フランス柔道の父は姫路の人ー吉田郁子『世界にかけた七色の帯 川石酒造之助伝』を読む

姫路の灘菊酒造といえば、名酒「灘菊」の蔵元として遍く知られているが、川石酒造之助なる人物はあまり知られていない。「フランス柔道の父」というからには勿論、只者じゃない。明治32年に姫路市手柄で父孫次郎の五男として生まれた。この孫次郎なる親父さんは、6人の男の子のうち長男、三男、五男の3人に「酒造」の字をあて、それぞれ酒造治、酒造作、酒造之助とつけたという。よほど酒造りに執心しておられたようだが、ご本人は味醂を製造(長男が継ぐ)。三男が酒造業を起こした。現在の同酒造の社長・川石雅也氏は三代目になる。流石に「酒造」はその名についていない。この人、私とは同い年。入学に余計な時間がかかった私は慶応の一期後輩にあたるが、同期もどきである。姫路に私が戻ってきた30年前辺りからなにかとお世話になってきた、楽しい友人でもある。その彼から吉田郁子『世界にかけた七色の帯  フランス柔道の父  川石酒造之助伝』なる本を頂いた。一読、こんな人が姫路にいたんだ、と誇らしく思うとともに、柔道について改めてあれこれと考えるきっかけとなった■柔道との個人的思い出といえば、慶応時代日吉の柔道場で体育の時間に、誰かしらにありとあらゆる技で、投げ飛ばされた痛い思いしか残っていない。黒澤明の名作・映画『姿三四郎』は見た記憶はおぼろげながらある。世界柔道選手権大会が終わったばかりだが、昨今の柔道に私は批判的だ。国際大会でも、大事な礼もろくすっぽしているようには見えず、マナーがいまいちに思われてならない。大体、畳の上でやらないのはおかしいなどと、古い日本人的感性が鎌首をもたげてきてしまう。そもそも日本柔道斜陽化の分岐点はフランスのへーシングに敗れた時から始まっていると私は思い込んできた。その手強い相手・フランス柔道を育てたのが姫路の男で、しかも友人の親族だったとは驚きだ■酒造家の五男に生まれた川石酒造之助は、名前とは全く別の人生を歩んだ。早稲田大学に入り、海外雄飛に憧れつつ、政治家の道を志したものの、北米、南米、英国を経てフランスに落ち着くまでにその目指すところは自ずから変質していった。若き日に講道館で身につけた柔道を通じて、行く先々で柔道クラブを設立、最終的にフランス・パリで見事な花を咲かせたのである。彼の柔道教授法は、技の名前の番号化と帯の色の多様化を中心としたもので、メトード・川石(川石方式)と呼ばれたという。上達度を掴むために、白、黄、オレンジ、緑、青、茶、黒の、七色の虹のように帯の色を変える方法を取り入れたこともユニークだ。外国人が柔道を習得する上で、極めて合理性に富んだ独特のものだったと思われる■フランスと柔道の結びつきの背後にいた姫路出身の早稲田マン。この本のカバーの裏にある写真をみると、一見、かの政治家の浅沼稲次郎風の偉丈夫に見える。柔道を通じての国際交流に見事な仕事をした人だが、私の勘では政治家の道に進んでいたよりも、この道の方が合っていたかもしれない。ただ、講道館との軋轢があって、今一歩これほどの足跡がある人物が日本で知られてこなかったことも、この本から伺えた。著者の吉田郁子さんは、パリの地でのある子供との出会いから、フランス柔道にカラフルな帯の色があることを知った。そのことが発端となってこの本を書いた。加えて酒造之助の先妻(柴田サメさん)の故郷・岩手における知人ということも手伝った。女性らしい繊細な目線が随所に行き届く。先妻・柴田サメさんとの出会いから別れに至る数頁の記述はなぜか心に残る。英国で酒造之助と知り合い、所帯を持ち、やがて一度帰国するも、姫路の暮らしになじめず、郷里に一人で帰る。晩年一人になってなぜか「川石ミキ」と名乗っていたことにさりげなく触れているが、妙にほのぼのとした気持ちになる。川石酒造之助を知って、柔道を見る眼がチョッピリ変わった気がしてきた。(2018-9-21)

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民族の差異ではなく、居住環境が大方を決すーJ・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄』を読む

