【33】本迹を立てわけていく重要性ー小説『新・人間革命』第8巻「宝剣」の章から考える/10-2

●本物か偽物か、「歳月は人を淘汰する」

 昭和38年7月6日、伊豆下田で青年部の水滸会研修が開かれた時のこと。宿舎の旅館の広間で質問会が行われます。伸一は、教学上の問題から、社会の改革と人間革命の関係など多岐にわたる質問に答えていきます。その中で、鮫島源治という青年について語られているくだりに注目しました。彼の質問は、「信心の筋金が入った人間とは?」というもの。答えは、「一生涯、学会についてくる人間のことです。(中略) どんなことがあっても、学会につききっていくことのできる人間が、信心の筋金の入った人だ。それしかない!」です。

 この人物は、「後年、副会長になるが、最後は学会に反逆し、無残な退転者の道を歩んでいくことになる」とあり、その記述の前後に「鮫島」という人間についての当初の伸一の思いが語られています。「歳月は人間を淘汰する」「30年間、見続けていこう」と。(114-114頁)

 この鮫島のモデルとなった当の本人から、幾度か私も指導を受ける機会がありました。元教学部長、元弁護士らの退転者とも、高等部、中野区担当者として私は接触したことはありましたが、この人物は青年部長だったため、一番真剣に話を聞いたものです。その理論の展開の仕方にユニークさを感じ、シャープな言葉遣いにも惹かれました。今から思えば、その顔立ちがかっこよかったという、他愛もない理由が強かったのですが‥‥

 先日、長く創価学会批判の急先鋒だったある人物が亡くなったとの報に接しました。生前、彼は鮫島の影響を強く受けていたことをあらためて知るに至りました。二人とも「野心、野望で動き、学会を自分のために利用しようとする心」に負けたに違いありません。同時に、人間関係の「縁」についても、考えざるをえません。「毒」を持った人と関係を強めずに、清らかな生命の持ち主と繋がることの大事さを痛切に感じます。

●「百六箇抄」の壮絶な講義

 同年  7月19日、伸一は、京都へと赴き、京都大学の学生を中心に、関西の学生部幹部への「百六箇抄」講義の発足式に臨みます。この「百六箇抄」は、日蓮大聖人から、第二祖日興上人に授けられた相伝書であり、「本因妙抄」と併せて、〝両巻抄〟とも〝血脈抄〟とも呼ばれてきました。御書は、「西洋的なものの考え方だけでは」、「東洋的な演繹法の思考」を、とらえることはできない。だから「仏法の発想に立っていくためにも、帰納法的な論理を超えた相伝書の「百六箇抄」を学ぶにことが大事だと、されています。

 この講義を始めるにあたって、一人ひとりの自己紹介から始まります。野村至・勇兄弟、田川浩一、中野恵利子、滝川安雄、高木与志郎、奥谷拓也、上畑英吉らの京大生が次々と登場します。この場面は私にとって、圧巻です。ほぼ全員、この場面の後に、良い縁を持つに至る先輩ばかりだからです。ひとりだけ退転していった人物が触れられていますが、それを除き、皆素晴らしい実証を示してきた人たちです。(131-158頁)

 この記述の中で、伸一自身が戸田城聖先生から直接この「百六箇抄」講義を受講した際のことが出てきます。「冒頭の『理の一念三千・一心三観本迹』の講義だけで、三日間を費やして」、講義が終わると、「これまで話してきたことは、すべて暗記し、生命に刻むことだ。この一箇条を徹底して学び、深く理解していくならば、後の百五箇条もわかってくる。また、この『百六箇抄』が、わかれば、ほかの御書もわかってくる」とまで。

 この御書の重要性を諸先輩から聞きながら、私は結局中途半端な理解に終わっているがゆえに、未だ情けない教学理解の状態にあることを思い知るのは無念なことです。ただ、ここで展開される本迹についての講義は分かりやすく、胸の底に落ちます。「自分は今、広布のために、人間革命のために生きているのか、一念は定まっているのかーそれを見極めていくことが、私たちにとって、『本迹』を立て分けていくことになるし、その人が最後の勝利者になっていく」とあります。「広宣流布に生き抜く人生こそが『本』で」、社会的な地位や立場は「迹」であるとの指摘。これを銘記して生き抜いてきただけに、後悔はありません。未だ、足らざるを補うために、今から、これからが本番と決めて、日々戦っていこうと決意しています。(2021-10-2)

 

 

 

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