【93】小児がん拠点病院は神戸が最適と主張ー平成24年(2012年)❶

●武器輸出問題で政府の不見識を追及

平成24年の通常国会は、1月31日に外交に関する集中審議が、午前と午後に分けて、衆参両院で3時間づつ行われました。NHKテレビでも放映され、私が党を代表して35分間質問に立ちました。取り上げた主たるテーマは、武器輸出三原則等の見直し問題。日本の現行憲法9条の精神に基づく、国是というべき原則をいとも簡単に変えてしまおうとする民主党野田政権の危険性を指摘しました。この時の私の質問は、神戸新聞の2月2日付けの『永田町から』で、「武器輸出緩和 議論足りない」の見出しのもと、次のように取り上げられました。

【武器輸出三原則を緩和した野田内閣は、平和を目指す日本の国是を骨抜きにした。責任重大。」1月31日の衆院予算委員会で、公明党の赤松正雄衆議院議員(66)=近畿比例=が質問に立ち、昨年末、武器輸出三原則の緩和を決めた野田佳彦首相を追及した。1967年に佐藤内閣が三原則を表明して以降、初めてとなる抜本的緩和を「憲法9条の精神を簡単に踏みにじった」と批判した。

首相は、「国会や有識者の懇談会で幅広く議論した」と反論したが、「緩和決定までの1年間に、国会で13人の議員しか質問していない。国是に関わる問題は、今の消費税論議並みにオープンな場で、国民を巻き込み話し合うべきだ」と求めた。閉会後、「現政権は議論をまとめる力も国民に示す努力も足りない」と話した。」

●豊岡に28年ぶりの大雪。急遽、雪かき支援へ

兵庫県北部の但馬方面の中心都市・豊岡市は、こうのとり羽ばたく自然環境でも豊かなうえ、城崎温泉を始め観光資源にも事欠かない魅力あふれる地域です。冬は寒く、夏は極めて暑くなる土地としても知られています。毎年暮れから翌年1-2月にかけて大雪に見舞われることは珍しくないのですが、平成24年2月末は、28年ぶりに一メートルを超す大降雪。特筆される大雪となりました。

このため、県議5人らと一緒に20日に急遽豊岡に飛び、午前中は豊岡市当局、兵庫県但馬県民局と相次ぎ訪問、実情を調査したのち、市内竹野町へ足を延ばし、高齢者で一人暮らしをされている方の家を訪問しました。激励をすると共に、雪かきをして、出入り口を遮っていた雪を取り除くことが出来ました。あれだけの大雪を間近に見たのも、本格的な雪かきをしたの初めてです。

兵庫は、摂津、播磨、丹波、但馬、淡路の五国からなると言います。但馬、丹波は北の雪国ですが、淡路は南の御食国(みけつくに)というように、まことに多面的な地域なのです。

●小児がんの拠点病院設置先で巧みな質問

さて、播磨・姫路生まれで摂津・神戸育ちの私にとって、大変誇らしく思えるのは、理化学研究所が持つ二つの研究施設がそれぞれにあることです。一つは、播磨科学公園都市にある大型放射光施設であり、今一つは、神戸ポートアイランドにある超スーパーコンピューター施設「京」です。前者にはX線自由レーザー施設SAKURA(サクラ)が併設されていますし、後者には発生・再生科学や分子イメージング科学などの研究施設があります。これらはいずれも世界でトップクラスのものです。

加えて、神戸には医療産業都市の側面が見逃せません。私は厚労副大臣時代に米国・テキサス州ヒューストンに行き、がん治療まつわる施設がそこに集中しているのを見ていらい、神戸にもそうした施設が欲しいと思ってきました。3月5日に衆議院予算委員会第五分科会(厚生労働省所管)で質疑に立ったのですが、その思いを背景に、小児がん、肝炎対策などで政府の姿勢を糾しました。

毎年、2000〜2500人の子どもたちが小児がんに罹ります。圧倒的に多いのが脳腫瘍ですが、これまで原因不明で、あちこち病院をたらい回しされた末に亡くなったり、手術は成功しても再発(晩期合併症)するケースも少なくないのです。この日の質疑では、小児がん拠点病院を作るに際して(がん対策推進基本計画)、質的に充実したものを作るべきであり、その設置先は神戸市が相応しいということを様々な観点から立証を試みたのです。多くの適合条件を併せ持つ地は神戸だけで、他にはないということを小宮山洋子厚労相や担当の答弁から浮き彫りにしました。この質問戦術は我ながら巧みだったと自賛しています。

その甲斐あってか、複数の拠点病院の一つが神戸市に設置(県立こども病院)されました。

 

●毎日新聞『近聞遠見』と公明新聞

岩見隆夫といえば、毎日新聞の看板記者ですが、彼の『近聞遠見』は1989年9月から週一回書き続けられきた名物コラムです。2014年1月に79歳で逝去されますが、前年12月7日の『政治家の伴侶としての女』が絶筆となりました。一度だけ会って話したことがあります。彼の職場の大先輩であり、私の高校の同窓でもある大森実さんのことや市川元公明党書記長について話題にしました。その岩見さんが3月31日付の『近聞遠見』で、「『政党の新聞』いまと昔」と題して書いています。

そこでは、公明新聞が二日後の4月2日に創刊50周年を迎えること、それは公明党の前身である「公明政治連盟」の結成(昭和37年9月)の5ヶ月前だったこと、そしてその結成の第一回の全国大会が豊島公会堂で開かれ、出席した池田大作会長(当時)が講演されたことなどに触れています。会長が政治家に望む3点として「団結第一、大衆直結、勉強だ」と述べたということを明らかにすると共に、この「3点すべての支えに早くから新聞が準備されたことになる」として、公明新聞の重要な役割を強調しているのです。さらに、1964年11月の結党後すぐに、それまでの月2回刊から週刊を経て、日刊になったことも。

政党機関紙で日刊は、公明新聞と、共産党の「赤旗」だけ。民主党、自民党、社民党など他党の機関紙は比べるべくもない有様ですが、丁寧にそれらについても書き、最後に「政党史の裏面に、機関紙の歴史がある。各党各様だ」と結んでいます。尤も、「党と機関紙の人的交流が密だ」としながら、新聞日刊化に携わった草創期の編集長・市川雄一さんや前代表の太田昭宏さんに触れず、記者出身として井上義久幹事長や私が出てくるだけというのは物足りなさが残りました。このところ公明新聞出身の衆参両院議員が少し増えて(現在6人)います。それぞれの更なる努力と活躍に期待したいと思います。

なお、このコラムより先の3月28日に、公明新聞創刊50年を記念する講演会が開かれ、劇作家で評論家の山崎正和さんが「活字文化と公明新聞の役割」と題して、約1時間話されました。紙媒体と電子媒体との比較、大新聞と小新聞との比較などこの人ならではの興味深い講演でした。とくに、公明新聞の文化欄がいかに充実しているかに論及されたことは嬉しい限りでした。ご自身を始め、名だたる文筆家や小説家、評論家たちが筆をとっているので当然と言えるでしょうが‥‥。ただ、活字媒体が黄昏を迎えている現状に危機感を抱いているものからすると、政党機関紙の未来にいささか楽観的過ぎるとの危惧を持たざるを得ませんでした。

つい先日(2020年8月19日)、先生の訃報に接し驚くと共に、深い悲しみを抱きました。またひとりお世話になった恩人を失ったことになります。合掌。(2020-9-3公開 つづく)

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