【104】勇気、能忍が苦境打開のカギ──小説『新・人間革命』第26巻「奮迅」の章から考える/1-26

●「方南支部」結成で思いだす

   広布第2章の支部制の発足。1978年(昭和53年)1月、伸一は杉並区方南支部の結成大会に出席します。彼は挨拶の中で、「仏法では、『我らが頭は妙なり喉は法なり胸は蓮なり胎は華なり足は経なり此の五尺の身妙法蓮華経の五字なり』(御書716頁)と説かれております。私ども自体が、妙法蓮華経の当体であります。また、『足は経』とありますが、敷衍すれば、それは行動を意味する」と御義口伝の一節を引用しながら、広宣流布に向け、勇んで行動を起こそうと呼びかける一方、次のように、強調されています。(329-331頁)

 「広宣流布といっても、どこか遠い、別のところにあると思うのは間違いです。自分自身のなかにあるんです。家庭の中にあるんです。近隣の人びととの絆のなかにあるんです。創価の法友のなかにあるんです。そこに模範の広布像をつくるんです。自身の足元を固めよう──これが最も強調しておきたいことです」

 広宣流布は自分の足元からという原理は、幾度も耳にし、口にしながら、ややもすれば目は遠くに向きがちです。《自身→家庭→近隣》この身の回りをしっかりと繋ぎ固めることこそ、飛躍の源泉だと思われます。

 東京山の手の中心・杉並区方南町。広布第2章はこの地から幕が開かれました。実は私は、入会(昭和40年)したのがいわゆるたて線の方南支部でした。住んでいたのが中野区鷺宮の下宿先。そこから電車やバスを乗り継ぎ、杉並区の方南町界隈に通ったのです。路地裏から漂う夕餉の匂いに空きっ腹が声を上げたことも。大学周辺の日吉や田町を徘徊せず、高円寺、荻窪を歩いた青春でした。「方南支部」は我が信仰の原点の場──懐かしい〝あの人・あのこと〟を思い出して、あらためて決意を固めました。

●耐え忍ぶことが大事

   支部制発足に合わせて開かれた様々な会合で、伸一は〝自分の生命を削ってでも、青年を育成しなければならぬ〟との決意で青年部指導に挑みます。3月4日の立川文化会館での東京青年部の男女部長会では、「能忍」について語っていますが、生命が揺さぶられる思いがいたします。

 「人の一生は、波乱万丈です。勤めている会社が倒産したり、病に倒れたり、愛する家族を亡くしたりすることもあるかもしれない。しかし、たとえ、苦難に打ちのめされ、社会での戦いに、ひとたびは負けることがあったとしても、信心が破られなければ、必ず再起できます。最後は勝ちます。わが人生を勝利していくための力の源泉が信心なんです。そしてそれには『能忍』、よく耐え忍ぶことが大事なんです」(382頁)

    信心が破られるとは?──打ち続く苦境の嵐の中で、題目をあげてあげてあげ抜いて、乗り切ろうとする意欲をなくしてしまうことです。私も自身の境涯の低さが原因で、絶体絶命と思えるピンチに立たされたことがありました。もう駄目だと、仏壇の前でただへたり込むだけのこともあったのです。その時に、「あきらめこそが敗北の因である」との指導を思い起こし、手を合わせ、なんとか声を振り絞り続けました。

 その結果、今では「信仰とは、絶望の闇を破り、我が胸中に、生命の旭日を昇らせゆく力である」ということを心底から確信できるようになりました。

●境涯を開き、宿命を転換するカギとは

   埼玉県婦人部のブロック担当員会を翌日に控えた3月6日に、学会首脳部との懇談会で、かつての志木支部川越地区での伸一の御書講義が話題になりました。そこでは、「佐渡御書」や「聖人御難事」などの講義が次々と語られていきます。そのうち、「師子王の心」については、以下のように述べられています。(386-404頁)

   「広宣流布の道にあって、最も大切なものは勇気なんです。後輩の激励に行くにも、人びとに仏法を語っていくにも、法難に立ち向かっていくにも、根本の力は勇気です。いわば、勇気こそが、境涯を開き、宿命を転換するカギなんです。そして、その勇気の源泉が『師子王の心』です」(394頁)

 「『師子王の心』とは何か。日蓮大聖人の大精神であり、末法の一切衆生を救済していこうという御心です。そしてその仰せのままに、広宣流布に立たれた、牧口先生、戸田先生のご精神でもあります。(中略)   つまり、弟子が師匠と呼吸を合わせ、同じ決意に立ってこそ、何ものをも恐れぬ、勇敢な『師子王の心』を取り出していくことができるんです」(395頁)

     一歩前へ、足を出して歩いて友のところに行く。そして、一言前に声をだす、これだけのことも勇気あらばこそです。その〝一歩・一言〟が大きな結果を生み出すことに繋がります。やれない言い訳を自分で作ってしまうことは、「師子王の心」の芽を詰んでしまいます。「人の目はごまかせても、己心の師匠は、じっと一切を見ています」──ずっしりと響く一節です。(2023-1-26)が

 

 

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【103】新しい「民の世」の実現に向けて──小説『新・人間革命』第26巻「勇将」の章から考える/1-17

●源平の戦いの地から「平和」を発信

   厳寒の空に、微笑む星々が美しかった。静かに波音が響き、夜の帳が下りた海には、船の明かりが点々と瞬いていた。──この章の美しい印象的な書き出しです。1978年(昭和53年)1月19日の夕刻。香川県・庵治町にオープンしたばかりの四国研修道場に伸一はいました。源氏と平家の戦いで義経の勇気と英知が光った舞台になった屋島が見える地にあって、星の下で歴史を回顧するところから始まります。

 〝平氏、そして源氏は貴族の世に代わって武士の世を作った。しかし、民の世は、まだ遠かった。日蓮大聖人のご出現は、壇ノ浦の戦いから三十七年後である‥‥〟さらに伸一は、大聖人の「立正安国」について思いをめぐらし、次のように続けます。

