【39】日米の「大学紛争」映像比較──映画『いちご白書』を観て/6-16

 「大学紛争」といえば、1965年(昭和40年)に慶大に入学した私の場合は「学費値上げ反対闘争」を思い出す。大学の司令塔である塾監局が一時的にほんの少しの学生たちによって占拠(この時のテーマは「米軍資金導入反対闘争」)されてしまった。それを少し離れたところから偶々通りかかった石川忠雄先生(後の塾長)と、同期の梶村太一郎君(現在ドイツ在住ジャーナリスト)と一緒に見上げつつ、「ったく、しようがないねぇ。あんなことをして」と慨嘆したものだ。後に1993年(平成5年)に衆議院に初当選して政治改革特別委員会の委員になった。その際に、偶々隣席に座った栗本慎一郎氏(新生党=当時)との雑談のなかで、大学在学中のことが話題になった。栗本氏は、塾監局を占拠したうちのひとりが自分だったことを得意然と明かした。これだけが私の学生運動の現場との関わりだ。そんな私がつい最近に日米両国のフィクションとドキュメンタリーによる、2つの大学紛争に関わる映像を観た。一つは映画『いちご白書』。もう一つはNHK 「映像の世紀」バタフライ・エフェクト『安保闘争』である。共にそれなりのインパクトがあり、感慨深かった◆映画の方は、米国の作家ジェームズ・クネンがコロンビア大学での1966年から68年までの自身在学中の戦争関連施設の建設反対抗議体験をもとに書いたものが原作。出版は1969年。映画は1970年に公開された。ほぼ私の学生時代と重なり、映画初公開からは54年が経つ。映画はボート部に所属するノンポリ男子学生と学部長室に立て篭もる女子学生との恋愛模様を絡ませて進む。タイトルの『いちご白書』は、当時のハーバート・A・ディーン学部長の発言に由来する。大学当局の思惑と学生の反発との交錯の中で、虚実ない混ぜになった論議が交わされた。半世紀経っても「いちご」の持つ味わいは変わらないかに見えるのは面白い。一方、我が日本の『安保闘争』ドキュメントは、60年安保闘争の学生デモ隊の国会突入をピークに、全学連委員長だった「唐牛健太郎」の渦中での動きを追う。権力の頂点にいて安保改定に政治生命の全てをかけた岸信介首相との対比が印象深い。とりわけ当時の運動家の多くは、大学を卒業して普通の就職をする過程で転向を余儀なくされていった。これに対し、「唐牛」がひとり原罪を背負ったかのように労働者であり続け、50歳を前に死んでいった姿には胸を打たれた◆米国ではこの映画はカンヌ国際映画祭審査員賞を受賞したものの、興行的にはあまり振るわなかったという。確かに学部長室占拠から食料調達やら、ボート漕ぎの場面などを挟み、大学に突入してきた警察当局に抵抗するシーンに至るまでストーリーの「甘ったるさ」は否めない。ピリっとしたところを感じることはいささか難しかった。恐らくそれは米国にあっては、ベトナム戦争そのものの直接的な体験の厳しさ、リアルな反戦運動の実態に比べて、どうしても〝学生ごと遊び〟に見えてしまう。その点、日本の場合は、60年から70年前後にかけての「安保闘争」と絡む形で、東大安田講堂事件(1969年)やら、「あさま山荘事件」(1972年)など、小説より遥かに奇異で、奇怪な事実が相次いだ。これは今も時折流される各種ドキュメント映像が物語るように、ただただ圧倒されるばかりである◆私の高校同期生たちのうち、早稲田大学に進んだ連中は、高校の一個先輩に後に早大全学共闘会議議長になった大口昭彦さんがいたことも影響して学生運動に身を任せた者も少なくなかった。ほとんどの友人は卒業と同時にその道から足を洗ったものだが、中には職業革命家とでも言うべき活動に挺身したものもいた。また東大駒場前に新左翼関係の本を中心に取り扱う書店を営んだものもいた。私が訪れた際に、彼が「70年代には革命が起こる、いや必ず起こすとマジで思ったものだが、起こらなかったなあ」と述懐していたことは忘れ難い。大学生時代に「社会革命」ではなく、「人間革命」こそ、人生を根底的に変革する確実な手立てだと確信した私は、勉強そっちのけで、日蓮仏法を体内に取り入れる活動に明け暮れた。おかげで、80歳に手が届くようになった今もなお、学生時代にやり残した「学問」を中途半端に引き摺っている。(2024-6-16)

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【38】医療における笑いと感動の持つ壮大な力━━映画『パッチ・アダムス』を観て/6-11

