【49】暑い9月の夜にこんな映画を観た━━『ハドソン川の奇跡』『小さな巨人』『アラスカ魂』/9-29

 『ハドソン川の奇跡』は本当に感動した。大谷翔平の「50本塁打50盗塁」達成の時にも個人の力の凄さに呆れ果てる思いだったが、2度目観たこの映画には心底から震えた。空港を飛び立ってほんの少し経ったときに、鳥の衝突が原因で飛行不能の状態にとなった。急遽空港に舞い戻るか、どこかに緊急避難的着陸するしかないという事態に追い込まれ、機長は視界に横たわるハドソン川に不時着することを決断する。僅か35秒の間の判断だった。この奇跡の場面が冒頭に映し出され、全員が無事に救助されたことを喜び、機長は英雄だと讃えられる。だが、その直後に、事故調査委員会が原因究明の調査で、川に不時着する選択よりも、空港に降りる方が、よりマシな選択だったとの仮説の元に、シュミレーション結果を提示してくるのだ。この時に、機長と副機長が人間の瞬時の判断の隙間とでも言うべきものの有り様を主張する。この場面は圧巻だった。人間は機械ではなく、35秒の余分の時間がかかったことを計算に入れないことの盲点を突いた◆実際にあった話を映像で再現され、有事の際の沈着冷静なリーダーとその支え役のコンビの呼吸の重要性を思い知った。乗客たちの中から、突然身に迫った恐怖より起こる不満や不平が一切なかったことに救われる思いがした。川に突入してから、皆、あまた乱れつつも、誘導に当たる機長、副機長、CAたちに従う姿は爽やかだった。機長が川への不時着を選択するとの余計なことをしたために、不利益を被ったとの「事故調」の仮説と、それを打ち破る機長。副機長の反論証明がこの映画のもう一つの肝だった。「相互信頼」という人間関係の持つ基本的美徳が眩しいほど輝くラストシーンに込み上げるものがあった。白い顎髭を豊かに蓄えたトム・ハンクスと常に毅然と主役を守るアーロン・エッカートの2人は、この映画を観た者の記憶に長く残るに違いない◆ダスティン・ホフマンの『小さな巨人』は、米国における先住民族と白人の屈折した関係を、執拗に描いて印象深い。ひとたび囚われて「あちらの世界」の人間になったと思いきや、ドラマチックな運命の悪戯で「こちら側」に戻ってくる、またそこに〝過酷ないくさ〟が悪さをして二転、三転して更にあちらに戻って、また、という風に繰り返される。身長165センチという小柄なホフマンは、30歳の時に『卒業』でデビューし、33歳の時のこの『小さな巨人』でその地位を不動のものにした。その間に『真夜中のカーボーイ』があり、その後に『わらの犬』、『パピヨン』と、若き日に私が観た作品が続く。1976年の『大統領の陰謀』は新聞記者という職業への〝我がこだわり〟を決定的にしたことが懐かしい。31歳だった。私より8歳上のホフマンは、今や87歳とか。この映画でシャボンだらけのバスタブに入ったままで、妖艶な牧師の妻フェイ・ダナウエイに全身くまなく洗われるシーンが妙に記憶に残る◆もう一本。ジョン・ウエイン『アラスカ魂』も。1939年に『駅馬車』でデビューした、西部劇そのものの名優は、日本の時代劇の名スター・三船敏郎とダブル。監督・ジョン・フォードと黒澤明とのコンビとも重なって、明らかに戦後世代の若者の魂を形成する役割を果たした。この米日2組の監督と俳優の関係は、共にほぼ10歳づつ離れている(米チームが歳上)というのも面白い。いわゆる世の中の師弟関係は「10年離れ」を持って基本とする、との漠然たる我が思い込みの一つの傍証でもある。『アラスカ魂』はゴールドラッシュに沸くアラスカを舞台に、一攫千金を狙う男たちとそれに絡む美女を描いた物語だが、北の「アラスカ」が西部劇と結びつかず、この度初めて観た。全編カラッとしたユーモアに溢れていて楽しい。とりわけ「木登り競争」の場面が。不思議だった。昨今の猛烈極まるアクション映画を見慣れた目からすると、ほのぼのとしたシーンは、コッテリした肉料理のあとのお茶漬けみたいで、味わい深かった。(2024-9-29)

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【48】氷塊をも溶かすヒトの愛おしさ━━映画『極北のナヌーク』を観て/9-3

