【59】戦争の終え方にこころ揺さぶられる━━映画『日本のいちばん長い日』を観て/3-11

 『日本のいちばん長い日』━━昭和20年8月14日正午から翌15日の正午までの24時間。アジア・太平洋15年戦争(第二次世界大戦における大東亜戦争とも呼ばれる)の敗北・終戦が決定づけられた一日を描いた映像である。あれから80年が経った年に、1967年(昭和42年)と2015年(平成27年)に公開された新旧二本の映画を、改めて同じ日(3月10日)に続け様に観た。文藝春秋の編集者から作家になった半藤一利の同名の小説を原作に、前者は岡本喜八、後者は原田眞人が監督をした。両作品への評価は観る人によって様々に分かれようが、昭和20年11月に生まれ、今年80歳の私には圧倒的に前者のインパクトが強い。それはひとえに登場する〝俳優たちとのご縁〟に依る。三船敏郎演じる阿南惟幾陸軍大臣と、笠智衆扮する首相・鈴木貫太郎の、硬軟好対照をなす手だれのツートップの佇まいは、「戦争映画」の枠組みを超えて胸騒がせ感動させるのだ。前者へのそういう通俗的な捉え方に反発する向きが後者を誕生させたに違いない。漠たる印象でいえば、油絵と水彩画の違いと言えようか。個性強い濃い映像に、凡なる人間は惹きつけられる◆以下、印象に残る場面に触れる。ポツダム宣言受諾を拒み続ける強硬な陸軍内部の意向を表明せざるを得なかった阿南が、ひと段落がついたのちに「ご迷惑をかけた」と鈴木に詫びるシーンが第一だ。別れたのちに老宰相が「阿南は暇乞いに来たのだ」と呟くくだりはグッときた。その流れの先に、阿南が割腹自決する場面が続く。ここでは瞬時東条英機の銃弾による自死未遂事件が頭をよぎるのは如何ともしがたい。日本人の「死生観の原点」とでもいうべき感情が湧き起こる。次に、戦争終焉が間近に迫っているのに、なお徹底抗戦を続ける動きは、「2-26事件」を惹起させ、いかにも切ない。天皇の玉音放送の録音盤捜索をめぐる映像はいささか執拗に過ぎる。戦争終結に最後まで抵抗する態度を取り続けた厚木空軍基地の場面も忘れがたい。自爆飛行に飛び立つ航空機に日の丸旗を振りつつ見送る子どもたちとその背後から聞こえてくる「予科練の歌」には、虚しさが頂点に達する。最後の最後まで本土決戦を呼びかけることで、武人の意地を見せようと、馬上からビラを撒き続ける兵士とそれを拾い上げる浮浪児たちのラストシーンはパロディだった◆観終えて、心に迫りくるのは私好みの脚本家・橋本忍と岡本喜八監督の〝シリアスさ二重奏〟であろうか。数々の名作を生み出した橋本と岡本の〝個性的映画の二枚看板〟のしたたかな技巧に唸る。私のような世代からみると、惨殺される近衛師団長役の島田正吾や情報相を演じた志村喬、米内光政海軍相役の山村聰などなど、一人ひとりの役者の放つオーラに目眩む思いがしたというのは大袈裟だろうか。ただ、天皇の実像を徹して伏せたのは、戦後20年余における天皇在世当時としてはやむを得ないものだったろうが、40年経った今からみると、主役不在の感否めず違和感が漂う。この点に限っていえば、後者の本木雅弘演じる天皇の存在感は胸迫るものがあった。なお、リメイク版の映画で阿南役を演じた役所広司は私の好きな俳優だが、直近にみた『PERFECT  DAYS』の公衆トイレ清掃員のイメージが強過ぎた◆さて、戦争が何はともあれ幕を閉じて━━ソ連の理不尽な侵攻は日本人として忘れ得ぬ卑劣さが残るものの━━80年後の今日の国際情勢をどうみるかに視線を転じたい。まずはロシアという国家の狡猾さと、戦争終結の困難さである。ウクライナにしてみれば、あたかも白昼堂々無惨にも押し入られた強盗殺人犯にそのまま居座られるような形では終わらせたくないと思うのは当然過ぎる。しかし、現実はそう簡単ではない。このまま戦争状態が続けば更なる犠牲者が増える。かつての日本が原爆2発を広島、長崎に落とされるまで、奈落の底にある自己を自覚出来ず、ズルズルと地獄の淵に落ち至ったことを思い起こす必要がある。もちろん、ことの次第が違い過ぎる。しかし、勝手に侵攻してきた傍若無人の相手に屈服することは許せないとの感情論だけでは持たない。ここは、知恵の限りを尽くしてひとたびは後退しても、のちのちの復興、興隆に賭ける必要があろう。戦争の因果、経緯は全く違うものの、日本やベトナムの歴史には、壮絶な戦争を経験したのちに見事に復興したことが見て取れる。このことが持つ意味をウクライナも考えるしかないように思われる。(敬称略2025-3-12)

 

 

 

