「現代史の青春」から80年ー川成洋・渡辺雅哉・久保隆『スペイン内戦(1936〜39)と現在』を読む

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永遠の母親と子供像を見るー夏目漱石『坊ちゃん』を読む

日本人の読書好きなら、いや別に好きでなくとも、誰でも知ってるのが夏目漱石の『坊ちゃん』。全集第2巻に収められている、この名作を再読した。改めてその小説展開の面白さに感銘を受けた。「親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしている」ー冒頭から惹きつける。親譲りの慎重さで子供の時から得ばかりしてきた私としては、いや別にそんな人間でなくとも、誰でもその「無鉄砲ぶり」や「損」の中身に引き寄せられる。四国松山の中学校での生徒たちとのバッタ騒ぎや、教師たちの悪事との抗争。最後に加える鉄拳制裁。胸のすくその勧善懲悪ぶりにはやはり快感を覚える。そんな坊ちゃんを例えようもない温かさで見守る下女の清(きよ)。清に母親像を重ね見てきた私だが、今回の再読でどうやらそう単純ではないようだと知った■この小説を漱石は10日あまりで一気に書いたという。その背景には、薩長藩閥政府や東京帝国大学への批判や鬱憤やらが凝縮しているとの見方がある。加えて学校や家族への制度としての在り方への不満も。漱石の小説、それも最も早い段階の『猫』や『坊ちゃん』を老いた身ー心も身体も未だ若いと自認しているがーで読むことには、さすがの私でも抵抗があった。しかし、小森陽一によると、「漱石のなにげない一言に宿っているもののスイッチを押すと途轍もない世界が開けてくる」だけに、「老後に勝手に楽しむ小説のベスト1ですね(笑)」ということになる。そう言われて初めて落ち着き、俄然前向きになるというのも大人気ない限りだが、そこは凡人らしさゆえと自己満足しよう■さて、『漱石激読』による手ほどきとは別に、この小説では養老孟司 の別冊NHK100分de名著『読書の学校 特別授業』も併せて読んだ。これは一転、子供向けの読み物で、大人向けの『激読』とは対照的、好一対である。「大人になる」ということはどういうことか、とのタイトルの一章では、「大人になって日本の世間とどう折り合うか、すでに折り合って生きている人をどう見たらいいのか」と語りかける。この折り合い加減こそ人生の全てと言っていいかも知れない。時に徹底して人と折り合わず、一転、滅茶苦茶に折り合ってきた私なんか、いつまで経っても大人になりきれていないと自認している。脳科学者の書いたこの本、随所に深いヒントが隠されていて興味深い。「学ぶことで私たちは大きく変わっていきます。知るということは、自分の本質が変わることです。本当の意味で学問をすると、目からウロコが落ちる」と。いつまでも変わりきれぬ自分は、中途半端な学びだからか。それとも逆に学びすぎてるのか。結局は、自分の頭で考えるっていうことをしていないからではないか■最後に清をどう見るか。小森と石原千秋は、「正常な家制度でも家族のあり方でも解けない謎が『坊ちゃん』にはあるとして、清が坊ちゃんの先祖代々の墓で待ってるとの表現を挙げている。養老は「清が死ぬことで坊ちゃんは一人になる」「死とは突然やってくる。人は死んでも、心の中に生き続ける。人生はこういうものだと思います」と締めくくる。私は清の普通ではない発言ー親族関係ではないのに同じ墓に入ることーは、深い愛ゆえのレトリックだと思う。謎というほどのことではない。ことほど左様に坊ちゃんは清と一体化していた、と。かつてこの小説を読んだ頃の私は神戸の母と離れて東京の下宿に一人住んでいた。初めて帰郷した時に「帰ってきた〜」と泣き笑いながら抱きついてきたあの時の母の感触を忘れない。休んでいた私の枕元に「寒いだろう、風邪ひくといけないよ」って、衝立代わりに何かを立てかけてくれたことも。清=永遠の母親のイメージは、単純ではあっても、70歳を過ぎた今になっても変わらないのである。(2018-10-13=文中敬称略)

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東大野球部〝百年前の栄光〟ー門田隆将『敗れても 敗れても』を読む

