【4】日本の歴史と伝統を学ぶ古都めぐりへー平成25年(2013年)❹/2-9

●「海外旅行はご法度」になった妻の惨めな体験

議員定年退職後の仕事探しを気にする一方、私が模索したのは妻との小旅行です。結婚式・披露宴の日(昭和47年9月15日)が旧国鉄史上未曾有のストライキとぶつかった上、台風襲来と重なったことは既に書きました。このため、新婚旅行がボツになり、その責めを取り返すべく、30歳代は結構旅行をしたものですが、政治家の道を選んだ40歳代から30年間ほどは、あまり行く機会がなくなりました。私は議員視察で、国内外を問わず、あちこちと飛び回ったのですが。この間、妻は文字通り〝家内〟で、私の留守を預かる地域周りで忙しくしてくれていたのです。その慰労をせねば、と思うことしきりでした。

以前に、娘と二人で海外へ行ってきたら、と一度だけ私がハワイ旅行を手配したことがあります。それなりに喜んで二人は出かけたのですが、そこで、到着後すぐにとんでもないことに遭遇したのです。ホノルル空港に到着した際に、まつわりついてきた〝記念写真業者〟に、手乗り文鳥かなんかをのせて写さないかと、せがまれたのです。そこまでは良かったのですが、写した後で、法外な値段を要求されたといいます。英語がよくわからないこともあって、黙って払ってしまったのです。このショックで以後ずっとホテルにいたまま、買い物も外には出る気にならなかった、と。

「語るも涙、聞くは笑い」の惨めで可哀想な話を帰国後聞かされました。もう金輪際、海外旅行は行かない、と妻は言ってきかず、それ以来、今に至るまで一切行きません。友人の間では海岸旅行を奥さんからせがまれる連中も少なくないと聞きますから、それに比べて安上がりなんでしょうが寂しいものです。心の傷双方に癒し難く、せめて国内温泉旅行をと思うものの、せいぜい上京の行き帰りにちょっと横道にそれる程度でした。

●妻との旅を年に4回も繰り出す

そこで、引退後は、と勢い込んだのです。第一弾は、3月18日、19日。伊勢神宮に参拝した後、賢島へ。新聞広告に出ていたニュー浜島ホテルに一泊。海の見える庶民的でリーズナブルなところでした。翌日は、伊賀上野に。メナード青山リゾートホテルに泊まりました。ここは一転、山の中。中々高級感漂っていました。第二弾は、4月17日に広島・宮島へ。親しいお付き合いをしている歯科医の高石佳知さんが宮島神社の能舞台に出られる(この人は姫路城薪能の主催者)というので、それを観賞するのが主目的。天皇も泊まられたという旅館「岩惣」に一泊しました。翌18日は、宮島ロープウエーで山上へ。周辺散策をした後に、市内に足を運び、原爆ドームを見学しました。ついでに、学生時代お世話になった先輩ご夫妻と駅前で合流、旧交を温めたのです。

更に第三弾は、7月29、30日に島根・出雲神社へ。夜は、玉造温泉・長楽園に宿泊。翌日は松江城を中心に市内観光。このお城の持つ独特の風格は大いに気に入りました。特にお堀が見事で、舟遊びが楽しく、姫路城のお堀は負けているというのが偽らざる実感でした。続いて第四弾は、9月18、19の両日に石川県へ。日本一との評判が高い温泉旅館「加賀屋」に一泊したあと、金沢市内に移動、兼六園や東茶屋街を散策しました。かつて読んだ丸谷才一、山崎正和ご両人による対談『日本の町』には、京都は文化を売り物にしているが、金沢は文化そのもののなかで暮らしているといった風な意味の指摘があり、印象に残っています。尊敬する二人の碩学の言葉を味わう一日となりました。

●旧友との古都・神社仏閣めぐり

妻との旅は結局のところ神社めぐりになってしまいました。実は大学時代の親友・尾上晴久君との奈良、京都、和歌山の古都・神社仏閣詣でも、この頃に本格化したのです。彼は横浜に住まいはあるものの、三重県鳥羽市にある小久保鉄工所に単身赴任。そこで、月4回ほどの週末の休みを使って、せっせと車で古都めぐりを展開。40歳台から約30年もの間に、合計数百回もの訪問を重ねてきたというつわものです。名所旧跡に繰り返し足を運んでいて、並の観光ガイド以上に大概のところは知り尽くしているのです。

かねて、私に対して、「古都の神社仏閣を知らずして日本の歴史、伝統、文化を語る資格はない、とりわけ政治家はその道に通じていないと恥ずかしいぞ」と耳の痛いことを言い続けてきてくれたのです。共に68歳になった年に、ようやく彼の案内で少しづつ私もそうしたところを回ることにしました。初年度の平成25年は、2月2日、3日に橿原神宮を皮切りに、明日香周辺を散策しました。これには社員教育指導者で作家の畏友・寺松輝彦君も東京から参加。古代史に造詣深い二人の会話は、私の耳目をそばだてるだけの関心深いものがありました。橿原ロイヤルホテルに一泊した翌日は、畝傍山から香具山、甘樫丘、飛鳥寺などを経て、今井町へ。古き佳き奈良を十二分に堪能したしだいです。

●いく先々でゆかりの後輩をも巻き込みながら

また、6月30日には大学同級で元大阪毎日の辣腕記者・成相幸良君(八尾市在住)と合流。3人で法隆寺から矢田寺、松尾寺と回りました。あじさいが今を盛りと咲き誇っていたのが印象に残っています。この小旅行には途中から、地元紙記者のY嬢も飛び入り参加、花を添えてくれました。彼女は神戸の流通科学大の学生だった時に、知己を得たのですが、私の後半生で出会った最も粋のいい女子大生の一人です。

更に10月5、6日には、尾上、成相の3人で和歌山県へ。初日は海南市の藤代神社から熊野古道を歩き、有田川温泉に泊まりました。翌日の日曜日は、紀三井寺から名草山へ。これには私の高校の後輩で厚労省から和歌山県庁に出向してきていたM嬢を誘い出しました。この人は同省で知り合った後輩の中で一二を争う仕事熱心で爽やかな女性です。この尾上との古都めぐりは、現役時代も含めると、大小取り混ぜて30回を悠に超えています。最初の頃は宗旨が違うとか、仏像とは美的感覚が合わないなどと、つべこべ言っていました。ですが、今では彼の親切極まりない手ほどきを受けて、本当に良かったと心底から思っています。

また、11月5日、6日には大学時代の一期上の元郵政相・日笠 勝之さんから誘われて、岡山・倉敷の旅に出かけました。奥さんも一緒にどうぞと、有難い声をかけていただいたのですが、妻は残念なことにお断りしてしまいました。行き過ぎた旅に遠慮したようです。尤も、この旅の前日4日には、娘が2度目のお産で男の子を授かったのです。もし、旅に行って家を留守にしていたら、娘から相当に恨まれたはず。爺さんはひとり、初の男の孫の誕生に、岡山ゆかりの「桃太郎の唄」を口ずさみながらの旅に出かけるしだいとなりました。この旅では公明新聞の後輩で岡山に嫁いだK女史を呼び出しました。彼女はかつての職場の紛れもなきアイドル。見目麗しく情けもあり過ぎるほど素敵な女性でした。

このように引退初年度は、籠から解き放たれた伝書鳩のように、次から次へと旅に出かけ、ついでに旧交も温めまくったのです。(2021-2-9)

 

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