Leave a Comment

Filed under 未分類

【58】したたかなユダヤ民族の淵源━━『ディファイアンス』(果敢な抵抗)/3-3

 第二次大戦末期。ナチス・ドイツ占領下でのポーランド(現ベラルーシ西部)におけるユダヤ人の戦いを描いた小説『ディファイアンス ヒトラーと闘った3兄弟』が原作。実話に基づいたものだとされる。映画のキャッチコピーは『人間として生きるための〔抵抗〕だった」。現在のベラルーシ西部の森の中に隠れ潜み、ナチスの捜索、攻撃に徹底して戦った経緯が描かれる。様々な人々が合流していく途上での軋轢、葛藤が観るものを惹きつける。最後まで観ると、登場人物たちのその後が字幕に映し出される。無事生き延びた人たちがいたとの経過にほっとする。ユダヤ人についてはナチスにやられ放題だったとの印象が濃かった。そのくせ、昨今のイスラエルの強国ぶりとのイメージギャップに戸惑いもあったが、これを観てその溝が埋まり、したたかな民族の淵源が分かったような気がする◆この映画を観ながら戦争(戦闘)の起こる場所としての森の役割を考えた。森は平地と違って人が身を隠すのにうってつけである。そう考えていく中で、我々世代の青年期に世界を震撼させたベトナム戦争を思い起こさざるを得ない。遠く離れたアメリカ大陸から空路飛び至たった米海兵隊員たち━━米国は、共産主義によるドミノ倒しを恐れて、南ベトナムに傀儡政権を擁立し、北に向けて侵攻をし続けた。先日NHKテレビで放映されたバタフライ・エフェクト『ベトナム 勝利の代償』では、ホー・チ・ミンとヴォー・グェン・ザップの両軍事戦略家に率いられた「ベトコン」の神出鬼没、変幻自在の戦いぶりが圧巻だった。長きにわたる苦闘の末にベトナムの勝利を可能にしたのは密林であり、森林だったように思われる。森の中にまさに蟻の道のように張り巡らせた地下壕や地下道を自在に使って出没した兵士たちの必死の献身こそ大国アメリカを翻弄しまくった。勿論、その犠牲はこれまた異郷の地からの想像を遥かに超える。「平和の代償」は限りなく血塗られたものだったのである◆一方、21世紀初頭に起こったイラク戦争は、砂漠の多い地における戦争だった。ここでも遥か彼方から降りきたった米海兵隊は灼熱のもと砂の嵐に悩まされ続けた。ベトナムほどに人間の抵抗は強くなかったかのように思われるが、大自然の要塞が防御するイラク兵に味方した側面は強い。イラク戦争の少し前に終焉を迎えたアフガン戦争も岩石や砂地といった自然の要塞を巧みに活かしたアフガン民族兵たちの粘りによって、ソ連(現・ロシア)軍やアメリカ軍の侵攻を跳ね返した。他方、2025年ただいまの時点で、4年目に入ったウクライナ戦争と、3年目に入ろうとするガザ戦争は、ともに隣り合わせた国家、民族の戦いである。遠来の異国軍の介入と違って隣国同士のいさかいは、勝手知ったる土地勘や気候風土もあって、解決が難しい側面が強いかのように思える◆さて、第二次大戦が幕を閉じてから80年。標題の映画が描いたのは、ドイツに20世紀半ばに現れた特殊な政党・ナチスによる狙い撃ちの狂気に抵抗するユダヤ人たちの姿だった。欧州各地での地獄のユダヤ人狩り、ジェノサイド(皆殺し)に、なすところなく犠牲になったように私などは見がちであった。しかし、そんなひ弱な民族ではないことがこの1世紀近い歳月が証明して見せた。ガザでの戦闘を見れば、ユダヤ人たちがいかにしたたかで粘り強く、自国自民族を守るためには、隣国他民族の殺戮をも厭わない強者であることが明白になった。一方で、4年目に突入したウクライナ戦争も停戦の兆しが未だ見えない。ロシアと踵を接する辺りがいかなる地形かは詳らかにしないが、ベトナムやイラクでの戦いに比べて隣り合わせに住む人間同士の殺し合いとあって、より悲惨さが募る。トランプ大統領の傍若無人ぶりの所作振る舞いには呆れるものの、全否定しづらい側面もなしとしない。21世紀も四分の一の時間が過ぎ、前世紀の反省から期待された道が遠のき「生命否定の世紀」になろうとしているのは悔しく情けないばかりである。(2025-3-6 一部修正)

 

