合理的手段としての軍事力ー道下徳成『北朝鮮 瀬戸際外交の歴史』を読む

この本の存在を知ったのは、礒崎敦仁慶大准教授の「北朝鮮の交渉術」と題する毎日新聞のコラム(「今週の本棚」6-3付け)だった。彼はこの6-12の米朝首脳会談でメディアに登場した専門家の中で、恐らく最も若い部類に入る。私が現役時代だから10年ほども前に、駐日米国公使邸での日米懇談会で初めて会った。私の慶應での同級生・小此木政夫氏の後継の一人ということで、親しく言葉を交わしたことを覚えている。今回の一連の出来事を北朝鮮の側から解説する論者として、最もシャープな語り口調だったとの印象を持つ。その礒崎氏が近年、日本人研究者によって生み出された優れた北朝鮮研究の書のひとつとして選び、過去から今に至る核・ミサイル外交を「ひとつの文脈で捉え直すことに成功している」と評価したのが道下徳成『北朝鮮 瀬戸際外交の歴史』である■道下さんは、戦略論や日本の防衛政策の専門家で政策研究大学大学院准教授。柳澤協二氏の対話集『抑止力を問う』で巻頭を飾っており、二人の間で最も骨太な議論がなされていたとの思いが強い。北朝鮮の外交を巡っては、まともな意味では今回初めて広範囲な人びとの口の端にのぼった感がするが、この書は北朝鮮の指導者たちが「その政策目的を達成する合理的手段として軍事力を用いてきたこと」を明らかにしている。瀬戸際外交とは、緊張をギリギリまで高めることで相手の譲歩を迫る手法を指す。昨今では北朝鮮の十八番のように見られているが、歴史上有名なのは、1938年のナチス・ヒトラーがミュンヘン会談の場で、英仏にズデーデン地方の割譲を迫ったもの(両国の宥和政策を引き出すことに繋がる)と、1962年のキューバ危機に際して、ケネディ米大統領がソ連に核戦争も辞さない姿勢をとったケースが双璧だろう。北朝鮮としては、1968年の米海軍情報収集艦プエブロ号を乗員丸ごと拿捕した事案がほぼ最初のものになるわけだから、もうこの手法も50年の年季が入ってるのだ■この書の序章で、道下さんは、北朝鮮の瀬戸際外交の特徴として❶北朝鮮の政策目的は、時代とともに、野心的かつ攻撃的なものから限定的かつ防衛的なものに変化してきた❷北朝鮮の軍事行動は政策目的に合致していた❸北朝鮮の軍事行動は局地的な軍事バランスなどの構造的な要因によって促進され、あるいは制約されてきた❹北朝鮮の指導者たちは過去の経験から教訓を学び、時とともに軍事行動と外交活動を、より巧妙に結びつけるようになってきたーの4点を挙げている。精密な分析を通じてこうした結論を引き出してくる道下さんの手際はまことに鮮やかなものである。さらに、歴史的に分析をすることで❶北朝鮮の瀬戸際外交において抑止力は不可欠の要素であり続けてきた❷法的な要素が重要な役割を果たしてきた❸奇襲的行動によって対象国に心理的ショックを与える手法をしばしば用いてきたことなどが明らかになったとしていることも興味深い■一般的には、北朝鮮が国内政治上の問題を解決するために軍事行動をとってきたとすることや、国際環境が悪化した場合に軍事行動をとる傾向があるとの分析がなされがちだ。しかし、道下さんは明確にこうした見方は誤りであり、正しくないと明言している。そうした結論への導き方は極めて冷静で信頼するに足る。勿論こうした分析を示しているからといって彼は別に北朝鮮の瀬戸際外交を礼賛しているわけではない。「短期的には成功を収めた場合でも、周辺諸国の対抗措置を促進することによって、中長期的には否定的な結果を招くことがあった」とすると共に、「北朝鮮は軍事力を合理的に使用してきたのは事実であるが、政治目的の達成という点からみると、五段階評価の『三』程度の成績であった」としている。つまり、中ぐらいなのだ。しかし、これとて、一般には合理的どころか極めて感情的、恣意的な外交・軍事政策だと見られがちであった北朝鮮を結果的に大いに持ち上げていることになろう。国際社会の場に初めて登場したといっていい金正恩氏。その背景をなす外交姿勢の分析が示す意味は、限りなく大きいと言えるのではないか。   (2018-6-19)

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現代の独裁者と民衆の距離ー鴨下ひろみ『テレビに映らない北朝鮮』を読む