来年創部百年を迎える東大野球部。その前年のこの初夏に、手練れのノンフィクション作家・門田隆将が書いた『敗れても 敗れてもー東大野球部「百年」の奮戦』を読んだ。関西方面で人気テレビ番組のレギュラーメンバーたる本人の口から聞いた上でのことである。着眼点の面白さもあり、東京六大学野球に懐かしい思い出を持つ人間として興味を持った。かねてから格段に弱い東大をリーグに入れ続ける意味に、疑問を持っていた人間としてはなおさらだ。読み終えて、その疑問が晴れたとは言い難い。だが、それとは別に、人間如何に生きるかという根源的なテーマを大いに考えさせられた。そのきっかけを与えてくれる貴重な本である■勝負は勝たねば面白くない。それを大学の4年間に一回も勝てなかった、つまり80連敗したー5チームを相手のリーグ戦で、一年に20戦。4年で80回闘って全て負けたことを意味するーということはさぞ辛かろう。およそ当事者たちはいたたまれないはず、とページをめくった。平成23年から26年まで一回も勝てずに卒業した当時のメンバーの言葉が切なく響く。「八十連敗で卒業したことについては、気持ちというか、〝魂〟がまだ神宮に取りついちゃっているような感じなんですね」と当時の主将。そして卒業後、94連敗でついに連敗を脱した後輩たちを前に、誇らしさとともに、「羨ましく、なんとも言い難い悔しい思いが込み上げても来ます。何が間違っていたのか、もっとやっておけばよかった、後悔の念にさいなまれたりもします」と正直に告白している。かわいそうの一語に尽きる■東大はこの百年の歴史の中で、他の5大学に比べて圧倒的に弱い、ということは歴然としている。この本の最後に付いている年表が何よりも証明している。そこそこ強い時もあったとはいえ、勝ち点3をあげたことは全くない。ベストナインに選ばれたり、プロ野球に入団する人も散見されるが、基本的に〝お荷物〟であることは間違いない。しかし、それだからこそアマチュアの大学野球の真骨頂があるともいえよう。東大野球部に入ってくる連中に共通している思いは、ただ一つ。野球に強い私学、プロ級の選手と対抗出来る得難い経験が出来るということにある。関西六大学では、かつて京都大、神戸大学が入っていた頃がある。関関同立と並んで。しかし、いつの日からか、弱い二つを外した。それだから人気がなくなったとは言わないが、伝統が色褪せてしまったとは言える■尤も、この本の価値は東大野球部の弱さの歴史と伝統を追う(稀ながら勝った時のことにも結構触れており、戸惑うことも)ことではない。ひたすらに、第一章の「沖縄に散った英雄」の中にある。戦前最後の沖縄県知事・島田叡(あきら)のことが克明に描かれており、彼こそ東大野球部の栄光を担う人だったということが明確に分かる。じつは、彼は兵庫二中(現兵庫高)出身で、神戸市須磨区に生まれ育った人である。まさに隣の兵庫三中(現長田高)出身で同垂水区育ちの私は、彼のことをすぐそばにいた先輩として強い関心を持ってきた。先年、TBSテレビが島田叡を特集した際にも貪るように見た。しかし、彼の東大野球部での活躍を巡る深い話は知らなかった。彼の存在があったればこそ東大が六大学の一角を占めるきっかけとなったことは重要である。大学野球の草創期に果たした一高、東大の役割がその後の歴史において風化することは、島田叡とダブルだけに残念である。著者の想いもひたすらそこにあるに違いない。(2018-10-6)

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この150年を考える旅立ちにー夏目漱石『吾輩は猫である』を読む