1万3000年にわたる人類史の謎を解いたとてつもなく凄い本だよ、って薦めてくれたのは高校同期の笑医塾塾長の高柳和江。ジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』である。彼女のおすすめなら、と素直に読んで随分と日が経つ。天邪鬼な私は、それよりもユヴァル・N・ハラリの『サピエンス全史』の方が面白いと言って逆に勧めた(既に去年9月にこの欄で紹介済み)ものであるが、彼女には無視された。後者は、わたし的には最後に仏教の価値を認めたくだりが気に入ったからだ。前者の方は、皆が抱く「謎」を提起したうえで鮮やかに解いてくれ、これはこれで大いにためになる。読みやすさ抜群ゆえ、倉骨彰さんという訳者の腕が凄いと思っているが、同じJ・ダイアモンドによる『文明崩壊』を読み出している今、これも分かりやすい。訳は楡井浩一さんとあって、別人。となると、訳者もさることながら著者本人の文章力ゆえだろうと思うことにしている■文庫上下二巻で合わせて800頁にも及ぶ大著。著者の言わんとするところは明解。なぜ世界は富と権力が歪な形で存在しているのか。地球上それぞれの大陸で異なる歴史をたどってきたのはなぜか。この疑問に著者は、ズバリ「歴史は民族によって異なる経路をたどったが、それは居住環境の差異によるものであって、民族間の生物学的な差異によるものではない」と解く。ニューギニアでヤリという人の問いかけを受けて、25年の歳月をかけて、進化生物学、生物地理学、文化人類学、言語学などの広範多岐にわたる最新の知見を縦横に駆使して解き明かした謎解きを披瀝したのがこの書物である。銃器や金属器技術などに加えて、病原菌の存在が居住環境を左右したので、民族の優劣によるものではないとの結論は、人類の今と未来を優しく照らし出す■私の学生時代にあって、仲間うちが集まると議論したテーマは、社会革命が先か人間革命が先か、であった。マルクス主義による社会主義革命が一世風靡をした時代。東大で、京大で、日大で、明大で、早稲田で、そしてあの慶応までもが学生運動の戦場となった。そんな折に、社会革命をしたところで、所詮は攻守逆転するのみ。根源的には人間存在の変革しか近道はないとの論法で、ひたすら仏法の研鑽とその理解者の拡大に走ったものであった。その際に、人間は環境によって左右されるものではあるが、主体そのものが過去世からの原因が素になって今があるのだから、元々持って生まれた宿命を転換せずして、環境だけを変えたところで、十全たりえないなどと言った議論を展開したものである。尤も、環境の人間に与える影響少なからず、結局は渾然一体となって互いに関連しあっているというところに真実はあるものと思われる■一転、人間を文明に置き換え、社会環境を自然環境に代替した視点から「文明の興廃と自然環境」といった問題を取り上げて論じたのがこの本である。従来、文明の流転は人種、民族のなせるわざだとの論調が主であった。生物学的な差異が歴史的差異を生み出したとの議論である。この立場からすると、この本での問題提起そのものが❶一民族の他民族の支配の正当化❷ヨーロッパ中心の歴史観の肯定❸文明の進歩への誤解ーを生み出すものとして、反対意見にさらされると著者は述べている。ここでの著者のスタンスは、人種、民族の優劣を論じたり、ヨーロッパ文明の優位を肯定する態度から、進化を促すといったものではない。人類史を眺めたときに、浮かび上がってくる事実をつぶさに書き記すことで、ありのままの実態を見ようということだ。それは「複数の環境的要因を同定し、それについて述べているにすぎない」し、「こうした要因をはっきりさせることによって、まだ解き明かされていない謎の重要性を認識することができる」としている。こう見てくると、人類史の探究はようやく緒についたばかりだともいえる。そうさせた著者の努力の所産は限りなく大きい。(2018-9-17)

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神道プラス朱子学の害毒の怖さー井沢元彦『逆説の日本史23 明治揺籃編』を読む

