(15)お題目を巡る捉え方について、二つのケース

お題目を唱えることを意味のない繰り返しとみる表現

様々な本を読んでいて、「お題目のように」 と言った比喩表現に時々でくわします。唱題の効用を全く認めず、意味のないことを繰り返すことに使ってるのです。言葉の使い方になぜ「宗教批判」を折り込むのでしょうか、理解に苦しみます。
先日も、「万葉集をお題目のように唱え(ながらも)、その和歌が『源氏物語』を「物語取り」しているのに気づかない」というくだりを読んで、「うーん。この人もか」と残念な思いに駆られました。万葉集を繰り返し繰り返し読んでいながらその意味がわかっていないと言ってるのです。ここは単純に、何度も幾たびも読みながら、だけでいいのに、わざわざお題目のように唱え、としているところに、問題あり、と思いました。
作家としてその存在は知っていても、個人的には全く知らない人の場合、ご本人に注意を促したり、感想を伝えるわけにはいきません。今回のケースはたまたま作家個人を知っていたものですから、直接伝えてみました。

貴方はお題目の力を知っていますか?ご存知ないのなら、どうしてこういう使い方をされるのでしょうか。物事の繰り返しの愚を例えるのに、お題目を上げることを充てるのは、随分余計なことに思えます。私のような日蓮仏法を信奉し、日々唱題に取り組んでいるものにとって、お題目を繰り返し唱えることに意味がない、と言われることはいささか困惑します。どうして、繰り返しの無意味さを例えるのに、「宗教批判」にまで立ち入るのでしょうか。もっと他の表現を使って然るべきでしょう?と。

反発が返ってくることを覚悟してこのことを伝えたのですが、あにはからんや。その作家は、「あっ、すみません。その通りですね。気付きませんでした。つい一般的な慣用句の使い方と同様に使ってしまいました。言われてみると、その通りです。知らないくせに、お題目を繰り返しの無意味さに喩えてしまいました。信者の皆さんには耳障りなんでしょうね」と言われました。私はこの人の人格の深さに大いに感じ入りました。すぐさまこういう反省をする人は立派だと思います。彼はその後、すでに書き溜めている文章を推敲していて、同様の使い方をしてしまってるくだりを改めて発見してしまったと、言われました。指摘して良かったと改めて思いました。

『納棺夫日記』を読んで

もう大分以前のことですが、『おくりびと』という映画を観る一方、その原作『納棺夫日記』(青木新門著)を読んだことがあります。これはもう映画よりも、原作の衝撃は大変なものがありました。脱日本と言ってもいい北国・富山の冬の風景を背景に、胸に迫る人間の末期の数々の姿と納棺夫という職業に就いた著者の心を描いた1章と2章には深い感銘を受けたものです。作家・吉村昭氏を師と仰ぎ、また認められた人の文章だけに、余分なものを削ぎ落としたキリリと引き締まった文章の連続に感心しました。

ですが、宗教論に立ち至った第3章はいただけなかった。なんだか九仞の功一気にかくというべきか。全く蛇足としか私には思えない議論でした。恐らく著者が親鸞を尊敬し、浄土真宗を信奉する人で、私が日蓮仏法の信者であることと無縁ではないものと思われます。ここでいちいち上げつらいはしませんが、率直に言って前半だけで止めておかれたらもっと凄い印象に貫かれた本になると思いました。面白かったのは、あとがきで、私のこの感想をお見通しとしか言いようがないことを書いておられたことです。多くの人から1ー2章は良かった。それで止めておけば良かったのに、と言われた、と。でも3章も良かった。それあったればこその本という読者も多くいることも付記されていました。

で、私がここで触れたいのはそういうことではありません。あとがきの中に、とても忘れられないことが触れられていたのです。それは、ある葬儀に際して著者が納棺夫として湯灌をしていたときのこと。