夏目漱石全集ー我が書棚を飾る全28巻から無言の圧力を感じつつ20数年が経つ。先に朝日新聞社が新聞紙上で『吾輩は猫である』を連載で再掲載し始めた時に、触手が動きかけたが、結局は断念してしまった。それが今年は明治維新から150年の節目の年ということで、明治という時代を真剣に追う気になった。読むものも明治期のものが多くなり、ほぼその時代とともに生まれて死んだ「漱石」に挑戦することにもした。ようやくのことに、全集を繙くことになったのである。既に『倫敦塔・坊ちゃん』(第二巻)、『草枕など』(第三巻)と読み進めており、遂にその魅力に嵌ったといえよう。そしてここに無事、第一巻『吾輩は猫である』の読後録に取りあげることになった。実にめでたい限りだ■猫といえば、我が家にもそれなりの歴史めいたものがある。元来が猫や犬だけでなく鳥や金魚でさえ、なべて生き物を飼うことは我が家では憚られた。その理由は単純。別れが辛いからだったのだが、加えて私の父がかなりの動物嫌いだったことも関係した。真反対に猫好きの家庭に育った妻との結婚で、自ずと私たち夫婦の間ではしばしば喧嘩のテーマにも浮上した。妻の両親と同居(東京・中野で)していた頃など、猫がどこからともなく勝手に上がり込んできて、暗黙の家族となりおおせていた。そこへ私の父が神戸から上京するというので、さあ大変。猫を押入れに隠すことにしたものの、意のままになろうはずがない。父がその姿を発見するや否や、追いかけ回すことになった次第である。とはいうものの、結局は猫好きの家族に負け、飼うことになった。今では孫から私たち夫婦はニャンニャンじいじとバアバ(犬を飼っていた娘の嫁ぎ先の親はワンワン何とかを付けて区別されている)と呼ばれているほどなのだから、まったく世話はない■漱石の「吾輩猫」は、人間世界を大いに批判する。その視線は日露戦争のさなかに書かれたものだけに、随所に様々な隠し絵ならぬ隠し思想が込められているようだ。それこそよーく目を凝らさないと見過ごしかねない。権力の言論統制とのギリギリのせめぎ合いが行われている中で書かれた小説、との側面が見抜けるかどうか。読み手の人間の厚みと深さが試されるのかも。例えば、中学生が草野球をしているボールが苦沙味先生の家に入ってくるといった事件一つとっても‥‥。まあ、そこまで深読みを気にせずとも、単純に「吾輩猫」の視線で人間世界を見るだけでも十分に面白い。ところで、これから全集読破に挑むにあたって、漱石研究の先達たちの「解説絵巻物」の厄介になろうと決めている。第一巻を読みつつ既に石原千秋、小森陽一の『漱石激読』をも併読し終えたのだが、実に刺激的な中身であった。おいおいその成果も反映させていきたい■私としては「哲学先生」の文明談義など、滅法ためになった。「西洋の文明は積極的、進取的かも知れないがつまり不満足で一生をくらす人の作った文明さ。日本の文明は自分以外の状態を変化させて満足を求めるのぢゃない。西洋と大に違ふ所は、根本的に周囲の境遇は動かすべからざるものと云ふ一大仮定の下に発達して居るのだ」ーこのあたり、100年を優に超えてしまった今、漱石の慧眼が光る。「山があって隣国へ行かれなければ、山を崩すといふ考を起す代りに隣国へ行かんでも困らないといふ工夫をする。山を越さなくとも満足だと云ふ心持ちを養成するのだ」ー漱石のいう工夫をせずに、日本人も至るところで山をぶち抜きトンネルを掘って来た。「とにかく西洋人風の積極主義許りがいゝと思ふのは少々誤まって居る様だ。(中略)積極的に出るとすれば金の問題になる」ー漱石の見立て通り、日本も西洋風の金、カネ、かねの世の中になってしまった。日本人は西洋人風に骨の髄まで変質してしまっているのかも知れぬ。今私は〝日暮れて道遠し〟を気にしながらも、近代日本の150年を考える旅に出ようとしている。その旅の第一日目に道連れとなった「吾輩猫」の印象は、冒頭を飾るにふさわしい、ユーモアをいっぱいにたたえつつ、したたかな中身を満載したものであった。(2018-9-30)

 

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フランス柔道の父は姫路の人ー吉田郁子『世界にかけた七色の帯 川石酒造之助伝』を読む

姫路の灘菊酒造といえば、名酒「灘菊」の蔵元として遍く知られているが、川石酒造之助なる人物はあまり知られていない。「フランス柔道の父」というからには勿論、只者じゃない。明治32年に姫路市手柄で父孫次郎の五男として生まれた。この孫次郎なる親父さんは、6人の男の子のうち長男、三男、五男の3人に「酒造」の字をあて、それぞれ酒造治、酒造作、酒造之助とつけたという。よほど酒造りに執心しておられたようだが、ご本人は味醂を製造(長男が継ぐ)。三男が酒造業を起こした。現在の同酒造の社長・川石雅也氏は三代目になる。流石に「酒造」はその名についていない。この人、私とは同い年。入学に余計な時間がかかった私は慶応の一期後輩にあたるが、同期もどきである。姫路に私が戻ってきた30年前辺りからなにかとお世話になってきた、楽しい友人でもある。その彼から吉田郁子『世界にかけた七色の帯  フランス柔道の父  川石酒造之助伝』なる本を頂いた。一読、こんな人が姫路にいたんだ、と誇らしく思うとともに、柔道について改めてあれこれと考えるきっかけとなった■柔道との個人的思い出といえば、慶応時代日吉の柔道場で体育の時間に、誰かしらにありとあらゆる技で、投げ飛ばされた痛い思いしか残っていない。黒澤明の名作・映画『姿三四郎』は見た記憶はおぼろげながらある。世界柔道選手権大会が終わったばかりだが、昨今の柔道に私は批判的だ。国際大会でも、大事な礼もろくすっぽしているようには見えず、マナーがいまいちに思われてならない。大体、畳の上でやらないのはおかしいなどと、古い日本人的感性が鎌首をもたげてきてしまう。そもそも日本柔道斜陽化の分岐点はフランスのへーシングに敗れた時から始まっていると私は思い込んできた。その手強い相手・フランス柔道を育てたのが姫路の男で、しかも友人の親族だったとは驚きだ■酒造家の五男に生まれた川石酒造之助は、名前とは全く別の人生を歩んだ。早稲田大学に入り、海外雄飛に憧れつつ、政治家の道を志したものの、北米、南米、英国を経てフランスに落ち着くまでにその目指すところは自ずから変質していった。若き日に講道館で身につけた柔道を通じて、行く先々で柔道クラブを設立、最終的にフランス・パリで見事な花を咲かせたのである。彼の柔道教授法は、技の名前の番号化と帯の色の多様化を中心としたもので、メトード・川石(川石方式)と呼ばれたという。上達度を掴むために、白、黄、オレンジ、緑、青、茶、黒の、七色の虹のように帯の色を変える方法を取り入れたこともユニークだ。外国人が柔道を習得する上で、極めて合理性に富んだ独特のものだったと思われる■フランスと柔道の結びつきの背後にいた姫路出身の早稲田マン。この本のカバーの裏にある写真をみると、一見、かの政治家の浅沼稲次郎風の偉丈夫に見える。柔道を通じての国際交流に見事な仕事をした人だが、私の勘では政治家の道に進んでいたよりも、この道の方が合っていたかもしれない。ただ、講道館との軋轢があって、今一歩これほどの足跡がある人物が日本で知られてこなかったことも、この本から伺えた。著者の吉田郁子さんは、パリの地でのある子供との出会いから、フランス柔道にカラフルな帯の色があることを知った。そのことが発端となってこの本を書いた。加えて酒造之助の先妻(柴田サメさん)の故郷・岩手における知人ということも手伝った。女性らしい繊細な目線が随所に行き届く。先妻・柴田サメさんとの出会いから別れに至る数頁の記述はなぜか心に残る。英国で酒造之助と知り合い、所帯を持ち、やがて一度帰国するも、姫路の暮らしになじめず、郷里に一人で帰る。晩年一人になってなぜか「川石ミキ」と名乗っていたことにさりげなく触れているが、妙にほのぼのとした気持ちになる。川石酒造之助を知って、柔道を見る眼がチョッピリ変わった気がしてきた。(2018-9-21)