 標題の映画を観たのは、放送大学の「231オーディトリアム」(BSテレビの231ch)で放映されたものによる。映画の前後に講師による解説がつけられて、見どころ、抑えどころが語られる。タイトルは「〜米仏映画黄金期への招待〜」。米映画は放送大学教授の宮本陽一郎氏、仏映画は同・野崎歓氏が担当。私は既に20本ほど観てきており、様々な意味で勉強になり、今や我が映画鑑賞の上での欠かせぬ手ほどきの映像となっている。このことをこのコーナーで紹介するのは初めてだが、興味を持たれた向きはぜひこの番組をご覧になることをおすすめしたい◆さて、今回の1922年に作られた映画『極北のナヌーク』(「ほんとうの極北の生活と愛の物語」)はいわゆるドキュメンタリー映画(これはサイレント映画)というジャンルに仕分けされた史上最初のもの。フィクションではなく、現実に極北の地━━カナダの再北部の零下30度といった極寒の地で生活するイヌイットと言われる民族の生活ぶりを、克明に描いたものとして極めて得難く、見応えのある映像となっている。この映像をこの世に送り出した監督のロバート・フラハティ氏は、ひとたびは映像フィルムを焼失する事故に合いながら再度挑戦したというが、現地で生活を共にしたというだけあって、出来栄えは見事というほかない。約百年前の作品で、文化人類学的見地からも高く評価されている。今回放送大学の講義では、極北人類学が専門の大村敬一教授が宮本講師の対談者として登場、ご自身も1989年に同地域を30日間訪れて、映画で紹介されているものと、ほぼ似た体験をしたことが語られていて実に興味深かった◆この映画のタイトルを日本人は『極北の怪異』とつけたようだが、いささか率直に過ぎよう。登場する主人公の本名は夫がアラカリアラック(妻はアンヌ)だが「ナヌーク」と別称されている。子どもたち3人を含め、いわゆる地域住民が一体となった生活の様子が事実と虚構がないまぜになって作られている。それは、いわゆる〝やらせ〟ではなく、当事者と観察者=撮影者とが一体となって、意志を通いあわせながら、より後代の視聴者に分かりやすいように作られている。フィクションではなく、限度ギリギリの「ナチュラル・フィクション」とでもいえようか。放送大学の講義&対談でも、そのあたりについて後年に批判の対象になったようなことに触れられていたが、私自身は見ていて全く違和感はなく、人類史上で最も今現在に近い歴史上の特異な民族の生態を極めて素直に興味深く観ることが出来て、大いに充足感を抱いている◆哺乳類で氷塊下に生息するセイウチが息をするために自ら開けているごく小さな穴を見つけて、ナヌークがそこに銛を突っ込む瞬間と、その後の格闘(引き揚げようとする力と、苦しみながらあらがう力の壮絶な氷海面と氷海下の力比べ)は圧巻である。そして獲得した獲物をその場で腑分けしつつ、肉片を食べる口もとや表情はまさに「怪異」というべきかもしれない。2人の学者はそれを「野蛮」と表現していたが、私はむしろ「素朴」と言いたい。一見変哲もないカヌーの中(底部)から岸に着いて4-5人の大人や子どもが次々と現れる場面、氷で住まいを丹念にかつ念入りに造る場面(1時間ほど)や、交易所で物々交換している場所で、〝音の缶詰〟としての蓄音機を眺め回してレコード版を齧ってみせるくだりなど印象的なシーンがふんだんに出てくる。そして、毛皮をまとった母親の背中から素っ裸の幼児が転がるように出てきて、抱き上げられるところでは思わず感歎の声を上げるほどの温かさを感じた。この氷に囲まれた中の空間で男と女の裸の交流の姿を思わず想像してしまうが、それはさすがにないだろう。サブタイトルに、ライフ(生活)とラブ(愛)の2文字が入っているが、ヒトという存在の温かさと愛おしさとを心底から感じた。(2024-9-3)

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【47】この夏、私はこんな映画を観ました━━『アゲイン』『舞妓はレディ』『素晴らしき哉、人生!』/8-20

 夏の高校野球も大詰め。今年は甲子園球場が出来て百年ということもあり、106回めの高校野球が大いに盛り上がった。実は私は小学校高学年の頃から春夏の高校野球の観戦にスコアブック持参でほぼ毎年観に行ったものだ。父親が仕事先の関係から全日程の入場券を毎年貰ってきていたので、夏休みに基本的にはひとりで幾たびも観に行った。あの早稲田実業の王貞治も、新宮高校の前岡勤也(旧姓でその後、井崎姓)も、浪商の坂崎一彦もみんな甲子園で、目の前で観た。氷水の入った「かち割り」をストローでチュウちゅうと吸いながら。あの単純素朴な水の美味かったことがいまでも忘れられない。全国の高校球児が甲子園を目指して涙ぐましい闘いを繰り返していることはよく知られているが、その3年間に様々のドラマが生まれていることは殆ど知らない。作家の重松清が描いた原作を映画化した『アゲイン━━28年目の甲子園』を観て、単純に涙を流し、感動した。このケースは、不祥事が元で大会に出られなくなった球児たちの無念の思いが今再び曝け出された後に、誤解が劇的に溶けてハッピーエンドになるというもの。初老になったかつての青年たちの「家族の破綻」に、観ている後期高齢者の胸が疼く。野球に「アゲイン」はあっても、帰らざる人生に「アゲイン」のないことが切ない◆京都、大阪、神戸の京阪神「三都物語」は、それぞれのお国自慢が絡み合って面白い。「歴史と文化」の観点からすると、「京」に〝艶やかさ〟の点で、「阪・神」は後れを取らざるを得ない。今、NHK 大河ドラマで毎週放映される『光る君へ』は30回を超えて、いよいよ『源氏物語』の誕生背景があらわになってきた。宮中奥深くの女御たちの美しい着物姿に、毎週目が釘付けになっている皆さんは少なくないと思われる。映画『舞妓はレディ』は、周防正行監督の手になるミュージカルだが、京における舞妓さんの「誕生と日常」が分かってとても楽しい映画である。とりわけ京言葉の習得過程や踊りの稽古風景など興味深い。実は私は議員在職中は、京都・祇園とは無縁で、仕事や観光で彼の地に行くことがあっても、せいぜい「哲学の道」を散策するぐらいであった。それが引退してよりこの方、東京と神戸に住む2人の後輩の圧倒的な〝祇園好き〟に連れられて、幾たびか祇園に足を運ぶことなった。先般も、元公明党番記者で今は京都のある大学の教授になっている友人共々、京都の〝祇園の夜〟を学んだ。京都の「歴史と文化と伝統」を目の当たりにしたのだが、この映画はその「手引き書」ともなる◆私は1945年昭和20年生まれだが、その年はいうまでもなく先の大戦が終了した年。今年で79年が経った。戦争直後に日本が戦って敗れた国・アメリカがこんな映画を作っていたのか、と深い思いに浸ったのが米映画『素晴らしき哉、人生!』(1946年公開)である。実はこのシネマブログの第一回目には、同じ年に作られた『我が人生最良の年』を取り上げたものだ。これは文字通り、戦争が終わって復員してきた〝米兵たちの戦後〟を描いたものだった。一方、前者の方は、戦争に行かなかった(耳の障害が原因で)銃後の青年の、まさに夢の物語。アメリカンドリームの原型ともいえる。両映画に共通しているのは長かった戦争が勝利に終わった、高揚感とでもいうべきものが漂っていることであろう。国破れて山河ありで、焼け野が原のなか、必至に生活再建に取り組んでいた、日本人との天地雲泥とも言うべき違いが分かって感慨無量である。冒頭の、天上世界の天使と天使見習いとの設定が面白い。地上の不幸な人のもとに降り立って、その人を幸せにする試みを請け負って、成功すれば「翼」が貰えるという仕掛けから始まる。最終的に見事なオチがついての大団円。降りしきる雪のもとでのクリスマスイブのお話とあって、今ではアメリカ社会の年末定番のホームコメディともなっているとのこと。こんな映画が私の一歳くらいに出来ていたとは!未だ観ていない人にはお勧めだ。(2024-8-20)