【大聖人は、人間の生き方の基盤となり、活力の源泉となる宗教について、根本から問い直し、人びとの胸中に正法を打ち立てようと、折伏・弘教の戦いを起こされた。(中略)  多くの民衆が飢え、病に倒れ、苦悩している姿を目の当たりにして、仏法者として看過できなかったのである。まさに、『妙法の大良薬を以て一切衆生の無明の大病を治せん事疑いなきなり』(御書720頁)との大確信と大慈悲をもっての行動であった。それが、大聖人のご決意であり、そこに、仏法者の真の生き方の範がある】(213頁)

 昨年NHKの大河ドラマ『鎌倉殿の13人』は、まさに大聖人のご生誕(1222年)前の30数年を描いていました。あの凄惨な戦いを経て、武士の時代が確立し、そこから800年が経って今があります。日本の歴史はこの間、中世、近世の時代に国内各地で数えきれない内戦を経験し、明治維新以降の近代に入ってほぼ収束した後は、外国との戦いを繰り返し、ひとたび滅亡します。そして、米国占領下の7年の後、再興に向かうのです。

 以来、戦後社会に本格的な民主主義が取り入れられ、創価学会も再建されて、折伏・弘教の戦いが進んできました。大聖人が示された仏法者の模範が全国各地で示されるようになって、未だ70年余りぐらいしか経っていません。「日蓮仏法は激しすぎる」などといった批判をする向きもありますが、強く烈しい熱情なくして、〝新しい民の世〟は作り得ないと思うのです。未だ類例を見ない〝歴史創造の戦い〟は、これからさらに継続して続けられるのです。

●ハンセン病患者に寄り添った医師の戦い

  この後、同研修道場を擁する香川県庵治支部の長野栄太支部長と伸一との出会いが語られていきます。長野は、徳島大学医学部学生当時に、「ハンセン病で苦しむ人たちが多い国に渡って、患者を救いたい」との強い意思を伸一に直接披瀝していたのです。伸一は、決して焦らず、当面は基礎を固めることが大事だと助言していました。

 長野は、この時の伸一のアドバスをしっかり受け止め、やがて国立療養所大島青松園に赴任し、ハンセン病の治療に当たる一方、〝患者のために生涯を捧げたい〟との思いの実現に取り組みます。ハンセン病患者の皆さんへの、長野を始めとする地域学会員の励まし、交流が描かれていくところは、感動的です。(238-250頁)

 その流れの中で、「らい予防法」等が廃止され、1996年(平成8年)になってようやく隔離政策が改められたことが触れられていきます。元患者らが、国のハンセン病政策が基本的人権を侵害するものとして国家賠償を求め、熊本地裁に提訴しました。これが2001年(平成13年)5月に地裁が国に対して賠償を命じ、原告側の勝利となったのです。政府内には、これを不満として、控訴を主張しようとの動きもありました。

 しかし、時の厚生労働大臣の坂口力は、「法律面では、多くの問題があるが、人道面を優先させるべきだと強く訴え、これに小泉純一郎首相も同意して、控訴断念が決まったのです。この経緯を読み、改めて当時を思い起こします。あの頃、私は尊敬してやまない大先輩の坂口さんと一緒に国会で仕事をしていました。それを誇りに思います。

●同志のために苦労を厭うな

 四国からの帰途、関西・奈良に伸一は足を運び、「支部制」出発の集いになる幹部会に出席します。そこでは、懸命に決意を語る支部長代表の姿を見て、伸一は御宝前に供えられた鏡餅(直径50㌢、20㌔以上)を持ち上げて贈呈しようとします。思わず、助けようと手を出す沖本県長を遮り、1人で伸一は、お餅の粉でスーツが白くなるのも厭わず抱え運ぶのです。(307-308頁)

 【沖本は、伸一の行動から、リーダーの在り方を語る、師の声を聞いた思いがした。〝人を頼るな!自分が汚れることを厭うな!同志を大切にし、励ますのだ!それが学会の幹部じゃないか!沖本の五体に電撃のような感動が走った。】

 この県長のモデル奥本拓光さんも尊敬する先輩です。会うたびに温かい励ましを受けたことを思い出します。(2023-1-17)

 

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【102】「人類は共同体」との国際世論高めよう──『小説・新人間革命』第26巻「法旗」の章から考える/1-10

●指導部の闘いにあらためて奮起を誓う

 1978年(昭和53年)が明けました。伸一は、元旦の新年勤行会で、法華経寿量品の「毎自作是念」について、「奥底の一念に、常に何があるのか、何を思い、願い、祈っているのかが大事になるんです。そこに、自分の境涯が如実に現れます」と述べ、「日々、久遠の誓いに立ち返り、広布を願い、祈り、行動する一人ひとりであってください」と激励しました。このあと、静岡研修道場に向かい、翌日牧口園で50歳の誕生日を迎え、牧口先生や日蓮大聖人の壮絶な戦いを思い起こし、強い決意を固めて新年の出発をします。

 6日には「支部制」が発表され、それまでの総ブロック長が支部長へと変わることになります。ここでは学会伝統の支部の大事さが語られたあと、「指導部」のあり方について深い意義が触れられます。(123-127頁)

 「信心重厚にして経験豊富な、〝広布の宝〟ともいうべき指導部の皆さんが、会員一人ひとりに、こまやかな激励、指導の手を差し伸べていただきたいんです。指導部の皆さんとライン組織のリーダーが異体同心の団結を図ってこそ、広宣流布の組織は盤石なものとなるのであります」(124頁)

    今年の新年もはや明けて10日となりました。戦後77年の昨年、私は『77年の興亡』と題する本を出版しました。明治維新から敗戦、そしてコロナ禍と続く、77年目の大きな節目を実感したからですが、ウクライナ戦争が起こり、さらに大きな転換期を実感せざるを得ませんでした。その意味でも、歴史を画する新たな年2023年を懸命に生きようと、より一層強い祈りで新年をスタートしました。

 新年になり、同じ地域に住む壮年部の区幹部が新たに支部最前線の役職に就き、草創の決意で頑張るとのご挨拶を頂いたり、つい先日は東京・新宿区の壮年最高幹部から、夜遅く地域の同志の激励に歩いてきたとの電話をいただきもしました。「指導部」といえる皆の活躍を知って、私も決意を新たにしたしだいです。