今日や明日食べることに事欠く深刻な台所事情のはずなのに、核実験にうつつを抜かしミサイルを飛ばす。平気で政府高官を粛清し、白昼堂々と異国の地で人さらいや時に抹殺さえも。そのくせ国際社会でいかに制裁を受けようとも懲りずにしたたかに渡り合う。恐怖政治が展開されているのに、最高指導者は意外に大衆に親しまれている一面もありそうーまさに群盲象ならぬ狐狸を撫でる感がするのだが、これが北朝鮮の一般的なイメージではないか。そこへ、米朝首脳会談がシンガポールで行われ、テレビ映像で金正恩という人物をまじかに見る機会を得た。「素晴らしい人柄で頭がいい。両方兼ね備えている」ーついこの間まで、互いに派手な罵り合いをしていた一方の当事者が褒めちぎった。これまでの伝統的な米国指導者とは全く異質で、ツイッター的思考の持ち主であるトランプ氏の発言に改めて戸惑いを覚えた人は少なくないと思われる■私はこれまでの人生で、朝鮮半島問題を専門とする学者と数多く付き合ってきた。古くは、神谷不二氏から始まって、小此木政夫、伊豆見元、古田博司、磯埼敦仁といった錚々たる面々だ。またジャーナリストでは東京新聞の五味洋治、フジテレビの鴨下ひろみ記者とも。鴨下さんは『テレビに映らない北朝鮮』をつい先程出版したばかり。彼女と私が初めて会ったのは市川雄一秘書をしていた頃だった。市川氏がしばしば彼女のことを鋭い視点を持った優秀な記者だと評価していたことを思い起こす。30年に及ぶ北朝鮮ウオッチャーが満を持して解き明かした本を読み終えた直後に、金正恩委員長の文在寅韓国大統領との〝抱擁シーン〟やトランプ米大統領とのツーショットを見ることになった。北東アジアに真の意味で平和が訪れるかどうかの瀬戸際に立って、我が頭の中を去来するものは甚だ多い■北朝鮮でやはり気になるのは恐怖政治の内情である。「不機嫌な独裁者」とのタイトルの第1章では、2万人にも及ぶ粛清があったとの韓国脱北者組織の発表を挙げている。数の多さもさることながら、金正恩に異見を述べたとか、会議で居眠りをしたからとか、姿勢が悪いからとの理由で、高射機関銃で銃殺されたというのには呆れはてるとともに、戦慄を覚える。最終章の「北京で見たノースコリア」では、北朝鮮のエリートの脱北が後を絶たない例をあげ、太英浩在英公使ら10人近い外交官の亡命(16年夏までに)を韓国メディアが報じていることに触れている。これが体制崩壊につながるかどうかは、未だ分からないとしているのだが、大いに興味をそそられるところだ■この本では、今述べたように厳しい政情を暴く1章と5章に挟まれた2-3-4章に、北朝鮮におけるさまざまな実態が映し出されている。超豪華なホテルやスキー場。シェルター役を兼ねた地下の奥深いところを走る地下鉄。街の随所を覆う太陽光パネル。エリート教育の光と影など興味深いものが次々と。そんな中で、鴨下さんが一貫して追い続けているものが庶民大衆の実像だ。彼等の真実を見抜こうとする著者の目は、純朴そのものの表情を見逃してはいない。組織の永続にとって怖いものは外からの批判、攻撃ではなく、内側からの腐敗、叛逆だと見るのが歴史の鉄則だろう。その点で、金正恩委員長は米国と対等に渡り合う外交に狡知の限りを尽くしつつ、内政における不満や批判を早期に摘み潰す姿勢であることは間違いない。〝人権抑圧〝という砂上ならぬ〝氷上の楼閣〝の上に立つ異常極まりない政権。今回の米朝会談および声明を巡って、今後の展開に様々な憶測が飛び交う。朝鮮半島に平和が字句通り構築されるのか、それとも再び一触即発の危機的状況に逆戻りするのか。真反対の見方が存在する。ただ少なくとも、厚いベールに包まれた状態から指導者が飛び出してきたことだけは明瞭である。鴨下さんの続編に期待したい。(2018・6・15)

 

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現場に身を置いて考える凄みー藻谷浩介『世界まちかど地政学』を読む