 

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【46】滴り落ちる汗に共感━━松本清張原作/野村芳太郎監督『張込み』を観て/8-7

 東京発鹿児島行き夜行列車に横浜駅から2人の刑事が飛び乗るシーンから、この映画は始まる。時は真夏。この2人の九州・佐賀駅までの車中の様子が凄い。満席で途中まで通路の床に座ったまま。1958年公開のものだから、エアコンなどなし。天井の扇風機も効き目なく、せいぜい窓からの風が頼り。盛夏の今、見てるこっちもただひたすら暑い。この後、2人は東京での殺人事件の犯人の立ち寄り先として、目星をつけた元愛人宅のそばの旅館の2階に張り込む。冒頭からエンディングまでひたすら汗をかきかき、隣の家の庭先から居間を覗き見し続けること約一週間。お目当ての女性(後妻に入って3児の母)に、郵便物が来るか、人伝てでも犯人からの誘い出しが来ないかどうか、朝から晩までじっと見張り続ける。日々の買い物は勿論、出かける風を感じると、直ちに尾行をするといった具合。かのヒチコックの映画『裏窓』を連想するものの、あちらはアパートの窓から見える複数の部屋の光景を双眼鏡で覗くのに比し、こっちは一軒の変化を追うだけ◆周知のようにこの映画は松本清張の同名のタイトルの短編小説が原作である。小説の方は、文庫本でわずか27頁に過ぎない。佐賀での張込みに従事するのは若い刑事だけ。先輩格の刑事は犯人の本籍の方に回るため、単独行動である。映画の方が圧倒的に獲物を狙う警察力の執念を感じさせて迫力がある。様々な小説や映画で張込みの場面が挿入されているが、このそのものズバリのタイトルで登場する映画での張込みは、当然ながらリアル感が漂っている。よくあるパターンは、目的の人物が出てくる住まいの前で、車の中から監視し続けるというものが大半だが、ここでは真ん前の旅館から隣家を見守り、外出のたびに尾行する。小説では全くない臨場感が、映画ではきっちりと描かれる◆その人妻を演じるのが高峰秀子。犯人役が田村高広。この2人のイメージはどう見ても「静」そのもの。田村はおよそ殺人を犯した人物のイメージとはほど遠い。結核を病んでるというのはさもありなんと思うのだが。高峰の方は、ここでは犯罪そのものとは無縁の役柄なのだが、清張の原作で描かれた犯人の元恋人で今は3人の子持ちの人妻に後妻で入っている雰囲気はよく出ているといえよう。映画では、汗まみれになって、張込み、尾行し続ける若い刑事が次第に、彼女の生活(吝嗇な夫にひたすら支える姿)ぶりに、しだいに同情の念をいだくという感情移入がなされるくだりが出てくるが、観客でさえもそんな思いになっていく。このあたり高峰の演技力が傑出しているかに思われる◆ただ最後の、山あいの温泉宿にたどり着くまでの、2人の逢引きの場面はいかにもとってつけたかのような感が否めない。聞こえない距離の2人の会話は、いかにも不自然におもわれる。一方、小説では、池のそばの堤の上に座っていた2人を発見した大木扮する柚木刑事についての短い描写が、想像力を掻き立てる。柚木の視線の先にある2人を、清張はこう描く。「男の膝の上に、女は身を投げていた。男は女の上に何度も顔をかぶせた。女の笑う声が聞こえた。女が男のくびを両手で抱え込んだ。柚木はさだ子に火がついたことを知った。あの疲れたような、情熱を感じさせなかった女が燃えているのだった」━━後に清張は、この映画を観て、原作よりもよく出来ていると賞賛したというが、私もそう思う。小説はあまりにも素っ気ないし、短かすぎる。この映画の脚本はかの橋本忍、監督はあの『砂の器』の野村芳太郎だが、なるほど、と思わせられた。(2024-8-7)

 

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【45】遙かなる山にこだまする〝あの少年〟の声━━『シェーン』を観て/7-27

