【14】権力の魔性との不断の戦いー小説『新・人間革命』第4巻「春嵐」の章から考える/6-25

●大阪事件での伸一の「孤立無援」

大阪事件とは、昭和32年の参議院大阪地方区の補欠選挙で起きた創価学会員による買収事件と、戸別訪問による逮捕から始まり、伸一の逮捕・勾留へと発展していった事件を指します。「権力の魔性との激しい攻防戦」が続いていました。昭和36年3月6日から8日にわたって、大阪地裁で裁判が開かれましたが、その間での弁護士団との打ち合わせ場面は、胸詰まる思いに迫られます。

「無実の人間がどうして断罪されなければならないのでしょうか。真実を明らかにして、無罪を勝ち取るのが、弁護士の使命なのではありませんか」「それはそうなんですが。検察は巧妙に証言を積み上げてきている。それを覆すのは容易ではないのです」ー伸一の問いかけに弁護士のひとりはこう答えます。伸一は「孤立無援を感じていた」とあります。(40頁)

「国家権力の横暴を許せば、正義も人権もなくなってしまうことを恐れた」伸一は、この事件に対して「断固、無罪を勝ち取ってみせ」るとの強い決意で挑みます。壮絶な戦いを経て、やがて「無罪」となりました。この頃から20世紀の終盤までの約40年間。私たち学会員はただひたすら「国家悪」と「権力の横暴」に対して、断じて許さないとの思いで戦ったのです。

21世紀に入って公明党が政権与党になり、一転して内側から国家権力の悪と横暴に戦うように変化しました。ただ、今の立ち位置が永遠に続くものではなく、事態は流転します。変わらないのは「権力の魔性」です。個も全体も、どんな状態になろうとも、「魔との戦い」を忘れない、これが全てだと思われます。

●兵庫県下で起きた村八分事件の背景

昭和36年当時、各地で学会員への不当な村八分が深刻になっていました。兵庫県丹波地域の青垣町では、神社への奉仕や参拝を巡って学会員と地域住民との間で軋轢が深まり、信教の自由まで侵される事態へと発展していきました。更に同様の事件が同じ兵庫県三田市でも。この背景には、「日蓮仏法は個人の精神に深く内在化して」いった結果として、「同志は個の尊厳にめざめ、自己の宗教的信念を表明し、主張してきた」ことがあります。そのために「個」を埋没させてきた「旧習の抑圧」としての「村八分事件」が起こったのだと、位置付けられています。(47頁〜64頁)

こうしたケースはその後も陰に陽に長く続いていきます。勿論当初のように、信教の自由を冒したり人権を損うまでに至ることは、なりを潜めています。私見では、それは学会員の側の賢明な対応が根付いてきたからだといえると思います。私自身もつい先年まで400世帯ほどの地域の自治会長をしていましたが、神社への参拝を求められることが多く、そのたびに衝突事件を思い浮かべました。私自身は信仰と地域の氏神への畏敬の念は別と割り切ってきました。

兵庫県下二つの町と市で起きた事件は遠い昔のことで、今では無縁のように思われがちですが、油断は禁物です。日本人が外国へ行く際に、宗教欄への記入について、無宗教と書いたり、空欄にしたままにしておく傾向が続く限り、いつまた再発するやもしれないと、思わないではいられないのです。(2021-6-25)

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