いやあこれは、面白くてためになる。副題に「90か国弾丸旅行記」とあるように、滞在時間は問わず、日帰りでも、一泊でも、文字通り弾丸のように素早く動いて、行った先の現場で考えた記録だ。綾なす歴史と入り乱れる地理を背景に、あたかも名料理人が素早く作ってくれた手料理のように美味しく味わえる。なかなか世界に飛んでいけないし、仮に現場に立っても表面的にしか見る力がない庶民大衆にとって、実に手っ取り早い情報源だ。目の前に出されて見れば、なるほどこういう本は必要だね、ということになるが、もちろん誰でも書けるわけじゃあない■ここで藻谷さんが訪問し取り上げた国は14か国。米国、英国、ロシア、中国といった有名な大国の中の、知られていない地域に始まり、コーカサス三カ国やボリビアという馴染みの薄い国や、スリランカ、パナマ、ミャンマーといった知られてはいるが、イメージの湧かない国といったマイナーなところばかり。自慢じゃないけど一つとして私が訪問したところはない。藻谷さんは、日本全国の約3200市町村の全てと全世界の国の約半分の国々を、全部自費で行ったとか。地域振興をテーマにする研究者という仕事に寄与するとはいえ、おいそれと真似はできないことだ■最も唸ったのは、第1章に登場するカリーニングラード。ドイツの〝北方領土〝と呼ばれるところだ。旧ソ連がかの第二次世界大戦でドイツから「戦利品」として奪い取ったバルト海の港町。かつてはプロイセン王国建国の地・ケーネスヒブルグ。今はロシアの飛び地として、EUに囲まれ孤立している。この地の存在すら知らなかった。実は去年、地元に住む大阪市大の著名な数学者・枡田教授を招いて自治会で教養講座を開いたが、その時の演題が「オイラーの数学」だった。有名な「一筆書きの定理」の手ほどきを受けたのだが、この数学者オイラーのパズルの舞台になった場所がこの地だという。知らなかった。ついでにここがカントゆかりの地であることも■話題がつい横道に逸れてしまった。藻谷さんは日本人が北方領土を返せと声高に叫ぶのはいいが、せめてドイツにおけるカリーニングラードの存在とその背景を知ってからにせよという。国際政治における連動したテーマは、一方だけ論じてもそう簡単に事は運ばないという好例だ、と。少なくとも同時並行でのアプローチが求められよう。ちなみに私が理事を務める「安保政策研究会」の先日の例会で、10人ほどの参加者に、この地のことを話題にしてみたが、ご存知だったのはお一人だけ。少しホッとしないでもなかったが、日本における安保論議はことほど左様に自国本位で、井の中の蛙的側面があるのかもしれぬ。さらに、英国についての記述もむやみに面白かった。求心力と遠心力が織りなす国の多様性と業という切り口が。旧ソ連・コーカサス三カ国も複雑怪奇の見本だ。スリランカとミャンマーを巻き込むインドと中国の地政学も深く考えさせられた。ただ、中国、韓国、台湾の高速鉄道乗り比べについてはイマイチだった。日本の新幹線への誇りのなせる技かも。ともあれ、続編が今から待ち遠しい。(2018-6-10)

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天の声が聴こえるー佐竹隆幸『「地」的経営のすすめ』を読む

大阪ミナミの老舗料亭に生まれ、今は大学の教授。というと、なに不自由ない生活をガキの頃から過ごし、粋な遊びを身につけた、いわゆる大阪のボンボンを連想する。ところがどっこい、そうは人生甘くない。15の歳に家業が倒産。山のような借金がかぶさって来た。そこへ大病を患い悪戦苦闘は果てしなく続く。とはいうものの生来のガッツが幸いして、マイナスをプラスに、苦境をバネに、次々と難題をはねのける。そして「博覧会おたく」から「世界遺産を巡る旅」と興味の向かうところ果てしなく、見果てぬ夢はなんと「NHK紅白歌合戦の司会役」ー実はこれ現在関西学院大の佐竹隆幸教授の『「地」的経営のすすめ』の「あとがき」から再構成したものである■奥さんとの出会いも書き込まれ、本体よりもこっちの方がめっぽう面白いかも。というと、ご本人や周辺から怒られそうだが、正直ものは嘘をつけないのでお許しを。佐竹さんとの初めての出会いは15年ほど昔に遡る。地元のサンテレビに顔を出され始めた頃のこと。各地で講演をバンバンこなされ、その話術の巧みさと歯切れの良い口調が大向こうを唸らせて、政治家たちの話題にいつもあがっていたと記憶する。当時の経済情勢を料理し、どう経営をしていけば儲かるか、との話は聴衆を魅了し尽くしていたものだ。で今、引退をした私の前に颯爽と登場された。その肩書きは「兵庫県参与」。井戸県政へのアドバイザーとして縦横無尽の活躍をされるなかでの再会となった■頂いた著作は、もう一冊。『「人」財経営のすすめ」。2冊を一気に読んだ。地元神戸の経営者を中心に、震災後の厳しい環境を乗り切った知恵と根性の物語が紡がれ、あぶり出される。兵庫を地盤とする政治家として恥ずかしいことに、私が知ってる企業とひとは、ジュンク堂の社長だけ。それだけに貪るようにページをくった。若き日に通った日東館や海文堂など懐かしい書店の姿は今はない。丸善と業務提携するに至ったこの書店は、今や全国区の書店としてそびえ立つ。背後というか、横合いからかのアマゾンの影が忍び寄るこの業界。明日はどうなるのか、興味は尽きないが、言えることはただ一つ。本屋の財産は「なによりも人です」との工藤社長の文末の言葉だろう。私はジュンク堂の社員にこそ、この本を読ませたいと思った■四日市の蔵元ファンを全国に拡大した「宮﨑本店」も興味深い。お酒どころの灘を擁する地域からは敢えて選んでいないところが憎い。清酒「宮の雪」ファンの一人・大前研一氏の著書のなかの言葉が目を惹く。「友人に出すときに、一言『物語』が語れるからだ」と。また、焼酎「キンミヤ」 も北村薫の『飲めば都』に登場していることも初めて知った。全篇余すところなく中小企業経営の真髄に充ちている。兵庫県立大学から関西学院大へと仕事の場を移された佐竹教授。私の後輩で古希に近い同大学のMBAがいるが、佐竹先生の講義の人気が鰻のぼりだと教えてくれた。兵庫から関西一円に知れ渡る名声が、全国に響き渡る日もそう遠くないものと思われる。(2018-6-3)

