【104】勇気、能忍が苦境打開のカギ──小説『新・人間革命』第26巻「奮迅」の章から考える/1-26

●「方南支部」結成で思いだす

   広布第2章の支部制の発足。1978年(昭和53年)1月、伸一は杉並区方南支部の結成大会に出席します。彼は挨拶の中で、「仏法では、『我らが頭は妙なり喉は法なり胸は蓮なり胎は華なり足は経なり此の五尺の身妙法蓮華経の五字なり』(御書716頁)と説かれております。私ども自体が、妙法蓮華経の当体であります。また、『足は経』とありますが、敷衍すれば、それは行動を意味する」と御義口伝の一節を引用しながら、広宣流布に向け、勇んで行動を起こそうと呼びかける一方、次のように、強調されています。(329-331頁)

 「広宣流布といっても、どこか遠い、別のところにあると思うのは間違いです。自分自身のなかにあるんです。家庭の中にあるんです。近隣の人びととの絆のなかにあるんです。創価の法友のなかにあるんです。そこに模範の広布像をつくるんです。自身の足元を固めよう──これが最も強調しておきたいことです」

 広宣流布は自分の足元からという原理は、幾度も耳にし、口にしながら、ややもすれば目は遠くに向きがちです。《自身→家庭→近隣》この身の回りをしっかりと繋ぎ固めることこそ、飛躍の源泉だと思われます。

 東京山の手の中心・杉並区方南町。広布第2章はこの地から幕が開かれました。実は私は、入会(昭和40年)したのがいわゆるたて線の方南支部でした。住んでいたのが中野区鷺宮の下宿先。そこから電車やバスを乗り継ぎ、杉並区の方南町界隈に通ったのです。路地裏から漂う夕餉の匂いに空きっ腹が声を上げたことも。大学周辺の日吉や田町を徘徊せず、高円寺、荻窪を歩いた青春でした。「方南支部」は我が信仰の原点の場──懐かしい〝あの人・あのこと〟を思い出して、あらためて決意を固めました。

●耐え忍ぶことが大事

   支部制発足に合わせて開かれた様々な会合で、伸一は〝自分の生命を削ってでも、青年を育成しなければならぬ〟との決意で青年部指導に挑みます。3月4日の立川文化会館での東京青年部の男女部長会では、「能忍」について語っていますが、生命が揺さぶられる思いがいたします。

 「人の一生は、波乱万丈です。勤めている会社が倒産したり、病に倒れたり、愛する家族を亡くしたりすることもあるかもしれない。しかし、たとえ、苦難に打ちのめされ、社会での戦いに、ひとたびは負けることがあったとしても、信心が破られなければ、必ず再起できます。最後は勝ちます。わが人生を勝利していくための力の源泉が信心なんです。そしてそれには『能忍』、よく耐え忍ぶことが大事なんです」(382頁)

    信心が破られるとは?──打ち続く苦境の嵐の中で、題目をあげてあげてあげ抜いて、乗り切ろうとする意欲をなくしてしまうことです。私も自身の境涯の低さが原因で、絶体絶命と思えるピンチに立たされたことがありました。もう駄目だと、仏壇の前でただへたり込むだけのこともあったのです。その時に、「あきらめこそが敗北の因である」との指導を思い起こし、手を合わせ、なんとか声を振り絞り続けました。

 その結果、今では「信仰とは、絶望の闇を破り、我が胸中に、生命の旭日を昇らせゆく力である」ということを心底から確信できるようになりました。

●境涯を開き、宿命を転換するカギとは

   埼玉県婦人部のブロック担当員会を翌日に控えた3月6日に、学会首脳部との懇談会で、かつての志木支部川越地区での伸一の御書講義が話題になりました。そこでは、「佐渡御書」や「聖人御難事」などの講義が次々と語られていきます。そのうち、「師子王の心」については、以下のように述べられています。(386-404頁)

   「広宣流布の道にあって、最も大切なものは勇気なんです。後輩の激励に行くにも、人びとに仏法を語っていくにも、法難に立ち向かっていくにも、根本の力は勇気です。いわば、勇気こそが、境涯を開き、宿命を転換するカギなんです。そして、その勇気の源泉が『師子王の心』です」(394頁)

 「『師子王の心』とは何か。日蓮大聖人の大精神であり、末法の一切衆生を救済していこうという御心です。そしてその仰せのままに、広宣流布に立たれた、牧口先生、戸田先生のご精神でもあります。(中略)   つまり、弟子が師匠と呼吸を合わせ、同じ決意に立ってこそ、何ものをも恐れぬ、勇敢な『師子王の心』を取り出していくことができるんです」(395頁)

     一歩前へ、足を出して歩いて友のところに行く。そして、一言前に声をだす、これだけのことも勇気あらばこそです。その〝一歩・一言〟が大きな結果を生み出すことに繋がります。やれない言い訳を自分で作ってしまうことは、「師子王の心」の芽を詰んでしまいます。「人の目はごまかせても、己心の師匠は、じっと一切を見ています」──ずっしりと響く一節です。(2023-1-26)が

 

 

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