ー硬直した腕を折り曲げていくのに悪戦苦闘していたら、参集してお題目をあげていた人のうちの一人が、「あれ、見てみなされ、あんなに硬直していたのに、お題目あげたらあんなに柔らかくなって」と叫んだ。すると、お題目が一斉に止んで、「ほんとだ、ほんとだ、お題目をあげたらあんなに柔らかくなって」と言いながら全員が私の手元を覗き込むように見ていた。ー著者は「私はあきれてしまった。あの時ほど、宗教というものに不信感を抱いたことはなかった。あれは決してお題目を唱えたから柔らかくなったのではない。宗教の熱心な信者は、往々にしてこうした事象を己の信じる宗教の功徳にしてしまう」と続けています。

描写風景から察するに、法華経の信者の皆さんが仲間の遺体の周りで枕経としての法華経方便品、寿量品自我偈を唱えた後の唱題の時のことでしょう。この記述に接して、私は二つのことを感じます。一つは、お題目の力は、必ず硬直した体を一時的には柔らかくするのです。実際にそのことを見分した人は数多くいます。しかし、ずっとそのままではあり得ないでしょう。やがては硬直化は免れません。したがって第二には、どの時点を取るかによって違ってくるということです。尤も、青木新門さんは、最初から最後まで遺体は堅いものだと言われるやもしれませんが。

青木さんには、恐らく私たち法華信者のお題目への過信が馴染まなかったのだと思われます。私からすると、親鸞という人の説いた教えはどちらかといえば死後のもので、生者には無力のように思えます。そしてそれは文学的なあまりにも文学的な傾向を持つ生き方に通用するもので、元気溌剌とした明日に生きる青年(その意気に満ちた中高年も)のものとはいえないようです。この辺りのことはなかなか曰く言い難く、難しいものを含んできます。

結論的には、お互いの信ずるところをあまり過剰に他人に押し付けることは、直接間接を問わず、いい結果を生まないということではないだろうか、と思うに至っていますが、さて貴方はいかがですか?(2020-4-2)

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(14) すぐそこにまできた生老病死の旅路の果て❶

生老病死ー最近、この言葉を改めて実感するようになっています。生死の間に割って入った二文字。老と病。これは、どちらが先にやってくるか。当然ながら、若い頃はどちらも意識しませんでした。しかし、このところ、身体の各部位に痛みやら不都合を感じるようになって、老いを意識し、病いを気遣うことが常態になってきました。未だ、心臓と脳は健全な様子であるかに思われます(実のところはわからないだけでしょうが)。つまり、車で言えば、エンジンは快調ですが、部品が壊れてきているように思わざるをえないのです。部品を直したり、新たなものと取り替えればいいのかどうか、大いに悩むところです。

著しい眼の衰え

まず、眼。20歳前から近眼になり、メガネをかけました。途中、40歳を超えて、コンタクトレンズのお世話になりました。ソフトコンタクトの便利さ。装填したままうたた寝から目覚めた時の心地よさと言ったらなかったです。メガネだとかけないとお先真っ暗ならぬ、ぼーっとした状態ですが、コンタクトをしたままだと、くっきり、ハッキリ見えます。ただ、歳をとって、老眼が入ってきて、近くが少々見辛くなり、メガネに戻しました。いわゆる遠近両用のメガネに。以来、30年近い歳月が流れました。そろそろ、白内障の恐れが忍び寄ってきていることを感じます。先だって、眼科に行くと、早晩手術を、と。それよりも数年前に突然片方の眼に何やら訳の分からぬものが映じ、驚いたことがありました。およそ30分くらいでそれは消えたのですが、その間は実に怖かったことを覚えています。あれはさて、何だったのか。あの瞬間もはや、まともな映像、景色は見られないのか、とさえ思ったものです。