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民族の差異ではなく、居住環境が大方を決すーJ・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄』を読む

1万3000年にわたる人類史の謎を解いたとてつもなく凄い本だよ、って薦めてくれたのは高校同期の笑医塾塾長の高柳和江。ジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』である。彼女のおすすめなら、と素直に読んで随分と日が経つ。天邪鬼な私は、それよりもユヴァル・N・ハラリの『サピエンス全史』の方が面白いと言って逆に勧めた(既に去年9月にこの欄で紹介済み)ものであるが、彼女には無視された。後者は、わたし的には最後に仏教の価値を認めたくだりが気に入ったからだ。前者の方は、皆が抱く「謎」を提起したうえで鮮やかに解いてくれ、これはこれで大いにためになる。読みやすさ抜群ゆえ、倉骨彰さんという訳者の腕が凄いと思っているが、同じJ・ダイアモンドによる『文明崩壊』を読み出している今、これも分かりやすい。訳は楡井浩一さんとあって、別人。となると、訳者もさることながら著者本人の文章力ゆえだろうと思うことにしている■文庫上下二巻で合わせて800頁にも及ぶ大著。著者の言わんとするところは明解。なぜ世界は富と権力が歪な形で存在しているのか。地球上それぞれの大陸で異なる歴史をたどってきたのはなぜか。この疑問に著者は、ズバリ「歴史は民族によって異なる経路をたどったが、それは居住環境の差異によるものであって、民族間の生物学的な差異によるものではない」と解く。ニューギニアでヤリという人の問いかけを受けて、25年の歳月をかけて、進化生物学、生物地理学、文化人類学、言語学などの広範多岐にわたる最新の知見を縦横に駆使して解き明かした謎解きを披瀝したのがこの書物である。銃器や金属器技術などに加えて、病原菌の存在が居住環境を左右したので、民族の優劣によるものではないとの結論は、人類の今と未来を優しく照らし出す■私の学生時代にあって、仲間うちが集まると議論したテーマは、社会革命が先か人間革命が先か、であった。マルクス主義による社会主義革命が一世風靡をした時代。東大で、京大で、日大で、明大で、早稲田で、そしてあの慶応までもが学生運動の戦場となった。そんな折に、社会革命をしたところで、所詮は攻守逆転するのみ。根源的には人間存在の変革しか近道はないとの論法で、ひたすら仏法の研鑽とその理解者の拡大に走ったものであった。その際に、人間は環境によって左右されるものではあるが、主体そのものが過去世からの原因が素になって今があるのだから、元々持って生まれた宿命を転換せずして、環境だけを変えたところで、十全たりえないなどと言った議論を展開したものである。尤も、環境の人間に与える影響少なからず、結局は渾然一体となって互いに関連しあっているというところに真実はあるものと思われる■一転、人間を文明に置き換え、社会環境を自然環境に代替した視点から「文明の興廃と自然環境」といった問題を取り上げて論じたのがこの本である。従来、文明の流転は人種、民族のなせるわざだとの論調が主であった。生物学的な差異が歴史的差異を生み出したとの議論である。この立場からすると、この本での問題提起そのものが❶一民族の他民族の支配の正当化❷ヨーロッパ中心の歴史観の肯定❸文明の進歩への誤解ーを生み出すものとして、反対意見にさらされると著者は述べている。ここでの著者のスタンスは、人種、民族の優劣を論じたり、ヨーロッパ文明の優位を肯定する態度から、進化を促すといったものではない。人類史を眺めたときに、浮かび上がってくる事実をつぶさに書き記すことで、ありのままの実態を見ようということだ。それは「複数の環境的要因を同定し、それについて述べているにすぎない」し、「こうした要因をはっきりさせることによって、まだ解き明かされていない謎の重要性を認識することができる」としている。こう見てくると、人類史の探究はようやく緒についたばかりだともいえる。そうさせた著者の努力の所産は限りなく大きい。(2018-9-17)

