【16】何事にも両面があることの絶妙さー小説『新・人間革命第4巻「青葉」の章から考える/7-7

●仕事と学会活動の両立という矛盾を超えて

青年期における最大の課題は仕事や勉強と学会活動の両立です。私も勉強については悩み、苦しみました。結局、勉強を捨て活動優先にしてしまい、今に至る後悔の源になっています。

山本伸一は両立に悩む青年の質問にこう答えています。「苦しいな、辛いなと思ったら、寸暇を見つけて祈ることです。祈れば、挑戦の力がわいてくるし、必ず事態を開くことができます。そして、やがては、自由自在に、広宣流布のため、活動に励める境涯になっていきます」と。

ここで興味深いのは、現実は矛盾だらけ、相反することばかりだと述べているくだりです。諺にも『武士は食わねど高楊枝』に対して、『腹が減っては軍は出来ぬ』があり、『人を見たら泥棒と思え』というかと思えば『渡る世間に鬼はない』があるとの例を挙げた後、御書の中にもある、とこう続けられています。

「御書にも、一見、相反するかのように思えるご指導もあります。たとえば、あるお手紙のなかでは、たった一遍の題目でも成仏できると仰せになっています。しかし、別の箇所では、どんなに題目を唱えても、謗法があれば、全く功徳はないという意味の指導をされている。またあるお手紙では、百二十まで生きても、名を汚して死ぬよりは、一日でも名をあげることが大事であると述べられている。ところがほかのところでは、若死にしてしまえば、なんにもならないとの仰せもあります」(170頁)

これ以外にも、いくつもあります。妻子眷属を思うな、とある一方で妻や子どもを大事にせよとあったり、寸暇を惜しんで生きろと言われているかと思うと、しっかり睡眠をとるように、とか。かつて私も仲間との会話の中で、こうした矛盾を探し、いったいどっちなんだと単純に笑い合う材料にしてしまったものです。

伸一は、「何事にも両面があり、一方に偏らないからこそ人間的なんです。つまり、人間が生きるということは、相反する課題を抱え、その緊張感のなかで、バランスを取りながら、自分を磨き、前へ、前へと、進んでいくということなんです」として、「苦労してやり遂げていくところに、本当の修行があり、鍛えがある。また、その苦労が、諸君の生涯の財産になる」と励ましています。

こうしたやりとりを通じて、伸一は人生や生き方を教え、生命を錬磨する人間教育を現実に展開していったのです。私はこの箇所を読み、改めて自分のいたらなさを痛切に感じます。何事にも両面があるという事実の絶妙さや、人間的とは何かということに思いが至らなかった我が身を恥じる思いでいっぱいになります。

●映像の力についての先見性と神戸

神戸、兵庫の二支部合同の結成式は、神戸王子体育館で行われました。昭和36年5月11日のことです。ここで伸一は記録映画の制作の発表をしました。なぜ神戸の地を選んだかについて、「古くから、海外との貿易の基地となってきた神戸は、新しき文化の都であると考えていたから」だとあります。また、日本の六大都市の中で、最後となった支部結成を、「希望につながる発表をもって、その新たな出発を祝いたかったから」だとも。いらい60年が経った今日、映画、映像の持つ重要性は計り知れぬ大きさを持ちます。それを早くに見抜き、準備を進めた伸一の凄さに刮目する思いです。(175頁)

神戸、兵庫に対する熱い思いを知って、この地で生まれ育った私として奮い立つ思いを抱かざるをえません。当時は高校一年生。日蓮仏法との出会いは後の事(4年後)とて、知る由もありませんでした。ですが、このくだりを聖教新聞紙上で読んだ(4巻の掲載は1995年7月17日〜96年2月10日)頃は、奇しくも阪神淡路の大震災直後でした。神戸、兵庫の復興に向けて立ち上がっていた私たちにとって、強いエールとなり、かけがえのない励ましのメッセージとなったのです。(2021-7-7)

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