Leave a Comment

Filed under 未分類

【57】「原爆の父」の映画に抜け落ちた生命観━━『オッペンハイマー』を観て/2-25

 2年前のこと。人類史上初めて投下された原子爆弾を作った男とその仲間たちの物語の映画が米日双方で話題になった。原作はカイ・バードがピューリッツア賞を受賞した『「原爆の父」と呼ばれた男の栄光と悲劇』。映画はクリストファー・ノーマンが監督した『オッペンハイマー』。その人物とは、著名な原子核物理学者で、マンハッタン計画と呼ばれた原爆開発プロジェクトを主導すべく任を与えられたロバート・オッペンハイマーである。先の大戦の終盤にあって、ヨーロッパ・エリアに吹き荒れたナチス・ドイツの猛威と、東アジアからアジア全域を襲った日本軍国主義の脅威をどう収束させるかがすべてだった。原爆完成の瞬間の喜びの声はこれで戦争が終わり、米兵たちが家に帰ることが出来るからと見られた。被爆国日本の視点は、広島と長崎で20万人を超える人々がなぜあのような地獄を味合わねばならなかったのかの一点であった。両者の目線は全く違う。公開から2年が経って、核戦争の脅威が一段と厳しさを増す中で観ると、この映画は、「原爆の父の光と影」を追ってはいるが、それだけに過ぎないことに強い不満を抱く。人間の生命の重大さへの感性の描写が欠落していること、に◆当時、ドイツやソ連も原爆開発に躍起となっているとの情報もあり、壮絶な〝一番乗り競争〟の最中であった。この映画ではそうした背景のもとで、原爆が作られ、現実に日本の広島、長崎に落とされた惨劇を勝利と喜んだ情景と、その後彼が共産主義者に見立てられ、赤狩り(マッカーシズム)の対象になって、〝栄誉を剥奪〟される場面が交互に描写される。「栄光」はカラーで、「悲劇」の方は白黒でと、フィルム映像が使い分けられるものの、早いテンポで展開する人間群像の真実を見抜くのは中々容易ではない。劇場で見損なった(気乗りがしなかった)私は、つい先日ようやくビデオで観た。2回観たが、正直理解するのに時間がかかった。映画で印象に残ったのは、突然感の強いオッペンハイマーが不倫をするベッドシーンと、彼がのべつまくなくタバコを口にしていたこと。後年咽喉ガンで死んだオッペンハイマーの死因との関連に思いが至った。オッペンハイマーの加害者としての「慚愧の思い」と、核拡大阻止への「罪滅ぼし」を目のあたりにして、湧き上がる「今更感」は複雑である◆この映画の背景には、ドイツと日本のファシズムと、ソ連のコミュニズムという2種類の全体主義への恐怖があり、それを抑える米国の使命感の高揚は伝わってくる。しかし、その一方で、人間の「生命」というものを思いやる視点は全く感じられない。原爆投下で亡くなった人々の数やどんな状況で死を迎えたかの一端は「言葉」ではあっても、「映像」はゼロに等しい。いかに非人間的な殺戮兵器を作ったのか。戦争を終わらせるとの目的のために(ドイツでも日本でもどちらでもよかった)かくほどまでの残虐な行為がなされる必要はあったのか。そこまで思考の輪を広げていった上で、科学者の影の部分に光を当て、戦争の無意味さをついておれば、単なる個人の悲劇を描いたものを大きく超える意味合いを持つ映画になったのにと、惜しまれる◆偶々、先の大戦における敗者・日本の戦争責任を追及する「東京裁判」において、たったひとり「日本無罪論」を主張したインドのパール判事の主張を思い起こした。小説『人間革命』第3巻「宣告」の章で著者の池田大作先生の描く同判事の〝たった一人の反乱〟は強く胸に迫る。それによると、パール判事は「検察側のいう全面的共同謀議は、被告らにはなかった」と説く。なぜなら「日本の被告たちは、二八年(昭和3年)から四五年(同二十年)の敗戦まで、十七代の内閣が交代した十数年の間に、次々と国政の舞台に登場したのであって、ナチスのような共同謀議に参画していたと、直接、証明される証拠は一つもない」と、ナチス・ドイツとの違いを明確に述べているのだ。しかも、太平洋戦争において、「(ドイツが行った)常軌を逸した殺戮命令」に近いものは、「連合国によってなされた原子爆弾使用の決定である。この悲惨な決定に対する判決は後世が下すであろう」と、アメリカ大統領らの原爆投下決定を厳しく糾弾している。勿論のことだが、このようなパール判事の主張は「日本の太平洋戦争を、いささかも肯定しているものではない」と、池田先生は注意を喚起していることも、忘れられてはならない。こう言った視点がこの映画に挿入されていればと、ついないものねだりをしてしまうのは私だけだろうか。これから20年後の戦争終結百年ぐらいまでには、原爆投下の無意味さと残虐さを描く、日米合作の映画が待たれる。(2025-2-26   一部修正)

Leave a Comment

Filed under 未分類

【56】思わせぶり満載で楽しさ一杯━━『或る夜の出来事』を観て/2-17

 見終えて3週間ほど経つが、今も記憶に鮮明に残る。実に面白かった。フランク・キャプラ監督の手になる爽やかな喜劇である。米国では「スクリューボール・コメディ」と呼ばれるジャンルに属すそうな。要するにドタバタでなく、ひねりが幾重にもあってためになる楽しい映画ということか。苦しいことのみ多く、楽しいことがなさそうな石破茂さんに見せてあげたい。前回取り上げた同じ監督による『スミス都へ行く』と併せて彼にいま見せると、喜ぶことうけあい(だろうと思う)。父親が嫌う男を好きになって結婚をしようとする娘。どこにでもある話だが、この親父がめちゃくちゃ大金持ちで、娘がとことんじゃじゃウマだと少し様子が違ってこよう。親父お抱えの船の中で娘は軟禁状態だったのだが、咄嗟に海に飛び込んで逃げ出す、てなところから話は始まるのだ◆この娘の逃避行に絡んでくるのが、編集長から「クビだ」と罵倒された、粋メンだけどヘンチクリンな新聞記者。この2人、ニューヨーク行きのバスの中で偶々一緒に乗り合わせる。娘の失踪に多額の懸賞金がかかったこともあり、記者はこの家出話の一部始終を書こうとの下心あってか、何かと世話を焼く。娘は当初、徹頭徹尾避け通そうとするが、やがて、という筋立て。その旅の途上であれこれと気を揉ませるシーンが続出するってしだい。道中、相席の男客からうるさく絡まれ難渋している娘を、「人の女房になにをする」とばかりに助けを買ってでる場面や、長い車中での〝暇つぶし的歌合戦風シーン〟など見応えたっぷり。ちょっと離れたところには航空機、近場は車が通り相場で、列車は勿論のこと、長距離バスも殆ど馴染まない米国での珍しい光景が続く◆この記者を演じるのがクラーク・ゲーブル。家出娘役はクローデット・コルベール。ゲーブルといえば、『風と共に去りぬ』が忘れがたい。あの映画でも、ビビアン・リー扮する稀代まれな(と思える)ジャジャウマ娘を相手にしていた。この役者は、はみ出し女をコントロールする役回りがうってつけのように見える。一方、記者役で思い出すのは『ローマの休日』で、堅苦しい一行から抜け出した王女と一日付き合うグレゴリー・ペックである。大富豪の娘と王家の娘を扱い、その顛末を記事にしようとするところも、この2つの映画はおんなじ。いやそれどころか、男ものパジャマを女が身につけるシーンなどなど、細かい場面で似てる場面が色々と出て来る。比べてみるのも映画の味わい、見どころかもしれない◆もう一つ、この映画で印象深いのは、「ジェリコ(エリコとも)の壁」の登場である。身知らぬ関係の若い男女が一つ部屋で夜を過ごす羽目になって、さてどうなるか。この映画で、ゲーブルがコルベールと同宿することになって、2人のベッドの間にロープを吊るし、毛布をかけて仕切りながら、ジェリコの壁云々と口にする。これは旧約聖書のヨシュア記に由来する伝説の一つで、キリスト教的世界ではしばしば使われる話とのことだが、難攻不落の城=壁を意味する。ラストシーンで、角笛が鳴る云々とのセリフが聞こえるが、それによって壁が崩れるという算段である。こう読んでもわからんという向きは、ものの本ならぬネットで調べて頂くしかない。この映画が発端なのかどうか。以前に見た映画でも同じようなシーンがあったような。漱石の小説『三四郎』にもあった(この場合は畳の上での境界)ぞ、という風に。ひらひらと我が記憶は飛び回るのだが。それがどうしたと言われそうなので、ここらあたりで止めておく。ともあれ、フランク・キャプラはすごい。彼の主な作品で未だ見ぬ『オペラハット』を早く見てみたい気持ちで今はいっぱいだ。(2025-2-18)