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リアルな歴史の舞台裏ーアーネスト・サトウ『一外交官の見た明治維新』上下(坂田精一訳)を読む

150年の時空を乗り越えて、今に当時の雰囲気を伝える素晴らしい本に出会った。読むのが遅すぎるとのご指摘はあろう。食わず嫌いだった。アーネスト・サトウ『一外交官の見た明治維新』は新聞書評で読む気に。今年は「明治維新」というテーマに少し腰を落として取り組もうと思っていた矢先だった。何といってもリアルさが際立つ。数多くの日本人の外国見聞記を読んできたが、これはそれらに圧倒的に勝る。時代の変革期そのものに激しく立ち向かう姿が如実だからだ。明治維新の際の生の日本をイギリスの若者がどう見たか。”事実は小説より奇なり”を思わせる事態の連続に最後まで飽きさせない■サトウは(86歳まで生きたが、日本に初めて赴任した時は20歳前)好奇心の塊のような勇気ある青年だった。彼のお蔭で維新前後の現実が見事に蘇ってくる。当時の日本の風物や習慣が生き生きと描かれている様は貴重極まりない。異国人見たさで集まってくる庶民の息遣いがまるで手に取るように分かるし、幕府の役人がいかにその扱いに苦慮したかも見事に伝わって来る。また、討幕派の連中との虚々実々のやりとりも面白い。出版時(大正に入ってから)に、手が相当加えられている(20代の心情そのものではないはず)とは思うものの、”栴檀は双葉より芳し”で並みの感性の持ち主ではないことには驚くばかり。先の大戦の末期まで、この本は25年もの長い間禁書扱いだったことは冒頭の「訳者の言葉」で知った。坂田氏は「権威をはばからぬ外国人の自由な観察によって明治維新の機微な消息が国民の目にさらされるのを(中略)当時の為政者たちが好まなかったからだろう」と述べているが、確かにそういうことかと良く分かる気がする■当時の殺傷事件の描き方ひとつとっても違う。かつて「桜田門外の変」について取り上げた吉村昭の同名の小説でその凄惨さを知ったが、この記録ではもっと刀の持つ鋭利さが伝わって来る。改めて剣で切られたらさぞ痛いだろうという当然のことに考えが及んだ。同じ殺されるなら拳銃の方が未だしもと、妙な気分にとらわれた。また、庶民生活の在り様はこの本のいたるところで存分に味わえる。とくに時間の流れの中で具体的に描かれるので興味深さが一段と増す。サトウは上巻冒頭近くで、通訳生としての最初に赴任した北京について、「北京の生活には去りがたいものがあった。-(中略)ーそれらは、決して私の脳裏から消え去ることがないだろう」と回顧している。ここのくだりを渡辺京二は名著『逝きし世の面影』において、「中国びいき」外国人の実例として挙げている。だが、これはサトウの外国生活一般への関心の高さであって、日中の比較をすることに意味はないものと思われるがどうだろうか■これまで幕末の日本に進出してきた外国については、薩長と関係の深かったイギリスと、江戸幕府と親交のあったフランスというようにステロタイプ的に二分化して見る傾向があった。しかし現実には二重三重にイギリスの影響が強いなかで、維新が成就したことが分かってくる。維新から40年程で日本は「文明開化と富国強兵」の旗印のもと、科学技術文明と資本主義経済の結託のあかしを打ち立て、日清、日露の両戦役に勝利を勝ち取るまでに強国化する。その闘いを始めるスタート台としての「明治維新」の舞台裏をこの本を通じてリアルにみることが出来るのだが、まことに面白い。ここでの動きを知らずして単に表面だけを追っていては、日本近代150年の幕開けとしての維新史の真実は解らないことを痛切に実感した。(2018・5・19)

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未完成な革命者ゆえの魅力ー萩原稔『北一輝の「革命」と「アジア」』を読む

