【78】銀行の惨めな運命と私だけの感慨ー平成21年(2009年)❷

●麻生首相就任から3ヶ月で早くも末期的症状

この年は9月に衆議院が任期満了となるため、解散・総選挙含みの一年の幕開けでした。前年に襲った経済危機もあり、チャンスを見出せぬままに年越しとなりました。麻生首相はその発言が常に物議を醸すことが多く、まるで穴の開いたカバンを持ち歩いているようで、行く先々で失言やらブレる発言を繰り返す有様でした。そのうえ、あいも変わらぬ閣僚の不祥事が後を絶たない事態も続いたのです。

就任直後の中山成彬国土交通相の問題発言(成田空港、日教組)も驚きましたが、新年明けやらぬ2月のイタリアでの先進7カ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)では、国民誰しも我が目を疑う事態が起きました。中川昭一財務・金融相が閉幕後の記者会見の場で、ロレツ定かならぬ酩酊状態を曝け出したのです。目も当てられぬ醜態に、何か特別なことが彼の体内に起こってるのではないか、との不吉な予感すらしました。さらに、もう少しあとのことですが、首相の盟友・鴻池祥肇官房副長官が女性問題で辞任することになるのです。

既に前年暮れの世論調査では、内閣支持率は大きく落ち込み20%台という状況になっていました。自民党内においても、しだいに〝麻生下ろし〟の動きが出てきて不穏な空気に包まれ、混乱の様相を深めていました。スタート時点では、この人独特の明るさに期待する向きもあったのですが、予算委員会の場などで漢字も読めない場面を見せられ、墓穴を掘る雰囲気も重なり末期的症状は覆うべくもない有様でした。

●西川善文氏とのご縁と出会い

そんな状況を横目に、私は総務委員長として日本郵政の問題と格闘していました。小泉首相捨身の大技の結果として導入された郵政民営化ですが、その後の具体的展開の課題として、当時浮上していたのが先にも触れた「かんぽ」をはじめとする日本郵政の課題でした。

鳩山総務相との間も険悪な状況が続くのですが、そうした問題とは別に、私は西川善文氏(この頃は日本郵政社長ですが、元々は銀行家)に特別な感情を持っていました。と言いますのは、私が銀行員の息子だということに起因します。父は私が政治家になる前に他界していましたが、都市銀行の末端にあった神戸銀行に長く勤めていたのです。神戸銀行は父の死後、有為転変の末に、三井住友銀行(SMBC)のなかに吸収されていきます。その銀行の頭取をし、「最後のバンカー」と言われた西川氏ということになると、私としては大いに語り合いたい思いを持ちました。親父の仲間のように思えなくもなかったからです。

もちろん、私の父は岡崎忠・神戸銀行頭取を師とも親分ともボスとも仰いでいましたから、筋違いではあるのですが、当たらずといえど遠からずの関係と言えたのです。委員会で参考人として出席された際に、ぜひ一度じっくりとお話の機会を、と誘いました。更に実はもう一つ大きなご縁が西川さんとはありました。私の高校同期と一級下に二人の仲間(共に京大卒の俊英)がいて、彼らが西川門下とでも言うべき存在だったのです。この二人を交えてぜひ4人で一献傾けたいのでというと、まさに二つ返事でした。西川さんにとって、この二人は彼の銀行員生活の中でも特筆されるべき鍛え甲斐のある優秀な部下だったと言います。

同年5月13日の夜は楽しいひとときでした。話題は、阪神タイガース(彼は筋金入りのファン)から始まり、銀行員稼業の厳しさということに落ち着きましたが、父が私を銀行員にさせたがった経緯(私は関心度ゼロ)があるだけに、感慨一入のものがありました。聞いてみると、西川さんも元々は銀行には入りたくなかったとか。その後の銀行を襲う宿命的事態や、風前の灯火に直面する銀行家の怒涛の人生を思う時に、むべなるかなとの感情も沸き起こらざるを得ませんでした。国会での厳しい追及に晒されていた西川さん。その苦しい日々の中で、私たちとの語らいが、砂漠の中のオアシスの役割を果たせたのではないかと思ったしだいです。

●民主党小沢代表の辞任と須磨区での党会合

この頃、小沢民主党党首の第一秘書が西松建設の問題で逮捕された問題が燻り続けており、結局は同代表は5月初めに辞任するに至ります。その後の党首選挙を経て、鳩山由紀夫さんが党首に選ばれていきます。そんな状況下で、忘れられない人のお家を訪問しました。神戸市須磨区に住むSさんという当時87歳の女性です。と言いますのは、ちょうど一年前の同区での講演会でのこと。私が自公連立政権と民主党のどっちがより民衆の役に立っているかなどと話したあと、質疑応答の時間をとりました。

会場の皆さんから、最近の自民党は酷いとか、民主党はもっとあかんとか議論百出、ちょっぴり乱れました。その時にこのSさんがやおら立ち上がり、「自民がどうの、民主がどうのというたことは、みんな公明新聞に書いてある。公明新聞はええ新聞や。とくに連載小説の『安国寺恵瓊』がええで」と言われたのです。場内は一瞬で笑いの渦となり、盛り上がりました。この発言のお陰で、私は急場を救って貰った思いがしました。

これがきっかけとなって、私はこの小説の作家・火坂雅志さん(同年のNHK大河ドラマの『天地人』の作者)から色紙にサインをいただき、それを届けるために、家庭訪問をしたしだいです。「これまで生きてきてこんなに嬉しいことはないわ」と喜んでいただき、当方も嬉しい思いをしました。こういう熱心な支持者がいたるところにおられ、公明党を支えてくださってることを生涯忘れてはならないと、心の底から誓ったのです。

●自治体病院協議会の総会でほほ笑みの挨拶

「私は新型インフルエンザが初めて国内で発生した神戸が地元。皆マスクをしていますが、今日のこの会合では、皆さん元々良いマスクをしておられる方ばかりですから、マスクはとくにかけなくともいいのですね」ー5月21日に開かれた「全国自治体病院協議会定期総会」に招かれ、衆議院総務委員長としての来賓挨拶をこう切り出しました。ジョークは無事に理解されたようで、笑いも起こり和んでいただきました。新型コロナウイルスの蔓延で苦しむ現在からすれば、いささか寒くなるかもしれませんが、11年前のことです。

この協議会のトップは、赤穂市民病院の邊見公雄院長。長年私とは親しい人とあって、つい肩に力が入りました。自治体病院は地域における基幹的な医療機関として大きな役割が求められていますが、過疎の深刻化や医師不足などで、環境は厳しくなるばかり。多くの病院は経営状況が悪化、医療体制の維持も厳しいものが強くあります。

この日の会合には、議員連盟の会長として青森県選出の津島雄二代議士も出席していました。青森県といえば、先に述べた私の高校同期の高柳和江さんが主宰する「癒しの環境研究会」が活躍して、「笑い療法士」による〝ほほ笑みプロデューサー〟が沢山育っている地域。会場の津島さんを意識して、この青森ネタも紹介し、病院治療における笑いの大事さを強調しておきました。しかも、邊見さんは同研究会の世話人でもあり、盛り上げの材料には事欠きませんでした。(2020-8-4公開 つづく)

 

 

 

 

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