 「パッチ・アダムス」──この映画のタイトルだが、実在の人物の名前。米国生まれの数えで今79歳。まず映画のあらすじを要約する。自殺未遂を繰り返したのちに、心を病んで病院に入ったアダムス(演じるのはロビン・ウイリアムズ)はやがて自ら医師になろうと決意し、ヴァージニア大学の医学部に入学。そこでただ暗い気分でベッドに寝かされたままの患者たち(子どもや大人たち)を、あの手この手で笑わせる。規則通りでは患者との接触を禁じられているのに、今そこで苦しみ落ち込んでる人たちを放っておけない彼は、ルールを破って現場に入り込み、奇想天外の振る舞いを演じる。抱腹絶倒の演技のウイリアムズは、これまで幾たびか取り上げた映画(『グッドモーニング・ベトナム』『今を生きる』『ミセス・ダウト』)でも主役を演じていた。どれを観ても本当に面白い。この映画ではアダムスが恋人と一緒に仲間たちと経済的に恵まれない不幸な患者たちを救う医療施設を作るくだりが胸をうつ。と同時にショックな事件も起きる◆この映画を観たのは今回で2度目。最初に観たのはもう23年ほど前のこと。恥ずかしながらはっきり覚えていたのは。並べられたベッドに寝ていた子どもたちを明るい気分にすべく、パッチが鼻に赤い色の道化具を付けるシーンと、大学を訪れた学者たちを歓迎するための校舎の入り口が、女性の足を広げた子宮の入り口になっていた場面。そして卒業式でパッチが証書を受け取るラストシーン。いずれもどっと笑ってしまうくだり。そっちに頭がいって、患者を生身の人間と見ようとしない医療現場や、それを覆そうとする真面目な動きの諸場面は忘却の彼方であった。実は、この物語のモデルであるパッチ・アダムスが日本にやってきた2000年に私は直接会ったことがある。親しい友人である小児外科医の高柳和江と共に。高柳は小児外科医を経て、現在は、一般社団法人『癒しの環境研究会』の理事長であり、笑医塾の塾長。当時「日本のパッチ・アダムス」と呼ばれていた。『パッチ・アダムス いま、みんなに伝えたいこと──愛と笑いと癒し』って本を、2人共著で主婦の友社から2002年に出版している。彼女の招きで来日した際に、昭和大学人見講堂での講演会には3000人にも及ぼうかという医学生たちで満員になった◆この20数年というもの、高柳の講演や活動について私は幾たびも直接見聞きすることになり、応援もしてきた。つい先日(5-7)彼女はNHKの番組「ラジオ深夜便」に登場した。2度目のことらしいが、聴いてると相変わらずご本人を含め「女性は26歳、男性は27歳」ということが強調されていた。あれこれ以前のことが思い出されて可笑しかった。まず自分自身が若いとの自覚を持つことの大事さを訴えているのだ。長年癌を患っていた人や鬱症状であった患者が、彼女の話を聞いて笑いと感動を生活に取り入れた結果、治ったり、大きく好転したとの体験談が伝えられていた。笑いが人の免疫性をいかに高めるかが語られていた。この映画でのアダムスの実践がそのまんま高柳の行動と重なっていることが改めてよく理解できた。全国各地で笑医塾を展開しており、自殺者の増加で悩んでいた自治体が「一日に5回の笑いと5回の感動」の励行で、大きな改善がなされたとの報告も紹介されていた。私も兵庫県内各地で実施された講座を現地で見たり聞いたりしてきたが、改めて実例体験を知って感慨深いものがある◆医療現場において、この映画が訴える環境における癒しの重要性を実際に実行している病院の例として、岡山旭東病院のケースを紹介したい。土井彰弘総院長は1988年(昭和63年)に、脳・神経・運動器疾患の総合的専門病院を目指して病院経営を始めたとのこと。高柳との交流を通じて、パッチ・アダムスの招聘、アメリカ、ニュージーランド、カナダへの研修旅行の参加などで、癒しの環境への関心を深めたという。その結果①専属ガーデナーの導入②絵画展示③情報コーナー健康の駅の設置④パッチ・アダムスホールの設置⑤癒しの環境整備委員会の設置と運営⑥癒しの環境院内学会の年一回の開催⑦患者様ライブラリー(司書の配置)などを盛り込んだ病院が実現されている。要するに、笑いと癒しの渦巻く環境を作っておられる病院ということなのだ。他にもある。映画が公開(1998年)されて四分の一世紀、日本でも着々とパッチ・和江の精神が浸透していることは素晴らしい。(敬称略 2024-6-11)

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【37】川端康成の愛の行方と吉永小百合━━映画『伊豆の踊子』を観て/6-3