Leave a Comment

Filed under 未分類

【55】あれこれと夢想を呼び寄せるリアルさ━━『スミス都へ行く』を観る/2-10

 この映画を政治家一年生に見せたらいい。心底そう思う。実はちょうど今、私の友人である小説家の高嶋哲夫さんが、いじめを根絶するために、自身の書いた小説『ダーティー・ユー』(米国からの帰国少年が友と自身へのいじめと闘う物語)を映画化して、日本中の子どもたちに見せ、いじめを根絶する運動を展開しようとしている。それもいいが、政治家の資質が問われている現在の社会・政治情勢の中で、この映画を必見のものとすれば、相当程度に影響が強いと思われるが、どうだろうか。1939年(昭和14年)に作られ公開された『スミス都へ行く』の詳しいあらすじは、いわゆる「解説」に譲る。要するに、地方選出の新人議員が中央の議会で、子どもたちのために故郷の森にキャンプ場を作ることを巡って、古参政治家や新聞社を経営する資産家と闘うとの筋書きである。議会の成り立ちさえ知らない初々しい議員が、ベテラン美人秘書の手取り足とりの助けの元に、活躍する展開は現実にはあり得ないとの思いがわだかまる。だが、それを上回る面白さが圧倒するのだ。典型的な勧善懲悪ものだが、既存のエスタブリッシュメントを、ひとしなみにでっぷりと太った俳優ばかりを当て、のっぽの痩せ型のスミスと対比させたり、議長役のここぞとばかりに見せる微笑みなど役者の細部の演技力が抜群に効果を発揮しているように思われる◆この映画の主人公はもちろんジェームズ・スチュアートである。その昔の西部劇『リバティ・バランスを射った男』が妙に印象に残っており、私はファンである。ここでも彼は上院議員の役を演じていたが、誠実そのものの風貌に好感が持てる。私生活でもスキャンダルとは無縁で、生涯ひとりの女性と添い遂げたそうだ。スターの座に定着するきっかけになったのが、このスミス役だが、この映画での重要な役割を果たすのは実はキャンプ場の完成を待望するボーイスカウトの子どもたちだ。そして、もう一つ興味を惹かれたのは議場における子どもたちの存在である。プロ野球の球場におけるボールボーイの役回りと同じように、いやそれ以上に議員の世話を焼き、かいがいしく動く姿が見えて、強い関心を抱かせる。米国の議会政治の上で、実際にそうだったのかは定かではないが、重要なアイデアだと思われる。日本でも国会に子どもを導入すればいいのになどと、つい夢想してしまう◆勿論、この映画で骨格をなすのは、スミスが演説をし続けて、自身の主張を述べるくだりである。このシーンを観ていて、私の現役時代に立憲民主党の枝野幸男議員が延々と演説をした場面が思い出された。聞いてる方はひたすら退屈で眠気を催すばかりではあったが、長演説をやってのけた彼への畏敬の念は今も残っている(彼は、2018年8月に安倍内閣への不信任決議に際して、2時間43分に及ぶ史上最長演説をしているが、これは直接私は聞いていない)。政治家に求められる資質の中でも、演説力は最たるものに違いない。尤も、現実には、聞いていて興味をぐんと惹かせる名演説はそうザラにはない。個人的には、1995年4月に石原慎太郎氏が衆議院議員在職25年の表彰を受けての演説の最後に、「これにて議員を辞職する」と突然表明したものが印象深い。尤もこれは中身よりも「意外性」に打たれたものかもしれない。(彼は、その後18年経って国会に復帰して、2013年2月に、〝暴走老人〟の「国民への遺言」と自称する演説をしたが、これも直接は聞いていない)◆映画を論じてきたつもりが、横道に逸れてしまった。1939年(昭和14年)にこういう映画を作るって、凄いことだと改めて痛感する。この年に日本で公開された邦画は、『土と兵隊』『春雷』などで、米国での『風と共に去りぬ』『駅馬車』『スミス都へ行く』と比べると愕然とする。三作とも今もなお名作として燦然と輝く。敗戦後に、日本の科学技術力が米国に比べて劣っていたから負けたのだとの議論が多かったが、それもさることながら、文化芸術の分野でも大きく遅れていたことは歴然としていよう。戦後の勃興期に日本においても数多の名作が登場したものの、今80年が経って、今ふたたび遅れた映画界の惨状が話題になっているのは無念だ。そんな中で、真田広之が製作し主演した米のテレビドラマ『SHOGUN 将軍』が脚光を浴びている。これは、日本における過去のキャリアを全て捨てて、ハリウッドにおいて一から出直す〝修行〟をした彼の真っ正直な生き方がもたらしたものであろう。先日ある評論家の克明な解説をテレビで見聞きして深い感銘を受けた。真のプロフェッショナルとは何かを知った思いがする。こういう営みが日本映画の今後にどう影響を与えるか注視していきたい。(2025-2-10)