北一輝という人物には不思議な趣きがある。社会主義者から右翼、国家主義者へ。その途上で法華経信者になり、中国革命にも暗躍したとあっては一筋縄ではとても捉えられない人物である。親しかった同世代の歴史学者・松本健一さんが北一輝研究の第一人者ということもあり、私にとって気になり続けてきた存在だ。といっても、その著作『評伝 北一輝』(全五
巻)などまともには読みもしていない。いささか旧聞に属するが、NHK総合テレビで、その松本健一氏が登場した企画番組『日本人は何を考えてきたか』シリーズの第10回「昭和維新の指導者たち」を観る機会があった。「大川周明と北一輝」の二人を並行して紹介したものだった。その際に司会進行役の田原総一朗氏のインタビューに答えていた幾人かの専門家のひとりに萩原稔氏がいた。この人、今は大東文化大の准教授で日本思想史研究を続ける少壮の学者である。代表作は『北一輝の「革命」と「アジア」』。実はかれは私の高校時代からの親しい友・萩原廣氏のご長男である。かねて「息子が同志社で北一輝を研究しているのだ」と聞いてはいたが、会ったこともなくその著作も知らなかった■息子がいない私にとって、友人の子ではあれども可愛いく眩しい存在である。ましてや「日本思想史」という興味深い分野で、頑張ってると聞けば会いたくもなる。親父さんを通じてかねて面談の機会を覗っていた。先般上京の折りに溜池山王で会うことが叶った。自在無碍な喋り口調にお互いが乗ってあっという間に時は過ぎさった。生前の松本健一氏に会わせたかったとの思いが一層募った。別に私が介在せずとも同一分野を学ぶ後輩とあれば、彼としても喜んであってくれたはずだろうが。思えば、松本健一氏には、あの朝鮮半島問題の碩学・古田博司氏(筑波大教授)の願いを聞き届け、仲介したことがある。幾つになってもお節介焼きというか世話好き根性が抜けきらない自分がおかしくもある■北一輝については先行の研究者たちの著作が数多ある。だが、北一輝と「アジア」との関わりに関する研究のほとんどは、辛亥革命の勃発(1911年)から「改造法案」執筆(1919年)までに集中。萩原氏は「それ以外の時期にはあまり目配りがなされていない」し、中身的には「北の対外論、とりわけ中国をはじめとする『アジア』論については」「いまだに不十分な点があるといえる」としている。つまり萩原氏自身の著作の独自性は、「北の『一国革命』と『世界革命』の連関性を分析すると同時に、彼の『革命』論における『アジア』の位置づけを明確にした」ことにある。その意気や壮であり、果敢なる挑戦ということには大いに敬意を表したい。北一輝の全貌をとらえるには最適の書だと薦めたい。ただ、萩原氏の筆の運び方において全体に目配りしすぎ故の、回りくどい表現が散見され、私にとっては分かり辛さが若干あったことは指摘せざるをえない。しかし、それは北一輝という思想家の未完成さにも大いに関連しているように思われる■確かに、明治維新から40年程が経った頃の日本は庶民大衆の生活の上における貧しさが特段に目立った。その状況下では文字通り「新たな革命」が必要とされた。理想実現のためには思想における左翼も右翼もない。西洋に端を発するものだけに依拠することも躊躇された。北が東洋思想の源泉・仏教の深奥に位置する法華経に目を向けたことは大いなる慧眼だったと確信する。しかし、私の見るところ何れについても生煮えの印象が強い。50年の歳月を法華経に打ち込んできた身からすると、北の法華経への傾倒は共鳴する部分が確かにある。壮大な社会変革への思いを惹起させる日蓮の名文を読み、奮い立たぬものはいないであろう。ただ、その前提としての「人間変革」、「人間革命」に思いを致さぬ場合は結局、日蓮を誤って捉えてしまうことになる。「日蓮を敬うとも悪しく敬わば国滅ぶべし」との金言こそ北のケースに的中するといえよう。北の生きた時代にあって、懸命に第二の維新を求めた心意気は尊いものの、結果としてすべての巡りあわせが不都合に終わった。彼の果たそうとした役割は、第一の維新時の吉田松陰だったか、西郷隆盛だったか。ともあれ敗北者ではある。「敗北ゆえに、北は近代日本の思想家のなかでも大きな魅力を持つ人物のひとりとなっている」との萩原氏の指摘はとりわけ印象深い。(2018・5・14=修正版)

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神は来ないーベケット戯曲全集❶『ゴドーを待ちながら』(岡室美奈子訳)を読む

