大学入学と同時に創価学会に入会 (9)

一浪したあとの昭和40年の大学入試では国立、私立とあちこち受けたものの、片っ端から落ちてしまった。受かったのは辛うじて慶應義塾大の法学部政治学科のみ。父母は合格したと言っても最初は信じなかったぐらい。よほど諦めてたのかも。おまけに、慶應ってどんな大学か二人とも知らなかったというのだから、恐れ入る。あとで、入学金や授業料が高いと知って驚くのだが、時すでに遅し。ともあれ、3月に上京、まず下宿を探すことに。前述の志村君を頼って、彼の下宿先の中野区鷺宮の深澤宅に向かった。

この深澤さんとの出会いが運命の別れ道となった。この人・深澤久恵さんは昭和2年生まれ。当時38歳。小学校の先生をしていた。夫君とは離婚、男女二人の子供を育てていた。創価学会婦人部のバリバリ。志村の借りていた4畳半の 離れに、到着した夜、早速やってきた。折伏に、である。あれこれ議論した末、明日二人の合格祝いをしてあげる、とのことで、その夜は物別れになった。

翌日、二人はボウリングをしたりして、夕方下宿に戻った。母屋の玄関には一杯の靴。大勢の老若男女が集まっていた。なんのことはない、創価学会の座談会の場に舞い込んでしまったのである。話が違うと、私は色をなした。いや、終わったらね、と深澤さんは笑いながら隣の部屋の襖を開けた。お膳に夕食の用意がされていた。もう、観念するしかなかった。それから約2時間。人は過去からの宗教で、如何なる人生を歩むかは方向付けられているとの観点で、攻められた。四箇の格言である。浄土真宗(一向宗)の家に生まれた私は、優柔不断で、無間地獄に堕ちる、と。一方、法華経はいかに凄いか、といった賛嘆する話が体験談の形で参加者から次々と語られた。

実姉の抱えていた家庭不和の課題や自分の内向的性格から、思い当たる節が無きにしもあらずだった私は、これからの人生が宗教的理由で予め決められているということを認めることは到底出来なかった。そこへ、貴方は何になりたいの、と深澤さんが訊いてきた。私は間髪入れず、新聞記者に、出来れば海外特派員になりたい、と言った。それに対し彼女は「なれるわよ!」と即座に。創価学会は校舎なき総合大学と言われてるのだから、新聞記者に必要な素養は入れば身につくのよ、という。あまり論理的ではない言い回しだったが、確信溢れるこの人の言い方に、私は試してみようかという気が少し起きて来た。

人生は、生まれながらにして、絶対的に不平等であるー肉体的、精神的に差異があるのは何故かーとの根本的な問題意識を持っていた私は、日蓮大聖人がどういう経緯、思索を経て、法華経が、そしてその究極のエッセンスとしての南無妙法蓮華経が、絶対であるとの結論に到達したかを知りたくなったのである。つまり勉強してみようという気になった。その時に深澤さんがやってみようよ、って手を差し伸べてきた。その瞬間に握り返した握手が、皆からの拍手に代わった。

【昭和40年2月、防衛庁極秘文書「三矢研究」が国会で問題化。6月日韓基本条約。8月佐藤首相戦後首相として初の沖縄訪問。この年、米国のヴェトナム爆撃が本格化。ベ平連の反対デモも高まる】

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