俗っぽい週刊誌に連載されたものが単行本になり、そして文庫本になって25年以上が経つ。通常の歴史家をこき下ろし、大胆な自説を展開するが故にその道のプロからは疎んぜられるものの、声なき声の大衆からはわかりやすく面白いと絶賛される。『逆説の日本史』シリーズの著者・井沢元彦氏はまだ64歳。去年の10月に発刊された23巻が「明治揺籃期」を扱っているので、もうすぐ24巻がでてこようが、一体いつまで続くのか。購入後一年足らずほおっていたものをこの程読み終えた。ひときわ異彩を放つものとして強く印象に残る■全部で3章構成。一つ目は、近現代史を考察するための序論と銘打って「近現代史を歪める人々」の名のもとに、徹底的に対象著名人をこき下ろしている。朝日新聞の元社長・木村伊量、主筆・若宮啓文、そしてTBSの筑紫哲也らをめった斬り。この辺りはもはや「定説」ともいえ、彼らに弁護される余地はない。ただ、半藤一利を褒めつつ斬りつけているあたりは、異論を唱える向きもあるかもしれぬ。ともあれ、改めてこの章を読むと「またぁ」と、いささか辟易する。ただ、このように整理して提示されると役立つに違いない。ともあれ、このシリーズを読み慣れているものからすると、おさらい連続の感が強い。興味深いのは二つ目から。「大日本帝国の構築」1で、琉球処分、2で廃仏毀釈のテーマを取りげており、この二つの章はとびきり面白く、勉強になる■「琉球」と「沖縄」の名称はどちらが古いか。当然、琉球が古いと思っていたが、意外にも見解は分かれるという。断定はされていない。また、琉球人(沖縄人)のアイデンティティは日本に近いとの見解にも少なからぬ驚きが私にはある。中国に近いのでは、との思い込みがあったからだ。例えば、日本は、大和、アイヌと琉球という三つの民族から成り立つとの説を私は信じているが、先日、「博覧強記の人」と言われるらしい防衛省新事務次官の高橋憲一と懇談した際に、彼からは否定された。琉球民族はない、と。この辺り、研究の余地がわたしにはあるように思われるが。ついでに言うと、佐藤優の「琉球独立論」を巡っても、彼と私の意見は分かれた。かねて国会の場でも、「このままいけば沖縄は独立するしかないとの立場に立って、日本政府を脅かせ」との論法を披瀝していた私は、佐藤説に賛成。しかし、勿論のことながら次官は否定。その際に、かつて佐藤が普天間基地の移設問題で、「最低でも県外」との鳩山由紀夫説を擁護し、のちに自らの不明を恥じたことを持ち出した。信用するに足り得ない人物だと言わんばかりだった。要するに、リアルに欠けるというわけである。勿論それは認めるが、外交の極論的手法として捨てがたい魅力があろう。ともあれ、こうした沖縄をめぐる現在の課題を考える上で、この章における琉球処分の歴史的経緯を押さえておく必要があることを痛感した■最後の章「廃仏毀釈と宗教の整備」は、盲点を突かれた。明治維新に際して、新政府首脳はキリスト教の日本への進出を恐れて、自らの寄ってたつ基盤としての宗教強化を目論んだ。つまり、神道と仏教の混合体としての日本教を整備しないと、欧米列強には勝てない、というわけである。そこで、「神仏分離令」のもとに仏教を排し、神道と朱子学の「混合体」を樹立したという。朱子学の害毒を、手を変え品を替えて訴え続ける著者の執念たるや半端ではない。孔子、孟子のような初期儒教の先達と違って、後期のそれである朱子がいかに国家組織体をダメにするものかを強調。具体例としての韓国、北朝鮮の無残さを事細かに挙げている。中国も清王朝の没落に寄与し、漸く共産中国になって薄らいできた、と。日本も徳川時代から明治期にかけてその毒が深く入ったとの説明には実に迫真性がある。「朱子学の独善性、排他性に影響され猖獗をきわめた『廃仏毀釈運動』」の実例として、鹿児島には国宝、重要文化財クラスの仏像や寺院が皆無なことを克明に記している。併せて古都奈良にも吹き荒れた「廃仏毀釈」の嵐などの記述も目からウロコが落ちる。仏教を排し、朱子学を神道と組み合わせる形で宗教を整備する一方、欧米の科学技術を懸命に取り入れた。その結果としての近代化はいびつな形で進み、軍事国家としては肥大化したものの、精神的骨格に禍根を残すに至った。敗戦後には神道プラス朱子学に代わって、キリスト教に裏打ちされた欧米民主主義の独壇場となることを許してしまったのである。この本を通じて、日本史においても朱子学の果たした役割がいかに大きいかを、思い知った。(敬称略=2018-9-10)