 原作は川端康成初期の小説『伊豆の踊子』。この小説は過去に6回も映画化されている。私がこのたび観たのは1963年(昭和38年)に製作されたもので、主演の踊子役は吉永小百合。その踊子に心惹かれる学生を演じたのが高橋英樹。原作は川端の若い学生時代の実生活をもとに描かれており、映画では後にその学生が教授になり、過去を回想する体裁を取っている。大学の大教室での講義が終わった後の帰り道で、その教授が若い男子学生と踊子(ダンサー)のカップルから仲人を頼まれるシーンで幕が開き、伊豆での若き日の思い出に浸っていく。川端には母と父を生後ほどなくして失った辛い幼少年期の〝孤児としての影〟が青年期を通じつきまとった。この旅の背後には鬱屈した思いを吹き払おうとする心情があった。天城峠のトンネルを出たところでの偶然の出会いから下田で別れるまで、彼が旅の芸人たち一行と行動を共にする数日間が描かれていく◆映画は小説にも増して、瞬時に登場人物の心の動きを表す。吉永小百合扮する薫に出会った一瞬に学生も心を掴まれる。二人の眼の動きと仕草が全てを物語る。旅芸人の立ち入りを咎める立て札が目に入り、子供たちが芸人たちを蔑む言葉を発しながらまとわりつく。その映像が歓迎されざる一行を暗示するも、それは表のこと。裏では民の心を〝旅の芸〟は掴みゆく。賑やかな鳴り物に合わせての踊り子たちの舞が、旅籠での空気を和ませ、人の心を宣揚せずにはおかない。同宿の客の囲碁の相手をするも、かなたからの歌舞音曲に混じっての嬌声が気になって学生の心は昂まるばかり。〝お座敷〟のあとに、囲碁の相手をするとの薫の言に胸弾ませ待っていたら〝五目並べ〟だったり、露天風呂から手を振る無邪気な仕草さなどに、しだいに歪み捻くれた学生の心が解き放たれいく◆私の「読書遍歴」に川端康成の「指定席」は少なかった。「美」よりも「理」を追う性癖は、漱石や鴎外に向かったからだ。しかし、議員を辞めた定年後に森本穫(賢明女学院短期大学名誉教授)という康成研究の第一人者と知己を得る幸運に巡り合ってより一変した。先日も映画を観た後に、その〝観想〟へと水を向けた。同先生から早速次のような文章で返信メールが届いた。「『伊豆の踊子』にはいくつかの脚本によって映画が作られてきていますが、ご覧になった高橋英樹と吉永小百合のものが一番素晴らしいと思います。村の入り口にバーンと『物乞ひ 旅藝人 村に入るべからず』との高札が出てきたり、踊り子の友達が哀れな姿で病に苦しんだ末に死に、やがて人知れず葬られる場面が出てきますね。あれって原作には具体的には書かれていない。原作に根ざす濃密なテーマをしっかり描きこんだ、まことに優れた脚本です。踊り子が社会的に差別を受ける身だったこと、一歩間違えると悲惨な死を迎えかねない存在であったことが汲み取れます」。嬉しい便りであった◆実は私は大学生時代(昭和40年/1965〜昭和43年/1968年)に映画のエキストラを一時アルバイト(時給600円)でやっていた。日活・布田撮影所の日映プロダクション専属だった。まさにその頃、高橋英樹の映画に〝その他数名〟役で出た。とあるセットの中でのこと。彼を取り囲んだ車座の中から「映画もいいけど、本当は俺は舞台に出たい」というような声が聞こえてきた。吉永小百合との〝競演〟がなかったのは残念だが、稲垣美穂子とは袖擦り合わせる場面があったのは懐かしい。その吉永小百合について、森本穫先生は先のメールの最後に、「映画が公開された昭和38年頃、川端は吉永小百合にぞっこんで、その後も彼女への愛を隠そうとしませんでした。彼には根源的に社会から疎外された美しい少女に惹かれるという強い傾向がありました。伊豆の踊り子も、伊藤初代ものちの養女政子も、さらに『事故のてんまつ』のモデルの女性も同様です」と記されていた。同先生は昭和37年早大法学部入学。後に早大第一文学部を卒業されている。吉永小百合は昭和44年に同大第二文学部を卒業しているので、広い意味で先輩に当たる。川端への羨望も仄かに漂ってくる。サユリストだった私は嫉妬すら感じてしまった。(2024-6-5 一部修正)

 

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【36】差別超え胸打つスポーツマンシップ━━映画『栄光のランナー/1936ベルリン』を観て/5-22

 いい映画を観たあとの爽やかさは格別だ。『栄光のランナー』──1936年のベルリンオリンピック大会で一人で4つの金メダルを獲ったジェシー・オーエンスの様々な戦いを描いた作品である。人種差別との戦い。ドイツとアメリカの過去と現在。映像と芸術との政治的宣揚と抵抗。スポーツと政治。選手とコーチの関係。人生の夢と希望、家族愛──などなど多方面に考えさせられる実にいい映画だった。こういう映画を皆が一緒に観て、意見を披歴し合うってことがあってもいいのではないか。この映画の公開は2016年。現実のベルリン五輪から80年後。そこから8年。今年のパリ大会を前に改めて考えることは多い◆この映画が観るものを感動させずにおかないのは、理不尽極まりない人種差別政策に依拠したヒトラードイツの傲慢さを、内外のスポーツマンたちが打ち破ろうとしたこと。ドイツの走り幅跳びのカール・ロング選手が、オーエンスの跳躍の2度の踏切り失敗に対して、タオルをわざわざライン横に置いて目立つようにした。これはいささかオーバーではないかと思われるが、同じ条件で競い合いたいとのスポーツマンの心を表現したものとして、強く惹かれずにはおかなかった。試合後の2人の語り合いで、ロングは国威発揚一辺倒のナチス政府批判を口にした。政治の異常なまでの介入に反発しあった会話も心に残る。また、コーチのラリー・スナイダーが自分自身の若き日の挫折の悔しさを奪取するべく、才能ある後輩に思いを託し夢の実現を果たしたことにも熱いものを感じた◆さらに、記録映画の撮影をヒトラーから任せられたレニ・リーフェンシュタールの振る舞いには注目させられた。この人物については、ファシズムの擁護者か、芸術至上主義者かといった相反する見方があるが、この映画は後者のスタンスに立ち実に興味深い。ゲッペルズ文化相らが撮影に不当な干渉をしようとしたのを跳ね返すシーンを始め、ヒトラー支配に抵抗するかの様な素振りには息を呑んだ。五輪現場での競技が終わった後で、後世の人々に残すためにとの観点から、改めて特別に低い位置にセットしたカメラで、オーエンスに走り幅跳びを繰り返し求める場面など、スポーツにおける「人間の肉体美」を追う姿には率直に感動した。この人物については、芸術の至高さに関われる自己の欲求を満たすため、人間抑圧の権化たるヒトラーに敢えて寄り添う道を選んだのではないかとの見方がある。大いに興味を覚えてきた私としては、この映画での描かれ方には好感を持たざるを得なかった◆偶々前回この欄で取り上げた映画『アラバマ物語』に続いて、ハーパー・リーの同名の原作小説を読んだが、黒人差別撤廃への道は遠いと、改めて痛感する。というのも、これまたタイミングよくNHK総合テレビで放映された『映像の世紀 バタフライエフェクト』──「奇妙な果実 怒りと悲しみのバトン」を観たからである。この映像は1930年代半ばに続発した黒人リンチ事件の非人道性を鮮明に描き、ほぼ100年間にわたる反発、抗議の動きを追ったもの。人々の心を奪い、怒りに立ち上がらせたジャズの歌声を主軸にした表現には胸詰まる思いを抱かせた。尤もバラク・オバマ黒人大統領の登場に大いなる期待を抱かせたものの、米国の現実はさして変化していない。なぜだろうか。私はあらゆる人間の奥底に潜む生命観が歪んでいることに原因があると思う。これを覚醒させるしかない。そのためには、仏教の真髄である法華経を根幹にした日蓮仏法に依るしかない。世界の各地で展開する創価学会インターナショナル(SGI)のリアルな座談会運動の中にこそ、生命の平等観が息づいており、黒人差別撤廃のカギがあると確信する。(2024-5-22)