●エドワード・ケネディ氏との会談

 1月12日にはアメリカの上院議員で、元大統領のJ・ケネディの弟であるエドワード・ケネディ氏が来訪し、伸一と会談しています。この時の会談で、同氏が政治には「道義の力」が必要だと述べたことに対して、伸一が次のように語り、応じていることが注目されます。(133-134頁)

 「大事なのは、人間の生命は等しく尊厳無比であるとの人間的価値観が、『道義』の根本をなすということです。ソ連の首脳も人民も人間です。中国の首脳も人民も人間です。その認識に立ち、『人類は、一つの共同体である』との国際世論を高めていくべきです。そこに、明確な目標を定めて挑戦していただきたいんです」

 この伸一の言葉を、今の時点で読むと、一段と深い意味合いを感じます。ロシアのウクライナ侵攻から始まった戦争で連日、悲惨な市民への戦禍が報じられています。ロシア兵の親たちも犠牲を蒙っています。第一義的にはプーチン氏の道義性が問われます。中国でも道義性が疑われる反人権的行為が取り沙汰され、台湾への武力攻撃も辞さぬ習近平氏の強権的姿勢が疑問視されています。一つ間違うと核戦争の悲劇が再来します。

 今ほど、「人類は、一つの共同体である」との国際世論が待望される時はありません。伸一はかつて、キューバ危機の時に、J・ケネディ大統領がソ連のフルシチョフ首相との間で、人類を絶望の淵から救う行動をしたことを高く評価しており、一度決まった直接会う機会を楽しみにしていました。しかし、日本の大物政治家の横槍で直前になってキャンセルにせざるを得なかったのは残念なことでした。

 世界から「道義性」の根幹をなす人間的価値観が吹き飛んでしまい、相互憎悪の連鎖が始まり、第三次世界大戦に繋がることが懸念されます。人類の叡智がいま試されているのです。

●退転者が出るのを恐れるな

 その後、伸一は1月16日から、愛媛県松山市に飛びます。そこでも、様々な出会いの中で、多種多様な激励、指導が繰り返されます。私が強く印象に残るのは、ある婦人が「私が弘教し、入会させたメンバーが退転してしまい、深く悔やんでいます」と語ったことに関連して、退転者の問題について語っているところです。

 竜の口の法難から佐渡流罪の時に、『千が九百九十九人は堕ちて候』(御書970頁)と、多くの門下が退転していきました。それを引用したのちに、こう激励されているのです。「仏の使いとしての使命を果たそうと、苦労して折伏をしたという事実は、永遠に生命に刻まれ、功徳の花を咲かせます。自身の幸せへの軌道は、間違いなく開かれているんです」(202頁)

 私が折伏し、一度は入会した友人たちも、その後退転していった者が少なくありません。三世の生命と捉えれば、また、この信仰に戻ってくると確信しています。(2023-1-10)

 

 

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【101】 「真剣勝負」の積み重ねと「精進行」──小説『新・人間革命』第26巻「厚田」の章から考える/1-4

●一人燃え立つところからすべては始まる

 山本伸一と妻の峯子は、1977年(昭和52年)9月30日、札幌市豊平区の札幌創価幼稚園を車で発ち、恩師・戸田城聖の故郷である厚田村(後の石狩市厚田区)を目指していました。そこには、師の名を冠した戸田記念墓地公園があり、この日は完成を祝う記念式典が予定されていたのです。冒頭、いわゆる「墓地問題」の経緯などと共に、創価学会初の墓地公園の所長に就いた伊藤順次の「厚田広布」の戦いが語られていきます。その中で、強く印象に残るのは、次のくだりです。

 【伊藤の心にあったのは〝厚田村は戸田先生の故郷であり、山本室長が、世界の広宣流布を誓った地である。その厚田村に、断じて仏法の光を注ぐのだ!〟との一点であった。〝師のために〟──そう思うと、挑戦の勇気が、無限の力が湧いた。一人立つ広宣流布の勇者がいれば、魂の炎は、一人、また一人と燃え広がり、明々と暗夜を照らし出す。一人立て!すべては一人から、自分自身から始まるのだ】(32頁)

    あらゆる戦いの勝利の源泉は、まず自分が一人立つことから始まると教えられてきました。その原理がここからは、読み取れます。ここは厚田という戸田先生有縁の地ですが、日本、世界いやこの地上すべて場所において、この原理が当て嵌まることが説かれているのが、この小説『新・人間革命』なのだと思います。

●絶望と思える戦いにも、粘り抜くことの大事さ

 さらに10月2日の午後、戸田講堂の食堂で行われた「北海道未来会」第4期の結成式で、伸一は、中学生、高校生の代表26人を前に、人生における極めて大切なことを次の様に、語っています。

 「人間にとって大事なことの一つは、〝粘り〟ということなんです。ある意味で、人生は、絶望との戦いであるといえるかもしれません。(中略)  人生の勝利の栄冠は、信心を根本に、執念に執念を尽くし、粘って粘って粘り抜き、自分の決めた道を歩んでいった人の頭上に輝くことを宣言しておきます」(59頁)

   決めた目標に向かって、諦めずに粘り抜くことの大事さを、ここでは力説されています。新しい年の開幕にあたって、それぞれ大きな目標を掲げて出発しました。これまで、私も幾たびも様々な目標を掲げ挑戦してきましたが、その積み重ねこそが〝自己実現〟であると確信して、今年も頑張ろうと決意しています。

●「一節でもいいから身で拝そう」

 伸一は北海道に滞在しているこの時(10月4日)に、『御義口伝』を研鑽御書とするように提案します。石狩川の渡船場で、同行していた北海道総合長の田原薫に対して、「『御義口伝』は難解かもしれない。それでも挑戦し、一節でもいいから、身で拝そうとしていくんです。すごい力になるよ」と。田原は、かつて学生部の代表に行われた『御義口伝』講義受講生だけに、伸一の「君たちは、創価新時代の令法久住の先駆なんだよ」の言葉が強く胸に響くのです。(99-100頁)

 「私も戸田先生にお仕えして以来、深く心に刻んできた『御義口伝』の一節がある。『一念に億劫の辛労を尽くせば本来無作の三身念念に起るなり所謂南無妙法蓮華経は精進行なり(御書790頁)の御文です。──ここには、一生成仏の要諦が説き明かされている。「本来無作の三身」とは、一言すれば、自身に具わった仏の大生命である。その大生命を、瞬間、瞬間、涌き出していくための要件とは、わが一念に「億劫の辛労」を尽くすことだ」

