【37】関空航路再生の喜びー平成29年(2017年)❺/7-22

●関空と淡路島結ぶ航路が再スタート

関西国際空港と淡路島を結ぶ航路は過去にもありました。淡路エアポートラインです。しかし、なかなか利用客数が上向きにならず、平成19年には休航してしまい、この10年ほどの間は、ストップしたままなっていたのです。それを今度はジェノバラインが引き受けようと、立ち上がったのです。時あたかもインバウンドブームで、日本全体で年間3000万人もの観光客も望めるほどにまでなっていて、十分淡路島にもその流れは来るに違いないとの見立てだったわけです。

7月9日、突き抜けるような青空のもと、関空航路再開通を祝う記念式典が岩屋港で行われました。この航路運営のトップには吉村淳一氏が就きました。この日を迎えるまで、初期の段階で尽力し抜いた豊田さんの姿が見えないのがなんとも寂しいものがありましたが、仕方ありません。関係者一同、押せ押せムードで、ひたすら今度こそ定着させるぞと、成功を信じて突っ込んでいったのです。この航路運営がこの日から進められることで、我が一般社団法人はより一層忙しくなりました。日々の乗客数の増減に一喜一憂する一方、DMOの展開に夢を育み、ない知恵を懸命に降り注ぐことになったわけです。

●DMO法人へ観光人材育成機関作りに汗流す

 この頃から、DMOの展開については、私的知恵袋である勝瀬典雄さんの支援を頂くようになりました。社団法人の顧問的立場の位置付けを付与させていただきながら、現実には無報酬で交通費支給のみ。しかも彼の動く予定に出来るだけ便乗するという辛気臭い扱いぶり。全て私の責任です。この人の持つ地域おこしのノウハウに心底惚れた私の強み。惚れられた側の弱みといえましょうか。豊田さんに代わって、昼夜を分たずといかない分、彼の住まう徳島、勤め先の大学のある広島、神戸、そして東京と、転戦される場所ごとに押しかけ議論しました。

 二人が最も力を入れたのは、観光人材を育成してゆく主体を淡路島に作ろうという試みでした。徳島商と山手女子大を「観光」を通じて結びつけるアイデアやら、ハコモノではなく、船上で「育成」をやろうとか、集客を狙った仕組みをサイト上に作ることなど、あれこれと企画しました。ただし、一連の計画を具体化する上で、内外多くの精鋭の力を借りましたが、そのうちの女性起業家のひとりをして「ネット時代に似つかわしくない、竹槍集団みたい」と言われてしまうほど。かくほどまでIT音痴の集まりだったことは、如何ともし難い欠陥でした。

●関経連の松本正義会長の淡路島での就任祝い

 そんなおりも折、関西経済団体連合会のトップに住友電工の松本正義社長が就任(2017年5月)されました。松本さんとは、それなりの交遊があり、井戸県知事交え意見交換をした時のことは既に触れました。淡路島・洲本高校出身とあって、オール淡路島で関経連会長就任をお祝いしようとの気運醸成を、私たちは思いつきました。同校出身の関係者は私の周りにも少なからずいて、皆さん大いに賛同、あっという間に実現の運びになったことは言うまでもありません。

 9月9日当日は、淡路島中の名士、強者が一堂に会しての素晴らしい集いとなりました。山田啓二京都府知事(当時)もご当地出身とあって参加、観光の島・淡路島への期待は大いに膨らんだものです。気骨溢れる才人たる松本さんの関西経済界トップへの登場は、関係者一同願ってもない慶事です。この日ばかりは、日常の憂さもものかわ、希望に満ちた言葉が飛び交うひとときだったことを覚えています。(2021-7-22)

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