いい映画は原作の小説もいいとは必ずしも言えない。が、あまりパッとしない小説は、映画もやっぱり良くないとは言えそう。この場合の良い、悪い、パッとするしないは、本人の主観だから、まあそうだろうと思う。三浦しをんの小説『舟を編む』は、かつて読んだときに、退屈だったというのが実感だった。畏友・井上義久(元公明党幹事長)が何かのコラムで随分褒めていたので、自分の見方に偏見があったかと思い改め、映画(監督・石井裕也)を観た。しかし、大筋私の印象は変わらず、やはり退屈な代物だった◆ただし、主役の松田龍平、宮崎あおいなどの俳優個人への興味はあったし、辞書を作るという作業の重みはそれなりに、いやそれ以上に感じられた。松田龍平を初めて映画で観たのは大島渚の『御法度』だった。新選組における男色という禁断の世界を描いたもので、映画そのものはあまり出来がいいとは思えなかったが、松田のクールな雰囲気だけはかなりインパクトが強かった。土方歳三役のビートたけしよりも遥かに。喜怒哀楽を殆ど出さぬ表情は特異なもので、『大渡海』なる辞書作りに青春を賭ける役どころははまっていた◆一方、宮崎あおいといえば、かの徳川末期から明治維新の激動期を描き名作との誉れ高かったNHK大河ドラマ『篤姫』を観て以来である。2008年22歳という史上最年少の若きヒロインが、この映画に登場したのは5年後。松田に合わせたような抑え気味の演技は妙に存在感があった。その彼女は今ほぼエンディングに入っている朝ドラの『らんまん』のナレーター、舞台回し役として、さらに10年後の37歳の今に姿を現したうえ、主人公・万太郎の祖母役と孫の二役の松坂慶子と、ダブル二役のご対面があったばかり。円熟味を増しきった先輩とこれからの後輩の共演は違う意味で見応えがあった◆辞書を作る作業は想像を絶する困難を伴うことは、新聞、雑誌作りにそれなりに関わった経歴を持つ私にはよく分かる。膨大な材料を文字通り「編む」作業は、一字一句たりとも間違いは許されない。そういう行為を10数年かけてやり遂げるという設定は、あだやおろそかには出来ない困難な営みだろう。ついこのほどたかだか70ページ足らずの小冊子『新たなる77年の興亡』を出版したばかりの私だが、その文章校正は「しんどかった」。書くも涙、語るもなみだの本作りであった。だが、本来はあれも、これも地味なしごと。それを活字で表現したり、映像で描写しようというのは、やっぱり面白いものではなく、「馴染まない」というのが私の結論である。(2023-9-28 一部修正)