Leave a Comment

Filed under 未分類

【54】「戦後80年の闇」を切り裂く光線━━『ラーゲリより愛を込めて』を観て/2-2

この映画が公開されたのは2022年。「懐かしのシネマ」で取り上げるには最近のもの過ぎて、相応しくないかもしれない。ただ、テーマそのものは、先の大戦後にソ連・シベリアに抑留された日本兵の物語だから、十分に「懐かしい映画」ではある。この映画が世間であれこれ話題になっていた頃、たまたま私はシベリア抑留者に関わる団体との繋がりができて、それこそ懐かしい〝昔馴染みの関係者〟と出会う機会があった。そこでの議論を交わすにつれて、この映画の存在や評判を聞き、ぜひ観たいとの思いが募っていった。ところが巷間上映中にはうまくタイミングが合わず、ようやく2年ほどが経った今頃になって観ることができた。今どきの俳優、つまり戦争を知らない子供たちを親に持つ若い世代が演じる戦争映画を観て、思うことは多い。映画の前半から中盤にかけての収容所内部のお話は、いささか定番過ぎるように私には思えて、あまり気が乗らなかった。だが、終盤は俄然惹き込まれた。観終えて深く印象に残る場面もあり、大いに充足感を感じている◆この映画は辺見じゅんによる『収容所からきた遺書』なるノンフィクション小説を原作とする。第二次世界大戦に日本が中国東北部(旧満州地域)を足がかりに参戦する中で、満洲鉄道の調査部に勤めていた山本幡男(二宮和也)も招集され、兵士となる。戦争終結の流れの中で、土壇場で対日戦に参戦したソ連軍は、山本一家が住むハルピンをも戦火に巻き込む。妻もじみ(北川景子)と4人の子供たちは戦乱の中を辛うじて逃げるものの、幡男はソ連軍の捕虜になってしまう。やがてシベリアに送られるのだが、ロシア語の出来る彼は収容所の中でも特異な役割を果たす。幡男は仲間たちを励ましながら、妻との別れ際に「必ず帰国するから」との力強い言葉を発した自らの約束を支えに生きる。零下40度を超える極寒の中での強制労働にも耐え抜く。しかし、ついに咽喉ガンを発病。病床に臥し、余命幾許も無いことを伝えられ、ベッドの上で遺書を書く、といった筋書きで、終盤を迎える。この辺りまでの推移は激しい戦闘や、拷問など見慣れたものにとって、物足りなさを感じるような、どちらかといえば平凡な展開に感じたのだが、彼が死んで、仲間たちが帰国したくだりで一挙に急展開する◆遺書を日本に持ち帰ろうとしても、ソ連側に取り上げられる恐れがあった。仲間たちは、遺書を4つに分けてそれぞれが文面を記憶し、再現するという手立てを考える。この着想が凄い。仲間たちの深い情愛に打たれる。記憶に落とし込み頭脳に刻印されたものが帰国後に再現され幡男の妻に届けられた際の感動は胸を打つ。かつて大震災によって全てを失った人がインタビューを受けて語っていた言葉が思い出された。震災と津波によって家財道具など、ありとあらゆるものを流されてしまったが、身につけた踊りだけは忘れません、と。人間の習得した作法、習慣、躾がいかに貴重であるかを思い知ったものである。人間は何でも溜め込み、抱え込むものの、記憶に刻み、身に覚え込ませたものほど強いものはない◆シベリア抑留所問題ほど理不尽で残酷なものはない。私がいつも観るNHKテレビの『バタフライエフェクト』は、世界の歴史における様々な出来事を丁寧に伝えてくれるドキュメンタリー映像だが、戦争の負の連鎖はやりきれない。シベリア収容所問題もそのうち登場するだろうが、この映画のような心温まるエピソードの映画化もいい。今年は戦後80年の区切りであり、戦後処理で積み残された未解決の問題が山積しているだけに、これからの動きも活発になるに違いない。私の友人に、父親がソ連の捕虜になった人がいる。当時のソ連は、捕虜を赤化する、つまり共産主義で洗脳する試みを組織的にやったとされる。一方、その実態を突き止めようと、米国は終戦後シベリア抑留帰国兵たちを躍起になって調査した。その辺りの事実関係を解き明かしたいとの強い意思を、その友人は持っている。こうしたことを知るにつけて、戦後は全く終わっていないとの思いを強く抱かざるを得ない。この映画からの連想も果てしなく広がりゆく。(2025-2-2)

 