アイルランド出身の劇作家で小説家ーサミュエル・ベケットの戯曲全集が新たな装いで出版された。その第一巻『ゴドーを待ちながら』が訳者の岡室美奈子さんから届いた。岡室さんとは以前にも書いたように旧知の間柄である。ダブリンの日本大使館で当時の林景一アイルランド大使(現・最高裁判事)からご紹介を受けて以来、東京都内で、また早稲田大学構内で幾たびもご一緒させていただいたことがある。ベケット研究の第一人者であると共に、演劇やテレビドラマについても造詣が深い。坪内逍遥博士記念演劇博物館の館長という肩書からは想像できないほど優しくチャーミングな女性だ■本当は一度でも舞台で演劇を観てからにしようかとは思ったものの、取りあえず戯曲をざっと読んで書いている。想像通りというべきか。まったくといっていいほどわけがわからない。いわゆる筋書きが明確な代物ではない。要するにただひたすらゴドーが来るのを待っているだけの演劇で、結局は来ない。いや、来るかもしれないところで舞台は終わっている。なにしおう不条理劇の最高傑作というのだから、怖いもの見たさならぬ「難しいもの読みたさ」でページを繰った■いきなり「何やってもダメ」という男のセリフから始まる。相棒の「生まれてからずーっと、そうならないように頑張ってきたんですけど」の言い回しへと続く。退屈で同じことの繰り返しの人生の実相が描かれ、そのありきたりの日常の中で「ゴドー」なる存在の登場をひたすら待ち続ける。最後は「明日、首を吊ろう。(間)ゴドーが来なかったらね」「もし来たら?」「俺たちは救われる」で終わる。(舞台でのしぐさに伴うセリフは少し続くものの意味あるやりとりはここまで、だ)ということから「ゴドー」はゴッド=神さまを意味するものとして捉えられてきている。すなわち、平凡な人生を過ごしながら、ひたすら神の登場を待ち続ける人間の営みの実態を描いたとされる劇だというのが一般的な受け止め方だろう。私も今はそういう解釈しかできない■人間の住む世界はそれぞれの解釈によって全く違った色彩を帯びる。この世は「A」だという位置づけから始まって、「Z」に至るまでありとあらゆる意味づけに及ぶ。ベケット描くところのこの演劇は、キリスト教が覆う世界の見方における一つの典型と言える人の世の解釈づけではないか。私などは人生の曙期にあって、実存主義の哲学を齧って西欧哲学+キリスト教の世界を垣間見た。待ち続けても神など来ないものだと最初から覚知して、我が人生劇のスタートを切ったものだ。神の代わりに、自身の命の中にある仏性を顕在化させ、縦横無尽に人生を楽しみながら、多くの同志と共に集うとの「物語」に生きると決めた。云い方を変えれば、「神」的なる存在はどこかからやって来るものではなく、自らのいのちの最高の状態を意味するもの、だと。いま50年有余の歳月を経て、「待った甲斐があった」といえる人生を実感していることは無上の幸せという他ない。                            (2018・5・5)

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見え隠れする「仁義なき戦い」ー柚月裕子『弧狼の血』を読む

遠い日に観た深作欣二監督の映画『仁義なき戦い』(原作・飯干晃一)は、筋書きもなにもかも忘却の彼方だが、強烈なインパクトだけは今に残っている。イタリア・マフィアを描いた『ゴッドファーザー』に勝るとも劣らない名作だと、私は持ち上げることを憚らない。それに似た映画が5月半ばに公開されると知り、先に原作を読もうという気になった。柚月裕子『弧狼の血』である。2年半ほど前に刊行されているのに、全くその存在を知らずに来た。読み始めるや一気に嵌り込んでしまった。女の身でありながらとは言わないが、よくぞここまで警察、暴力団の世界をリアルに描けるものよ、とつくづく感心し続けながら読み進んだ■広島県呉原市(架空の町)が舞台。とくれば、もう広島弁が主役。暴力団といえば神戸とくるはずだが、関西弁は暴力の世界といまいちしっくりこない。『仁義なき戦い』での菅原文太らの言葉づかいが今も耳元に響く。警官で暴力団係長・大上章吾の描き方にはド迫力があり圧倒される。その大上の相棒となる新米刑事・日岡秀一とやくざとの乱闘シーンでいきなり幕が開けるが、ここから一気に引きずりこまれる。やくざそのものと見紛う先輩刑事と広島大出のインテリ若造という組み合わせは絶妙である。この小説はもちろん単なる暴力を描いたものではなく、推理小説仕立て。12の章ごとに冒頭に、日岡の書いた日誌が出てくるのだが、何故か黒い線で塗りつぶされている個所が数多く出てくる。ネタばらしは出来ないが、感のいい読み手なら、なぜ消されているか作者の意図がわかるかもしれない。■大上の人物像の描き方に絶妙な差配が窺えるのに比べて日岡はどうも線が弱いし、リアルさに欠けるという印象(これは最後に謎が解けるのだが)に苛まれる。警察官が暴力団と深く関わるなかで一線を越えてしまうという設定も、今によくあるパターンではある。アメリカ映画ではよく見受ける風景なのだが、現象面の一歩奥にある時代背景がよく見えないというのは気にかかる。『仁義なき戦い』は戦後の焼け野原の広島が舞台だけに、否が応でもあの大戦の傷跡が重なって見えた。それに比べてこの小説は歴史の背景がよく見えない。淡泊さが否めず、なにかもの足りなさが付き纏う。つまり、戦後70年余の時代を経ての広島でのヤクザ同士の争い、警察組織と暴力団の凌ぎ合いが小さくまとまって見えてしまう。つまり架空の場所での夢物語のように、である■映画は、役所広司と松坂桃李の二人がコンビで、他に江口洋介や真木よう子が出ているという。果たしていかがな出来栄えか。日本映画界の進展ぶりもうかがえるだけに注目されよう。『仁義なき戦い』では多くの脇役が個性的な光を放ち、金子信雄など未だに記憶に残る。大上の愛用したパナマ帽やジッポライターなど本の中で繰り返し登場する小道具が使われるのかどうか。今からワクワクしている。(2018・4・29)

