『日本のいちばん長い日』━━昭和20年8月14日正午から翌15日の正午までの24時間。アジア・太平洋15年戦争(第二次世界大戦における大東亜戦争とも呼ばれる)の敗北・終戦が決定づけられた一日を描いた映像である。あれから80年が経った年に、1967年(昭和42年)と2015年(平成27年)に公開された新旧二本の映画を、改めて同じ日(3月10日)に続け様に観た。文藝春秋の編集者から作家になった半藤一利の同名の小説を原作に、前者は岡本喜八、後者は原田眞人が監督をした。両作品への評価は観る人によって様々に分かれようが、昭和20年11月に生まれ、今年80歳の私には圧倒的に前者のインパクトが強い。それはひとえに登場する〝俳優たちとのご縁〟に依る。三船敏郎演じる阿南惟幾陸軍大臣と、笠智衆扮する首相・鈴木貫太郎の、硬軟好対照をなす手だれのツートップの佇まいは、「戦争映画」の枠組みを超えて胸騒がせ感動させるのだ。前者へのそういう通俗的な捉え方に反発する向きが後者を誕生させたに違いない。漠たる印象でいえば、油絵と水彩画の違いと言えようか。個性強い濃い映像に、凡なる人間は惹きつけられる◆以下、印象に残る場面に触れる。ポツダム宣言受諾を拒み続ける強硬な陸軍内部の意向を表明せざるを得なかった阿南が、ひと段落がついたのちに「ご迷惑をかけた」と鈴木に詫びるシーンが第一だ。別れたのちに老宰相が「阿南は暇乞いに来たのだ」と呟くくだりはグッときた。その流れの先に、阿南が割腹自決する場面が続く。ここでは瞬時東条英機の銃弾による自死未遂事件が頭をよぎるのは如何ともしがたい。日本人の「死生観の原点」とでもいうべき感情が湧き起こる。次に、戦争終焉が間近に迫っているのに、なお徹底抗戦を続ける動きは、「2-26事件」を惹起させ、いかにも切ない。天皇の玉音放送の録音盤捜索をめぐる映像はいささか執拗に過ぎる。戦争終結に最後まで抵抗する態度を取り続けた厚木空軍基地の場面も忘れがたい。自爆飛行に飛び立つ航空機に日の丸旗を振りつつ見送る子どもたちとその背後から聞こえてくる「予科練の歌」には、虚しさが頂点に達する。最後の最後まで本土決戦を呼びかけることで、武人の意地を見せようと、馬上からビラを撒き続ける兵士とそれを拾い上げる浮浪児たちのラストシーンはパロディだった◆観終えて、心に迫りくるのは私好みの脚本家・橋本忍と岡本喜八監督の〝シリアスさ二重奏〟であろうか。数々の名作を生み出した橋本と岡本の〝個性的映画の二枚看板〟のしたたかな技巧に唸る。私のような世代からみると、惨殺される近衛師団長役の島田正吾や情報相を演じた志村喬、米内光政海軍相役の山村聰などなど、一人ひとりの役者の放つオーラに目眩む思いがしたというのは大袈裟だろうか。ただ、天皇の実像を徹して伏せたのは、戦後20年余における天皇在世当時としてはやむを得ないものだったろうが、40年経った今からみると、主役不在の感否めず違和感が漂う。この点に限っていえば、後者の本木雅弘演じる天皇の存在感は胸迫るものがあった。なお、リメイク版の映画で阿南役を演じた役所広司は私の好きな俳優だが、直近にみた『PERFECT DAYS』の公衆トイレ清掃員のイメージが強過ぎた◆さて、戦争が何はともあれ幕を閉じて━━ソ連の理不尽な侵攻は日本人として忘れ得ぬ卑劣さが残るものの━━80年後の今日の国際情勢をどうみるかに視線を転じたい。まずはロシアという国家の狡猾さと、戦争終結の困難さである。ウクライナにしてみれば、あたかも白昼堂々無惨にも押し入られた強盗殺人犯にそのまま居座られるような形では終わらせたくないと思うのは当然過ぎる。しかし、現実はそう簡単ではない。このまま戦争状態が続けば更なる犠牲者が増える。かつての日本が原爆2発を広島、長崎に落とされるまで、奈落の底にある自己を自覚出来ず、ズルズルと地獄の淵に落ち至ったことを思い起こす必要がある。もちろん、ことの次第が違い過ぎる。しかし、勝手に侵攻してきた傍若無人の相手に屈服することは許せないとの感情論だけでは持たない。ここは、知恵の限りを尽くしてひとたびは後退しても、のちのちの復興、興隆に賭ける必要があろう。戦争の因果、経緯は全く違うものの、日本やベトナムの歴史には、壮絶な戦争を経験したのちに見事に復興したことが見て取れる。このことが持つ意味をウクライナも考えるしかないように思われる。(敬称略2025-3-12)