Leave a Comment

Filed under 未分類

【53】米国南部社会の過去と今に思い馳せる━━映画『風と共に去りぬ』を観て/1-26

 南北戦争時代のアメリカ南部を舞台にしたこの映画は1939年(昭和14年)の制作。映画史上燦然と輝く名作である。比類なき映像の美しさと共に、ヴィヴィアン・リーとクラーク・ゲーブルの名優2人の絡み合いが最後まで気を揉ませ、映画の醍醐味を存分に味わえる長編大作だ。Gone with the Wind という英題は、古き良き南部が風と共に消え去ったとの意が込められたものだという。マーガレット・ミッチェルの原作が世に出たころを経て2025年のいまを考えると、「南北分断」の再来のように思われ、感慨深い。かの戦争は150年ほど前のことで、まさに米国を二分する内乱だった。トランプ大統領が再登場した今はまた、共和党と民主党との政争というより、「トランプか反トランプか」の争いで、国家分裂の事態すら起こりかねない様相である。その意味では、映画を観ながら Come  with the Wind (風と共に来たる)と、「恐怖の再来」といってもいい事態が到来したのではと、頭から去らなかった。いくつかのポイントを挙げながらこの映画の見どころを追ってみる◆まず、アメリカという国は周知のように移民の国である。そもそもはイギリス人たちが原住民を殺戮、追い払うようにして1776年に出来上がった。その頃から今に至るまでヨーロッパ各国からの移民が多いが圧倒的な数を誇るのはアイルランド人といわれる。この映画の冒頭近く、素晴らしい夕焼け空をバックに父親ジェラルド・オハラが巨大な樹木の下で、娘スカーレットに語るシーンが印象的だ。「土地こそこの世で命より尊いものだ。永遠に残るからだ」と述べる父に対して、「アイルランド人ね」と、娘がいう。それに対して「そうともわしの誇りだ。お前も同じ血を引いとる。アイルランド人にとって土地は、母親と同じ。お前もいつか土地への愛に目覚める。アイルランド人だから」と父親が強調する場面である。かねて元駐在大使の林景一さんの著作『アイルランドを知れば日本が分かる』で、彼の国に魅せられた私だが、ラストシーンで、ヒロイン・スカーレットが生まれ故郷タラで再起を期すところを観るに至って、土地への凄まじいまでの執着に感じ入らざるを得なかった◆従来からの私の米国映画観は、いわゆるハッピーエンドで終わるものとの思い込みが強かった。フランス映画に見るような、シニカルタッチでの展開とは無縁なものだとの印象だったのである。ところがこの映画は違った。入り組んだ人間関係の組み合わせの中で、スカーレット・オハラとレッド・バトラーの主役2人の個性がもたらすすれ違いが最後までやきもきさせるのである。これがうまく元の鞘に収まっていたらどうだったかとの想像もして見るのだが、妄想の類いかもしれない。思えば、この2人は共にエゴイスティックな性格で似ている風がある。脇役の存在であるアシュレーとメラニーの夫婦が色彩でいうと、ライトブルーなのに比して、深紅の極みに近い。落ち着いて考えればうまくいく組み合わせではないのだが、小説と違って映画のスピード感では早すぎて、追いつかない。ましてや抱擁する2人の映画ポスターによる既成観念が邪魔をしてしまうのだ◆もう一点。この映画の味は、黒人女性俳優の存在感がズッシリと重いことだ。マミーと呼ばれる召使役で登場するハティ・マクダニエルという女優だが、その堂々たる体躯、面構えもさることながら、米国南部に根ざした黒人女性のダイナミックな演技力には圧倒された。黒人女優として初の助演女優賞に輝いたというのだが、さもありなんと思った。これまで私の観た映画では『アラバマ物語』に登場する黒人メイドが好感度No.1だった。母親不在のグレゴリー・ペック演じる男やもめ家庭での娘へのしつけぶりは、光っていたからである。日本でもかつて存在した「女中」にも、出色の人がいたろうが、残念ながら映画の場面では思いつかない。ともあれ、この映画の裏舞台に登場するリンカーン大統領が米史上No.1の人気を誇るが、現在只今のトランプ大統領はいったいこの先どう展開するつもりなのか、と疑念は果てない。(2025-1-26)

 

Leave a Comment

Filed under 未分類

【52】2人の革命児が作った異常な映像━━『犬神家の一族』を観て/1-16

 湖とおぼしき水面に逆さになった人間の両足がヌッと突き出た衝撃的な場面。顔全体を白い頭巾(マスク)風のもので覆って両眼だけが出ている男。映画のポスターを飾る幾つかのシーンが、猟奇的な殺戮を妄想させるような映画のタイトルと相まって、かつてこの映画は一世風靡した。エンタメの最高峰に位置づけられる。だが、私は映画館ではもちろんのこと、ビデオでもテレビでも観た記憶がない。今回封切りされてほぼ50年にして初めて観た。しかもリメイク版で。印象に残るのは富司純子の一貫してキッとした眼つき、顔立ち、毅然とした姿勢、物言い。そして、尾上菊之助の歩き方のかっこよさであろうか。その特徴的な佇まいから、この映画の持つ重要な鍵が仄見えたというのは面白い。尤もそう感じたのは瞬時であって、次々と展開する流れに押し流され、謎解きには役立たなかった。というのが正直なところである。ともあれ、中心人物の所作振る舞いが美しかったというのが眼に焼き付いている◆リメイク版が世に出てからでも20年近い。そんな長い間この映画を観てこなかったのは何故か。主たる理由はこの映画が登場した50年ほど前は私は駆け出しの新聞記者で忙しく、同時に、20年前は政治家としての盛りの時だったゆえ、世界一という観客動員数(当時)を誇った映画でも、観るゆとりがなかったということだろう。そんな人間でも人生の最終盤になって、ゆっくりと狭いマンションの茶の間で再放映を観る機会を得た。加えて、NHKBSテレビが有難いことに『アナザーストーリーズ 運命の分岐点』なる異色の解説番組(2015年から毎週日曜放映)でこの映画を取り上げたのである。視聴者のためを慮ってくれたに違いなく、ほぼ同時のタイミングで映画と併せて再放映してくれたのだ。これまで『金閣寺炎上』を同番組で観た時に、従来の表面的な理解を超えた捉え方を3つの側面から観せられた。このため、大いに理解を深めることができ、以来なるべくこの番組は観るようにしてきたが、今回の映画も役に立った◆今回の3視点は、映画製作者としての角川春樹、監督の市川昆、主演の金田一耕助役を演じた石坂浩二の3人による「三つの物語」が伺え、興味深かった。最初の角川春樹は常識を遥かに超えた奇抜なアイデアを次々と出した。「過去の成功譚に興味がない」「過去を振り返りたくない」「絶えず前を見てきた」と言い放つ77歳の角川は、「世の中のメジャーに自分を合わせる必要はない。自分のメジャーに世の中を合わせればいい」と思っていたと語る。エンターテイメントの革命児は「人生は〝戦い〟」との言葉で、地味な出版社だった角川書店を大きく変えた。「まず、本をヒットさせること」に狙いを定め、老作家・横溝正史に目をつけた。「怪奇的、土俗的、ミステリー」との目的に合致する作家を探した末の結果だったという。のちに横溝自身は、既に筆を折っていた自分が「再び脚光を浴びた理由」をメディアから聞かれて、逆に「教えて欲しい」と言っている。実は角川と私とほぼ同世代。改めて映像の向こうに彼の顔を見ると、かなり老化が進んでいる。そこに「人生を戦ってきた」男の風雪を感じた◆市川が20歳歳下の角川と出会った際に、「大変な現代青年がきた」と感じたという。新しいものへの好奇心が強い市川とのふたりの相性が良かったのだろう。既成の枠にとらわれない突出した2つの個性が融合した映像がこの『犬神家の一族』なのだ。市川といえば、東京オリンピックの記録映画の担当をして、アスリートたちの肉体の美しさを徹底して切り取る手法を駆使し、「人間の素晴らしさと哀しさ」を表現した。それに対して河野一郎(元副総理、東京五輪担当相)が「記録的要素が全くない。不可解だ」と文句をつけた。これがきっかけになって、日本中を二分する論争になった。「記録か、芸術か」である。この論争は私も覚えている。私は市川昆の映画は、人間の持つ肉体と精神の美の素晴らしさをふたつながらに見事に表現したものと、深い感動をした。この2人が生み出した作品の「たまもの」が石坂浩二演じる金田一耕助である。石坂についてはどうだろう。私としてはこの役回りに不満である。犬神家の女性たちの強い個性に、ともすれば消えがちに見え、中途半端な役柄に思われた。彼の持つ都会的スマートさが合わないと思ったのだ。髪の毛から落ちたフケのクローズアップ場面が2度登場するが、これほど俳優・石坂にマッチしないものはない。(敬称略 2025-1-16)