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神道プラス朱子学の害毒の怖さー井沢元彦『逆説の日本史23 明治揺籃編』を読む

俗っぽい週刊誌に連載されたものが単行本になり、そして文庫本になって25年以上が経つ。通常の歴史家をこき下ろし、大胆な自説を展開するが故にその道のプロからは疎んぜられるものの、声なき声の大衆からはわかりやすく面白いと絶賛される。『逆説の日本史』シリーズの著者・井沢元彦氏はまだ64歳。去年の10月に発刊された23巻が「明治揺籃期」を扱っているので、もうすぐ24巻がでてこようが、一体いつまで続くのか。購入後一年足らずほおっていたものをこの程読み終えた。ひときわ異彩を放つものとして強く印象に残る■全部で3章構成。一つ目は、近現代史を考察するための序論と銘打って「近現代史を歪める人々」の名のもとに、徹底的に対象著名人をこき下ろしている。朝日新聞の元社長・木村伊量、主筆・若宮啓文、そしてTBSの筑紫哲也らをめった斬り。この辺りはもはや「定説」ともいえ、彼らに弁護される余地はない。ただ、半藤一利を褒めつつ斬りつけているあたりは、異論を唱える向きもあるかもしれぬ。ともあれ、改めてこの章を読むと「またぁ」と、いささか辟易する。ただ、このように整理して提示されると役立つに違いない。ともあれ、このシリーズを読み慣れているものからすると、おさらい連続の感が強い。興味深いのは二つ目から。「大日本帝国の構築」1で、琉球処分、2で廃仏毀釈のテーマを取りげており、この二つの章はとびきり面白く、勉強になる■「琉球」と「沖縄」の名称はどちらが古いか。当然、琉球が古いと思っていたが、意外にも見解は分かれるという。断定はされていない。また、琉球人(沖縄人)のアイデンティティは日本に近いとの見解にも少なからぬ驚きが私にはある。中国に近いのでは、との思い込みがあったからだ。例えば、日本は、大和、アイヌと琉球という三つの民族から成り立つとの説を私は信じているが、先日、「博覧強記の人」と言われるらしい防衛省新事務次官の高橋憲一と懇談した際に、彼からは否定された。琉球民族はない、と。この辺り、研究の余地がわたしにはあるように思われるが。ついでに言うと、佐藤優の「琉球独立論」を巡っても、彼と私の意見は分かれた。かねて国会の場でも、「このままいけば沖縄は独立するしかないとの立場に立って、日本政府を脅かせ」との論法を披瀝していた私は、佐藤説に賛成。しかし、勿論のことながら次官は否定。その際に、かつて佐藤が普天間基地の移設問題で、「最低でも県外」との鳩山由紀夫説を擁護し、のちに自らの不明を恥じたことを持ち出した。信用するに足り得ない人物だと言わんばかりだった。要するに、リアルに欠けるというわけである。勿論それは認めるが、外交の極論的手法として捨てがたい魅力があろう。ともあれ、こうした沖縄をめぐる現在の課題を考える上で、この章における琉球処分の歴史的経緯を押さえておく必要があることを痛感した■最後の章「廃仏毀釈と宗教の整備」は、盲点を突かれた。明治維新に際して、新政府首脳はキリスト教の日本への進出を恐れて、自らの寄ってたつ基盤としての宗教強化を目論んだ。つまり、神道と仏教の混合体としての日本教を整備しないと、欧米列強には勝てない、というわけである。そこで、「神仏分離令」のもとに仏教を排し、神道と朱子学の「混合体」を樹立したという。朱子学の害毒を、手を変え品を替えて訴え続ける著者の執念たるや半端ではない。孔子、孟子のような初期儒教の先達と違って、後期のそれである朱子がいかに国家組織体をダメにするものかを強調。具体例としての韓国、北朝鮮の無残さを事細かに挙げている。中国も清王朝の没落に寄与し、漸く共産中国になって薄らいできた、と。日本も徳川時代から明治期にかけてその毒が深く入ったとの説明には実に迫真性がある。「朱子学の独善性、排他性に影響され猖獗をきわめた『廃仏毀釈運動』」の実例として、鹿児島には国宝、重要文化財クラスの仏像や寺院が皆無なことを克明に記している。併せて古都奈良にも吹き荒れた「廃仏毀釈」の嵐などの記述も目からウロコが落ちる。仏教を排し、朱子学を神道と組み合わせる形で宗教を整備する一方、欧米の科学技術を懸命に取り入れた。その結果としての近代化はいびつな形で進み、軍事国家としては肥大化したものの、精神的骨格に禍根を残すに至った。敗戦後には神道プラス朱子学に代わって、キリスト教に裏打ちされた欧米民主主義の独壇場となることを許してしまったのである。この本を通じて、日本史においても朱子学の果たした役割がいかに大きいかを、思い知った。(敬称略=2018-9-10)