 米国の西部劇を子どもの頃にいっぱい観て育った日本人は、年老いて北海道を舞台にしたドラマを好むように思われる。倉本聡の『北の国から』などその最たるものだが、今回取り上げる『シェーン』は、ご存知、高倉健主演の『遙かなる山の呼び声』をそのリメイク版とする。西部劇に対して「北部劇」と呼んでみたくなる。西部劇を成り立たせる要素は、場所としての、雄大な風景、牧場、酒場、留置場。衣装としてのテンガロン・ハット、スカーフ、ガンベルト。小道具としての拳銃やライフル、投げ縄。登場人物としてのカウボーイ、ガンマン、保安官、酒場の女。そして物語の形式としての、放浪、追跡、捜索、決闘、恋愛といったものが欠かせない。これはある英文学者の見立てだが、北部劇はどうだろうか。西に対して、北とは、私の拙い思いつきだから、素っ頓狂に聞こえるかもしれない。しかし、これからそれなりに流行するのではないか、と私は睨む◆さて、『シェーン』である。この映画は、ひとりのガンマン(シェーン)が、農夫のジョー・スターレットとマリアンの夫婦2人に7〜8歳の少年という3人家族の前にぶらり現れるところから始まる。理不尽な荒くれ牧童たち(ライカー一家)と、真面目で律儀な農夫たち(スターレットが中核)の土地をめぐる争いにシェーンが巻き込まれることになる。おもての見どころは、リアルで壮絶な殴り合い。酒場に居合わせた男たちとシェーンの多勢に無勢の喧嘩のシーン。次いで、シェーンとジョーの1対1による、どっちが悪漢たちに立ち向かうのかをめぐる、奇妙なぶつかり合い(ジョーが打ち負かされる)。そして最後のシェーンと2丁拳銃の殺し屋を軸にした1対数人の室内での銃による撃ち合いである。いずれもその迫力に息を呑む。最後の拳銃による殺し合いの場面は少年ジョーイが愛犬と共に一部始終を目撃している。敵の動きを察知して声を上げてシェーンに知らせ、危機一髪で救う名場面は忘れ難い◆一方、内面的な見どころは、家庭内における「幸福」をめぐる夫婦の価値観の違いという側面であろうか。ライカーたちから話し合おうとの名目で誘き出され、罠に嵌められようとした際に、命懸けで立ち向かおうとするジョー。ぎりぎりの選択が迫られる中での夫婦の会話が胸を打つ。家庭の安寧を求めてこの場所を去ってでも「生きよう、命を大事にせねば」というマリアン。それに対して、ここで逃げては夫して父としての面子が立たないと、死をも覚悟して挑もうとする夫。しかも、万が一の場合はシェーンに後は託すとの言葉まで発するのだ。この究極の選択が絡んだ場面は切なく愛おしい。公開後ほぼ70年が経った今なお、この映画が人々のこころをとらえて離さないのは、なんと言っても最後の最後にジョーイ少年が「シェーン!カムバック」と叫ぶシーンに違いない。よく耳をこらすと、父さんも母さんも戻ってくれて一緒に暮らすことをのぞんでいるってセリフがついている◆ジョーイ少年は、父と母の、とりわけ父の思い詰めた決断の底部を知らずに、「帰ってきて〜!」と叫んだ。英雄に憧れる少年のひたすら純粋なこころの表れだ。だが、仮に戻ってきたら、どうなったか。外なる敵は始末できて地域社会的には平和になっても、家庭内には恐らく三角関係が行き着くところ、破綻しかない。内なる敵の出現で地獄になること請け合いだ。野暮なる想像をしてしまったが、そういう邪推とは大きく離れて、映画をジョーイ少年と同じ目線、立ち位置で観てきた映画鑑賞者は、純粋に少年に同化してしまう思いは抑え難い。両目の座り加減が面白く印象的な子役で、役柄にピッタリだった。この少年役を演じたブランドン・デ・ワイルドがその後どうなっていったのか。実生活で子役から大人の俳優になっていく経緯を追ってみたくなるのは人情に違いない。しかし、残念なことに、彼はそれなりの活躍はしたものの、若くして交通事故で死んだという。(2024-7-27)

 

 

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【44】父から子へ流れる悠久の歴史━━中国映画『山の郵便配達』を観て/7-21