私の眼は左右でかなり視力が違うようですが、今のところ、本や新聞を読むときに、老眼鏡のお世話にならずとも裸眼でいけます。ただ、左右均等でないため、長時間文字を見ていると、段々と平行に見ておれず、左右歪んだ持ち方になってきているようです。そのうち、ものが読めない、見ることが出来ない時が来るのでは、との恐怖感が漂ってきます。五感のトップ・眼は外界の情報を真っ先に取り入れる器官だけに、これの老化による損傷は堪えます。網膜に映じていても、意識が明瞭でないと、それは情報としては頭脳に定着しない。いわゆる〝節穴〟状態といえます。いわゆる「虚ろな眼差し」だともいえましょう。昨今、近視なのにメガネをかけない状態で室内で生活をしていることが多いのですが、虚ろな眼差しから「虚ろな認識」が常態になるかのごとき危惧を抱きます。こういう状態が長く続くと、認知症になりやすいのではないかとの恐れさえも起きて来るのです。

片方は聞こえない耳

次に耳です。私は実は左の耳が子供の頃から難聴でした。原因はハッキリしません。若い頃は左側から話しかけられると、いちいち身体を相手の方に向き直って、正面から聞くように心がけました。そのままにしていると、曖昧な受け答えになり、お互いが迷惑するからです。そのため、かえって丁寧な人だと誤解されたことも。寝る時など、健常な右の耳を下にして休むと、一切聞こえないので、雑音が気になりません。随分重宝したもので、人間何が幸いするかわからないと思ったものです。

しかし、この健常な右耳も最近どうも、不調を感じてなりません。テレビの音や映画館で聞くセリフがどうも聞き辛くなってきました。妻との会話も幾たびか「えっ、何?なんだって?聞こえないよ」と繰り返す自分に気づきます。その上、時々、右耳の奥の方が痛いような、むず痒いような微妙な症状が頻発します。以前に、横浜にある名医といわれる耳鼻咽喉科の医師に徹底的に診てもらいました。その時は左耳を手術することで、一気に回復するのでは、との淡い期待を抱いていたのですが。診断後、その医師は、「貴方の左耳は手術をしても健康な人の耳に比べて、30%ぐらいしか治りませんね。それでもやりますか」と訊いてきました。止める判断をしました。以来、耳鼻咽喉科の門は潜っていません。

姫路に、耳鼻咽喉科の名医で、個人的にも尊敬している藤森春樹先生(今は引退され、医院も閉鎖)がいらっしゃるのですが、その門を潜ることも遠ざかったままになりました。先輩たちも見ていると、75歳あたりを過ぎると、補聴器のお世話になっている人が多いようです。私も時間の問題だろうと覚悟しています。余計なことが聞こえない方が長生きするとかといった冗談半分の言い回しも、所詮は戯れ言に過ぎないものと思われます。(2020-3-23 つづく)

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(13)新型コロナウイルスの世界蔓延と日蓮仏法

スペイン・インフルエンザとペスト

新型コロナウイルスの感染が世界中に広がりを見せています。この事態を前にメディアでは様々な情報が乱れ飛んでいます。近過去の似たケースとしては、ほぼ100年前の「スペイン・インフルエンザ(通称スペイン風邪)」が挙げられ、古典的な事例としては中世ヨーロッパの「ペスト」が挙げられることが多いようです。スペイン風邪については、讀賣新聞の橋本五郎氏が3月7日付同紙「五郎ワールド」で書いていたのが注目されました。

それによると、死亡者は世界全体で2000万人から4500万人。日本でも猖獗を極めて、内地・外地合わせて74万人とも(速水融慶大名誉教授『日本を襲ったスペイン・インフルエンザ』の推計)いわれる、としています。それだけの膨大な人々の生命が奪われながら、歴史の上であまりにも扱われ方が少ないと指摘、その理由を「政治の不在」にあると強調しています。今回の国家的危機の感染症対策においても、政治の断固たる姿勢が肝心だと力説しているのです。

ペストについては、実は私自身がかつてアルベール・カミユの小説『ペスト』を読み、深い感銘を受けたものの、料理の仕方に悩み読書録「忙中本あり」に書くのを怠っていました。それをようやく先日書いたのですが、公表するのがいいかどうか躊躇していました。ところが28日付毎日新聞の夕刊に『新型肺炎 ペストが手引』の見出しのもと、「カミユ著 各地で在庫切れ」「伝染病で街封鎖 現状重ね」などと大きく報じられていました。これを見て慌てて公開しました。二番煎じ、後出しジャンケンだと思われたくなかったからです。

