【17】史上初の権力の側からの改革ー小説『新・人間革命第4巻「立正安国」から考える/7-13

●「文明論之概略」に見る福沢諭吉の仏教観

昭和36年7月3日。総本山にやってきた伸一は、戸田先生の墓前で来し方への思いを巡らします。牧口、戸田両師への国家による弾圧、自身に対する大阪事件ー「広宣流布とは、権力の魔性との戦いであることを痛感」するのです。そして、思いは、国家権力に取り込まれ、擁護されてきた、仏教を始めとする日本の宗教のあり様に及びます。その決定的な例証として福沢諭吉の指摘を挙げるのです。

彼の代表作『文明論之概略』の次の箇所を引いて、仏教各派の「延命と繁栄を図る術」の実態を指弾しています。すなわち、福沢が「仏教盛んなりといえども、その教は悉皆政権の中に摂取せられて、十方世界に遍く照らすものは、仏教の光明にあらずして、政権の威光なるがごとし」と一刀両断しているくだりです。

福沢諭吉は、いわゆる無神論者であったことが遍く知られています。ただし、宗教を否定したのではありません。一身の独立を重んじる上で、既成仏教のあり方が妨げる存在になると見たのです。私見では、浄土真宗の家に生まれた影響が強かったものと思われます。法華経の本質に迫る機会があったれば、「自力本願」を旨とする日蓮仏法に共感を抱くに至ったことは間違いないと、想像するのですが。江戸期から明治の時代背景にあって、日本文明の台頭を促した彼の役割を考えると、宗教とそれなりの距離を置いたことは意味のあることだったと思います。

●自然災害の多発と疫病の蔓延と「立正安国論」

8月2日からの夏期講習会で、山本伸一は立正安国論を中心に御書講義をしますが、その核心部分は今を生きる私たちにとって極めて示唆に富む内容となっています。(264頁から290頁まで)

「創価学会の使命は、日蓮大聖人が示された、この立正安国の実現にある。宗教が、現実社会の人間の苦悩の解決から目を背けるならば、もはや、それは宗教の死といえる」「その世界に、恒久平和の楽園を築き上げるために、人間主義の哲学をもって、人びとの生命の大地を耕していくことが、立正安国の実践であり、そこに創価学会の使命がある」「創価学会の目的は、この『立正安国論』に示されているように、平和な社会の実現にあります。この地上から、戦争を、貧困を、飢餓を、病苦を、差別を、あらゆる〝悲惨〟の二字を根絶していくことが私たちの使命です」ーこう我々の「使命」について、語られています。

この御書講義から60年。創価学会は瞬時も休むことなく壮絶な戦い、実践を展開してきています。宗教団体としての「人間を第一義とする思想の確立」から始まり、文化・芸術的土壌を培う民主音楽協会の取り組みやら、具体的な身の回りの政治、経済、社会的課題解決に挑む公明党への支援など、ありとあらゆる問題に挑戦しているのです。

時代の状況は明らかに半世紀前とは大きく変化してきています。自然災害はおさまらず〝巨大災害の時代〟の呼称さえ冠せられる一方、新たな感染症に悩む状況を招来しているのです。さらに、国際社会に目を転じますと、かつての米ソ対決から米中対決へと、舞台の質的変化は流動的で、人類にとって予断を許さぬ危機的状況が続いています。核の脅威、気候温暖化やエネルギー、食糧、水危機など地球を破滅に追いやる恐怖のネタに事欠かない有様なのです。

この時をどう捉えるか。私たちが若き日に抱いた「総体革命の実現」「地球民族主義の確立」「第三文明の勃興」は未だならず、〝更なる連続革命〟に邁進するしかない、と私は決めています。確かに直面する状況は厳しいものがありますが、かつての野党から与党になって改革を進める公明党、世界の多くの国で水嵩を増す創価学会SGIは極めて心強い存在となっています。未だ少数勢力とはいえ、日蓮仏法を信奉する人々が国家の中枢に存在していることは見逃せぬ事実です。史上初の権力の側からの改革に着手し続けていると、私は見たい。広宣流布への道は険しくても歩き続けるなら必ず素晴らしき風景が眼前に現れるものと確信しているのです。(2021-7-13)

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