 1980年代初めの中国・湖南省西部の山岳地帯がこの映画の舞台である。冒頭の10分足らずに物語の全体像が凝縮されている。郵便配達業務に生きてきた父親(この当時41歳)が足の痛みもあり、息子へのバトンタッチを願う。息子は普通の仕事とは違う公務員になることに誇りを持ち、地元での仕事に就いてくれればとの母親の思いを振り切って、意を結する。父から子へと受け継がれる郵便配達の仕事は、往復223キロの距離を2泊3日で歩く。山あり谷あり、野を越え川を渡っての苦難の業務である。車も自転車のお世話にもならない。ひたすら歩く。これまで父は「次男坊」という愛称を持つ愛犬と一緒に回り続けた。郵便物をリュックに詰めて、息子のデビューの出発の時間がきても、犬は父親のそばを離れようとしない。長年の習性から抜けきれない。父がいくら行けと言っても動かない。痺れを切らした息子は一人で発つ。仕方なく父も一緒に行くことにし、2人と一匹の最初で最後の〝集配行〟が始まった。繋がり薄く、父を「父さん」と呼べない息子に、2人の間の微妙な距離感が陰を落とす◆美しい山の稜線はどこまでも青々生き生きと続く。カメラは遠くから2人の姿に近づき、また近くから遠くへと離れつつ、そのアングルはゆっくりとやさしげに追いゆく。映し出される映像は日本の山岳地帯の農村風景とスケールの違いはあれど大差はない。そしてそこを歩き行く父と子の心象風景も、同じ人間の枠組みから大きく逸脱するものではない。不思議なくらいに。行く先々で新米配達員の息子の感動を誘う場面と出くわす。勿論一緒に動く我々の眼にとっても同じだ。驚く場面は2つ。一つ目は、最初の村で。配達すべき郵便の受け渡しを終えて次に行こうと役場を出たところ、集まってくれた数十人の村人たちと出くわす。みんなこぼれんばかりの笑顔。初めての出会い。郵便物を介在する関係がどんなに深いものかを一瞬にして悟る。「うちの息子です。これからは彼が来ます。何かあれば頼んでください」━━若者を覗き込むように見る子供たち、爺さん婆さんら村人たちに父が誇らしげに紹介する。もう一つは、目が不自由なお婆さんのところに立ち寄った際のこと。この老婆は、遠く離れた孫からの手紙をいつも待っている。ひたすらに。待ってるだけが生きがいと言ってもいい。この時も封筒を開けると手紙とともに十圓紙幣が一枚入ってた。配達員と息子が型通りの短い手紙を読んで聞かせる。時にはお婆さんの代わりに手紙も書く。これだけのことだが、深い感動を呼ばずにおかない。別れる時の寂しそうな表情にこちらまで泣きたくなる◆川を渡る場面。息子が父をおぶって渡る。その昔、息子が幼児の頃、肩車したことを思い起こす。あれから20年ほど。逆に息子の背に乗せてもらう父は涙ぐむ。ゆっくりと流れるこんな時間の中で、2つほど胸騒ぐシーンがあった。一つは、親子が疲れて涼を取ろうと休もうとする場面。つい郵便袋を明けた際に、一陣の風が吹いて郵便物の数枚が風に飛ばされてしまう。あわや飛び去ってしまうかという危機一髪の際に「次男坊」が空中で飛びつき、郵便物を口に咥える。ここは最高に緊張した。犬も人間も一体なることを感じさせた。一方、高い崖をよじのぼらねばならず、近くに住む青年が上から綱を投げてくれ、それを頼りに下から父と息子が上がっていく。崖上で合流した際の何げない会話。青年が学校を出たら「新聞記者になりたい」と夢を語った。瞬時、私の胸が騒いだ。新時代に世の時流に乗ろうとする者と、伝統的な仕事に残る者との対比。ここは、突然に我が家の過去を思い起こさせた。銀行員だった父は私に地元に残って同じ仕事をさせたかった。一方私は、東京での「新聞記者」に憧れた◆親子の仕事をめぐる価値観の違い。地方と中央。伝統的な親子、時代、地域の差異が重なりあって、中国の映画どころか、我が身のことのように思えた。先に疲れて寝る息子を見やりながら、道中で「お父さん」と初めて息子から呼ばれた感激も手伝って、やがて添い寝する父親。私の場合、初めて帰郷した際に、母親が泣いて抱きついてきた。寒かろうと枕元に衝立風のものを立ててくれた。また、上京する際に、両親が揃って仕立て屋に足を運び、父の古いオーバーコートを仕立て直してくれたことも忘れられない。〝田舎の新聞記者志望の青年〟というだけで、こんなことが重なり浮かんで、ゆっくり映画も楽しめない。もう終末に近い年齢のくせに、親にして貰った子の立場のことしか思い出せない。改めて時空を超えた日中(漢)両民族の類似性に思いを馳せざるを得ないのではあるが。(2024-7-21)

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【43】銃と愛しのクレメンタインと「雪山讃歌」━━『荒野の決闘』を観て/7-14