立正安国論と日蓮大聖人の確信

日蓮大聖人の時代も、こうした伝染病や感染症のような〝死に至る病〟がしばしば広がっていました。有名な『立正安国論』(文応元年=1260年7月)の冒頭の一節が浮かびます。「旅客来りて嘆いて曰く近年より近日に至るまで天変地夭・飢饉疫癘・遍く天下に満ち広く地上にはびこる」ー大地震や疫病の続発、蔓延で乱れきった末法という時代状況の中で、今こそ正法を立てることで一国の安寧をもたらすべきだと、その後のご生涯をかけて語りに語り、動きに動かれます。国家の指導者を諌め、国民世論に訴えられたのです。

ここでの飢饉疫癘(ききんえきれい)の疫癘こそ、今でいえば新型コロナウイルスにあたるといえます。また、大聖人は、日女御前御返事というお手紙の中で、「聖人をあだめば総罰一国にわたる又四天下・又六欲・四禅にわたる、賢人をあだめば但敵人等なり、今日本国の疫病は総罰なり(中略) 国に聖人あれば其の国やぶれず」(御書全集1248頁)と強調され、法華経の行者であるご自身の大確信を披瀝されています。

ボーダレス世界の中で

今はグローバルな世界の環境変化が一段と進んでいます。中国武漢から発生したものが世界各地に飛び火しているわけですから。この事態を今に生きる我々はどう捉えたらいいでしょうか。ボーダレスになった地球上で、創価学会SGI の会員は各国に増えてきており、聖教新聞紙上でも、会合が開かれなくなった日本を励ますように、海外での会合の模様が報じられています。あっちは大丈夫なのだろうか、と気を揉まないわけにはいきません。様々な国々で偏狭なナショナリズムが台頭し、新たな分断を生み出している状況の中で、人類が気づくべきことは、正法の確立の必要性ではないでしょうか。

地球が一体化した状況の中で、日本発の信仰が世界各国に流布しています。そうした状況下では、先の大聖人の御書の一節をどう読むべきでしょうか。こういう議論の展開をしますと、大地震や疫病・感染症の発生は人知では如何ともしがたく、それを「罰や総罰」などといった捉え方をすることはナンセンスそのもの、宗教者の我田引水的思い込みなどいい加減にしてほしいとの声が聞こえてきそうです。しかし、そうステロタイプ的に捉えるのもいかがかと思います。先哲、賢人の知恵に学ぶことも極めて大事です。日本国のところを世界に置き換えて読む誘惑にかられます。ただし、それは踏みとどまるべきでしょう。大聖人は日本の鎌倉時代という限定された状況下で述べられたからです。

もはや狭い一国で、感染症の対策を講じている時代ではなく、地球上の国々が一体感に立って、共に手を携えてこうした難局に立ち向かう必要があります。かつて池田先生は地球民族主義を掲げることの大事さを強調され、毎年の1-26のSGI提言でも、持続可能な地球の存続に向けて、国連の諸機構の取り組むべき課題を提言されています。

また、そのスピーチ集「希望の明日へ」の最終章「平和への道標」の結末節「生命の世紀」において、以下のように結んでいます(平成3年9月)。

新しい世紀ーそれは、〝話し合い(対話)〟と〝助け合い(協調)〟による平和の世紀である。国境を超えた地球共同体の出現である。そうした共通の目標に向かって、世界は大河の流れを形成しつつある。

いよいよ、日蓮大聖人の仏法が、世界の民衆から求められ、その偉大さが実証される時がきた。時代が仏法に近づいているのである。本格的な世界広宣流布の時がきたことを確信していただきたい。

このスピーチから既に28年余りが経っています。今回の出来事も地球上の全ての国々が日蓮大聖人の主張に思いをいたす良い機会になればいいと思います。(2020-3-13)