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会津へのこよなき思いー中村彰彦『幕末維新改メ』を読む

明治維新ではなく、幕末維新。150年前の日本の政治の仕組みの根源的変革をこの本ではそう呼ぶ。改メとは、検証の意であろう。明らかに薩長土肥による明治新政府の側ではなく、旧江戸幕府に身を寄せたものの見方に立っている。すなわち、戊辰戦争の敗者の側からのものだ。中村彰彦『幕末維新改メ』は、このところ目立つ「反薩長史観」の源流をなす事実を書き連ねた、ある意味で読みやすい本である。「司馬史観」と対(つい)にして、「中村史観」とさえ呼ばれる一連の著作の最新版になる■いくつかの印象に残る記述があるが、それらに一貫して流れているのは、維新史を東西双方に分け、対立する視点で捉えようとする試みである。西郷隆盛については、東の(著者は栃木県の人)スタンスで、明らかに冷たい。その最期の場面。「降らんと欲する者は降り、死せんと欲するものは死すべし」との全軍解散令について、生きるも死ぬも勝手にしろ、と兵たちを突っ放した言い方だと、厳しい指摘。「責任はおれたちがとる、若い者は堪えて生きろ、そしておれたちの思いを後世に伝えてくれ」という思いが欠如している点に西郷の限界がある、とも。しかし、今日では過剰なまでの西郷を称える動きに事欠くことはないだけに、西郷たちの思いは十二分に今の世に伝わってると思うのだが、どうだろうか。むしろ、西郷の最期にあって「首なし遺体にはフィラリアに由来する陰嚢水腫が顕著」で、「赤ん坊の頭部台大に腫れており、陸軍大将となっても乗馬不可能なからだになっていた」とまでリアルに描くことはないのではと、いささかの反発を覚える■この本だけではなく、反薩長の観点で書かれたものに必ず登場するのは、象徴的存在としての世良修蔵なる長州人である。その会津での極悪非道の数々については、ここではもう触れない。それに比し如何に会津の人々が苦しみ、不条理に堪え、明治の世の最後まで頑張り抜いたかについて、山川浩、健次郎兄弟、佐川官兵衛らに加え、山川捨松、柴五郎らを登場させて描ききっている。涙とカタルシスで爽快感を誘うまで。そのような中で、わたしは残念ながら、立見尚文という桑名藩士は知らなかった。後に、日清、日露戦争で活躍し、欧米の評価にあって、最大のヒーローとまで言わせるほどの卓越した戦術家だったという■徳島・蜂須賀家と淡路・稲田家との反目や、幕末に誕生した長州傘下の浜田、鶴田、香春、岩国藩など4つの藩のエピソードなどもこの本で初めて詳しく知った。特に稲田家の北海道移住に材を得た歴史小説として船山馨の『お登勢』が挙げられているのは興味深かった。かつてこの小説を巡って、尊敬する先輩が若き日に「第三文明の小説とは船山さんのこの小説を指して言う」などと激賞し、公明新聞の連載小説を彼に依頼していたからだ。一方、長州の高杉晋作の「奇兵隊」はプラスイメージで捉えられてきたが、ここでは金にルーズであったことや被差別部落への差別などの負の実態を克明に描き、幻想を打ち砕く。とりわけ民主党政権の元総理の菅直人氏が自らの内閣を「奇兵隊内閣」と自讃したり、奇兵隊と書かれた幟を作って総選挙に立候補し落選したタレントがいたことなどに触れ、山口県出身のくせに事実を知らない、と手厳しい。水に落ちた犬を叩きたくないが、自らの寄って立つ基盤の歴史を知らないことは恥ずかしい限りではある。(2018-9-2)