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会津へのこよなき思いー中村彰彦『幕末維新改メ』を読む

明治維新ではなく、幕末維新。150年前の日本の政治の仕組みの根源的変革をこの本ではそう呼ぶ。改メとは、検証の意であろう。明らかに薩長土肥による明治新政府の側ではなく、旧江戸幕府に身を寄せたものの見方に立っている。すなわち、戊辰戦争の敗者の側からのものだ。中村彰彦『幕末維新改メ』は、このところ目立つ「反薩長史観」の源流をなす事実を書き連ねた、ある意味で読みやすい本である。「司馬史観」と対(つい)にして、「中村史観」とさえ呼ばれる一連の著作の最新版になる■いくつかの印象に残る記述があるが、それらに一貫して流れているのは、維新史を東西双方に分け、対立する視点で捉えようとする試みである。西郷隆盛については、東の(著者は栃木県の人)スタンスで、明らかに冷たい。その最期の場面。「降らんと欲する者は降り、死せんと欲するものは死すべし」との全軍解散令について、生きるも死ぬも勝手にしろ、と兵たちを突っ放した言い方だと、厳しい指摘。「責任はおれたちがとる、若い者は堪えて生きろ、そしておれたちの思いを後世に伝えてくれ」という思いが欠如している点に西郷の限界がある、とも。しかし、今日では過剰なまでの西郷を称える動きに事欠くことはないだけに、西郷たちの思いは十二分に今の世に伝わってると思うのだが、どうだろうか。むしろ、西郷の最期にあって「首なし遺体にはフィラリアに由来する陰嚢水腫が顕著」で、「赤ん坊の頭部台大に腫れており、陸軍大将となっても乗馬不可能なからだになっていた」とまでリアルに描くことはないのではと、いささかの反発を覚える■この本だけではなく、反薩長の観点で書かれたものに必ず登場するのは、象徴的存在としての世良修蔵なる長州人である。その会津での極悪非道の数々については、ここではもう触れない。それに比し如何に会津の人々が苦しみ、不条理に堪え、明治の世の最後まで頑張り抜いたかについて、山川浩、健次郎兄弟、佐川官兵衛らに加え、山川捨松、柴五郎らを登場させて描ききっている。涙とカタルシスで爽快感を誘うまで。そのような中で、わたしは残念ながら、立見尚文という桑名藩士は知らなかった。後に、日清、日露戦争で活躍し、欧米の評価にあって、最大のヒーローとまで言わせるほどの卓越した戦術家だったという■徳島・蜂須賀家と淡路・稲田家との反目や、幕末に誕生した長州傘下の浜田、鶴田、香春、岩国藩など4つの藩のエピソードなどもこの本で初めて詳しく知った。特に稲田家の北海道移住に材を得た歴史小説として船山馨の『お登勢』が挙げられているのは興味深かった。かつてこの小説を巡って、尊敬する先輩が若き日に「第三文明の小説とは船山さんのこの小説を指して言う」などと激賞し、公明新聞の連載小説を彼に依頼していたからだ。一方、長州の高杉晋作の「奇兵隊」はプラスイメージで捉えられてきたが、ここでは金にルーズであったことや被差別部落への差別などの負の実態を克明に描き、幻想を打ち砕く。とりわけ民主党政権の元総理の菅直人氏が自らの内閣を「奇兵隊内閣」と自讃したり、奇兵隊と書かれた幟を作って総選挙に立候補し落選したタレントがいたことなどに触れ、山口県出身のくせに事実を知らない、と手厳しい。水に落ちた犬を叩きたくないが、自らの寄って立つ基盤の歴史を知らないことは恥ずかしい限りではある。(2018-9-2)

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防衛通への変身に見る政治家の真骨頂ー佐瀬昌盛『むしろ素人の方がよい』を読む