 

 

 

 

 

 

Leave a Comment

Filed under 未分類

【51】なぜ今これを観る必要があるのか━━映画『人間革命』を観て/1-5

 2025年が明けました。「去年今年(こぞことし)貫く棒の如きもの」(虚子)とはいうものの、「(自分を)少しでも変えるぞ、変えたい」って思って毎年新年を迎えてきました。私は今年で数え80歳です。自分の実感との落差に慄き(おののき)呆れる思いです。子供の頃に耳にした童謡『船頭さん』の一節「ことし60のおじいさん」が、自分的には歌詞の間違いではないかと思うのは、慶賀に値することなのかもしれません。60を前に死んだ母も、80少し前にこの世を去った父をも超えることを目標にしてきた私ですが、遂に2人を追い抜きました。よくぞここまで、という思いはあまりなく、よし次は、とかねてより背中を見てきた大先輩の「85歳の壁」を越えようと目標を立てているしだいです◆さて前置きはこの辺で辞めます。この映画は、言うまでもなく創価学会の第三代会長だった池田大作先生の同名の小説が原作です。小説そのものは、昭和40年(1965年)正月元旦に聖教新聞で連載がスタートして、平成5年(1993年)2月11日まで、実に28年間にわたって、1509回(単行本は全12巻)も書き続けられました。(続編の小説『新・人間革命』は1993年11月から2011年11月まで)私自身の入信(入会)が昭和40年の3月なので、当時の学会を取り巻く雰囲気を覚えています。みんな毎朝届く聖教新聞を貪って読んでました。当時大学に入ったばかりの私は、お経を読み題目を唱えることよりも、新聞小説の方は時間が短くて済むので気楽でした。以来、ちょうど60年もの長きにわたって信仰を続けてきたことになります。その間に体験したことの大要は回顧録ブログ(『日常的奇跡の軌跡を追って』)に書いてきましたが、実はこの「人間革命」という「4文字熟語」が月並みで恥ずかしながら「キーワード」になっています。それは私が法華経信仰を体内に取り入れることになった学生時代の4年間に、口癖のように言い続けたこの言葉を聞いて、我が母が「人間革命なんか出来るわけないやん。ほんまに出来るおもとんか」と詰った(なじった)からです。この言い回しに私は反発して信心をしてきたのです◆映画は、戸田先生が豊多摩刑務所(中野刑務所)から出獄するところから始まり、戦前の塾「日本小学館」経営に代わって、通信教育に打ち込みつつ、学会再建へと展開していきます。その合間に場面はフラッシュバックして、恩師・牧口先生との出会い、入信、創価教育學會の設立を経て、軍部・官憲の逮捕拘留へ。そして獄中の法華経読誦・唱題と呻吟・懊悩を繰り返す場面が赤裸々に描かれいくのです。丹波哲郎扮する戸田城聖の、七転八倒してまで思索に苦しみ抜く様相は、凄まじいまでの迫力で圧倒されます。最終的に悟達に至るのですが、その中身は最後の十界論講義で、「仏とは生命なり」(われ地涌の菩薩なり、とも)と明かされます。哲学的思考を掘り下げ展転する様子を、これほどまでにリアルな映像で観たのはこれが初めての人は多いに違いありません。他方、獄卒からの非情な仕打ち、調査官からの退転の強請は執拗に続きます。次々と「軍門に降っていった」獄中の同志たちの実態を聞かされるにつけ、いかに当時の創価学会組織が脆弱だったかを思い知る丹波の苦悩の表情には、深い共感を禁じ得ないのです◆50年経って今改めて観て、新たに感じる最大のものは、創価学会の「組織再建」ということの意味についてです。戦前と戦争直後、そして再建時から70数年後の今と比較するというより、実感としての日本の現状に厳しさを感じざるを得ません。かつては「戦争」という「外圧」が組織を壊滅させました。今は「安穏」という「内圧」が「組織の弱体化」そして「分断」を招いてるのかもしれません。昔の仲間が集まると、侃侃諤諤の議論の末に、「もう一度草創の原点に立つしかないね」「連続革命だからね」というのが結論のオチです。その場合に必要なのは、我々の今世では、昔のような勢いを取り戻すのは無理だから、次の世に期待するしかないとの諦めに支配されがちなことへの自省です。政治家である私ゆえ、自他の起因如何を問わず、公明党の存在を巡る議論が大いなるウエイトを占めがちです。その時に得心するのは真の「自主」「自立」とは何かという問いかけでしょうか。その掘り下げなく、ただ時流に流されただけの「愚痴の披歴」であってはならないと強く自戒します◆その他にも新旧問わぬ気付きは、宗門の堕落を誘因した元顧問弁護士や連座した元教学部長のことや、十界論の展開などあれこれと浮かびます。前者については中野区での出会いと高等部御書講義の正副担当などの忘れ得ぬ縁があります。後者については、我が折伏の貴重な持ちネタとの比較などについてです。更に、映画や原作での戸田先生の私塾での一例として、犬をめぐる自在の教授法の印象深い展開を挙げたい。ここを観て、つい先頃読んだ河合隼雄対談集『あなたが子供だったころ』での、鶴見俊輔氏(哲学者)のくだりを思い起こしました。彼は戸田先生の塾で教えて貰ったお陰で、驚異的に成績が伸び中学受験に受かったことを述べているのです。(2025-1-5)