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(12)師弟間の距離と関係をめぐる誤解について

師弟関係をめぐる私の原点

師匠と弟子と云う場合、通常は直接フェイスツーフェイスというか、面と向かっての人間関係において生じるものと捉えがちです。確かに、 芸術や学問の分野に始まり、お稽古ごとに至るまで、人生万般の事象について、「師事する、される」師弟関係の通常は、相対的位置に立つ両者というのが一般的でしょう。かつて、創価学会に入会したばかりの頃の私は、会員の皆さんが池田先生と呼ぶのを聞いて、自分はまだ直接お会いしていない、だから、「先生とは呼ばない」「会長と呼ぶ」などと、生意気な屁理屈を口にして憚りませんでした。

時間が経つにつれて、先生の偉大さが分かってきました。それにつけて、お会いしたい、何とか直接お会いして、言葉を交わしたい、そういう思いが日々強まっていきました。どうしたら、先生にお会いできるか。お会いして、直接指導を賜りたいとの思いが嵩じていったのです。ある時、先輩に、どうしたら会えるのか。なんとしてもお会いしたいとの想いを、強い衝動感を込めて投げかけました。その先輩は、先生は草の根を分けても人材を求め、探しておられる、君が本当に会いたいと思うのなら、真剣に御本尊にそれを願っていくのだ。必ずそれは叶えられるよと言ってくれました。

いらい、真剣に題目をあげました。それと同時に、私は座談会で多くの会員の皆さんが、口にする体験談を聞くにつけても、どうかして自分も体験を掴みたいと思うようになりました。体験を掴むことと先生にお会いすること。この二つを同時並行的に祈っていくうちに、遂にその願いは叶うのです。(その辺りについては、私の回顧録『日常的奇跡の軌跡』の昭和編に詳しく書いていますので、ご覧いただければ、幸いです。)

ところで、わたしは自身の入会以来、4年で父を除く姉弟と母の計4人を折伏し、その後12年ほどかけて父を入会させることが出来ました。一家広宣流布の原動力になったわけで、それが我が信仰生活最大の誇りです。人生の師・池田先生とも数回ですが、直接お会いする機会が叶いました。それを見ていた姉たちは、喜んでくれると同時に羨みました。「あんたはいい、先生にお会い出来て」「わたしらは会えない。遠くからでさえ。一度もお会いしたことがない」と嘆くのです。映画俳優やアイドルなど世の中の人気者のファンの心情に近いと云えるかもしれません。

物理的に近いか、実際に会うかどうかは重要にあらず

確かに、師弟関係において、会う、会わないはそれなりに大事な要素でしょうが、決定的に重要なことではないと云えます。先生との物理的に距離が近い人(直接的に薫陶を受けて来た人)で、信仰を全う出来ずに退転してしまい、創価学会から離れて行った人は枚挙にいとまがないと云うことをどう見るかと云うことと関係します。近きが故に、厳しさに耐えかねて反発したり、自身の弱さに溺れるケースなど様々なケースがあります。概ね、己が心情を中心に据えてしまい、自身の心情をコントロール出来なかった人たちと云えるかもしれません。むしろ、直接会えずとも、見事に信仰を貫いていった人々は聖教新聞に掲載される様々な体験談に見る通りです。

この辺りのことについて、元外務官僚で作家の佐藤優さんが『世界宗教の条件とは何か』とのタイトルで出版された本において、極めて示唆に富む話をされています。これは創価大学での同氏の「課外連続講座」をまとめたものですが、「『実際に会う』ことは必ずしも重要ではない」との見出しでの52頁から56頁のくだりは、必読されるべきだと思います。

つまり、そこでは、世界宗教においては「師(創始者)と直接会うことは重要ではない」のはなぜか、との問いかけをしたうえで、「世界宗教というものが、時間的にも距離的にも非常に壮大なスケールになるから」であり、「師や創始者と直接会った直弟子の割合は、時を経るほど小さくなってい」くので、「『直弟子こそが偉い』という考え方に立っていたら、ごく一握りの特権階級を教団内に作ってしまうことになりかねません」 と述べているのです。「師のそばにいた時間が長いから信仰が篤いとは限らないし、逆に、師と会ったことがないから信仰が薄いとも限らない」との発言は、多くの若い青年たちを勇気付けてやまないものだと思われます。