先日、徳島商業高校を表敬訪問した際に、森本泰造校長は校庭の一隅にある三木武夫元首相の顕彰碑に連れていってくれた。商業教育における「観光」の位置付けを巡って議論を交わした後の短い時間だったが、私には深く印象に残る。同首相が戦後政治史の中で特異な役割を果たした人物ー「三角大福中」と呼び慣わされた自民党の領袖のひとりでありながら、「クリーン」を売り物にしたーであり、私が選挙戦で二度まみえた河本敏夫氏(元通産相、元経企庁長官)の政治家としての師匠筋にあたっていたからでもある。偶々読みさしにしていた佐瀬昌盛『むしろ素人の方がいいー防衛庁長官・坂田道太が成し遂げた政策の大転換』の中でしばしば登場していたことも手伝った。書棚に逗留していたものを、一気に読み進めることになった。もちろん、この本での主人公は三木武夫ではない。坂田道太である。一般にはあまり知られていないが、厚生、文部、法務の各大臣、衆議院議長を歴任した間に防衛庁長官に就任した。その時の首相、つまり任命者が三木武夫だったのである■佐瀬昌盛さんは長く防衛大学校の教授を務めた人で、『(新版) 集団的自衛権』(同名の著作がある)を解説させてこの人の右に出るものはいない。精密な論理構成に基づく論争力には定評があり、私の学問上の師である中嶋嶺雄先生(故人。元東京外語大学長、元秋田国際教養大学長)も残念ながら「一敗地にまみれた」とのかすかな記憶(某総合雑誌上での論争)がある。その佐瀬さんが坂田への限りない愛着の思いを込めて書き上げた。「専門家の防衛論から国民の防衛論へ」と引き寄せ、「戦後日本の防衛政策と自衛隊を振り返る一冊」として読まれるべき名著だと思う。単に「防衛」に関する造詣を深めるために役立つだけではない。政治家という存在を考えるうえで、この人こそ目標とされるべき人物かもしれない■丸眼鏡で長身、学者然とした坂田はいわゆる文教族で、防衛畑とは無縁の人であった。その彼が昭和49年末に長官に就任以後、「防衛を考える会」を発足させ、そこでの学者、文化人らとの議論を通じて、自ら猛烈な勉強を始めた。やがて「防衛」に成熟し、そして精通していった。その結果、「所要防衛力構想」(状況に応じて対応するもの)から「基盤的防衛力構想」(あるべき基盤を形成するもの)へと、防衛政策の大転換を成し遂げた。それだけではない。防衛力整備計画を改めて『防衛計画の大綱』を策定、『防衛白書』の作成から日米防衛協力の枠組み作りをも推進したのである。在任期間は歴代最長の747日(庁と省を跨いだ石破茂を除いて)。その間には、ロッキード事件が発覚。いわゆる「三木降ろし」騒動やら、ミグ25機が函館空港に強行着陸する問題が起こった。内外が騒然としていたのである。昭和51年末の三木内閣退陣と共に坂田は離任するのだが、実は公明党もこの年、党内での防衛大論争でてんやわんやだった。挙句に「自衛隊を認める」など防衛政策の〝小さいが確かな〟転換を成し遂げた。市川雄一元書記長(当時安保部会長)の英断によるものだった。「防衛費のGDP1%枠」など、この頃決められた国の方針を巡っての論争を、懐かしく思い起こす。自社二党による〝不毛の防衛論争〟と揶揄られた時代から、与野党間の多少は噛み合う議論への転換期でもあったのである■佐瀬さんの筆致は限りなく坂田に対して優しい。あまりにも酷い昨今の政治家の堕落ぶりに比して、その姿勢が屹立して見えるからだろう。三木首相への風当たりの強かった頃に、中立を貫く記者会見をする場面や、シュレジンジャー米国防長官の二度に及ぶ訪日を通じての人間的交流。坂田の奥深さが滲み出るかのごとく描く。言葉を重んじる政治家の真骨頂とでも言うべきスピーチや文章の数々の紹介も胸を打つ。何しろ、シュレジンジャーとの招宴での冒頭に「会いたい会いたいと待ち焦がれていた人に会えてその喜びを噛みしめているというのが今の私の気持ち」と挨拶をしたのである。「こんなに純粋に自分の気持ちを会談相手に語った防衛大臣は坂田を措いてはいない」など、文学青年の面影を漂わすエピソードの数々は心和む。坂田は人から揮毫を請われると「人が先、自分は後」と書いた。人を押しのけて前に出ることを厳しく戒めたのだ。これは数学者・岡潔の『春宵十話』からの借用に端を発している。こうした余談も、坂田の人となりを彷彿とさせて余りある。佐瀬さんはこのあたり、「前へ出たがるタイプだった三木武夫」との相違をさりげなく書き込んでいる。それはまたそれでご愛嬌であろう。ともあれ、私は、この本から政治家のあるべき姿を真底教えて貰った気がする。「教育者的防衛庁長官」だった彼から学び、実践することは数多の人生の局面で少なくないのである。(2018-8-28)

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観光・日英論争を仕掛けたくなるーデービッド・アトキンソン『新・観光立国論』を読む