 

 

 

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【35】大人のおとぎ話と聞いてはいたが━━映画『美女と野獣』を観て/5-12

 この映画は、スタートから普通ではない。監督ジャン・コクトーと思しき人物が黒板にチョークで主演の名前を書く。それを当のジャン・マレーが消し、次に監督がジョゼット・デイと書くと、今度は主演女優の彼女がそれを消すという具合に。そしてこの場面の最後に、「よーいスタート」となってカチンコがなった途端に、直ぐ監督から「カット」の声が。そして黒板に字が出てくる。そこには「子どもは大人たちの話を素直に信じ込みます 一本のバラの花から始まる不思議な不思議な物語です 怒り(感情)が頂点に達し両手から煙を放つ野獣と その城に住む野獣の心に恋心をもたらす美女の存在 子供はそんなおとぎ話を真剣に信じるのです 皆さんもちょっぴり子供に帰ってみませんか それでは例の呪文を!開け〝ゴマ〟 昔あるところに‥。ジャン・コクトー」と。これは、要するにあんまり真面目に理屈っぽく考えるなってことだろう(と思った)。しかし、そこは凡人。どうしてもなぜ、どうして、と展開が気になっていく。そのくせ肝心のポイント(主役のジャン・マレーの1人三役)を見逃してしまい。最後は、えっ、アレっ、あーあ、となって、結局なんと他愛もないおとぎ話かよ、となってしまった◆この映画の原作は、フランスのある童話作家の手になるもので、以後数多の人々や団体が様々に取り扱ってきている。これはそのうちの一つ。フランスの詩人コクトーが1946年、第二次世界大戦直後に初めて作った長編映画作品だという。実は私は、この映画よりも後の1950年に作られたコクトーの『オルフェ』を先に観た(No.30)。順序が逆になったのだが、後の方は、死後の世界と生きてる世界、つまりあの世とこの世を行き来する凄く浮世離れした話だった。こっちは映画冒頭に監督がわざわざ断りを入れているように、おとぎ話としての男と女の物語である。2つの映画の中で鍵を握る小道具が共通している。鏡とゴム手袋だ。この映画では心のありかを映し出したり、自由に行き来することができる魔法の手法、手段として使われる。自分の目で直接見ることの出来ないものが見られる鏡と、汚いものでも熱いものでもなんでも触れる手段としてのゴム手袋の使われ方は哲学的であり興味深い◆さて、この映画では、出会うまでは凶暴そのものの野獣が、美女に出会った後は結婚を迫る一方で、美女に支配される気弱な存在に変化してしまう。しかも美女から見つめられる視線を怖がり、「醜い私を許してくれ」という言葉を連発する。通常の男女関係でも、結婚するやいなや、どっちかが強くなるっていうパターンが顕在化するようだが、これはその類型のうち、女が強く、男(野獣の化身)が弱いという極端なケースだろうか。映画鑑賞者によっては、いくつかの分裂した男の持つ特性が統合していく過程を描いたものといった見方をする向きもあるようだが、人それぞれだろう。余談だが、このところ私がはまっているNHKの朝ドラ『虎に翼』で日本初の女性弁護士になった寅子が唄う「うちのパパとうちのママ」で始まる歌の歌詞の関係も、どういうわけか女優位である◆フランス文学者で映画評論家の野崎歓氏は、この映画を放送大学での講義で取り上げて「創造力は豊かさに触れると直ちに眠り込んでしまう」との言葉や、「我々の役割はおとぎ話を信じさせる素朴なリアリズムに忠実であることに限られた」といったコクトーの『ある映画日記』という著作からの引用文を紹介していた。その上で、貧しさこそが創造力の生みの母であり、この世にないものを信じることがリアリズムに繋がるとの野崎氏自身の見方を披瀝していた。つまり、野崎氏によれば、何もかも自由に豊かに手に入れられる環境にあり、目に見えるものにだけ取り込まれていては、ことの本質を掴めないとのメッセージをコクトーは発しているというのだ。コクトーを深く尊敬し、マレーに入れ込むこの人らしい深くてタメになる解説に違いない。映画を見終えて聞いて、我が想像力の拙さを思い知らされた。(2024-5-12)

