映画批評を去年から始めたものの、この9月で挫折した。衆院選が近づき映画を観ることが難しくなったことが主な理由である。年の瀬を迎えて、連載も49回のままで滞っており、50回目の最後の一本を書きたくて、あれこれ溜めおいたビデオを漁った。その挙句に観たのが、南アフリカのネルソン・マンデラの自伝をもとに映画化された『自由への長い道』である。アパルトヘイト(人種隔離政策)に立ち向かって約28年もの長きに渡って獄に繋がれた末に釈放され、大統領になった人物の不撓不屈の戦いを描いたものだ。かねて畏敬の念を抱いてきたが、改めてこの映画を観てその足跡の偉大さに感嘆を禁じ得ない。この映画におけるマンデラ氏の行動で最も感じ入ったのは、「復讐の連鎖」に陥らなかったことと、「妥協の誘惑」に屈しなかったことの二つである。前者は、アパルトヘイトに苦しんで、白人支配層を憎む黒人大衆の中に形成された感情が大きな塊となって、突き上げてきたし、後者は、彼と一緒に獄に繋がれた同士たちが懸念したことだった。しかし、双方共にマンデラは負けなかった◆この映画は彼の青春期に比較的大きなスペースを割いている。最初の結婚の失敗を経て、最愛の伴侶との出会いなどにとらわれていくうちに、「獄中の28年」が意外にすんなりと過ぎていったかに見えてしまうのは少々残念な気もする。さらに、自由を得てからの前述の二つの葛藤をどう乗り越えたのかに、もう少し立ち至っていれば、もっとコクのある映画になったやもしれないと思わざるを得ない。尤も、主演のイドリス・エルバの風貌に加えて演技力の巧みさは賞賛に値する。青年期から老年期へと同一人物の振る舞いを見事に演じ分けていて見応え十分である。獄中生活が1人ではなく、5人のANC(アフリカ民族会議)の幹部たちと一緒だったことも、極苦に耐えられたことに大きな役割を持ったように思われる。ただ、ここらあたりの描き方も映画はいささか物足りない。自伝を読む方がいいのかもしれないと思われてならない◆マンデラが死して(2013年12月)、もう11年が経つ。この間、南アフリカの国力は大きく発展したものの、人種差別の実態は相変わらずの側面が強い。人権の平等を求める人類の欲求は、20世紀後半に全地球的規模で高まった。21世紀はまさに劇的なかたちでこの問題に終止符をうつやに思われないでもなかった。しかし、現実はアメリカにおける人種対立の激化に見るようにむしろ逆に遠のきつつある。映画の世界でも、人種差別の非を取り上げたものは数多く、私も関心を持って追ってきた。かつて観た映画で印象深いものの一つに『アラバマ物語』があるが、この映画の原題はマネシつぐみ(モッキンバード)という名の鳥である。この鳥は、ただモノマネをするだけの優しいおとなしい性格を持つ。この鳥を黒人になぞらえて、痛めつけ傷つけたりましてや殺してはいけないとの意味合いを込めた原作であり、映画だとされてきた。しかし、私はこれに疑問を持つ。むしろ、「人種差別」という非人間的行為を「ものまね」をするかのように伝播させてしまうことの誤りを説いたもので、ものまね鳥を「殺すな」とは真逆の「殺せ」だと、理解したのである。つまり作者はそこに寓意性を込めたのに、米国社会はそれを間違って捉えたに違いない、と◆ところで、ネルソン・マンデラ氏と創価学会SGIの池田大作会長との間には生前深い交流があった。1990年と95年の2回にわたって訪日したマンデラ氏と池田先生との出会い及び交流についてはDVD『闘いこそ我が人生』での映像に詳しい。そこでの語らいは、アフリカの地で人権抑圧に身を挺して闘い続けたマンデラ氏と、全世界規模で人権闘争を展開し続けてきた池田先生との、深い信頼と尊敬の念で結びついた両巨人の魂の絆を感じさせるに十分なものだった。中でも、南アフリカからの留学生受け入れを申し出られた池田先生と、それに深い感謝と喜びを示すマンデラ氏らの場面は圧巻だった。この映画『自由への長い道』を観るにつけて、そういう過去からの現在只今に至る継続に関心を持たざるを得ない。南アフリカの指導者たちと創価大学のリーダーが池田先生とマンデラ氏との約束に関心を失っていないことを強く望むばかりである。(2024-12-25)