【26】中道政治と対立軸ー小説『新・人間革命』第6巻「波浪」の章から考える/8-27

◆イデオロギーにとらわれず是々非々で

昭和37年6月7日第六回参議院選挙が公示され、公政連(公明政治連盟の略称)推薦の9人が立候補し、選挙戦が始まります。支援の原動力になった婦人たちが、現場で訊かれて困惑したのが、公政連は「保守か、革新か」の問題でした。山本伸一は、次のように述べています。

「公政連は、保守や革新といった従来の判別には収まりきらない、中道をめざす政治団体です。この中道というのは、中間ということではありません。従来の資本主義、あるいは社会主義といったイデオロギーにとらわれることなく、国民の幸福と世界の平和を、どこまでも基本にして、是々非々を貫く在り方といえます」(262頁)

公明党の前身、公政連が世に出て60年。時代の流れの中で、政治の対立軸としての「保守」「革新」の仕分けが、変化てきました。ソ連の崩壊と共に、社会主義イデオロギーが後衛に退き、「革新」に替わって「リベラル」という、〝より穏健な革新〟とでも定義付けられる対立軸が浮上してきました。1990年代のことですから、ほぼ30年前になります。今は一般的には「保守対リベラル」といった枠組みで語られることが普通になっています。

では、「保守」は不動かといえば、「真正保守」なる立場を強調する人々がいます。「中道」についても、公明党以外にも看板にかけずとも「中道右派」、「中道左派」と自称、他称する向きがあります。公明党が自民党と連立与党を組んで20年余。「保守中道」と呼ばれることもあったりする一方、リベラル色は公明党こそ強いと見る傾向もあるなど、いささか曖昧模糊の様相を示して、政治評論の現場は混乱していると言わざるをえません。

改めて、中道とは、「イデオロギーにとらわれずに、是々非々を貫く」政治スタンスであるとの〝原点〟に立ち返って、見極める必要があろうかと、思われます。

◆労組の宗教への無知、無関心が元凶

この当時、各政党が、創価学会をどのように見ていたかについて、朝日新聞の昭和37年7月4日付け夕刊の「参院の第三勢力、創価学会」と題する記事が、引用されています。

「自民党は創価学会が将来、自民党に対抗してくるような政治勢力にまで成長するものとは見ていない。(中略)しかし、社会党や共産党の場合は保守党の場合より深刻のようだ。かつて北海道の炭労組織が創価学会に食荒らされたことは、いまなお革新政党幹部の記憶に生々しい」(277~278頁)

この記事は、いわゆる革新勢力の退潮が創価学会の興隆と対比されて解説されていて興味深いものがあります。上記に続き、宗教に関心が薄いと言われる労働者の世界に、創価学会が進出していく様子が危機感を持って記述されています。元を正すと、北海道の炭労幹部が、「組合に所属する学会員に、陰湿な圧迫を加えてきた」ことが発端です。この章では、秋田の尾去沢鉱山と長崎・佐世保の中里炭鉱の労働組合の「組合除名」にまで発展していく経緯が語られていきます。(279~303頁)

労働組合という、働くものの側に立つ人々が、宗教という最も人間存在の根底にねざす問題に無知であり、創価学会を舐めてかかったことが、今日までの衰退の大きな要因だと思われます。日教組、国労などの労働者組織のリーダーの姿勢は、組合員の数量的減少が顕著になってきていても、事態の本質を掴めずにいるようです。かつて兵庫県には、「連合五党協」という名の、労組「連合」を中心にした共産党を除く各政党の集まりがありました。反自民党政治を看板に掲げたグループで、私は公明党の県代表として加わり、労組代表の皆さんと親しく付き合いました。「今は昔」の懐かしい思い出です。(2021-8-27)

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