Leave a Comment

Filed under 未分類

【50】「人種差別」と戦い抜いた〝獄中28年〟━━『マンデラ 自由への長い道』を観て/12-25

 
映画批評を去年から始めたものの、この9月で挫折した。衆院選が近づき映画を観ることが難しくなったことが主な理由である。年の瀬を迎えて、連載も49回のままで滞っており、50回目の最後の一本を書きたくて、あれこれ溜めおいたビデオを漁った。その挙句に観たのが、南アフリカのネルソン・マンデラの自伝をもとに映画化された『自由への長い道』である。アパルトヘイト(人種隔離政策)に立ち向かって約28年もの長きに渡って獄に繋がれた末に釈放され、大統領になった人物の不撓不屈の戦いを描いたものだ。かねて畏敬の念を抱いてきたが、改めてこの映画を観てその足跡の偉大さに感嘆を禁じ得ない。この映画におけるマンデラ氏の行動で最も感じ入ったのは、「復讐の連鎖」に陥らなかったことと、「妥協の誘惑」に屈しなかったことの二つである。前者は、アパルトヘイトに苦しんで、白人支配層を憎む黒人大衆の中に形成された感情が大きな塊となって、突き上げてきたし、後者は、彼と一緒に獄に繋がれた同士たちが懸念したことだった。しかし、双方共にマンデラは負けなかった◆この映画は彼の青春期に比較的大きなスペースを割いている。最初の結婚の失敗を経て、最愛の伴侶との出会いなどにとらわれていくうちに、「獄中の28年」が意外にすんなりと過ぎていったかに見えてしまうのは少々残念な気もする。さらに、自由を得てからの前述の二つの葛藤をどう乗り越えたのかに、もう少し立ち至っていれば、もっとコクのある映画になったやもしれないと思わざるを得ない。尤も、主演のイドリス・エルバの風貌に加えて演技力の巧みさは賞賛に値する。青年期から老年期へと同一人物の振る舞いを見事に演じ分けていて見応え十分である。獄中生活が1人ではなく、5人のANC(アフリカ民族会議)の幹部たちと一緒だったことも、極苦に耐えられたことに大きな役割を持ったように思われる。ただ、ここらあたりの描き方も映画はいささか物足りない。自伝を読む方がいいのかもしれないと思われてならない◆マンデラが死して(2013年12月)、もう11年が経つ。この間、南アフリカの国力は大きく発展したものの、人種差別の実態は相変わらずの側面が強い。人権の平等を求める人類の欲求は、20世紀後半に全地球的規模で高まった。21世紀はまさに劇的なかたちでこの問題に終止符をうつやに思われないでもなかった。しかし、現実はアメリカにおける人種対立の激化に見るようにむしろ逆に遠のきつつある。映画の世界でも、人種差別の非を取り上げたものは数多く、私も関心を持って追ってきた。かつて観た映画で印象深いものの一つに『アラバマ物語』があるが、この映画の原題はマネシつぐみ(モッキンバード)という名の鳥である。この鳥は、ただモノマネをするだけの優しいおとなしい性格を持つ。この鳥を黒人になぞらえて、痛めつけ傷つけたりましてや殺してはいけないとの意味合いを込めた原作であり、映画だとされてきた。しかし、私はこれに疑問を持つ。むしろ、「人種差別」という非人間的行為を「ものまね」をするかのように伝播させてしまうことの誤りを説いたもので、ものまね鳥を「殺すな」とは真逆の「殺せ」だと、理解したのである。つまり作者はそこに寓意性を込めたのに、米国社会はそれを間違って捉えたに違いない、と◆ところで、ネルソン・マンデラ氏と創価学会SGIの池田大作会長との間には生前深い交流があった。1990年と95年の2回にわたって訪日したマンデラ氏と池田先生との出会い及び交流についてはDVD『闘いこそ我が人生』での映像に詳しい。そこでの語らいは、アフリカの地で人権抑圧に身を挺して闘い続けたマンデラ氏と、全世界規模で人権闘争を展開し続けてきた池田先生との、深い信頼と尊敬の念で結びついた両巨人の魂の絆を感じさせるに十分なものだった。中でも、南アフリカからの留学生受け入れを申し出られた池田先生と、それに深い感謝と喜びを示すマンデラ氏らの場面は圧巻だった。この映画『自由への長い道』を観るにつけて、そういう過去からの現在只今に至る継続に関心を持たざるを得ない。南アフリカの指導者たちと創価大学のリーダーが池田先生とマンデラ氏との約束に関心を失っていないことを強く望むばかりである。(2024-12-25)

Leave a Comment

Filed under 未分類