 ここにある「一念に億劫の辛労を尽くす」の一節は、幾度となく目にし、耳にしてきました。その都度、その大事さは分かりながらも、その実、いい加減に捉えてきたのではないかとの反省が私にはあります。ただ、その一方で、自分にとって絶体絶命に思えるピンチの時には億劫とまでは行かずとも、千万ぐらいの辛労を尽くしたことを思い起こします。

 「無数の辛労を一瞬に凝縮したような、全身全霊を傾けた仏道修行のなかに、仏の智慧と生命力が湧き上がってくるのである」との一文が分かった瞬間は私にもありました。ともかく真剣に、真一文字に課題解決に向かって立ち向かうことなんだと、今では思っています。「精進行なり」なんだなあ、と。

 昨年11月号の『大白蓮華』から「世界を照らす太陽の仏法」のタイトルで、池田先生の『御義口伝』講義が始まっています。これが最後だとの思いで、私も声を出して口読に挑戦しています。新年号では、「秘とは、きびしきなり、三千羅列なり」の一節について、「因果の理法は厳然です。ゆえに仏法は勝負です。善は善として、悪は悪として、必ずその真実が明らかになる。いな、断固として明らかにしていくのです」とあります。従来、私は善悪を分けて考えてきました。しかし、今回、一人の存在に同居しているケースもあるのではないか、と。我見の罠に陥らずに考え続けたいと思います。(2023-1-4)

 

 

 

 

 

 

 

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【100】人を見つけ育てることの大事さ──小説『新・人間革命』第25巻「人材城」の章から考える/12-25

●頭のなかにきざみつけること

 佐賀から、舞台は熊本へ。1977年(昭和52年)5月末のこと。伸一は、青年部の代表に対して、勉強すること、学ぶ姿勢について厳しい指摘をしたあと、学会の人材の要件とは何かについて、語っていきます。きっかけは、会館の由来が書かれた石碑文を、県青年部長が幾度かつまり、読み間違えたことでした。

 「碑文は事前に、よく読んで、しっかり、頭のなかにきざみつけておくんです。急に言われて、上がってしまったのかもしれないが、そういう努力、勉強が大事なんです。戸田先生の、青年に対する訓練は、本当に厳しかった。『勉強しない者は私の弟子ではない。私と話す資格もない』とさえ言われていた」(309頁)と。

 戸田先生の厳しい訓練は、池田先生が時に応じて、会長を含めてそばにいる幹部にされている様子を通じて、教えていただきました。また、最高幹部を経験した大先輩や聖教新聞社で池田先生から直接訓練を受けた同僚、仲間からも聞いてきました。その都度、そばにいて薫陶を受ける人は大変だなあ、と思ったものです。私は、先生の指導を聞き、勉強すること、本を読むことだけはせっせと積み重ねてきました。しかし、それがどれだけ身についているかと自問すると、疑問です。頭の中にきざみつけ、身体に覚えこませることは並大抵ではないと思います。生涯学習を続けていくしかないなと思うだけです。

 テレビでドラマを見るたびに、俳優が長いセリフを覚えていることに、感嘆します。また、スポーツの実況中継を見るにつけ、彼ら彼女らの身体に染み込んだ咄嗟の動きにも驚嘆します。いったい普通の人とどこが違うのか。弛まぬ練習、訓練の繰り返し、連続しかないと思い、老いの身は天を仰ぐのです。

●広宣流布の師弟の道に生き抜く人

     ついで、幹部との懇談会での様子が語られていきます。学会の人材の要件とは何かがテーマですが、根本的な要件として、〝労を惜しまず、広宣流布の師弟の道に生き抜く人〟とする一方、若い女性のあり方について、極めて大事なとらえ方が次のように示されていきます。

【かつて、女性は、幼い時は父母に従い、結婚してからは夫に従い、老いてからは子に従うべきであるとされていた。近代の女性たちは、そうした服従の綱を断ち、自立の道を歩もうとしてきた。(中略)  本当に一つ一つの物事を自分で考え、判断しているだろうか。周囲の意見や、流行、大勢などに従っていないか。それが、何をめざし、どこに向かっていくかを深く考えることもなく、ただ、みんなから遅れないように、外れないようにと、必死になって追いかけて、生きてはいないだろうか。】(316頁〜317頁)

    ここは、若い女性への指摘なのですが、年老いた世代が読むと違ったとらえ方をしてしまいます。前半については、近代以前は女性の立場は服従の側面が強かったといえましょう。私のような戦後第一世代は、しばしば民主主義の時代に、強くなったのは「女性と靴下」だと聞かされたものです。半ば揶揄ですが、今やすっかり遠い昔のことで、女性は強くなりました。しかし、まだ道半ばで「男女雇用機会均等」といっても、現実はまだ遠く、理想とは違います。

 後半部分は、女性というよりも、人間全体に言えると思われます。男も基本的には同じだと思えてなりません。自立していない男性も多いのです。私のような世代の男が集まると、結婚した時は嫁は妻だが、やがて妹から姉になり、さらに母親になり、そして看護師や介護師になるという風な言い方がしばしば聞かれます。半ば自嘲ですが、当たっているようにも思われます。高齢を迎えると、男女の関係が逆転するケースも多いようです。

●「裏込」こそ城の基盤

 熊本の代表幹部との懇談で、伸一は、多彩な人材の必要性を強調します。「人材とは、表に立って指揮をとる人のように考えてしまいがちだが、裏で黙々と頑張る人を見つけ、育てなければ、難攻不落の創価城は築けません」と、述べたあと、こう続けています。

 「堅牢な城の石垣は、表の大きな石の裏側に『裏込』といって、砕いた小石が、たくさん組み込まれているんです。この『裏込』が、石垣内部の排水を円滑にし、大雨から石垣を守る。表から見えないが、その役割は重要なんです。学会の組織にあっても、陰で頑張ってくださっている方々は、城でいえば『裏込』にあたります」(389頁)