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【34】「人間差別」の根源を突く━━映画『アラバマ物語』を観て/5-6

 この映画のタイトル『アラバマ物語』(1962年製作)からだけでは、日本人は中身を想像しにくい。だからといって、原題『To Kill a Mockingbird』でも英語圏世界に詳しくないと、「モッキンバードを殺すこと」って意味はなお分からない。私は映画を観終えて、mokingbird=マネシツグミが「他の鳥のさえずりをまねる鳥を指す」と知って、初めて腑に落ちた。この映画は黒人や障がいを持つ人を差別する人間が、付和雷同的に同調し真似してはいけないということを強調していると、勝手に深読み(捻じ曲げ読み)したのである。とても重要なことを子どもの目線を絡めて優しく感動的に表した素晴らしい映画である。同名の小説も映画化と同時に出版され900万部の超ベストセラーになり、米社会では教科書に取り上げられたりするなど、あまねく知れ渡っているようだ。加えて演劇化されて舞台でも繰り返し演じられているとのこと。(その辺りを今頃知ったこと自体恥ずかしいが)◆原作は、作者のハーパー・リーの少女時代の体験に基づく。映画では、彼女が後年大人になってから語るスタイル(ナレーター)をとっている。1932年頃の米南部アラバマ州が舞台。「怖いほど何もない」と表現された「古ぼけた町」。母親と死別した小学校低学年の兄妹と父親との日常や、近所の家に住む正体不明のブーと呼ばれる青年への子どもたちによる〝謎追い〟が映画の底流をなす。グレゴリー・ペックが父親の役。彼は弁護士で、白人女性をレイプしたと濡れ衣を着せられた黒人の弁護を引き受けるところから、映画の核心が動き出す。裁判は白人女性とその父親による狂言(現実は父親の娘への虐待)ということが簡潔明瞭に分かるのだが──弁護士の人種差別を批判する場面が胸を打つ──黒人をまともな人間として認めない米南部地域の風土は決定的に色濃く、白人陪審員たちは「有罪」と結論を出してしまう◆絶望した黒人は逃げようとしたところを撃たれて命を落とす。弁護士の公判での追及を逆恨みした虐待常習の父親は、子どもたち兄妹を襲う。それを防ぐために、逆に刺殺したのがブー青年だった。という風な形で物語は進む。同青年は知的障がい的な疾患(だと思われる。見た目は普通)はあるものの、人並み以上に優しい心根の持ち主だった。彼の親が世間に知られることを恐れ、引きこもらせていたものと思われる。最終的に映画を振り返ると、前半の謎めいた動きが分かってくる。すべて子どもたちに心寄せる優しいブー青年の仕業だった、と。正当防衛による殺人だったとして、彼が罪を問われないようになる。彼の心配りに父親(弁護士)が子供たちの恩人だと礼を述べ手を差し出すラストシーンは、感動を呼ばずにはおかない◆「こどもの日」にこの映画を再度観てから、私は多くの気づきを得た。中でも、父が子どもからの問いかけを真剣に受け止めて、真面目に答えを探す数多くの場面。これには心底から反省をした。子どもたちが父親をファーストネームで呼ぶことには、違和感を感じたが、人間として同じ立ち位置にいるものとして、好感を持った。相手の立場に立つことの大事さを諭す場面も極めて印象的だった。また、黒人の家政婦が母親同様に厳しく躾ける場面にも、良識ある米白人家庭のあるべき姿を見せられたようで感じ入った。しかし現実的には、この映画はニグロという差別表現が連発されていることから、結局白人優位の現状を越えていないとの批判もあるやに聞く。人種差別の壁は厚い。日本にあっても被差別部落問題は根深く、障がい者差別というテーマの現状も深刻だ。実に見事な演技(最年少で助演女優賞を受賞)を見せてくれたメアリー・バダム(スカウト=女の子役)のその後の実人生が気になった。調べると、彼女は映画の仕事は止めたものの、今なお差別撤廃に向けて種々の活動をしているとのこと。ほっとした。(2024-5-6)

 

 

 

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【33】組織におけるみんなの役割━━映画『ケイン号の叛乱』を観て/4-28

