【24】相次ぐ兄弟子たちとの少々早い別れー平成27年(2015年)❽/5-17

●今も会いたいとの思い募るふたりの先輩

この年は、関西創価学会におけるかけがえのない大先輩が相次いで亡くなられてしまいました。一人は西口良三さんで3月15日に、もう一人は大西正人さんで10月31日のことでした。関西の屋台骨が揺らぐ思いを抱きました。ご両人とも私が昭和55年(1980年)の夏に、大阪にある公明新聞関西支局に勤務するようになって、本格的に知り合いました。35歳からの35年間付き合ったことになります。

西口さんは私より7歳年上。選挙に出るということになって姫路に戻った平成元年からが本格的なお付き合いが始まりました。少し前から入退院を繰り返しておられるとは聞いていましたが、訃報に接して足元が崩れるショックでした。組織を運営するリーダーとしては誠に厳しい人でしたが、個人的な繋がりを大事にされるという点では、まことに徹して心配りをされる方でした。私が個人的に大きな失敗をし、それが世に差し障りをもたらすかも、という案件に悩んだことがあります。その際の大激励は生涯忘れません。心底からの優しさを感じました。

大西さんは、倒れられる間際まで全く体調がお悪いことを知りませんでした。西口さんの葬儀に駆けつけた際に、秋谷元会長の側に寄り添って座っておられたのを見たのが最後となりました。11月6日にご自宅に弔問に行き、思い出を綴った弔意文を御夫人に渡したのですが、思い残したことが山ほどあり、心底から悔しさが募りました。その思いについては11月5日号の「後の祭り回想記」に、「孤高の兄弟子の少し早い〝長すぎる不在〟」と題して、とことん書き記しています。如何なる難局にも動じない、頼りになる兄貴分でした。

●浜松市に行き、奥山保全トラスト地を歩く

この頃、一般財団法人「日本熊森協会」の姉妹団体である「奥山保全トラスト」が公益財団法人化しました。その実現には私は大いに尽力したのです。衆議院総務委員長をしていた頃の人脈から、その道に明るい官僚を教えて貰いました。この団体は、奥山の環境を守るために、篤志家から寄付を募ったり、乱開発をさせぬための森林地買い取りを進めています。これは極めて大事なことで、私はライフワークの一つと決めて、今も理事会には欠かさず出席しています。

この年の11月1日に、浜松市の北部にある佐久間トラスト地を仲間たちと一緒に訪れました。奥深い山あいでの森林浴を兼ねた視察は最高でした。全国各地に20箇所(2300ha)ほどあるトラスト地を順次訪問することが出来たらどんなに素晴らしいか、と密かに心に期しています。なお、この日は折角浜松にきたのだから、と夜は浜松湖畔にある舘山寺界隈のホテルに宿泊。大学同期で同市内に住む親しい友人M君に声をかけ、束の間の懐かしい交遊に勤しんだしだいです。

●辻哲夫さんとの楽しい語らいの夕べ

11月18日の夜は上京し、懐かしい辻哲夫元厚生労働省事務次官と会食懇談の機会を持ちました。実は、同氏は退官後に東大の特任教授(高齢者社会総合研究機構)をされており、千葉県柏市での「地域包括ケアのまちづくり」に取り組んでいます。現役当時と変わらぬ情熱をたぎらせて、高齢社会の持つ課題を多方面から研究されています。実は、この人の研究にかねて関心を持っていた大手コンサル会社の幹部と私は知り合う機会に恵まれていました。「瀬戸内海島めぐり協会」の仕事で、関係各方面の方々と付き合ううちに得たご縁の結果です。

そのメンバー仲間と共に、ひと夜意見交換をということになり、4人で都内港区の某所でお酒を酌み交わしました。辻さんとは同郷でもあり、僅か1年とはいえ、同じ役所の釜の飯を食った仲なので、一気に話は弾みます。彼が尊敬して止まない大先輩・坂口力元厚労相のことを肴に一段と盛り上がったものです。

この時の会合前後の出会いをきっかけに、いっそのことコンサル会社で仕事をしないかとの誘いを受けました。巨大な会社ですから、全体の顧問職ではなく一部門のシニアアドバイザーという肩書きです。新しいもの好きの私にとって、70歳にして、新入社員になるのは、心ときめかないといえば、嘘になります。新しい年を前に社長の面接を受けることになりました。(2021-5-17)

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