   リーダーが、陰で頑張ってくれている人を心から尊敬して、大切にしてくれているか。それを〝自分のことを分かってもらえてる。有難いな〟と思って下さってこそ、力が発揮される──「人を見つけ、育てる」ことの大事さ。先輩に、見つけられ、讃えられ、励まされる。そしてまた、自分が後輩に同じことをする──この繰り返しから、揺るぎない堅固な組織が構築されていくことを改めて、学びました。(2022-12-25)

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【99】無理と諦めずに無我夢中の挑戦──小説『新・人間革命』第25巻「薫風」の章から考える/2022-12-18のあと

●個人会館は、弘教、発心、幸福、外交の城

 ついで、山口から九州に伸一は向かいました。この章は、北九州市、佐賀県での激励行が描かれていきます。時は、1977年(昭和52年)5月22日〜27日のこと。会合における「司会」のあり方から始まり、3人の歯科医学生への激励などが語られたあと、個人会館の重要性について触れられます。

 伸一は、峯子と共に小倉南区にある田部会館に向かう車中で、こう語ります。「個人会館は、いわば広宣流布という戦いの出城だ。人びとはそこで仏法の話を聞いて信心し、奮起し、人間革命、宿命転換の挑戦を開始していく。つまり、『弘教の城』であり、『発心の城』であり、『幸福の城』だ。またそこに集う同志の常識豊かで楽しそうな姿を見て周囲の人たちが、学会への理解を深めていく『外交の城』でもある」

 峯子は、笑みを浮かべながら「個人会館の果たす役割は、本当に大きなものがあります。また、会場を提供してくださる方のご苦労は、並々ならぬものがありますね。駐車や駐輪で近隣にご迷惑はかけていないか。会合の声が外に漏れていないか。皆さんの声が外に漏れていないか。皆さんの出入りの音がうるさくないか──と、気遣うことも本当に多いですしね。頭が下がります」と語っています。

    私の青年部時代の昭和50年代はまだまだ会館は少なく、私の妻の実家は中野区の閑静な住宅街にありましたが、ずっと会場として提供させて頂いていました。多い時は100人ほどの人々が出入りしていました。それなりに気遣ってはいましたが、ご近所にはさぞご迷惑だったろうと冷や汗かく思いです。その会場から数多くの人材が輩出されたことが何よりの喜びだと家族は語っていました。

●蒼蝿驥尾に附して万里を渡ってきた、との実感あり

    また、佐賀での懇談では、信心に励むうえで、最も大切な、極意は「師弟不ニ」にあるとしたあとに、次のように述べられています。「戸田先生は、不世出の、希有の大指導者だ。先生の一念は、広宣流布に貫かれている。その先生を人生の師と定め、先生の仰せ通りに、先生と共に、また、先生に代わって広宣流布の戦いを起こしていくんだ。(中略)  『立正安国論』に、「蒼蝿驥尾に附して万里を渡り」(御書26頁)という一節があるだろう。一匹のハエでも名馬の尾についていれば、万里を走ることができる。同じように、広宣流布の大師匠につききっていけば、自分では想像もしなかったような、素晴らしい境涯になれる」(280-281頁)

   ここは極めて大事なところに私には思えます。「先生の仰せ通りに、先生と共に、先生に代わって広宣流布の戦いを起こす」──これは普通の人間にとって、現実にはとても難しいことに思えます。ですが、そう決めてしまい、動くことをせずに、難しそうだからと最初から諦めてしまっては、事態は一歩も変わらず、「素晴らしい境涯」も望めません。

 大変でも、困難に見えていても、やろうと決めて祈って動くところから、名馬の尾についたハエになれることができるのだと確信します。ここでも「無我夢中」になることが大事だと思います。私自身の信仰体験でも、価値のない存在だったのに、遠くまでやってこれたようにしか思えないのは、結果を恐れず挑戦をしてきたからだとの実感があるのです。

●「創価」を貫く行動は「励まし」に次ぐ「励まし」

   佐賀文化会館の庭で伸一が会う人ごとに激励する場面が登場します。例えば、「何があっても、悠々と題目を唱え抜き、信心の炎を燃やし続けていくならば、どんな病にも、負けることは絶対にない。必ず幸せになれるんです!」なとといった情景の描写のあと、次のように書かれており、読むものの胸を打ちます。

 【もし、伸一の生涯を貫くものを一言で表現するなら、「広宣流布」であることは言うまでもない。さらに、彼を貫く行動を一言するなら、「励まし」にほかなるまい。出会った一人ひとりに、全精魂を注ぎ、満腔の期待と祈りを込めて激励し、生命を覚醒させていく──地味と言えば、これほど地味で目立たぬ作業はない。しかし、広宣流布は一人ひとりへの励ましによる、生命の開拓作業から始まるのだ。だから、伸一は必死であった。華やかな檜舞台に立つことなど、彼の眼中にはなかった。ただ、眼前の一人に、すべてを注ぎ尽くし、発心の光を送ろうと懸命であった。】(297-298頁)

   「励まし」につぐ「励まし」をされている池田先生の姿を見ました。かつ私自身も直接励ましを受けてきました。そのたびに、どんなに奮い立ったことでしょうか。それを今度は後輩たちや、仲間との交流のなかで、「励まし」をしようと決意し、実践をしてきました。また先輩や仲間から時に応じて励まされてもきました。このまごころの激励、励ましの応酬こそ、創価学会の凄さだと思えてなりません。(2022-12-17)

 

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【98】人生の総仕上げとはいかなる生き方か──小説『新・人間革命』第25巻「共戦」の章から考える/12-11

●山口開拓指導から20年の懇談会で

 「山口開拓」──こう呼ばれた山口県への指導(1956年10月、11月〜1957年1月)から20年が経っていました。伸一は、1977年(昭和52年)5月に山口文化会館の落成を記念する勤行会に出席しました。この章は、東京から関西・滋賀を経て、九州から山口に入った伸一の激励行が描かれていきます。三回にわたる「開拓指導」では、400世帯から4000世帯を超えるまでの大発展を遂げました。その戦いに触れられつつ懇談会が開かれます。