 この映画を見終えた後の余韻は意外に重い。米海軍の古びた艦船・ケイン号が舞台。そこでの組織のトップと、支える役まわりの在り方が主たるテーマだと私には思われた。全体の構成は大きく2つに分かれる。舞台前半は、ケイン号内。人事異動で新しくやってきた艦長の指揮ぶりと、いささか常軌を逸した行動とが、部下たちの反発を招き、危うさを伴いつつ物語は進む。台風襲来の混乱の最中における艦長交代事件を挟み、後半は、艦長の命令に従わず、指揮権を奪った副艦長らの叛乱を問う海軍内法廷でのやりとりになる。叛乱の経緯を追う限り、観る者には、非は艦長にあると思われるが、検察側と弁護側の論戦の展開はそのようには進まない。だが、法廷での結論は劇的な逆転に終わる。それで一件落着かと思いきや、更なる反転が起こる。最後の15分ほどの展開が実に興味深い。心打たれる。この映画を振り返りながら、組織における構成メンバーみんなの役割を考えてみたい◆艦船を構成する組織のトップたる艦長が有能であれば、問題はさほどない。しかし、生身の人間であるがゆえに、立ち居振る舞いに自ずと様々な癖があり、好悪の感情を抱きやすい部下たちとの間でハレーションが起こるのは常である。この艦長(演じるのはハンフリー・ボガード)は、偏執症(パラノイア)的行動が時に顔を出す。物語が進むにつれ、部下の身だしなみへの異常なまでの注意喚起や、イチゴの数を巡り執拗に文句をつけて(誰が盗み食いしたか)調査を命じるなど、怪しげな指導者ぶりが露わになってくる。平時はともあれ、非常時では、一瞬の判断が全体を危機に追い込む。様々なケースが重なって、部下たちの信頼を損っていく。軍法会議(法廷)の場でもしだいに病的な素行の実態が暴かれて、ついには馬脚を表す。虚勢が次第に崩れていく中でのボガードの表情と振る舞い。迫真の演技力というほかない◆ここでは、能力や性格に疑問符がつくトップリーダーに仕えるNo.2はどうあるべきかが考えさせられる。ほんのわずかだが、艦長が副艦長に融和を求めた場面があった。だが、副艦長は艦長の心の変化を見抜けなかった。最終盤に、「罪重きは副艦長だ」と弁護士役の法務将校に指弾されて初めて、彼は自分の非に気づく。時既に遅し。副艦長がトップを支えるべくもっと対話を進めていたらどうなっていたか。No.2で日本史上著名なのは新選組副長・土方歳三だろう。規律を乱すものを許さず、憎まれ役に徹してNo.1の近藤勇を守った。司馬遼太郎は小説『燃えよ剣』でその辺りを渾身の力を込めて描いて見せた。凡庸なトップであっても才気溢れる脇役がいればいくらでも補えるケースには事欠かない◆さて、最大の見どころは、最後の最後にやってくる。すべてが終わった打ち上げパーティーの場で、「ケイン号の叛乱」の真実が披瀝されるのだ。本当の意味で最も罪深き人物が明かされる。種明かしはご法度なので、〝観てのお楽しみ〟になる。ただし、その余裕のない人のために敢えて私の感じた「組織擁護」のポイントだけに触れる。要約すると、艦長(トップ)は確かに病を持っていた。だが懸命にその役務に取り組んできていた。大方の組織構成メンバーが自分のことにかまけてきた中で、彼が国を(組織を)守るために尽くしてきたこれまでの働きを忘れてはならない──ということになろう。そして糾弾されるべきは〝当事者意識の希薄な傍観者〟である、と。かつて私がそれなりに畏敬の念を抱いていたジャーナリスト出身の先輩政治家がいた。華々しい活躍をされたこともあったが、行動の只中にあってなお、どうそれを後世に伝えるかに腐心することのみ多い人だった。結局は足元を掬われ、金権腐敗スキャンダルにまみれて消えてしまった。注意せねば誰しも嵌りかねない。組織を維持、発展させるための最大の敵は「傍観者」だと、思い知ったものである。(2024-4-28)

 

 

 

 

 

 

 

 

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【32】芸術家が垣間見せる「異常さ」の意味━━ヴィスコンティ監督『ヴェネツィアに死す』を観て/4-21