 トランプ前米大統領が演説中に狙撃され、それこそ間一髪で死を免れた事件は世界中を驚かせた。多くのことを考えさせられたが、私は米映画『タクシードライバー』で、大統領候補を狙おうとした主人公(ロバート・デ・ニーロ)が警備に阻まれて断念した場面を思い出した。今回は警察が直前に気がつきながら、逆に威嚇されて引き下がっていたとか。真相は未だ詳らかでないが、警備に抜け穴があったことに気づく。この国はリンカーン、ケネディ、レーガンらを始め数多くの大統領暗殺の歴史を持つ。それもこれも市民社会の中で銃を持つことが自由であることがベースにあることが大きいものと思われる。西部劇を観ていて、つくづく銃をぶっ放すことが日常茶飯事であるこの国の伝統に思いを致さざるをえないのである◆最近改めて観る機会があった『荒野の決闘』も酒場で拳銃を抜き、弾丸が飛び交う場面が多いことに呆れるくらいだった。西部劇といえば、砂塵吹き荒れる荒野の中の町の酒場が主たる舞台で、賭け事に興じる荒くれ男とそれにまつわる妖艶な女といったところが、登場人物の通り相場と決まっているが、この映画はやや趣を異にする。まずこの映画は西部地域で有名な伝説がベースにある。保安官のワイアット・アープと賭博師にして医者のドク・ホリデイという実在の人物2人が基軸をなし、それにチワワという酒場の歌い手の看板娘とクレメンタインという名の美女2人が絡む。ホリデイは自分を慕って東部の町から来たクレメンタインを追い返そうとする。一方、アープはクレメンタインに一目惚れする。こういった男女4人の恋愛感情をもつれさせながら、アープ4兄弟とクラントン親子4人との因縁沙汰によるOK牧場での決闘へと話は進む◆この映画はジョン・フォード監督が1946年に作ったもので、ヘンリーフォンダとの組み合わせでは前作『怒りの葡萄』に並ぶ名作とされる。さらに、ジョン・ウエインと組んだ西部劇の古典的名作『駅馬車』に匹敵する高い位置を得ている。また、邦題『荒野の決闘』は、場所がOK CORRAL(牧場)であったことから、米国では、「OK牧場の決闘」と呼ばれ、映画そのものの原題は『MY DARLING CLEMENTINE.  いとしのクレメンタイン』と呼ばれる。実はこのタイトルは、もとを正せば、19世紀後半の米国におけるフォークバラード。この映画の主題歌として一躍世界中に知れ渡ったとされる。日本では雪山ソング『雪山讃歌』の原曲(替え歌の原曲)として知られている。私のような戦後第一世代は、原曲も耳にして歌い、替え歌の方もあの山、この川を前に歌ってきたものである。その意味では、「青春讃歌」そのものだった◆という、特別な付加価値を持った映画だが、根幹部分はいささか〝伝説先行〟のあまり表現不足が目立つ。例えば、ドク・ホリデイとクレメンタインの関係がもう一つ分かりづらいし、彼の病的咳込み(肺結核)が説明不十分のままに終わっていることなど、未消化は否めない気がする。映画製作者が完成した作品に不満で30分ほどカットして追加撮影されたことなどのエピソードが伝わっているのも、確かに、と思わせる。むしろこの映画は一般に言われているメロドラマ的要素よりも喜劇的ムードの方が強いと私は思う。例えば、ワイアット・アープ役のフォンダが、最初にこの町トゥームストーンにやってきた時に入った理髪店での椅子の具合の悪さ(ひっくり返る)や、髭剃り途中で顔にフォームを塗ったままの連続シーン(暴漢への対応)など、笑いを誘う。のちに、保安官になってからも理髪店でのやりとりは、専ら恋の相手を意識させる。小道具としての男性用香水が粋な役割を果たす。そして極め付けは、クレメンタインとのダンスの場面でのアープの足の揚げ方が妙に面白い。そういう意味では、酒場で銃を撃つばかりのイケメン・ホリデイが洒落男・アープの方を引き立てているかのようにも思える。『荒野の決闘』から「トランプとバイデンの対決」まで、「銃社会・アメリカ」の原風景は延々と続く。(2024-7-17)

 

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【42】パニックと「人と神」の対応━━『ポセイドン・アドベンチャー』を観て/7-7

 「この映画をみるために私は生まれてきたと言ってもいい」とは、私の母校長田高校の先輩で尊敬する映画評論家の淀川長治さんの弁。感激家のあの人なら言いかねないと思う。先日私は3度目観てまだ興奮さめやらない。映画の舞台は大晦日、嵐のなかニューヨークからアテネに向かう巨大客船ポセイドン号。古いこの船を全速力で走らせようとする船主の意向と、それに抗う船長。船酔いに苦しみながらも、それぞれの人生における至福のひとときを過ごす老若男女。「朝はきっとやってくる、光を探し続けよう」との歌声と流れるバンド演奏。これらが大きな衝撃音と共に一瞬止み、暗転する。マグニチュード7.8の海底地震が発生した。津波によって船は横転。船底と甲板が逆さまになってしまった。以後、大惨事にも耐えて、生き残ったものたち数人の必死の脱出行が始まる。息もつかせぬ生死隣り合わせの1時間余りの冒険(アドベンチャー)である。刻々と沈みゆく船に、轟音とどろかせ襲いくる海水の恐怖。諦めの心情と、生への強き意志が交錯するなか、ジーン・ハックマン扮するスコット牧師の凄まじいまでの強気のリード。ひとりまた一人と犠牲者を生み出しつつも一条の光を求め進む◆印象的な場面を挙げる。一つは、船好きのロビン少年の普段からの知への興味、蓄積が危機に生きる。子どもを子どもだからとなめてはいかんと痛切に感じた。二つは、右か左か、行手を決める際の命令口調のスコットにいちいち反発する刑事のロゴ。些細なことだが我々の日常にも多い。事の本質とは違う次元での差異が大きな亀裂を人間関係に生み出す。三つ目は、太った身体の女性ローゼン夫人がほぼ最終場面で圧倒的に重要な役割を果たす。水中に潜って一行の進路を確定するに際して、彼女が若い頃に潜水の選手だったことを明かす。皆は信じようとしない。が、先行したスコットからの連絡がない〝万事休す〟の場面で、飛び込む。そしてスコットに九死に一生を与えたところで、本人が心臓マヒで急死する。これには心底泣けた。映画史に残る名場面だと思う◆この映画は底流にキリスト者の「神との対話」という問題を潜ませる。船が横転する前、乗り合わせた2人の牧師が言い合う。現実重視で自由を尊ぶスコットと、原理に忠実で抗うことを避けるジョンとの間で。スコットは、「ひざまづいて神に祈れば全てうまくいく?ばかばかしい。2月に暖房が欲しいと神に祈っても手が冷たいだけ。祈るより家具を燃やした方がいい」と。これに「正当なおしえではない」というジョン牧師に、「祈るだけが教会じゃない。もっと現実的に」というスコットは、上層部からアフリカ赴任を命ぜられ、「自由を得られる、望みが叶った」と喜ぶ。「縛られず、批判もされない私なりに神をみつける」と喜ぶ場面がまぶしい。直後の甲板上の「臨時教会」で彼はこう説教する。「神は多忙だ。人間の想像を超える遠大な計画をお持ちだ。だから個人には注意を払わない。個人に重要なのは、過去と未来を結ぶという点だけ。子供や孫に何かを示す、人類にどう貢献するか。だから神に救いを求めてはならない。自分の中の神に祈り、戦う勇気を持つのだ。大事なのは勝つ努力だ。神は挑戦者を愛する。あなたの中の神が共に戦ってくれる」と。分かりやすい◆そして、最後の最期。スコットは空中に浮かぶかのようなハンドルにぶら下がったまま、噴き出す蒸気を止めるため、一縷の望みを持って必死に回す。その時に口にした命懸けの叫びが胸を打つ。「神よ。これ以上何が欲しい。ここまできたんだぞ。自分たちの力で。助けてくれとはいわん。だが邪魔をするな。ほっといてくれ。もっといけにえが欲しいのか。あと何人だ。まだ足りないなら私を奪え」と。彼の必死の力で蒸気は止まる。だが、そこで力つき火の中に落下する。見終えて考えることは多い。平穏な日常とパニック。そして人間と思想、信条、宗教と哲学。キリスト教と仏教、イスラム教。思いは人間l、地球から宇宙へと駆け巡る。果てしなく。「生死の狭間」という究極の場面での、人間と人間の作った「神」との〝せめぎ合い〟を、この映画ほど赤裸々に描き出したものは他にないように思われる。ここでも、神は「沈黙」して語らない。(2024-7-7)