 そこでは、草創の同志たちに、人生の〝総仕上げ〟とはいかなる生き方を意味するのかについて語られているくだりが、深く印象に残ります。「第一に報恩感謝の思いで、命ある限り、広宣流布に生き抜き、信仰を完結することです」から「第二に、人生の総仕上げとは、それぞれが、幸福の実証を示していく時であるということです」「第三に、家庭にあっても、学会の組織にあっても、立派な広宣流布の後継者、後輩を残していくことです」まで、ユーモアを交えながら、極めて示唆に富む話が幾重にも展開されています。(149-160頁)

   ここからは計り知れないほどのヒントが得られます。例えば、戸田先生の「どこにいても、生きがいを感ずる境涯、どこにいても、生きている自体が楽しい、そういう境涯があるんです。腹のたつことがあっても、愉快に腹がたつ」との講演や、獄中からの牧口先生の「心ひとつで地獄にも楽しみがあります」と葉書の一節などが紹介されています。これらから、あらためて「境涯」というものの持つ意味を考えざるを得ません。

 昭和40年代半ばのこと。中野区鷺宮のとあるアパートの一室でひたぶるにいつもお題目を上げておられた80歳くらいの壮年がいました。楽しそうに、悠々とされたその喜びの表情が当時学生部員だった私の瞼に焼き付いています。と同時に、「豊かな『心の財』を得た幸福境涯というのは、内面的なものですが、それは表情にも、言動にも、人格にも表れます」(155頁)との言葉が思い起こされます。いつも難しい表情で、笑顔が乏しい自分の顔つきに恥じる気持が生じます。これではダメだと思いつつ、鏡に向かって作り笑いをする私なのです。

●世界広布の道がいかに険路であるか

 この後、山口市内の亀山公園のなかに宣教師フランシスコ・ザビエルの記念聖堂が立っていることを聞いた伸一は、かつて彼の書簡集を読んだことを思い起こします。そこから異郷の地での布教の厳しさが語られていきます。ザビエルの言動から、世界広布の道がいかに険路であるかが読むものに強く響くのです。(160-167頁)

   ザビエルの「説教にも、討論にも、最も激しい反対者であった者が、一番先に信者になった」との言葉や、後輩の宣教師への「あなたがたは全力を挙げてこの地の人びとから愛されるように努力しなさい」との助言が紹介されています。そして、恩師・戸田城聖から、伸一は「世界は広い。そこには苦悩にあえぐ民衆がいる。いまだ戦火に怯える子どもたちもいる。東洋に、そして、世界に、妙法の灯をともしていくんだ。この私に代わって」と託されたことが語られます。

 キリスト教の世界における布教がいかに凄まじい苦難のものであったかは、よく知られています。仏教でそうした歴史を持っているのは、日本発では創価学会SGIだけでしょう。宣教師や僧侶ではなく、普通の市民の手になる布教ゆえ、苦労の質も違います。先年、ヨーロッパを訪問した際に、ドイツ広布に後半生を捧げてきた壮年、婦人の日本人幹部に会いましたが、日本広布に比べてなお未だ草創期にあることを実感しました。

●「何があっても20年」を合言葉に

 さらに山口文化会館での勤行会で、伸一は20年前の当時を回顧しながら、こう訴えています。(175頁)

 「戸田先生は、よく『二十年間、その道一筋に歩んだ人は信用できるな』と言われた。二十年といえば、誕生したばかりの子どもが成人になる歳月です。信仰も、二十年間の弛まざる精進があれば、想像もできないほどの境涯になります。(中略) しかし、それには、人を頼むのではなく、〝自分が立つしかない〟と心に決め、日々、真剣に努力し、挑戦し抜いていくということが条件です。ともかく、『何があっても二十年』──これを一つの合言葉として、勇敢に前進していこうではありませんか!」と。

 私の信仰生活はやがて60年になります。自分自身の境涯を顧みれば、お寒い限りではありますが、この20年で、やり通したことといいますと、ネット上での「読書録」と、「政治評論」が挙げられます。まだまだ未熟ですが、それなりに努力してきたという自負はあります。20年前にはここまで続くとは思っていなかったのですが、「継続は力なり」を実感します。読者からの声が何よりの励みです。(2022-12-10)

 

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【97】大震災直後の執筆、掲載に深い意義──小説『新・人間革命』第25巻「福光」の章から考える/12-3

●「生涯青春」──もう一度草創期の思いで

 伸一は、1977年(昭和52年)3月11日に東京から福島に向かいます。新しく完成した福島文化会館の開館記念勤行会への出席が目的でした。ここで創価学会の組織、幹部のあり方に関する根源的な指導がなされていきます。ある意味で、この章は苦難、困難にどう立ち向かうかの観点から最も重要なことが書かれています。

 「人生で大事なのは、ラインの中心者を退いたあとなんです。その時に、〝自分の使命は終わったんだから、のんびりしよう〟などと考えてはいけません。そこから信心が破られてしまう。戦いはこれからですよ。(中略)  八十歳になろうが、九十歳になろうが、命ある限り戦い、人びとを励まし続けるんです。『生涯青春』でいくんですよ」(48頁)

   この章が聖教新聞紙上で連載が始まったのは2011年(平成23年)9月1日付けからです。その年には、あの東日本大震災が発生しました。その半年後に、最も被害が大きかった福島県について書かれた章なのです。「福光」のニ字に伸一の万感の思いが込められています。奇しくも34年前の「3-11」から書き起こされています。

 1995年(平成7年)の1月17日には阪神淡路大震災が起こっていました。あの日のことは兵庫県の人間として、命の底に焼き付いています。「大災害の時代」とも規定される今に生きる人間の宿命を感じつつ、「戦いはこれから」、「命ある限り戦い、人びとを励まし続ける」実践を誓うものです。伸一の「この7年間に何人の人に仏法を教えましたか」との問いかけに、1人も実らなかったと答えた草創の先輩幹部に対して、「もう一度草創期の思いで、戦いを起こしましょう」と呼びかけた逸話ほど胸に深く染み込むものはありません。

●「班十世帯の弘教」からの連想

 このあとも、草創期から戦ってきた2人の女性との様々な足跡が語られていきます。その中で、かつて彼女たちが所属していた文京支部の「班十世帯の弘教」にまつわるエピソードが胸を打ちます。これが提案されたのは昭和32年のことですが、当時支部長代理をしていた伸一によるものでした。この当時、戸田第二代会長が願業として掲げていた会員75万世帯の達成がもうひと息にまで迫っていました。