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「文明開化」の成れの果てー山本義隆『近代日本150年ー科学技術総力戦体制の破綻』を読む

「山本義隆」という名を見聞きして、どういうひとかを分る人は今や少ないだろう。現在の肩書は駿台予備校に勤務する科学史家だが、元東大全共闘代表といった方が早い。尤も全共闘に関心を抱く人ももはやそう多くはいないのではないか。だが、団塊の世代にとっては様々な思いを抱かせる懐かしい人だ。この人私より4歳年上だから、60年安保闘争時には19歳だった。当時、一世風靡した連中の多くは転向したり、その戦いの戦線から消えてしまった。そんな中でこの人は、若き日の思いを深く沈めつつ、きちっと生き抜いた数少ない人のように思われる。新聞書評で『近代日本一五〇年 科学技術総力戦体制の破綻』を見てすぐ様に読んでみたいと、買い求めた。理由は二つある。一つは明治維新から150年を科学技術の面から総括した視点に興味を抱いたこと。もう一つは、全共闘の闘士の”この50年”に興味を持ったことである■率直に言って見事な出来栄えだと推奨したい。「対西洋」の観点で、科学技術の分野での立ち遅れへの取り組みが日本近代150年のすべてだったといって過言ではないと私は思ってきた。裏返せば、哲学思想の分野での東洋の立ち位置を見失わせてきてしまった。その罪は大きい。そう考える人間にとって、科学技術総力戦体制は近代日本の別名であり、それが「3・11」(福島原発事故)で完全に破綻したとの捉え方に全く異論はない。この本では明治以降の科学史の流れをきちっと追いつつ、当然の結果としての行きついた果てを克明に記している。これまでの様々な日本近代150年を整理したものの中でも極めて分かりやすく著者の意図が直ちに理解できる。これがしかし、残念ながら「岩波新書」だという事もあり、先入観を持たれ、非現実的な理想主義の流れをくむもの(伝統的左翼思想)として遠ざけられることを憂える■明治維新からの40年で日露戦争に行きつき、更に40年後にかの大戦の敗北に至った。近代日本の前半は、概ね「富国強兵」の時代と位置付けられる。軍事力と資本主義の二人三脚といえようか。しかし、それは「もともとは欧米資本主義の経済活動のなかから生み出された科学技術研究は、戦時下の日本の総力戦体制の下で、国家の機能と一体化していった」のである。つまり、科学技術への要請は常に軍事力、資本主義と裏表をなしており、庶民の生活は一貫して顧みられなかったということでもある。これは戦後も続く。つまり近代日本の後半は、「富国強経」とでもいうべき経済至上主義が国を覆ってきたのだが、結局は科学技術での欧米への遅れを取り戻す戦いの延長戦に過ぎなかったと言える。すなわち明治維新からずっと日本は科学技術で西欧に追いつくため遮二無二走ってきたが、結局それで大事なこと(日本独自の思想哲学の樹立)をし損なったということではないのか。それはまた「文明開化」の名のもとに、西欧文明にただひたすらひれ伏してきたことの行きついた果てのように思われる■あの福島の原発事故の経験をしながら、原発を視野に置かぬ国造りは「(国の)浮沈にかかわる」との捉え方を未だにする政治家が公明党の中にもいるのは誠に残念だ。「問題の本質は、政権・経済産業省・原子力ムラ・原発企業等からなる(日本株式会社)の失敗にある。東芝凋落で示されたのは安倍政権の成長戦略の危うさ」であり、「経済成長の強迫観念にとらわれた戦後の総力戦の破綻である」との著者の主張は首肯できる。これを旧左翼的考え方、岩波文化人の流れをくむものとしてステロタイプ的に決めつけ、無視するのはいささか早計にすぎないか。既にかつての首相経験者二人が反原発運動の先頭に立っていることを見ても分るように、旧来的な「左右対立」ではない新たな対立軸が浮上している。それは恐らく自然を人間が支配するものとして捉えるのではなく、経済成長や科学技術を万能と見る生き方でもなく、人間と自然とが共生する世界、スケールは小さくとも心豊かな国を目指すものであるに違いない。(2018・4・25=修正)

