【57】「原爆の父」の映画に抜け落ちた生命観━━『オッペンハイマー』を観て/2-25

 2年前のこと。人類史上初めて投下された原子爆弾を作った男とその仲間たちの物語の映画が米日双方で話題になった。原作はカイ・バードがピューリッツア賞を受賞した『「原爆の父」と呼ばれた男の栄光と悲劇』。映画はクリストファー・ノーマンが監督した『オッペンハイマー』。その人物とは、著名な原子核物理学者で、マンハッタン計画と呼ばれた原爆開発プロジェクトを主導すべく任を与えられたロバート・オッペンハイマーである。先の大戦の終盤にあって、ヨーロッパ・エリアに吹き荒れたナチス・ドイツの猛威と、東アジアからアジア全域を襲った日本軍国主義の脅威をどう収束させるかがすべてだった。原爆完成の瞬間の喜びの声はこれで戦争が終わり、米兵たちが家に帰ることが出来るからと見られた。被爆国日本の視点は、広島と長崎で20万人を超える人々がなぜあのような地獄を味合わねばならなかったのかの一点であった。両者の目線は全く違う。公開から2年が経って、核戦争の脅威が一段と厳しさを増す中で観ると、この映画は、「原爆の父の光と影」を追ってはいるが、それだけに過ぎないことに強い不満を抱く。人間の生命の重大さへの感性の描写が欠落していること、に◆当時、ドイツやソ連も原爆開発に躍起となっているとの情報もあり、壮絶な〝一番乗り競争〟の最中であった。この映画ではそうした背景のもとで、原爆が作られ、現実に日本の広島、長崎に落とされた惨劇を勝利と喜んだ情景と、その後彼が共産主義者に見立てられ、赤狩り(マッカーシズム)の対象になって、〝栄誉を剥奪〟される場面が交互に描写される。「栄光」はカラーで、「悲劇」の方は白黒でと、フィルム映像が使い分けられるものの、早いテンポで展開する人間群像の真実を見抜くのは中々容易ではない。劇場で見損なった(気乗りがしなかった)私は、つい先日ようやくビデオで観た。2回観たが、正直理解するのに時間がかかった。映画で印象に残ったのは、突然感の強いオッペンハイマーが不倫をするベッドシーンと、彼がのべつまくなくタバコを口にしていたこと。後年咽喉ガンで死んだオッペンハイマーの死因との関連に思いが至った。オッペンハイマーの加害者としての「慚愧の思い」と、核拡大阻止への「罪滅ぼし」を目のあたりにして、湧き上がる「今更感」は複雑である◆この映画の背景には、ドイツと日本のファシズムと、ソ連のコミュニズムという2種類の全体主義への恐怖があり、それを抑える米国の使命感の高揚は伝わってくる。しかし、その一方で、人間の「生命」というものを思いやる視点は全く感じられない。原爆投下で亡くなった人々の数やどんな状況で死を迎えたかの一端は「言葉」ではあっても、「映像」はゼロに等しい。いかに非人間的な殺戮兵器を作ったのか。戦争を終わらせるとの目的のために(ドイツでも日本でもどちらでもよかった)かくほどまでの残虐な行為がなされる必要はあったのか。そこまで思考の輪を広げていった上で、科学者の影の部分に光を当て、戦争の無意味さをついておれば、単なる個人の悲劇を描いたものを大きく超える意味合いを持つ映画になったのにと、惜しまれる◆偶々、先の大戦における敗者・日本の戦争責任を追及する「東京裁判」において、たったひとり「日本無罪論」を主張したインドのパール判事の主張を思い起こした。小説『人間革命』第3巻「宣告」の章で著者の池田大作先生の描く同判事の〝たった一人の反乱〟は強く胸に迫る。それによると、パール判事は「検察側のいう全面的共同謀議は、被告らにはなかった」と説く。なぜなら「日本の被告たちは、二八年(昭和3年)から四五年(同二十年)の敗戦まで、十七代の内閣が交代した十数年の間に、次々と国政の舞台に登場したのであって、ナチスのような共同謀議に参画していたと、直接、証明される証拠は一つもない」と、ナチス・ドイツとの違いを明確に述べているのだ。しかも、太平洋戦争において、「(ドイツが行った)常軌を逸した殺戮命令」に近いものは、「連合国によってなされた原子爆弾使用の決定である。この悲惨な決定に対する判決は後世が下すであろう」と、アメリカ大統領らの原爆投下決定を厳しく糾弾している。勿論のことだが、このようなパール判事の主張は「日本の太平洋戦争を、いささかも肯定しているものではない」と、池田先生は注意を喚起していることも、忘れられてはならない。こう言った視点がこの映画に挿入されていればと、ついないものねだりをしてしまうのは私だけだろうか。これから20年後の戦争終結百年ぐらいまでには、原爆投下の無意味さと残虐さを描く、日米合作の映画が待たれる。(2025-2-26   一部修正)

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