【58】したたかなユダヤ民族の淵源━━『ディファイアンス』(果敢な抵抗)/3-3

 第二次大戦末期。ナチス・ドイツ占領下でのポーランド(現ベラルーシ西部)におけるユダヤ人の戦いを描いた小説『ディファイアンス ヒトラーと闘った3兄弟』が原作。実話に基づいたものだとされる。映画のキャッチコピーは『人間として生きるための〔抵抗〕だった」。現在のベラルーシ西部の森の中に隠れ潜み、ナチスの捜索、攻撃に徹底して戦った経緯が描かれる。様々な人々が合流していく途上での軋轢、葛藤が観るものを惹きつける。最後まで観ると、登場人物たちのその後が字幕に映し出される。無事生き延びた人たちがいたとの経過にほっとする。ユダヤ人についてはナチスにやられ放題だったとの印象が濃かった。そのくせ、昨今のイスラエルの強国ぶりとのイメージギャップに戸惑いもあったが、これを観てその溝が埋まり、したたかな民族の淵源が分かったような気がする◆この映画を観ながら戦争(戦闘)の起こる場所としての森の役割を考えた。森は平地と違って人が身を隠すのにうってつけである。そう考えていく中で、我々世代の青年期に世界を震撼させたベトナム戦争を思い起こさざるを得ない。遠く離れたアメリカ大陸から空路飛び至たった米海兵隊員たち━━米国は、共産主義によるドミノ倒しを恐れて、南ベトナムに傀儡政権を擁立し、北に向けて侵攻をし続けた。先日NHKテレビで放映されたバタフライ・エフェクト『ベトナム 勝利の代償』では、ホー・チ・ミンとヴォー・グェン・ザップの両軍事戦略家に率いられた「ベトコン」の神出鬼没、変幻自在の戦いぶりが圧巻だった。長きにわたる苦闘の末にベトナムの勝利を可能にしたのは密林であり、森林だったように思われる。森の中にまさに蟻の道のように張り巡らせた地下壕や地下道を自在に使って出没した兵士たちの必死の献身こそ大国アメリカを翻弄しまくった。勿論、その犠牲はこれまた異郷の地からの想像を遥かに超える。「平和の代償」は限りなく血塗られたものだったのである◆一方、21世紀初頭に起こったイラク戦争は、砂漠の多い地における戦争だった。ここでも遥か彼方から降りきたった米海兵隊は灼熱のもと砂の嵐に悩まされ続けた。ベトナムほどに人間の抵抗は強くなかったかのように思われるが、大自然の要塞が防御するイラク兵に味方した側面は強い。イラク戦争の少し前に終焉を迎えたアフガン戦争も岩石や砂地といった自然の要塞を巧みに活かしたアフガン民族兵たちの粘りによって、ソ連(現・ロシア)軍やアメリカ軍の侵攻を跳ね返した。他方、2025年ただいまの時点で、4年目に入ったウクライナ戦争と、3年目に入ろうとするガザ戦争は、ともに隣り合わせた国家、民族の戦いである。遠来の異国軍の介入と違って隣国同士のいさかいは、勝手知ったる土地勘や気候風土もあって、解決が難しい側面が強いかのように思える◆さて、第二次大戦が幕を閉じてから80年。標題の映画が描いたのは、ドイツに20世紀半ばに現れた特殊な政党・ナチスによる狙い撃ちの狂気に抵抗するユダヤ人たちの姿だった。欧州各地での地獄のユダヤ人狩り、ジェノサイド(皆殺し)に、なすところなく犠牲になったように私などは見がちであった。しかし、そんなひ弱な民族ではないことがこの1世紀近い歳月が証明して見せた。ガザでの戦闘を見れば、ユダヤ人たちがいかにしたたかで粘り強く、自国自民族を守るためには、隣国他民族の殺戮をも厭わない強者であることが明白になった。一方で、4年目に突入したウクライナ戦争も停戦の兆しが未だ見えない。ロシアと踵を接する辺りがいかなる地形かは詳らかにしないが、ベトナムやイラクでの戦いに比べて隣り合わせに住む人間同士の殺し合いとあって、より悲惨さが募る。トランプ大統領の傍若無人ぶりの所作振る舞いには呆れるものの、全否定しづらい側面もなしとしない。21世紀も四分の一の時間が過ぎ、前世紀の反省から期待された道が遠のき「生命否定の世紀」になろうとしているのは悔しく情けないばかりである。(2025-3-6 一部修正)

 

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