先日淡路島で開かれたシンポジウムでは、デービッド・アトキンソン氏による講演がお目当てだった。今が旬の観光評論家(私の勝手な命名)である。元ゴールドマンサックスのアナリストで、今は小西美術工藝の社長が本業。日本の国宝や重要文化財の補修を手がけている。そして、日本の伝統文化財をめぐる様々の改革提言を行政に働きかけ、そのことを通じて観光の重要性を随所で呼びかけている。シンポジウムの見聞録はついこの間の私のもうひとつのブログ『後の祭り回想記』に「『変な外人』の素晴らしすぎる洞察力」と題して掲載したばかり。そのシンポジウムが終わった際に、会場で私は名刺交換した。「元衆議院議員です。あなたのことは、二階自民党幹事長から貰った『イギリス人アナリスト  日本の国宝を守る』を読んで知りました」と伝えたものだ■その際の彼の講演があまりに聞き応えがあったので、つい3年前に出版された『新・観光立国論』を図書館で借りてきて読んだ。中身は当然ながら、あの日の講演とほぼ同じ。人口減が進む日本は産業としての観光業を打ち立てないと、とても生き残っていけない。気候、自然、文化、食事と観光に大事な4条件を全て持っていながら、その活かし方に気づいていないというもの。高級ホテルが不足している、文化財が活用されていない、おもてなしは観光の動機にならないなどの講演コンテンツもほぼ一緒。こう、比較して見ると、3年間、観光分野で全く日本は進歩していないということになる。私が議員を辞めてからのこの5年間、著しくインバウンドが増えているというのに、である■「少子化が経済の足を引っ張る日本。出生率はすぐには上がりません。移民政策は、なかなか受け入れられません。ならば、外国人観光客をたくさんよんで、お金を落としてもらえばいいのです。世界有数の観光大国になれる、潜在力があるのですから」という主張は、魅惑に満ちていよう。観光業に関わってほぼ3年、理屈は分かってきていても今一歩実践がついていかない私にとって、ー極めて示唆に富む内容の本ではあった。そんな折も折、公益財団法人・大阪観光局の理事長を務める溝畑宏さんに出会った。この人、自治省出身のれっきとした高級官僚でありながら、2002年に大分県に出向して、フットボールクラブの代表となっていらい、2008年にはJリーグナビスコ杯優勝に導くなどの力を発揮。2010年には民主党政権時の国交省観光庁長官に就任した。そして、今の立場には3年前から。アトキンソン氏の本が出た頃と一致する■これまで二度ほどお会いしたが、なかなか元気というか、歯に絹着せぬもの言い振りが気持ちいい。尤も、それ故に敵も多かろうと、我が身を顧みず、心配もしてしまう。三度目となった先日の出会いでは、低迷を続ける淡路島のインバウンドに向けて、アドバイスを頂く趣旨が狙いであった。高級志向を持つ外国人富裕層に焦点を絞っていくコンセプトの確立を強調された。具体的には明2019年のラグビーのワールドカップ大会に東大阪、神戸を目指してやってくる、イングランド、アメリカ、ニュージーランド、スコットランド、オーストラリアなどといった国々のサポーターに目をつけよ、というのである。ラグビーの世界大会が日本であるということは漠然とは知っていたものの、それに観光のターゲットを絞るなどとは思いもしなかった。我が身の至らなさに身がすくむ思いだった。先方は大阪へのインバウンド客の激増に気を吐き、来るべき大阪万博やIR(統合型リゾート)の誘致に向けて意欲を燃やしているとあって、意気揚々。私が話の中で、アトキンソン氏のことを持ち出すと、「あんな外人なんか(の言うことを信じるの)」と一蹴された。日本の関西方面の観光客増にひと肌もふた肌も預かってるとの自負心が言わしめたのだろう。さて「観光・日英論争」、どちらに軍配が上がるか。そのうち直接対決でも仕掛けて見るか。(2018-8-19)

 

 

 

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「今」を解き明かす飽くなき挑戦ー諸井学『種の記憶』を読む