【〝この七十五万世帯達成の大闘争に加わるということは、広宣流布の前進に、燦然たる自身の足跡を刻むことになる。子々孫々までも誇り得る歴史となる。その意義は、どれほど大きく、尊いことであろうか‥‥〟そう思うと、一人でも多くの同志を、その戦列に加えたかった。そして、班十世帯の弘教を提案したのだ。特に、これまで折伏を実らせずにいた人や、新入会の同志などの、弘教の大歓喜の闘争史を創ってほしかったのである。】(59-60頁)

 これを読み、私が入会した昭和40年から4年の間に、次元は違いますが10世帯の個人折伏をしたことを連想します。姉から始まり母に至る4人の家族と、高校同期の仲間たち4人を含む10人です。その時の歓喜たるや、凄いものがありました。班長や班担当員さんが喜んでくれたものです。あれから50年余。我が胸中の闘争史は今もなお輝きは失っていませんが、新たな歴史を刻まねばと思うこと大なるものがあります。

●どんな状況にも壊されない〝心の財〟

 ついで、勤行会の後での代表幹部との懇談で、ある壮年幹部からの、常磐炭鉱の閉山で他の地域に移らねばならなくなるなどの厳しい生活状況に直面するメンバーをどう励ませばいいかとの質問を受けました。その際に伸一は、生活苦に喘ぐ同志たちに大事なアドバイスを渾身の思いを込めてしていきます。(85-90頁)

    「厳しい状況になればなるほど、磨き鍛えてきた生命という〝心の財〟は輝いていくんです。閉山だろうが、不況だろうが、〝心の財〟は壊されません。なくなりもしません。そして、〝心の財〟からすべてが築かれていきます。いわば、逆境とは、それぞれが、信心のすばらしさを立証する舞台といえます。人生の勝負は、これからです。最後に勝てばいいし、必ず勝てるのが信心です。苦闘している皆さん方に、『今の苦境を必ず乗り越えてください。必ず勝てます。勝利を待っております』と、お伝えください」(89-90頁)

 この箇所が掲載された当時の福島県に住む多くの人たちは、絶対絶命のピンチに立っていました。その際のこの伸一の伝言は、津波に家が押し流されようが、原発事故で住まいを奪われようが、〝心の財〟は壊されません、と響いたに違いありません。

 福島第一原発のあの事故から11年余り。岸田政権は、原発稼働へとこれまでの方針を切り替えようとしています。ウクライナ戦争の影響もあり、深刻な電力不足が背景にあるのでしょうが、安全未確認のままの原発回帰には反対です。今後の動向を注目したいと思います。(2022-12-3)

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【96】周りも遠くも照らしゆく存在に──小説『新・人間革命』第24巻「灯台」の章から考える/11-26

●「常識を大切に」との社会部での指導

    創価学会社会部──職場や職域を同じくするメンバーが、互いに信仰と人格を磨き合い成長することを目的に結成された部のことです。1973年(昭和48年)10月に、団地部、農村部(農漁光部)、専門部と共に、社会本部を形成するものとしてスタートしました。伸一は1977年(昭和52年)2月2日に東京での社会部の勤行集会に出席し、次のような激励をしています。

 「非常識な言動で、周囲の顰蹙を買う人を見ていると、そこには共通項があります。一瞬だけ激しく、華々しく信心に励むが、すぐに投げ出してしまう、いわゆる〝火の信心〟をしている人が多い。信仰の要諦は、大聖人が『受くるは・やすく持つはかたし・さる間・成仏は持つにあり』(御書1136頁)と仰せのように、持続にあります。職場、地域にあって、忍耐強く、信頼の輪を広げていく漸進的な歩みのなかに、広宣流布はある。いわば、常識ある振る舞いこそが、信心であることを知ってください」(302頁)

   この指導の前に、伸一は、日蓮仏法は人間のための宗教であるとした上で、皆を温かく包み込みながら幸せにしていくのが仏法者の生き方であることを力説。従来の日蓮教団が排他的、独善的で過激な集団であるととらえられてきたことの原因は、「仏法即社会」の視座の欠落がある、と述べられています。

 「仏法即社会」について、頭ではわかったつもりでも、振る舞いの上でわかったと言えるかどうかは疑問です。勤行、折伏、学会活動などを通じて、世間の人とは違うことをしているとの意識は知らず知らずのうちに芽生えがちです。社会の〝いわゆる常識〟を変えていくとの気構えが時に裏目にでてしまうといえましょう。私自身若かった日に、常識豊かな行動を心がけていましたが、妙なヒロイズムがあったかもしれないのです。

●自身の境涯革命の原理としての「三変土田」

   一方、第一回の「農村・団地部勤行集会」が同年2月に東京で開かれ、全国からメンバーが駆けつけます。伸一はそこでも懇談的に話を進めていきました。会長就任時の『水滸会』での語らいに触れられていますが、そこでの『三変土田』の法理が、深く印象に残ります。(354-363頁)

   【「三変土田」とは、法華経見宝塔品第十一で説かれた、娑婆世界等を仏国土へと変えていく変革の法理である。「三変」とは、三度にわたって変えたことであり、「土田」とは、土地、場所を意味している。】──このくだりから、4頁にわたって、縷々解説が加えられていきます。その後に【つまり、「三変土田」とは、生命の大変革のドラマであり、自身の境涯革命なのだ。自身の一念の転換が、国土の宿命を転換していく──この大確信を胸に、戸田城聖は、敗戦の焦土に、ただ一人たち、広宣流布の大闘争を展開していったのである。】と結論的に述べられるのです。

 かつて初信の頃に法華経全体がおとぎ話的に思え、宗教的限界に翻弄されることがありました。常識的にあり得ないことが書かれている、結局どの宗教も荒唐無稽さにおいて同じじゃないか、との考えに陥ったのです。しかし、幾度も読み、考えていく中で、これは比喩の極致であって、人間の内奥世界を描く一手法であることに気付きました。一念の転換が国土の宿命さえ転換するという原理を確信して突き進むことと、それを信じられずに怠惰なままの日常に甘んじて、なるようにしかならないと諦めることの差を感じ、前者に傾倒していったのです。