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防衛通への変身に見る政治家の真骨頂ー佐瀬昌盛『むしろ素人の方がよい』を読む

先日、徳島商業高校を表敬訪問した際に、森本泰造校長は校庭の一隅にある三木武夫元首相の顕彰碑に連れていってくれた。商業教育における「観光」の位置付けを巡って議論を交わした後の短い時間だったが、私には深く印象に残る。同首相が戦後政治史の中で特異な役割を果たした人物ー「三角大福中」と呼び慣わされた自民党の領袖のひとりでありながら、「クリーン」を売り物にしたーであり、私が選挙戦で二度まみえた河本敏夫氏(元通産相、元経企庁長官)の政治家としての師匠筋にあたっていたからでもある。偶々読みさしにしていた佐瀬昌盛『むしろ素人の方がいいー防衛庁長官・坂田道太が成し遂げた政策の大転換』の中でしばしば登場していたことも手伝った。書棚に逗留していたものを、一気に読み進めることになった。もちろん、この本での主人公は三木武夫ではない。坂田道太である。一般にはあまり知られていないが、厚生、文部、法務の各大臣、衆議院議長を歴任した間に防衛庁長官に就任した。その時の首相、つまり任命者が三木武夫だったのである■佐瀬昌盛さんは長く防衛大学校の教授を務めた人で、『(新版) 集団的自衛権』(同名の著作がある)を解説させてこの人の右に出るものはいない。精密な論理構成に基づく論争力には定評があり、私の学問上の師である中嶋嶺雄先生(故人。元東京外語大学長、元秋田国際教養大学長)も残念ながら「一敗地にまみれた」とのかすかな記憶(某総合雑誌上での論争)がある。その佐瀬さんが坂田への限りない愛着の思いを込めて書き上げた。「専門家の防衛論から国民の防衛論へ」と引き寄せ、「戦後日本の防衛政策と自衛隊を振り返る一冊」として読まれるべき名著だと思う。単に「防衛」に関する造詣を深めるために役立つだけではない。政治家という存在を考えるうえで、この人こそ目標とされるべき人物かもしれない■丸眼鏡で長身、学者然とした坂田はいわゆる文教族で、防衛畑とは無縁の人であった。その彼が昭和49年末に長官に就任以後、「防衛を考える会」を発足させ、そこでの学者、文化人らとの議論を通じて、自ら猛烈な勉強を始めた。やがて「防衛」に成熟し、そして精通していった。その結果、「所要防衛力構想」(状況に応じて対応するもの)から「基盤的防衛力構想」(あるべき基盤を形成するもの)へと、防衛政策の大転換を成し遂げた。それだけではない。防衛力整備計画を改めて『防衛計画の大綱』を策定、『防衛白書』の作成から日米防衛協力の枠組み作りをも推進したのである。在任期間は歴代最長の747日(庁と省を跨いだ石破茂を除いて)。その間には、ロッキード事件が発覚。いわゆる「三木降ろし」騒動やら、ミグ25機が函館空港に強行着陸する問題が起こった。内外が騒然としていたのである。昭和51年末の三木内閣退陣と共に坂田は離任するのだが、実は公明党もこの年、党内での防衛大論争でてんやわんやだった。挙句に「自衛隊を認める」など防衛政策の〝小さいが確かな〟転換を成し遂げた。市川雄一元書記長(当時安保部会長)の英断によるものだった。「防衛費のGDP1%枠」など、この頃決められた国の方針を巡っての論争を、懐かしく思い起こす。自社二党による〝不毛の防衛論争〟と揶揄られた時代から、与野党間の多少は噛み合う議論への転換期でもあったのである■佐瀬さんの筆致は限りなく坂田に対して優しい。あまりにも酷い昨今の政治家の堕落ぶりに比して、その姿勢が屹立して見えるからだろう。三木首相への風当たりの強かった頃に、中立を貫く記者会見をする場面や、シュレジンジャー米国防長官の二度に及ぶ訪日を通じての人間的交流。坂田の奥深さが滲み出るかのごとく描く。言葉を重んじる政治家の真骨頂とでも言うべきスピーチや文章の数々の紹介も胸を打つ。何しろ、シュレジンジャーとの招宴での冒頭に「会いたい会いたいと待ち焦がれていた人に会えてその喜びを噛みしめているというのが今の私の気持ち」と挨拶をしたのである。「こんなに純粋に自分の気持ちを会談相手に語った防衛大臣は坂田を措いてはいない」など、文学青年の面影を漂わすエピソードの数々は心和む。坂田は人から揮毫を請われると「人が先、自分は後」と書いた。人を押しのけて前に出ることを厳しく戒めたのだ。これは数学者・岡潔の『春宵十話』からの借用に端を発している。こうした余談も、坂田の人となりを彷彿とさせて余りある。佐瀬さんはこのあたり、「前へ出たがるタイプだった三木武夫」との相違をさりげなく書き込んでいる。それはまたそれでご愛嬌であろう。ともあれ、私は、この本から政治家のあるべき姿を真底教えて貰った気がする。「教育者的防衛庁長官」だった彼から学び、実践することは数多の人生の局面で少なくないのである。(2018-8-28)

