【33】組織におけるみんなの役割━━映画『ケイン号の叛乱』を観て/4-28

 この映画を見終えた後の余韻は意外に重い。米海軍の古びた艦船・ケイン号が舞台。そこでの組織のトップと、支える役まわりの在り方が主たるテーマだと私には思われた。全体の構成は大きく2つに分かれる。舞台前半は、ケイン号内。人事異動で新しくやってきた艦長の指揮ぶりと、いささか常軌を逸した行動とが、部下たちの反発を招き、危うさを伴いつつ物語は進む。台風襲来の混乱の最中における艦長交代事件を挟み、後半は、艦長の命令に従わず、指揮権を奪った副艦長らの叛乱を問う海軍内法廷でのやりとりになる。叛乱の経緯を追う限り、観る者には、非は艦長にあると思われるが、検察側と弁護側の論戦の展開はそのようには進まない。だが、法廷での結論は劇的な逆転に終わる。それで一件落着かと思いきや、更なる反転が起こる。最後の15分ほどの展開が実に興味深い。心打たれる。この映画を振り返りながら、組織における構成メンバーみんなの役割を考えてみたい◆艦船を構成する組織のトップたる艦長が有能であれば、問題はさほどない。しかし、生身の人間であるがゆえに、立ち居振る舞いに自ずと様々な癖があり、好悪の感情を抱きやすい部下たちとの間でハレーションが起こるのは常である。この艦長(演じるのはハンフリー・ボガード)は、偏執症(パラノイア)的行動が時に顔を出す。物語が進むにつれ、部下の身だしなみへの異常なまでの注意喚起や、イチゴの数を巡り執拗に文句をつけて(誰が盗み食いしたか)調査を命じるなど、怪しげな指導者ぶりが露わになってくる。平時はともあれ、非常時では、一瞬の判断が全体を危機に追い込む。様々なケースが重なって、部下たちの信頼を損っていく。軍法会議(法廷)の場でもしだいに病的な素行の実態が暴かれて、ついには馬脚を表す。虚勢が次第に崩れていく中でのボガードの表情と振る舞い。迫真の演技力というほかない◆ここでは、能力や性格に疑問符がつくトップリーダーに仕えるNo.2はどうあるべきかが考えさせられる。ほんのわずかだが、艦長が副艦長に融和を求めた場面があった。だが、副艦長は艦長の心の変化を見抜けなかった。最終盤に、「罪重きは副艦長だ」と弁護士役の法務将校に指弾されて初めて、彼は自分の非に気づく。時既に遅し。副艦長がトップを支えるべくもっと対話を進めていたらどうなっていたか。No.2で日本史上著名なのは新選組副長・土方歳三だろう。規律を乱すものを許さず、憎まれ役に徹してNo.1の近藤勇を守った。司馬遼太郎は小説『燃えよ剣』でその辺りを渾身の力を込めて描いて見せた。凡庸なトップであっても才気溢れる脇役がいればいくらでも補えるケースには事欠かない◆さて、最大の見どころは、最後の最後にやってくる。すべてが終わった打ち上げパーティーの場で、「ケイン号の叛乱」の真実が披瀝されるのだ。本当の意味で最も罪深き人物が明かされる。種明かしはご法度なので、〝観てのお楽しみ〟になる。ただし、その余裕のない人のために敢えて私の感じた「組織擁護」のポイントだけに触れる。要約すると、艦長(トップ)は確かに病を持っていた。だが懸命にその役務に取り組んできていた。大方の組織構成メンバーが自分のことにかまけてきた中で、彼が国を(組織を)守るために尽くしてきたこれまでの働きを忘れてはならない──ということになろう。そして糾弾されるべきは〝当事者意識の希薄な傍観者〟である、と。かつて私がそれなりに畏敬の念を抱いていたジャーナリスト出身の先輩政治家がいた。華々しい活躍をされたこともあったが、行動の只中にあってなお、どうそれを後世に伝えるかに腐心することのみ多い人だった。結局は足元を掬われ、金権腐敗スキャンダルにまみれて消えてしまった。注意せねば誰しも嵌りかねない。組織を維持、発展させるための最大の敵は「傍観者」だと、思い知ったものである。(2024-4-28)

 

 

 

 

 

 

 

 

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