 

 

 

 

 

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【41】リアルな恐怖感とスピード感に興奮極まる━━映画『新幹線大爆破』を観て/7-2

 「新幹線ひかり号に爆発物を仕掛けた。止まると自動的に爆発する」との脅迫。犯人の要求通りの金を指定された方法で用意せねば1500人の乗客だけでなく沿線住民の多くの生命が奪われかねない──この前代未聞の凶悪犯罪にどう立ち向かうか。博多到着までの恐怖の時間が刻々と過ぎゆく。その中で明かされゆく犯人たちの切ない過去。1975年(昭和50年)東映制作。監督は佐藤純彌。豪華な配役が話題になった。行動する主役は高倉健(犯人)。受け手役の主演は宇津井健(運転指令長)。そしてもう1人、問題の新幹線ひかり号の運転士役の千葉真一。この3人が中核。過去に大地震や巨大怪獣による様々なパニック映画が作られたが、紛れもなくこの映画のリアルな恐怖感は群を抜く。私個人としても「最も興奮して観た映画」として挙げたい。犯人たちの要求に応えつつ対抗の道を模索する警察や国鉄(現在のJR)当局などの描かれ方も興味深く、この分野屈指の出来栄えだとの高評価に値する◆尤も、現実にはこの映画の評判はそれほど高くなく、興行成績も芳しくなかった。なぜか。いつ何時起こりかねないテーマ。愉快犯を含めて真似をされる可能性が高かったことなど、制作段階から協力を拒んだ国鉄の空気の影響も大きかったものと思われる。その一方、海外ではフランスを筆頭に圧倒的に評判は高かった。超高速の鉄道の存在そのものが珍しい時代でもあり、日本の鉄道技術への好奇心も手伝った感もする。犯罪に追い込まれた犯人たちの実像を追い過ぎず、事件のみを追うことに徹していたら、より迫力があったとの見方もあろう。だが、現実には社会、時代批判的要素を含ませたところに違った意味での膨らみがでた◆3人の犯人像は、集団就職で沖縄から出てきた青年、学生運動に夢破れた男、事業の失敗から家族破綻に陥った中小企業経営者。彼らは、戦後25年が経つ中で、高度経済成長に取り残された庶民群像の3典型とも言えた。それを通常の悪役とは一味も二味も違う高倉健、山本圭、郷英治が演じた。ただしこの部分の説明が長く、3時間を超える作品となったことを批判する向きもあった。が、私はこの部分が逆にいいと感じる。東海道新幹線が初めて運行したのが1964年(昭和39年)。あの年東京オリンピックが開催され、戦後日本の頂点とも言うべき時代が幕開け、持続する象徴でもあった。その影で忘れられた人々の逆襲と捉えるのはいささか無理筋とはいえても、今となっては、あえてそう観てみたくもなるからだ。この映画の見どころは、言うまでもなく、犯人たちの仕掛けた爆発物の場所を発見して、いかにそれを取り除くかである。そこに至る様々の過程を乗り越え、つまづきながらの展開にただただハラハラどきどきさせられる。海外で好評を博してきた日本映画の伝統的手法は、ゆったりした雰囲気での日本文化の高揚といったところが通常パターンだった。スピード感とは無縁のものが多い。それを真っ向から裏切るダイナミックな映像の連続は〝脱邦画〟の感さえした◆安全確保について指令長と運転士との悲壮感漂うぶつかり合い。警察と国鉄との対応のズレ。多くの人命を預かる職業としての国鉄マンの心意気。どこをとっても素晴らしいプロ根性の現れとしか言いようがない描き方だった。とりわけ、最終段階で事実を隠して、犯人に呼びかける場面をテレビメディアで報じさせ続けたのは意表を突いた。その強引なやり方に職をかけて反発し抵抗した宇津井健の役どころは唸らせた。ここまで国鉄マンを好意的に描いて貰って、なんの文句があるのかとも言いたくなるぐらいである。また、海外逃亡する直前に空港に張り込んだ警察の存在を、元妻と子どもの姿を見て気づく高倉健の表情。溢れる緊迫感に圧倒的な迫力を感じた。かつて観たスティーブ・マックイーン主演の『ブリット』の空港でのラストシーンを想起させた。昨今不振ぶりが強調される邦画の中で、かくも凄い迫力の映画があったのだということを今頃になって知った。我ながら呆れるばかりだ。今年は東海道新幹線開業60年。開業の翌昭和40年に私は新幹線に乗って新神戸駅から上京した。まさに人生の曙。夢を抱いて走った。無事の歳月を祝って、改めて多くの人がこの映画を観ることは、大いに意味があろうかと思われる。(2024-7-2)