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観光・日英論争を仕掛けたくなるーデービッド・アトキンソン『新・観光立国論』を読む

先日淡路島で開かれたシンポジウムでは、デービッド・アトキンソン氏による講演がお目当てだった。今が旬の観光評論家(私の勝手な命名)である。元ゴールドマンサックスのアナリストで、今は小西美術工藝の社長が本業。日本の国宝や重要文化財の補修を手がけている。そして、日本の伝統文化財をめぐる様々の改革提言を行政に働きかけ、そのことを通じて観光の重要性を随所で呼びかけている。シンポジウムの見聞録はついこの間の私のもうひとつのブログ『後の祭り回想記』に「『変な外人』の素晴らしすぎる洞察力」と題して掲載したばかり。そのシンポジウムが終わった際に、会場で私は名刺交換した。「元衆議院議員です。あなたのことは、二階自民党幹事長から貰った『イギリス人アナリスト  日本の国宝を守る』を読んで知りました」と伝えたものだ■その際の彼の講演があまりに聞き応えがあったので、つい3年前に出版された『新・観光立国論』を図書館で借りてきて読んだ。中身は当然ながら、あの日の講演とほぼ同じ。人口減が進む日本は産業としての観光業を打ち立てないと、とても生き残っていけない。気候、自然、文化、食事と観光に大事な4条件を全て持っていながら、その活かし方に気づいていないというもの。高級ホテルが不足している、文化財が活用されていない、おもてなしは観光の動機にならないなどの講演コンテンツもほぼ一緒。こう、比較して見ると、3年間、観光分野で全く日本は進歩していないということになる。私が議員を辞めてからのこの5年間、著しくインバウンドが増えているというのに、である■「少子化が経済の足を引っ張る日本。出生率はすぐには上がりません。移民政策は、なかなか受け入れられません。ならば、外国人観光客をたくさんよんで、お金を落としてもらえばいいのです。世界有数の観光大国になれる、潜在力があるのですから」という主張は、魅惑に満ちていよう。観光業に関わってほぼ3年、理屈は分かってきていても今一歩実践がついていかない私にとって、ー極めて示唆に富む内容の本ではあった。そんな折も折、公益財団法人・大阪観光局の理事長を務める溝畑宏さんに出会った。この人、自治省出身のれっきとした高級官僚でありながら、2002年に大分県に出向して、フットボールクラブの代表となっていらい、2008年にはJリーグナビスコ杯優勝に導くなどの力を発揮。2010年には民主党政権時の国交省観光庁長官に就任した。そして、今の立場には3年前から。アトキンソン氏の本が出た頃と一致する■これまで二度ほどお会いしたが、なかなか元気というか、歯に絹着せぬもの言い振りが気持ちいい。尤も、それ故に敵も多かろうと、我が身を顧みず、心配もしてしまう。三度目となった先日の出会いでは、低迷を続ける淡路島のインバウンドに向けて、アドバイスを頂く趣旨が狙いであった。高級志向を持つ外国人富裕層に焦点を絞っていくコンセプトの確立を強調された。具体的には明2019年のラグビーのワールドカップ大会に東大阪、神戸を目指してやってくる、イングランド、アメリカ、ニュージーランド、スコットランド、オーストラリアなどといった国々のサポーターに目をつけよ、というのである。ラグビーの世界大会が日本であるということは漠然とは知っていたものの、それに観光のターゲットを絞るなどとは思いもしなかった。我が身の至らなさに身がすくむ思いだった。先方は大阪へのインバウンド客の激増に気を吐き、来るべき大阪万博やIR(統合型リゾート)の誘致に向けて意欲を燃やしているとあって、意気揚々。私が話の中で、アトキンソン氏のことを持ち出すと、「あんな外人なんか(の言うことを信じるの)」と一蹴された。日本の関西方面の観光客増にひと肌もふた肌も預かってるとの自負心が言わしめたのだろう。さて「観光・日英論争」、どちらに軍配が上がるか。そのうち直接対決でも仕掛けて見るか。(2018-8-19)

 

 

 

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