日蓮仏法の核心に触れるテーマについて相次ぎ発言をし、講義をされる佐藤優氏は、キリスト教プロテスタントとしての該博な知識を持つ人だけに、私を含めて多くの古い創価学会員は下世話な云いかたですが「お株を奪われた」との感情に陥ります。しかし、その次元に留まっているだけでは、それこそ池田門下の名折れというものでしょう。佐藤優氏の深い洞察力と学識に触発されながら、我々も内的世界を同時に高め、深めていくことが大事だと思われます。(2020-1-14)

 

 

 

 

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(11)自然を破壊し、動物を殺す「人間中心主義」

イデオロギー中心主義に対抗するものとして

「人間中心主義」(「人間主義」)という使われ方は、恐らくは「イデオロギー中心主義」の反対語として、であろうと思われます。戦後の荒廃した社会状況の中で、いわゆる左翼がイデオロギーとしてのマルクス・レーニン主義を信奉していました。彼らは、すぐそばに人間であるがゆえに生じる悩みや生活しづらさに呻吟する人々ー人間のいのちと暮らしが脅かされているのに、それに真正面に向き合わず、思想を大上段に振りかざして現状の打開を訴えるのが常でした。そうではなくて、文字通りの人間存在に目を向けていくことが大事という当たり前の観点から出てきた考え方が人間中心主義であったと思われます。

人間と自然を対立するものとして捉えるキリスト教

しかし、人間中心主義とは元を正せば、ヨーロッパ社会におけるローマ・ギリシャ哲学やキリスト教思想に根ざすものです。イデオロギーに偏重してはならないということが強調されすぎるあまり、生きとし生けるものものへの慈しみの心情が抜け落ちてしまう傾向が否定できないのです。つまり、人間の生息する地球にあって、大自然の中で生かされている存在であることが、ついお座なりになってしまう危険性と、隣り合わせなのです。人間と自然を対立的に捉えてしまい、人間存在を自然よりも上位と捉えて、破壊し収奪する対象としてしか自然を見ないのがヨーロッパ社会に特徴的なことを忘れてはなりません。森林の荒廃という問題一つ取り上げるだけでも、その社会の歪さが判然としてきます。

仏教の教えは草木成仏にあり

一方、東洋思想の真髄たる仏教の考えでは、「草木成仏」との言葉が端的に象徴しているように、動物は当然のこと、草や木など植物に至るまで「いのち」を持った存在であり、尊ばねばならないとします。大自然の中で動植物と人間との共存共栄こそ本来あるべき地球の姿であるというわけです。しかし、現実にはどうでしょう。いささか昨今の日本では理念としては分かっていても、実際には理想は理想だが、現実はままならず、人間優先の態度があらゆる場面で先行してしまいます。

先年、私が住む地域で宅地造成のために、古くからある祠が取り除かれることになりました。そのこと自体は自治会長をしていた私もやむを得ぬこととして推進する側に立ちました。ですが、その過程の中で周りに生い茂っていた草木を処分する必要が出てきたのです。大きな木の枝や幹を無造作に切り倒す瞬間、あたかも「やめてくれ」「未だ死にたくない」と木が叫んでいるような気持ちがしました。「若木を手折る」という言葉そのものが放つ理不尽さを実感したのです。その後味の悪さは今なお続いています。

