今から60年ほど前に公開された映画『天国と地獄』(昭和38年)を初めて観た。週を跨いで、『野良犬』(昭和24年)『悪い奴ほどよく眠る』(昭和35年)と合わせて全部で3本立て続けで。いずれも黒澤明監督。三船敏郎主演である。断っておくがこのコンビの映画は大好きで、これまで時代劇の方は『7人の侍』『用心棒』『椿三十郎』『蜘蛛巣城』を始めとして殆ど観てきた。『隠し砦の三悪人』の助演女優・上原美佐(この一本で映画界から引退したと聞く)が大好きだというのは結構黒澤映画通だと自認しているのだがどうだろうか。なぜ半世紀もこの有名な映画3本を観ないまま放置してきたのか。単にテレビで取り上げてくれなかっただけ(いや取り上げていたかも知れないが、目に触れなかった)。他意はない。実は黒澤明、志村喬コンビの『生きる』は、2度ほど観た。最も好きな現代劇映画である◆冒頭に挙げた今回初めて観た3本のうち、一番面白かったのは『悪い奴〜』。結婚披露宴の場面から始まり、ウエディングケーキの7階部分の薔薇のマーキングやら、三船が西村晃を本当に窓から落とすかのような迫真の演技(西村はこの後、亡霊に悩まされて気が狂う役なのだが実にうまい)。黒澤プロダクション第一作ということで気合が入ったのだろうが、「公団汚職」で死に追いやられた「父親の復讐」を描いた。デュマの『モンテ・クリスト伯』を参考にしたというのだが、3本のうち、脚本担当に橋本忍が入ってたのがこの一作だけという点に私は目をつけたい。『天国と地獄』は、前半の誘拐事件の発端から導入部分と、後半の犯人探しからエンディングがプッツリ分かれてしまった印象が濃い。犯人役の山崎努と三船の数年後の出会いも間が抜けた感が否めない。観客はどうしても「怨恨」を誘拐の原因に期待してしまう。カタルシスを感じるからだろう。「地獄」の生活に喘ぐ自分から見て、「天国」の住人のような金持ちは許せぬとの「論理」は弱く映る◆ただし、『天国と地獄』での犯人が麻薬を手に入れるために民衆のダンスの乱舞風雑踏に紛れ込むシーンは、何だか『天井桟敷の人々』の最終場面を思い出させられ印象深い。加えて、麻薬の禁断症状にのたうち回る女を演じた役者は鬼気迫るものがあった。実際にヤクが欲しくて苦しむ人間を見て練習したに違いないと思わせる。これに比べて、『悪い奴』の方では、いかにも安物のロケでの大道具風の岩場に閉じ込められた志村喬の役どころが哀れに思えた。脚本展開では『悪い奴』が面白いが、細部の人の配置は『天国と地獄』が引きこまれる(画面の構図がみごと)。後半のオシャレな靴屋の前に佇む三船に、山崎がタバコの火を貸してくれと近づく場面には驚いた。ただ、三船の存在感が圧倒的な分だけ、いかにもとってつけた感がした。それにしても、昔の映画では男たちが圧倒的にタバコを吸うシーンが多い。禁煙が当たり前の今とは隔世の感がある◆小道具としてのタバコに加えて昭和の映画で欠かせないのが、扇子や団扇の類い。もちろん夏場限定だが、ともかく「暑いあつい」の言葉と、急に煽ぐ扇子の波が止まることでの舞台回しの展開が面白い。先に観た松本清張原作の『張込み』でも、冬に観ていても画面を通じて汗ばむ空気が伝わってくるかのようだった。昭和30年代初めから映画を劇場で観てきた者にとって、この3部作に登場する俳優はとても懐かしい。藤原釜足、千秋実、伊藤雄之助らお馴染みの特徴的な顔を数え上げればキリがない。「おもしろうてやがて悲しき鵜舟哉」(芭蕉)が思い浮かぶ。登場する2人の子役(島津雅彦と江木俊夫=共に昭和27年生まれ)を除いて、監督も役者も全員この世にもはやいない(だろう)というのはなんともはや寂しい。(2025-4-2)