 ヴェネツィア(英語ではベニス)──イタリア北東部アドリア湾の最深部に面した「水の都」と呼ばれる都市。中世におけるヴェネツィア共和国の首都で、いま世界各地からの観光客で賑わう著名な観光地である。そのイメージとは裏腹に映画では冒頭から、倦怠感溢れた雰囲気を漂わせた年輩の男の姿が映し出される。船着場でのこの船のデッキには他に誰もいない寂寥そのもののシーン。この男は、疲れた身と心を癒すべくドイツ・ミュンヘンから旅にやってきた音楽家のグスタフ・アシェンバッハ(演じるのはダーク・ボガード)。彼がこの地で偶然見かけた美少年(ポーランド貴族の家族の一員としてやってきていた)に深く惹かれていく。時は20世紀初頭。この映画が何をどう描きゆくものか全く知らずに、ルキノ・ヴィスコンティという有名な監督による作品だということだけで観た記憶がある。もう随分前のことだが、映画を観た後で、トーマス・マンの同名の短編小説を初めて読み、このほど改めて再読した◆小説が書かれたのは1911年。映画化されたのは、60年後の1971年。それから今また50数年が経っている。小説と映画と、そして現実と。三者を見比べると100年の時の変化の中でも変わらざるものが浮かび上がってきたようにも思える。映画芸術は、端的に表面上の美を映し出し、数多の言葉の矢玉をも寄せつけない。一方小説は人間の心、感情のひだをあぶり出し、美しい映像の表現の追随を許さない。その2つを現在只今の時点から眺めゆく──20世紀は「小説と映画の世紀」だといわれるが、21世紀初頭の今だからこそ前世紀の全貌が窺えて面白い。老いた男が10代半ばの美しい少年に惹かれ、自らを若く見せるべく身をやつし、まるでストーカーのように遠くから見惚れ、後をつけまわす。こういった行為の連続には、普通の感性の持ち主としてはただ呆れる。この尋常ただならざる芸術家の行為に、疫病による街の佇まいの変化という要素が入ってきて、初めて異常な世界から現実の生活に引き戻されるという不思議な逆転現象に気づく◆原作の小説では主人公は音楽家でなく、小説家。しかも無名の存在ではなく、大いなる地位を築いている。その人物が陥る〝耽溺の世界〟をどう見るか。ある文芸評論家の言を借りると「(一言で要約せよと求められたら)刻苦して作り上げた芸術と生活の調和が破綻して、デカダンスの暗い下降の道に落ちこんだ結果だとでも答えればよいだろうか」との少々持って回った言い方になる。ただ、この要約は、映画鑑賞者の腑には落ちても、小説の読者にはちょっぴり不満足かもしれない。そういう向きには、長い間苦労を重ねて到達した小説家の内的世界が崩されていく過程が理路整然と描かれたものであり、コレラ罹患は直接の死因へのきっかけではあるが、そこには美の極致と同性愛の欲望が命の奥底に横たわっているかのように見える──といったような解説を待つ必要があるのかもしれない◆一般に「世紀末的な気分」として「倦怠感」が持ち出されることが多い。現実的には19世紀末ヨーロッパの空気がそれを表現するものとされる。マンはその辺りを新世紀に入って10年ほどのちに小説で描いた。それをヴィスコンティが60年後に映画で表した。映画が登場した頃は現実の世紀末は30年ほど先のことだが、今観て、読むとなるとコレラに代わるコロナ禍が重なって、奇妙に迫真性に富む。尤も、時代の気分と個人の気持ちは相互に影響し合うとはいえ、当然ながら厳密には違う。その当時20代後半だった人間は「倦怠」とは無縁の「軒昂」だった。しかし70代後半になった今では、この時代の変化と気分の変遷がよく分かってくる。忍び寄る老いとそれがもたらす心身の不都合さとの不断の闘いは日々強まるばかり。それに比例して、すべて美しきものへの憧れは高まりゆくものかもしれないと思われる。(2024-4-21)

 

 

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【31】50年前のアメリカ社会の空気全面に━━映画『タクシードライバー』を観て/4-13

 1976年のアメリカ。長かったベトナムでの戦争に漸く終止符が打たれた時から1年後。米社会には帰還した兵員たちの様々なる鬱屈した気分が随所に横溢していた。この映画は、ロバート・デ・ニーロ扮するトラヴィス・ビックルがタクシー会社の運転手として採用される場面から始まる。監督マーティン・スコセッシ、脚本ポール・シュレイダーの名コンビ。この映画で、カンヌ国際映画祭パルム・ドーム賞を受賞した。日本に勝ってから30年。アメリカは初めて戦争に負けた。その当時の社会の空気、時代の気分はどんなものだったか。「流しの運転手」はいち早くそれを吸い込み、感じとる。ビックルが呟く「夜の街は娼婦、ごろつき、ゲイ、麻薬売人で溢れている。吐き気がする。やつらを根こそぎ洗い流す雨はいつ降るんだ?」とのセリフがそこいらを反映していた。孤独なビックルは人との繋がりを求めてもがき喘ぐ。自他の不適合がもたらす結果はマグマとなってやがて爆発する◆この映画は、アメリカンニューシネマの代表作とされる。観客に夢と希望を与えるようなそれまでのハッピーエンドに終わることが定番だったハリウッド映画に対して、真逆の方向に向かう。社会の不条理と面と向かい合う、問題提起に重きをおく作品と言えようか。例えば、1946年、あの第二次世界大戦直後の映画『我等の生涯の最良の年』は、日本との戦争で両腕を失った傷病者を始め帰還兵たちがそれぞれの苦労の末に、幸せを掴み取るといった内容だった。ラストの結婚披露宴の幸せなシーンが全てを物語っていた。片やこの映画では、再生しようとした帰還兵が、大統領選挙の候補者の事務所で働く女性を見初めて近づくものの上手くいかず、冷たくされ、孤独を一層味わう。そして社会そのものへの抵抗、反発から、大統領候補者の狙撃を思いつき、銃を購入して準備をする。だが厳重な警備の突破は出来ず、「表の世界」から「闇の世界」の破壊へと矛先を変えていく◆大統領候補者をターゲットにして仮に成功していたら、と想像するものの、その行く末はあまり羽ばたかず、焦点も定まらない。スコセッシ、シュレイダー組みの映画作りの構想は、娼婦ならぬ娼少女を喰い物にする〝人非人たち〟の抹殺へと傾斜していく。映画撮影当時13歳だったというジョディ・フォスター演じるアイリスの美しくもいたいけな佇まい。炸裂する轟音の中で泣き叫ぶ姿が強烈なインパクトをもたらし、観るものの目と耳に焼き付く。死にゆく敵の反撃でビックルも尋常只ならぬ傷を首に負いながらも助かる。その上、アイリスの両親の感謝の手紙やらそれを報じる新聞紙面の賑わいが妙にそぐわない。この辺りに私の感性は反応する。これはやっぱり、〝擬似ハッピーエンド〟か、と。しかし、それは束の間。再び生き還った彼は、タクシードライバーの日常に戻る。その昔に付き合った女性が車に乗ってきても素気なく別れ、いつもの日々の繰り返しへと続く。この終わり方こそ新時代の米映画ということか、と◆この映画が封切りされた頃から、ほぼ半世紀。アメリカ映画の〝新しさ加減〟はどうなったのだろうか。数多の反戦、厭戦映画はその後数多く続いたけれども、この映画のように、戦争というものを匂わせずに、残酷なまでにその影響を描いたタッチのものは珍しいと思われる。そういえば、日本の映画界における戦争の描き方において思い出されるのは、小津安二郎監督の手法である。彼の『東京物語』を始めとする一連の作品は、戦争を直接に描かずに、その影響の悲しさ、哀れみを、静かに表現したものだとされる。日本の場合は戦後80年近く経ち、「戦争」は勿論、「戦後」を描く映画そのものにもお目にかからなくなってたえて久しい。それがいいことなのか、悪いことなのか。「戦後は遠くなりにけり」の日本の首相と、いつも〝戦争のさなかにあるアメリカ〟の大統領があいまみえた晩餐会の報道を見聞きして、思うことはまことに多い。(2024-4-14)