●「直達正観」という宇宙根源の法則

 さらに、伸一はここで、地域社会のパイオニアである農村部と団地部の友に、日蓮仏法の偉大さと仏道修行の要諦としての『直達正観』という宇宙根源の法則について、語っていきます。(365-366頁)

   「大聖人の御生命である御本尊を受持し、題目を唱えることによって、直ちに成仏へと至る、宇宙根源の法則です。深遠な生命哲理を裏付けとして、実践的には、極めて平易ななかに、一生成仏への真髄が示された、合理的な、全人類救済のための、大法なのであります」

 こう述べられた後に、テレビに譬えて、法華経以前の釈尊の仏法、法華経、天台の法門、大聖人の仏法を説明されているのです。つまり、ひとつひとつの部品→テレビの組み立て方を示し、全体像を明らかにした→それを理論的に体系づけた→テレビ自体としての御本尊を残された、と。「テレビを見るためには、スイッチをいれ、チャンネルを合わせなければならない。それが御本尊への信心であり、仏道修行です」と。k

 この見事な譬えを聞いたとき、確かにそうだと唸りました。途中の段階で迷い逡巡していても埒はあかない。テレビを見ることによる価値を享受した上で、そこに至る理論を学べばいい、と。この順序が逆になると、混乱するのが関の山だと分かったのです。(2022-11-26)

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【95】歴史を動かし変えていくのも人間──小説『新・人間革命』第24巻「人間教育」の章から考える/11-18

●自己の変革、生き方の転換がこれからの時代のテーマ

  新たな年1977年(昭和52年)が明けました。この年は座談会運動で魅力ある地区を作ることが目標とされ、伸一も先頭切って東京各区の勤行会などに出席し、仏法への大確信を訴えていきました。1月31日の女子部の会合では、21世紀にはどこに力点をおいて仏法を語っていくかについて、次のように述べています。

 まず、前提として、牧口初代会長の時代は、「価値論を立て、『罰』という反価値の現象に苦しまぬよう警鐘を鳴らすことに力点を置いた」し、戸田第二代会長の時代は、「広く庶民に、仏法の偉大さを知らしめるために、経済苦、病苦、家庭不和等の克服の道が仏法にあると訴え、御本尊の功徳を強調した」とあります。

 その上で、これからの時代は、【〝心を強くし、困難にも前向きに挑戦していく自分をつくる──つまり、人間革命こそ、人びとが、社会が、世界が求める、日蓮仏法、創価学会への期待ではないか!もちろん、経済苦や病苦などを解決していくためにも、人びとは仏法を求めていくであろうが、若い世代のテーマは、自己の変革、生き方の転換に、重点が置かれていくに違いない。つまり、『人間革命の時代』が来ているのだ〟】と強調しています。(205頁)

 1960年代から70年代にかけて、先進国を席巻したのは政治、経済への変革に向けての「社会革命」の嵐でした。ちょうどこの時代に青年期を過ごした私の周りの世代は、外なる世界を変えることに関心が集中していました。その時に、内なる世界の革命に向かって立ちあがろう、「社会革命」ではなく「人間革命」こそ優先されるべきだ、との創価学会の主張は、大いなる議論を巻き起こしていきました。

 あれから歳月が経って、人間変革を待望する流れは大きく強まってきました。一方で、旧態依然とした政治、政治家を変えていくこと、強まる経済格差の時代にどう立ち向かうかが問われています。腐敗した政治を変えるべく、創価学会は公明党を立ち上げて大衆の中に入っていきました。今再びそういう時がきていると思います。与党だから自民党を批判しないでいいということにはなりません。与党だからこそ、今の政治、経済に責任を持って大衆の悩みを聞く一方、喜び溢れる「座談会」にせねばと痛切に思います。

●青年教育者運動への思い

 ついで、この章では教育部の活動に焦点が移り、青年教育者に対する熱い思いが伝わってきます。第一回の青年教育者大会は、1975年(昭和50年)に開かれていましたが、この大会に伸一が寄せたメッセージには、烈々たる思いがほとばしっています。(244頁)

   「教育は、未来創造の、歴史の方向を決める地下水脈のようなものでありましょう。現在、行われている教育の姿に、未来の輪郭はあるといってよい。あえて言えば、深まりゆく危機の時代の突破口は教育にあり、と私は訴えたい。その意味で、皆さんの使命と責任は極めて大きいのであります」と。

 本日の創価学会創立記念日の聖教新聞1面に、アメリカの中学校の歴史の教科書に池田先生の言葉と写真が掲載されているとの記事が出ていました。「歴史は人を動かす。しかし、その歴史を動かし変えていくのも、人間なのである」と。2006年5月11日付けの英字紙「ジャパンタイムス」に掲載されたコラム「未来を創る力」から引用されたものです。古今東西の9人と併記されているのですが、あらためて、日本との違いを実感します。と共に、今に生きる門下生も全力で戦おうと決意する次第です。

●世界宗教の条件とは何か

 この章最後は、東京教育部第一回の勤行集会での懇談です。伸一はテーブルを前に出し、みんなは周りをぐるっと取り囲みました。宇宙旅行の話からキリスト教をめぐる話まで、話題は多岐にわたりましたが、私はそのうち宗教の世界性についてのくだりに注目します。(276頁)

 伸一は、キリスト教が普遍的な世界宗教として発展した理由は、「民族主義的な在り方や、化儀、戒律に縛られるのではなく、ギリシャ文化を吸収しながら、世界性を追求して行ったことにある」とした上で、「日蓮大聖人が『其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ』(御書1467頁)と仰せになっているのも、それぞれの地域の人びとの諸事情や文化を考慮し、仏法を弘むべきであるとのお考えの表明であるといってよい」とあります。

 キリスト教の神学者であり、創価学会の良き理解者でもある佐藤優さんは、その著『世界宗教の条件とは何か』の中で❶宗門との決別❷世界伝導化❸与党化──の3つを挙げています。この本は、未来を担う学生部の精鋭たちに語られた素晴らしい内容を持つものです。私も賛同する一人ですが、❸については誤解なきよう心する必要があると思います。与党化を当然とするところから退廃が始まりかねないからです。(2022-11-18)

 

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