芥川賞や直木賞など文学にまつわる賞が話題になるたびに、こうした賞の獲得目指して、せっせと小説の執筆に励んでいる友たちを思い起こす。「いい加減に諦めたら」って思う一方、それを目指す生き方そのもが彼らの人生なんだろうから、周りからあれこれ余計なことを言わぬ方がいいに違いないと自戒もする。たまに、読んで欲しいとどこかの出版社に応募したゲラのコピーを戴いて読み始めても、最後まで読み通す根気が続かない。応募小説をいっぱい前にして審査する作家達の苦労が偲ばれるというものだ。そんな折に、一味もふた味も違う作家に出会った■長く付き合ってる電器店主から、自分の同業者に小説書きがいるので会わないかとのお誘いを受けた。その人とは、姫路の文学誌『播火』にいつも寄稿している同人・諸井学さんだ。ネットで、彼が『種の記憶』なる著作を出版しているという予備知識だけを持って、待ち合わせた沖縄料理の居酒屋へ出かけた。7月の25日のことである。ふくよかで笑みをたたえた 商店主風の男が現れた。今年2月に出版された『ガラス玉遊戯』と併せて2冊戴いた。両方とも印象に残る写真を使った見事な装丁。発行所は長野県。発売元の出版社は東京都にある。姫路東高を経て、名古屋工大で金属学を学び、今は電器店を営みつつ小説を書いている、と。独学で「小説」作法を身につけてきたとの言い振りから強い自信が伺えた。話し込むにつれてその奥行きの深い人となりが迫ってきた。初対面で充たされる思いを持つのに時間はさほどかからなかった■諸井=モロイ。アイルランドの生んだ巨大な作家・サミュエル・ベケットの代表作『モロイ』から学んだと、ペンネームに掲げるだけあって、ベケットへの思い入れは相当なものだ。私が、司馬遼太郎の『アイルランド紀行』を携えて、ダブリンに飛び、僅かな時間を過ごした時に偶然出会ったのがベケット研究で名を成す岡室美奈子早稲田大教授(坪内逍遥記念演劇博物館館長)であった。それ以来、ベケットについて表面的には撫でてきた。が、恥ずかしながら『モロイ』については全く知らない(「諸井」より「脆い」にイメージ的親近感を持ってしまう)。岡室教授についてそれなりに関心を持ってる彼に、その場で直ちに電話をして紹介の労をとったことは言うまでもない。ここらで辛うじて面目を施そうとする我が身がいじらしい■勧められるままに『ガラス玉遊戯』における同名の章からまず読んだ。いやはや酷い。全編これ、うんこ、便所の糞壺などの連続。ビー玉のおしゃぶり場面が登場するが、汚いこと夥しい。これが『モロイ』へのオマージュだと「あとがき」で聞かされてももう遅い。「糞尿譚を嫌う向きもあることは重々承知していますが、その中に人間存在の本質があり、またユーモアもあるゆえ、創作に必要な場合は避けることはできません」と言われても、臭さと気持ち悪さが残るだけ。後味がこれだけ悪い文章を読まされたのは初めて。よほど途中で放棄しようかと思ったのだが、そこは作者と会ってしまって本を戴いた弱みがある。もう一冊の方を読みだした■まずは単細胞生物、無脊椎動物、魚類、両生類、爬虫類・鳥類、霊長類・類人猿、霊長類・猿人と7段階を、7つの章に描き分ける手法に惹きつけられた。自分の生まれてからの成長過程を「種」としての変化に擬えるとはユニークだ。曲がりながらもジャーナリストを経て、政治家を志したわたしとしては、リアルさを追い求め、フィクションではなくノンフィクションに我が身を託してきた。新聞記者時代原稿取りに伺った、源氏鶏太氏に創作の奔放さを垣間見、初めての衆議院選挙出馬の際に応援に来てくれた宮本輝さんに、後になって「小説家って嘘つきでないと務まりませんよね」と大胆にも問いかけたりした。親しくお付き合いさせていただいている直木賞作家・中村正軌さんの『元首の謀叛』や、イタリアにまで議員時代に会いに行った塩野七生さんによる『ローマ人の物語15巻』の想像力の逞しさに感服し、舌を巻き続けてきた。そんな私には、諸井さんの本を読むことにはいささか苦痛が伴う。だが、当初はいやいや読み始めたが、次第にその不思議な魅力に捉われ、引き込まれていった■それにはほぼ同時代に同じ姫路で育ったもの同士共通の土地勘や、豊富な文学や音楽の知識の披瀝も相俟って、興味を繋ぐのに十分だった。リズム感のある文章や名古屋弁の面白さが手伝ったことも付け加えておく。諸井さんは、あとがきで、ベケットは、「余剰な言語を削り自らを貧しくした作品によって(師のジェームス・ジョイスのモダニズム文学とは違って)、後のポスト・モダニズム文学を準備した」が、自分は、「『種の記憶』によって、もちろんベケットとは違う形ではあるけれど、彼と同じ立ち位置からわたしの文学を出発させると、密かに宣告した」と、述べている。その心意気たるや凄いという他ない。彼のこの本を読み終えた今、その表現ぶりと我が認識の貧困さとのギャップに悩みはする。モダニズム文学もポスト・モダニズム文学とも無縁できたものとしては、当然のことだろう。老いて今も文学的挑戦に気を吐く彼から学ぶものは甚だ多い。(2018・8・12)

