。

公明党は5月1日に、新宿駅前で街頭演説会を開き、太田昭宏代表が「憲法3原理を堅持し、環境権やプライバシー権など新しく提起された問題を加えて補強していく」と、加憲の立場を強調していました。そんな中で、私は朝日新聞にコメントを求められて、以下のように発言しています。

【国会での憲法論議は開店休業状態。解散・総選挙でもなければ、この事態は打開できないのではないか。選挙後に与党と民主党が伯仲すれば、双方ともじっとしていられなくなる。リトマス試験紙は憲法。それぞれの改憲派が衆参で一気に3分の2の党派を形成するとは思わないが、憲法にどう向き合うかは、再編の焦点になるだろう】

一方で、中山太郎氏も「政界再編の可能性だってある。このままでは終わらない」と述べていたり、前原誠司前民主党代表も安全保障をめぐる超党派の会合で「憲法改正を経ずに、政府見解の変更を積み重ねてきたのはもうそろそろ限界。与野党関係なく議論していかなくてはいけない」と発言したと報じられています。こうした当時の空気を反映して私のコメントも出したのですが、改憲論者と見られる危険性が付き纏いました。昔も今も私の基本姿勢は、今に生きる日本人がより良きものを求め続けて憲法を議論することにあり、不磨の大典の如くただ護りぬけばいいというものではないのです。

●クラスター弾禁止での見事な連携と首相の洞察力

コロナ禍中にある今では〝クラスター〟なる言葉がよく使われています。意味はぶどうの房のような、小さいかたまりを指します。兵器におけるクラスター弾とは、通称親子爆弾ともいわれるように、通常のケースに小型の爆弾が多数入っていて、爆撃と共に多方面に弾が飛び散るもので、殺傷力も高い危険な兵器を意味します。第二次大戦でも使われ、戦後長きにわたって紛争の現場で使われてきていました。日本でも自衛隊は所持していました。

しかし、大量の不発弾がいついかなる時に爆発して市民を被害に巻き込むかもしれない危険性がありました。このため軍縮交渉の中で、全面禁止をすべしとの声が高まってきていたのです。世界における流れを受けて非人道的な兵器を排除せよとの主張が公明党でも存在していました。その空気を受けて、軍縮会議で決着することになる一週間前の5月23日に、浜四津敏子代表代行が福田首相に「日本がリーダーシップを発揮して、将来的にも全面禁止に持っていけるようにすべきだ」と、電光石火の申し入れを行いました。

実は日本政府の外交・防衛当局は当初、同盟国アメリカが参加していないこともあり、慎重な姿勢を崩していなかったのです。自民党も同様の空気が支配的でした。公明党における外交・安保分野の責任者たる私も、どちらかと言えば現状肯定論者で、腰は重かったことを認めざるをえません。福田首相への申し入れに同行した際に、談半ばで首相は私の方を向いて「赤松さんはいいの?こういうことで」と言われたのです。同首相特有の皮肉を感じて、私は苦笑いしつつ「ええ、もちろんです」と答えたのです。私の心の葛藤を見抜いたかのような首相の洞察力に驚きを禁じえませんでした。こうした公明党の提案に対して福田首相は、「私がうまく軟着陸させますので、お任せください」と答えていました。

最終的に2008年5月30日にアイルランドのダブリンで行われた軍縮交渉の結果、世界110カ国が全会一致でクラスター弾を即時全面禁止する条約が採択されました。この結果に対して、新聞各社は、「首相指示で一転」(毎日新聞5-30付け)と大きな報道をしたり、その背景として公明党の申し入れの影響力が大きかったことを指摘しました(朝日新聞同日付け)。公明党が連立与党に参加したことのプラスイメージを一貫して強調してきた福田首相らしい好判断でしたが、これまでの流れと違って、唯一わたし的にはそれに乗り切れなかった事例だったのです。

余談になりますが、一つ付け加えますと、当時、前述したような「新学而会」に、福田さんをお誘いしたことがあります。すると、彼は直ちに「いや、お断りします。(新学而会は)古い学者ばかりでしょ」と断られたのです。その時は意味があまりわかりませんでしたが、同首相のその後の「親中国」的姿勢を見るにつけ、なるほどと納得したものでした。学者のみなさんもさることながら、政治家の肌合いが合わなかったこともあったのだと思われます。

●クールアースデー制定を公明党が提案

公明党青年局はユニークな提案を様々に展開してきていますが、中でも特筆されるのが7月7日を「クールアース・デー」に制定し、地球環境の大切さを認識する日にしようというものです。「ユースポリシー2008」で提案を発表、全国で署名活動を展開しました。具体的には、この年の7月7日に北海道洞爺湖で主要国首脳会議(サミット)が開催されることに合わせて、各地でCO2(二酸化炭素)を削減するべく一斉に消灯(ライトダウン)し、天の川を見ながら地球環境の大切さを全国民が認識しようというものです。

6月9日に、太田代表と青年局の代表メンバーが福田首相に署名簿と要望書を手渡しました。首相は即座にその場で採用を決断。その日の記者会見で発表しました。環境省が呼びかけ、第一回目となる2008年7月7日は、東京タワーや横浜ベイブリッジなど全国7万に及ぶライトアップ施設で一時消灯が実施されました。

提案そのものはいかにも公明党らしいものでしたが、地球温暖化にストップをかけるための一大運動のきっかけには至っていないようなのは、残念なことです。(2020-7-25 公開 つづく)

 

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