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「反核」を叫ぶ権利はいずこにあるかー太田昌克『偽装の被爆国』を読む

1993年から20年に及んだ私の代議士生活は、いわゆる「失われた20年」とほぼ重なる。バブル崩壊から長期にわたるデフレによる生活不安がそのベースを形成していた。「政治改革」をめぐる動きに端を発し、小選挙区比例代表並立制の導入を経て、連立政治が常態になった期間でもある。それこそ後の祭りなのだが、この間政治家は何をしてきたのかと、時に暗澹たる気分に襲われる。孫や子に恥じない政治家としての足跡を残すことができたのか、と自責の念にも駆られる。なかでも深く頭を垂れざるを得ないテーマが「核廃絶」である。与党の一翼・公明党の議員として、この分野を担当しながら結局は核をめぐる事態を毫も変えることが出来なかった責任は小さくない。そんな折も折、日本という国に対して『偽装の被爆国』との決定的な烙印を押す本に出会った■故市川雄一元書記長を追悼する拙文が毎日新聞朝刊5面に掲載されたのは3月5日のことだった。多くの人々から幾重にも心温まる激励の電話やメールを頂いたが、嬉しかったのは久方ぶりに声を聞けた旧友からのものだった。そのうちのひとりが共同通信の太田昌克記者(編集委員・論説委員)である。早速上京した機会に旧交を温めることになった。その際に戴いたのが彼が昨年9月に出版した上記の本なのである。ボーン上田記念国際記者賞、平和・協同ジャーナリスト基金賞を受賞。政策研究で博士号も。私より20歳ほども年若なのだが、この分野でのジャーナリストの先達として、畏敬の念を抱いてきた。「石畳を焼きつけていた強い西日に薄い雲がかかると、心地よい南風がピタリとやみ、瀬戸内特有の夕凪が薄暮の公園を静かに包み込んだ」ー2016年5月27日午後6時過ぎの広島市平和記念公園内の原爆死没者慰霊碑前。この印象的な書き出しは、米大統領として史上初めて被爆地に足を踏み入れたバラク・オバマ氏の振る舞いへと続き、読者を「核」の世界へと誘い込む■太田さんはワシントン特派員時代から15年以上にもわたって幾たびもホワイトハウス高官ら米国のエリート官僚を取材してきた。その人々との息詰まるせめぎ合い。日米関係の錯覚をときほぐすお手並み。推理小説の種明かしのように、実に読み応えがある。この辺りの呼吸は他の追随を許さない。ただ、日本人しかも政治家の一員としては何とも切なく虚しい思いになる。「被爆国」という日本の一枚看板の素顔が次々と暴かれ、剥げ落ちて行くからだ。「核」をライフワークとするという広島選出の岸田外相。野球でいえばエースがリリーフで登場しながらも敢え無く打ち込まれて惨敗を喫したような、核兵器禁止条約をめぐる交渉の一部始終。太田さんは「『分断』を防ぐための提案を行うやり方もあったはずだ」し、「将来『核の傘』から脱却できる日が来た時に備え、いま米国の核抑止力を信奉している『傘国』、さらにはその背後に控える核保有国も参加できる仕掛けづくりに、被爆国の外交官の叡智を結集すべきではなかったか」と、さりげなくだが厳しいタッチで追及する。その矛先は政権のパートナーの身にもキリキリと痛く食いこむ■エピローグで、最近「日本政府にはもう『被爆国』と名乗らないでほしい」との被爆者の悲痛な叫びと憤怒の声をよく耳にするようになったと紹介されている。その心情たるや痛いほどよくわかる。ただ、ここで私が想起するのは最近読んだ佐伯啓思さんの『「保守」のゆくえ』における次の一節である。「もし日本に『反核』を唱える権利があるとすれば、それは『唯一の被爆国』だからではなく、日本が西欧近代的な思想を相対化しうるという限りにおいてなのである」。日本は明治維新以降150年というもの西欧近代的な思想に絡めとられてきた。その思想こそ「核」に行きつく宿命を持つがゆえに、それを絶対視してきた日本人には批判する権利はないというのである。つまり、西欧近代的な思想に代わりうるものを日本が持たなければ、「反核」などと偉そうなことをいう権利はない、とまで。この人らしい深くコクのある論理展開である。そうなると、冒頭に述べたように自信喪失をし自己嫌悪に陥っていた私も俄かに蘇る思いを抱く。「反戦・反核」の闘いを世界において長い歳月展開してきた創価学会 SGIにはその資格があるといえるからだ。どうしてか。日蓮仏法を基軸にした中道思想こそ西欧近代的な思想を乗り越えるものだと信ずるからだ。より正確には日本独自の世界観を持ってこそ「核」に反対する権利があるといえようか。こう思うに至って、沸々と「反核」への闘志が改めてわが体内に漲ってきた。(2018・4・15 修正版)

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