 

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【30】「死後の世界」に挑むリハーサル━━映画『オルフェ』を観て/4-6

 映画『オルフェ』は、1950年にフランス・パリでジャン・コクトー監督によって作られたもので、当時から今に至るまで、不滅の誉れ高い位置を占めている。それもそのはず、死後の世界と現実とを交流させたいという人類にとって、ある意味で〝見果てぬ夢〟に挑戦した作品だからであろう。その狙いが成功したかどうか。それは観る人によってそれぞれ違うのだろうが、恐らくみんなに共通することは一つだけはある。それは、しっかり観た人にとって、少なくとも「生と死というもの」を考えさせてくれる糸口になるってことではないかと私には思われる。ここでは私がどう考えたかの一端を披露してみたい◆この映画のあらすじは、詩人であるオルフェが妻を自転車事故で失ったことをきっかけに、死の世界の王女(死神とも表現)に惹かれてしまい、共に愛し合う仲になるというもの。その背後には、ギリシャ神話のオルフェウス(オルペウスとも)伝説なるものがある。その伝説とは日本人にはあまり馴染みがないが、ヨーロッパ世界では人口に膾炙しているもので、毒蛇に噛まれて命を落とした妻を恋慕って、冥府下りをする(あの世までいく)夫の話である。日本で言えば、『日本書紀』や『古事記』におけるイザナギとイザナミの神話との類似性を思い起こす。ここでは、現代フランスに舞台を移して果敢に映画で人間の死後を描いたものだと私には思えた。ジャン・マレー扮するオルフェと、マリア・カザレス演じる死神との愛と、オルフェの妻と、もう1人の死の世界の住人(王女の使用人)との愛といったダブル三角関係の様相を絡めて物語は進む◆カザレスの壮絶なまでの存在感に、死神とはこんなものかとの奇妙な錯覚に陥りかねないが、観るものは確かに圧倒される。ところで、この映画で最も興味深いのは「鏡の存在」(姿見といった方がいいかも)である。現実と冥府──つまり、あの世とこの世に出入りする入り口、出口の役割を鏡が果たすのだ。特殊な手袋──いわゆるゴム手袋をはめると、難なくくぐり抜けられる仕掛けはまことに興味深い。鏡とは、人間が本来的な意味で見たことのない、自分の顔を映し出す。自分ってこういう姿かたちをしているということを分からせるものが鏡である。赤子や猫や犬に初めて鏡を見せた時の印象が思い浮かぶ。自分探しの契機としての鏡を、あの世とこの世の通用門にするとは、なかなかのシンボリックな試みであると思われる。普段はさして思いを込めて見ることのない我が面だが、じっと探し見つめると味わい深いかもしれぬ。鏡をくぐってからの映画でのあの世の様子は、なんとなく地獄の沙汰を申し付ける場のようで私には興味を持てなかった◆死後の世界にいく道程で、今現在の私が興味を持っている境地の一つは、医師で気功家の帯津良一氏の持論である、死ぬ時は虚空に飛び出すロケットのように元気いっぱいに、というものである。これはにわかにはストンと落ちないが、その前段、予備段階としての気功の効用はなんとなく分かる(ような気がする)。曰く「私たちは死して後ち、虚空の懐に帰り、虚空と一体となるのだから、これのリハーサルが生命の躍動と言うことになる」と。具体化をめぐっては禅宗などの影響が強調されていて興味深い。イメージとしてはそれなりに腑に落ちる。尤も、私の60年近い日蓮仏法の日常は、もっと凄い。朝な夕な朗々と声を出して南無妙法蓮華経と唱えて、ご本尊を拝む時に、自分の生きてきた道と交流してきた人たちに思いを馳せつつ、これから先の人生への希望や死にゆく覚悟を定めゆく。これこそ自然なかたちでの次の世へ向かうための日常的リハーサルであり、覚悟の鍛錬だと確信される。時々傍にそれてぐらつくことはあるが、それもまたご愛嬌だと思っている。(2024-4-7  一部修正)

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