【83】母校創立90周年、文藝春秋『同級生交歓』に登場ー平成22年(2010年)❷

●社民党離脱に見る鳩山政権の悲喜劇

前年の衆議院選挙に際して、私は「麻生太郎氏の自民党か、鳩山由紀夫氏の民主党かの選択ではない。わかりやすくいうと、麻生プラス太田昭宏の自公政権か、鳩山プラス福島みずほの民社連立のどちらがいいのかの選挙だ。煎じ詰めれば、太田の公明党がいいのか、福島の社民党がいいのかなんです」と述べていました。これは、「麻生か鳩山か」ということでは、両者ともに保守の系譜を引き継ぐために、どちらでもいいということになってしまいます。それなら新しい方がいい、となりかねないので、「公明か社民か」、つまり「中道主義か、社民主義か」の選択なんだと言いたかったのです。

結果は残念ながら鳩山プラス福島の〝新しい組み合わせ側〟が勝利を得ました。しかし、それから半年余り。少子化担当相の福島氏は安全保障問題で首相との折り合いがつかず、罷免されてしまいます。挙げ句に社民党は政権を離脱、早々とこの新政権コンビは破綻(国民新党は残留)するのです。この辺りについて私は地元紙「セルポートKOBE」4月1日号での「永田町より一筆啓上」の連載コラムで、詳しく解説しました。抜粋を転載します。

【あれから半年。私の見立てどおりというか案の定というべきか、民主党は社民、国民新の二つの「民」に振り回されている。本体は、金権腐敗の実態をさらけだしたうえ、マニフェストを次々と改ざん、後退のやむなきに至っている。そのうえ、普天間基地の移設問題ではその両党に手足を引っ張られ、右往左往するだけ。永住外国人地方参政権問題でも国民新党の横槍の前に、為す術もない有様。これを「政権担当能力なし」といわずしてなんと言うのだろうか。単独政権が崩れ、連立が常態になってから17年。どんな枠組みにせよ、少なくとも国家観の共有がないと、国民にとって不幸なだけの政権になる。政権ごっこじゃあるまいし、憲法に対する姿勢のすり合わせもできていない政党のリーダーが同じ内閣に加わっているとは危ういかぎりである】

●阪神淡路の大震災から15年の母校で

私の学生時代の仲間たちの多彩な顔ぶれについては先に触れました。常日頃から総合雑誌『文藝春秋』の著名なグラビア欄の『同級生交歓』に私は関心を持っていたのですが、ある時、大学同級の青木聡君(現在GATJ社長)と話していて、彼が同社の幹部と昵懇であることを知るに至りました。これを私が見逃すはずはありません。直ちに、仲立ちをして欲しいと求めたのです。彼には色々な苦労をかけた末に、5月号で実現しました。小学校から大学までの同級生たちに思いを凝らし考えあぐねましたが、人生で最も多感な時期と思われる「高校」の仲間たちに絞りました。

同誌は、メンバーは現役であることとの条件をつけてきました。1945年生まれの私たちはこの年、既に65歳。現役を退いていたり、消息が直ちにわかりかねる仲間や遠隔地在住者もいて、選定には苦労しました。最終的には、東大教授を経て、情報セキュリティ大学院大学教授になっていた廣松毅、日本医大准教授を経て東京医療保健大学教授の高柳 和江、弁護士の蔵重信博、タクマ監査役の山原宣義の4人にしました。集合写真は母校の正門すぐそばにある創立者近藤英也先生の胸像前で写しました。以下、私が書いた文章を転載します。

【阪神淡路大震災から十五年。避難先となった母校・長田高校は創立九十周年。我々十六回生が卒業したのは東京五輪の年。「三丁目の夕日」が映えていた。昨年東大を退職した廣松は、情報分野での更なる研究に取組む。山原は国際派バンカーから転身、循環型社会の実現をめざす。弁護士稼業一筋の蔵重は、旧知の橋下知事に敵愾心を燃やす。笑いで人を癒し続ける小児外科医の高柳は今、笑医塾の全国展開に余念がない。昨夏辛くも六選を果たした私は、初心に立ち返り、哲学と政治の両立に思いを凝らす。目立たなかった五人の今は甚だ不思議との声が仲間達から聞こえてくる。(赤松)】

このグラビア・コラムから10年。今年2020年に母校は開校百周年を迎えます。確かに様々な人材を世に送り出してきた名門高ですが、後輩達の頑張りで今や県下有数の文武両道に秀でた学校と言われているのは嬉しい限りです。

●ないがしろにされる沖縄県民の意思

この『文藝春秋』が発売になる少し前の3月31日に、衆議院外務委員会として沖縄県に日帰りで行く機会がありました。辺野古基地、うるま市、ホワイトビーチなどを視察した後、県知事や県議会関係者らと会い、精力的に意見聴取や意見交換を行ったのです。鳩山首相の就任から半年余り、普天間基地の移転先を巡って、右往左往の真っ最中だったので、委員会として現場を見た上で、その声を聴こうということでした。

とりわけ、私たちが出発した当時、ホワイトビーチが移転先にあがったばかりでもあったので、同地のあるうるま市に足を運んだしだいです。同市の島袋俊夫市長は突然降って湧いたような候補地騒ぎに困惑を隠しませんでした。また仲井真弘多県知事は、懇談の場で「日本防衛のために沖縄も応分の負担はしていくが、これ以上限度を超えていくことには我慢がならない」と発言しました。私は、知事に対して「政府に要望するなら、担当閣僚が揃ったところですべき」「沖縄の負担が重すぎること、とりわけ米兵らによる事件、事故や基地公害など地位協定の不合理など、もっと日本国民全体へのアピールをした方がいい」などと強調しました。

そうしたやりとりが終わって、私たち議員団が席を立って帰ろうとすると、知事が「これ、ご覧になってください」と、地元紙のコピーを皆に配りました。そのコピー記事にはこうありました。

〈自らの郷土たる沖縄に対し、当事者であるべきはずの県民の意思がないがしろにされ、尊いものとして扱われていないという問題性の歴史的連続が、基地問題にも表れている。〉

実は、この場面のことを読売新聞の『政ナビ』欄(5月23日付け)で、政治部次長の飯塚恵子記者が取り上げたのです。「ウソをつかないで」という見出しのコラムの冒頭で、仲井真知事の動きを紹介した後に、私の発言を引用し、自身の見解を述べています。

【記事を読んだ赤松正雄公明党政調副会長は「知事は自分では言わなかったが、この一文に県民の思いを託したのだろう」と感じた。難航を極める普天間問題の根底に、〝負〟の「歴史的連続」があるのは事実だ。明治政府が廃藩置県で琉球王国を日本に組み入れた「琉球処分に始まり、地上戦で多くの死傷者を出した太平洋戦争の沖縄戦、戦後の米国占領、そして復帰後の過大な基地負担と、本土との経済格差‥‥。】

私はこの時の「問題性の歴史的連続」の言葉に、まさに本土の沖縄県民に対する「差別意識」を感じざるを得ませんでした。なお、飯塚恵子記者は、アメリカ総局長などを経て今は編集委員。私とはあまり接点はなく、この記事が唯一のものでした。(2020-8-14公開 つづく)

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