【18】宗教弾圧に見る類似性ー小説『新・人間革命』第4巻「大光」の章から考える/7-18

●コペンハーゲンでの教育についての考察

 昭和36年10月4日、山本伸一は初の欧州への旅に出発します。「大光」の章では、デンマークから西ドイツ(当時)への行程について述べられています。ここでまず私が注目するのは、デンマークの「フォルケホイスコーレ」という「国民高等学校」と訳される「民衆の大学」についての記述です。日本ではあまり知られていないのですが、デンマークのユニークな教育の発信源がこの「フォルケホイスコーレ」でした。

 牧口常三郎先生が『創価教育学体系』の「諸言」(序文)で、その創設者であるグルントウィと後継者・コルについて紹介されており、伸一はコペンハーゲンで、その深い絆で結ばれた麗しい師弟の姿について思い起こしています。「フォルケホイスコーレ」とは、「教師が学生と共同生活をしながら、自由な対話の中で学んでいく」ものであり、「人生の知恵を育み、知識を習得するとともに、市民こそ社会の主体者であるとの自覚を培うもの」でもあって、「人間と人間の触発による、生きた教育の場」だったといいます。

 山本伸一は、「自分もコルのように、先師牧口常三郎と恩師戸田城聖の教育の理想を受け継ぎ、一刻も早く、創価教育を実現する学校を創立しなければならないと思った」とあります。私はこのくだりを読んで、草創の頃の創価学会が、しばしば「校舎なき総合大学」だと言われてきたことを思いだしました。昭和40年に東京・中野区で私が入会を決意した座談会でも、小学校の先生をされていた紹介者からそう言われたことを覚えています。伸一の強い創価教育への気概が会内の隅々にまで行き渡っていたのだと思われます。素晴らしい校舎の創価大学が出来てちょうど50年。今もなお会員の多くは、〝校舎のない大学〟で学んでいるとの自覚を持っています。そしてこれを〝創価教育の素晴らしき二重構造〟と私は呼びたいのです。

●ライン川の岸辺でのナチスドイツに関する語らい

「人間と人間の触発による生きた教育の場」との表現にピッタリするのが、伸一を囲む懇談、座談、質問会の場です。この章でも、ライン川の岸辺の語らい(326頁〜346頁)は、その感が濃く、印象深く迫ってきます。この刻(とき)は、男子部幹部の黒木昭が「こうしてライン川を見ていると、あのハイネの作った『ローレライ』の歌を思い出しますね」と、伸一に語りかけたことから始まっています。

話題は『ローレライ』の作者ハイネがユダヤ人であったことによる、独裁者ヒトラーの悪業へと移り、その歴史的背景が語られていきます。ナチス政権が誕生した1933年頃、約50万人ほどのユダヤ人が住んでいましたが、彼らは独自の宗教的な共同体を形成して、その存在を守り抜いていました。その共同体を、反ユダヤ主義者たちは「国家の中の国家」と言って危険視していくのです。

「〝ユダヤ人の忠誠は、彼らだけの『国家内国家』に対するもので、彼らがキリスト教国家に対して忠誠であるわけがない〟」との論理で、〝国際ユダヤ主義〟がドイツ国家にとって危険極まりないものとされていきます。この政治的な「人種差別主義」に肥大化されゆく経緯は、決して対岸の火事で済むものではありませんでした。戦前の日本に話題は移り、神道の国教化によって、「いつのまにか日本には信教の自由はおろか、何の自由もなくなっていた」事実が語られます。

「こうした事態がこれから先も起こりかねない」と、伸一は男子部長の谷田昇一に注意を促しています。私たちは戦時下の日本での牧口、戸田両先生への宗教的弾圧が、ドイツでのナチスによるユダヤ人虐殺と、根底において類似性を持っていたことに気づかざるを得ません。そして、それは今でも、虎視眈々と反創価学会勢力が狙っていることと、決して無縁ではないと思われるのです。(2021-7-18)

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