 

 

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【40】キリスト教日本布教の困難──映画『沈黙ーサイレンス』を観て/6-22

 なぜ危急困難に直面する人間を前に「神」は沈黙され続けるのか──作家・遠藤周作の小説『沈黙』(1966年昭和41年)のテーマだ。これをもとに篠田正浩監督によって映画化されたのは1971年。その時から46年。マーティン・スコセッシ監督が2017年に作ったのが『沈黙ーサイレンス』である。私自身が法華経の信仰に踏み切ったのは1965年(昭和40年)。「60年代」只中。世界も日本もそして私も「運命」の時代だった。当時の私自身のキリスト教に対する理解は、「神の存在」を含めて理解しがたい宗教であるとの域を出ていなかった。その後、遠藤の一連の著作を読み、その問題意識の一端を共有するに至ったものの、大きく認識を変えることには繋がらなかった。日本における布教過程での壮絶なまでの迫害。にも関わらず、その命脈は連綿と保たれてきた。映画を観て、弾圧の中で布教する側も、その教えに忠実に信仰を続けた側も、「よくぞまあ、ここまで耐えるか」といった率直な感慨を持った◆小説の舞台は17世紀前半の日本・長崎周辺。ポルトガルやスペインから布教に来て、戦国武将や大名にも信者が出ていたが、徳川幕府の方針転換によって事態が変わった。原作では、宣教師の中心人物フェレイラ神父が拷問にあって棄教したとの噂がポルトガル・イエズス会に伝わって、弟子にあたるロドリゴとガルぺの2人のパードレ(司祭)が真偽を確かめるべく日本に向かう。苦難の末辿り着いた先に待っていたのは、弾圧に隠れて信仰を続ける農漁民たちのいたいけな姿だった。キリストの姿が刻印された版像(踏み絵)を踏ませるべく、執拗な追及が行われる。従わなかった者には、壮絶な拷問が加えられていく。その過程でロドリゴ司祭は、ある信者の裏切り行為がもとで捕われ、ガルぺ司祭は民衆を守ろうとする中で死に至る。退転したフェレイラ神父とロドリゴ司祭が会うに至るも、抵抗することが逆に民衆を苦難に沈めるだけだとの事の非を諭され、ついに心ならずもキリストの絵を踏む。弟子もまた師と同様の道を歩み、死に至った日本人に成り代わって江戸で生きていく、との展開である◆この映画で、観るものの眼に焼き付くのは、熱湯の飛沫浴びを始め、はりつけ、火炙り、逆さ吊りなどの残虐な拷問の数々と、信仰を棄てることを迫る踏み絵の場面である。一方、耳に残るのは、フェレイラ神父(棄教した後、沢野忠庵と改名)との漸く叶った対面でのやりとりである。ロドリゴ司祭が涙ながらに「情けない」とかつての師を激しくなじり続ける。それに対して、フェレイラは「この国にキリスト教は根付かない、泥沼のようなもので苗を植えても根が腐る」「山河の形は変われども、人の本性は変わらぬ」などと静かに強調する。師弟の布教をめぐる対話は哀切に満ちて胸を打つ。神への信仰を司祭が続ける限り、信者の生命は果てしなく損なわれる──〝逆さ吊り〟の拷問に苦しむ信者たちの呻き声の前で、ついに司祭が棄教を選択するに至ってしまう。この映画、最大の山場だ◆「信仰の持続か、さもなくば死か」との〝究極の選択〟を迫る布教上の法難は、日蓮仏教の歴史にも「熱原の3烈士」から「牧口常三郎先生の獄死」まで厳然と続く。「信教の自由」が確立された現代社会では、「難来るをもって安楽と心得べきなり」とのご聖訓は現実生活で不断に試される心構えとして根付いている。大学生活の幕開けと共に私は入信。先祖代々の浄土真宗から、日蓮仏教へと、10年余をかけて父を始め一家全員を改宗に導いた。子どもの頃父親の背を見ながら熱心に阿弥陀経を唱え、「白骨の章」に耳そば立てた私だったが、西方極楽浄土への転生よりも、この世における人間変革こそ成仏という原理に強く惹かれた。改宗後に学んだ哲理の数々は我が生命を揺さぶった。〝有るか無いか〟の二元論ではなく、有無を含み持った〝もう一つの存在〟としての「空」。ものごとの本質を掴む上での「空仮中の三諦論」など。至高の生命哲学だと確信し得る東洋の思想に目くるめく思いを抱いた。そんな身にとって、『沈黙』の突きつけた問題設定は、格好の〝非常時のシュミレーション〟であった。友人たちとの宗教的議論のテーマとして俎上に載せても、むしろ究極の選択肢に直面しない〝幸運の巡り合わせ〟こそ焦点だった。神は「沈黙」するが、仏は「感得」するものだ、と。(2024-6-23)

 

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