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多一主義と人間主義の現実的展開ー松岡幹夫『日蓮仏法と池田大作の思想』を読む

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社会構造の劇的変化にどう対処するかー内田樹 編『人口減少社会の未来学』を読む

世界の最先端を切って急速に進む日本の人口減少。これからの社会構造が劇的な変化を強いられることは必至だ。こうした起こり得る未来にどう対処するか。編集者の依頼を受けた思想家の内田樹さんが10数人の論者たちに寄稿文を依頼して、出来上がった本が『人口減少社会の未来学』である。答えたひとは10人。それぞれに強いインパクトを持った中身で、極めて面白い論考集となっている。もちろんくだらないと思われるものもある。しかし、概ね目から鱗の秀逸なものが多かった。私の選んだベスト3(❶注目される中身❷平凡な結論だが無視できないもの❸日本には馴染まぬ奇抜な提案)を挙げ、明日の日本を考えるよすがとしたい■まず、その前に、内田氏の序論について。雇用環境の劇的な変化による破局的事態を回避するための手立てを考えており、興味深い。就職先をどうする、との若者たちの関心事について、銀行、新聞、テレビなどこれまで人気のあった業種は雇用消失リスクが高いとする一方、「看護介護という対人サービスを含む『高齢者ビジネス』」が活気づくという見通しを提起している。結論として、最後に生き残るシステムとは、「人間がそこにいて『生気』を備給しているシステム」だ、と。こう抽出してみると、意外に内田氏らしからぬ平凡な感じが否めない。本題に入る。最も刺激を受けたのは、劇作家・平田オリザ氏の「若い女性に好まれない自治体は滅びる」である。失業者や生活保護世帯が平日の昼間に映画館や劇場に来たら、「社会に繋がってくれてありがとう」と皆がいえる社会にしていくとの考え方の転換を強調している。つまり、「文化による社会包摂」のすすめである。これには斬新な響きを受けた。岡山県奈義町の子育て支援、兵庫県豊岡市の文化政策の展開には大いに惹きつけられた■次に経済学者の井上智洋氏の「頭脳資本主義の到来」。科学技術の研究という最も付加価値を生むクリエイティブな営みに、今の日本は時間もお金も費やさなくなっている、と強調する。科学技術立国としてやっていけるかどうかの瀬戸際に立たされているとの指摘は、改めて衝撃を受ける。無価値な労働に時間を費やす例として、中学校での教員の部活動と書類作成の激増、大学における研究時間の激減(その一方での教育準備の時間増)を具体的に挙げているのは分かりやすい。AIが進歩し普及すればするほど、知力を重視する必要があるが、あらゆる場面でそうなっていないとの指摘である。これは、珍しいものでは全くないが、無視できない重みを感じてしまう■最後に、文筆家の平川克美氏の「人口減少がもたらすモラル大転換の時代」。晩婚化の流れを早婚化に戻すことが難しいのなら、少子化対策として可能な政策は「結婚していなくとも子どもが産める環境を作り出すこと以外にはない」と断定している。フランスやスウエーデンで、法律婚で生まれた子どもでなくとも、同等の法的保護や社会的信用が与えられることを挙げ、日本での子育て支援や育児給付金などの対症療法的な対策では人口減少に歯止めはかからない、と強調。「社会構造(家族構成)や、それを支えているモラルの変更こそが、その鍵になる」という。「人口減少社会における社会デザインとは、無縁の世界に有縁の場を設営してゆくこと以外にはない。(中略) 都市部の中に、家族に変わり得る共生のための場所を作り出していくこと。そして人類史的な相互扶助のモラルを再構築してゆくこと」だ、と。これって、まるでSFのごとく聞こえる。儒教的社会にどっぷり浸かった日本人としては、いかにも荒唐無稽な提案に見ええてしまうのではないか。(2018-7-27)

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これが明治維新の実態だー奈倉哲三ら編『戊辰戦争の新視点』を読む

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