大型野生動物との共存こそ

また、熊が人里に現れた言っては大騒ぎして、「殺さねば、人間が危ない」との声の大合唱も昨今珍しくありません。いったい、いつからこんなことになったのでしょうか。私が顧問を務める一般社団法人「日本熊森協会」の前会長の森山まり子さんは、常々「昔の政治家であるお殿様は偉かった。奥山の森には手をつけなかったから」し、「アイヌ民族の間では熊を神として崇める傾向さえあった」といいます。それが戦後の高度経済成長期には、奥山にまで、工業化の波は寄せて開発の対象となり、熊は危険な野生動物と化していったのです。私の親しい仲間でさえ、「熊と人間とどっちが大事なのですか」という疑問を投げつけてきます。どっちも大事なのに。人間と大型野生動物の共存と言い続けているのが「熊森協会」ですが、人間生活を脅かすものは殺せというのが、昨今富に強まりを見せる風潮です。これって人間中心主義の弊害以外のなにものでもありません。(了=一部修正)

 

 

 

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➓「連続革命」の重要性ー創価学会創立記念日に想うこと

世界三大宗教の立ち位置

「末法万年尽未来際」という言葉があります。「未来永劫」という超長い時間のことで、日蓮仏法において、世界広宣流布が永遠にわたって続きゆくことを意味します。このことをどう捉えるか。これまで私は広宣流布というものは、目の前で今展開する時代に一過性のものとしてだけでなく、これからまさにずっと「永遠」にわたって続きゆくものだと、漠然と考えていました。日本において、こうした試みが他にあるかと云うと、ありません。伝統的仏教各派は、確かに存在して日本社会にそれなりの影響力を持ってはいますが、創価学会ほど の躍動感漲る目的を持ったものではないことは誰しもが認めるはずです。今やそれは、世界各国各地域にまで広がり、形態は全く異にしていますが、キリスト教やイスラム教の布教と、肩を並べるまでに及んでいます。元外務官僚にして作家の佐藤優氏が、世界三大宗教の一つに創価学会SGIをあげる所以でもあります。

ただ、世界における創価学会SGIの在りようと、日本のそれは全く違って見えます。かたや草創期、片方は安定期。言い換えれば、右肩上がりと平行期という風に、時代状況の差がもたらすものと位置付けられるのかもしれません。これは、時間の経緯と共に現れる組織にまつわる宿命とでも言えることでしょうか。いつまでも草創期のパワーは持続せず、組織を取り巻く風景は、年の経るに従って違って見えてくるのは、ある意味で仕方がないことだと云えます。かつて池田先生は講演の中で、「末法万年」と、現在の状況を比較する譬え話をされたことがあり、印象に残っています。つまり、それはいわば1万mの距離を行くにあたって、今は50m地点にいるようなものだとされたうえで、まだまだゴールは先で遥かに遠いのだから、短兵急に捉えてはいけないとの意味に私は理解しました。

「総体革命」を誓った若き日の記憶

その際に、中国の「長征」のことを周恩来首相との交流を交えて話されたことも記憶に残っています。草創の革命期において、長い苦難の道を彼らがいかに耐えつつ踏破したのかという故事を語られました。共産中国は建国70年ほどで、今や米国に追いつくまでの経済大国に到達し得ており、「物語」として完結しているかに見えます。先生の示唆は普通に捉えれば我々への「励まし」でしょう。しかし、その道はもちろん平坦ではなく、波乱万丈の道が続くはずです。つまり、身近な中国の先例をあげながら、池田先生は広宣流布の道が果てしなく遠いことを語り、我々が諸難に負けずに頑張り抜くことの大事さを強調されたのだと思います。

私たち革命の第2世代(先生の会長就任=1960年以後に入会したものを私は勝手にそう位置付けしたいと思います)は、大学生だった若き日に先生のもとで、「総体革命」を誓いました。日本のあらゆる分野に進出して日蓮仏法の体現者として活躍することを夢見たのです。あれから55年ほどが経ちました。その結果をどう見るか。正直言って「革命未だならず」が実感でしょう。そう、未だ我々の目指す革命は成就していないのです。であるなら、その成就まで連続革命の闘いを起こすしかないといえましょう。かつての仲間たちが寄ると触ると、昔日の思い出を語る中で、今ある風景に愚痴をこぼしたり、切歯扼腕することが少なくないと思われます。ですが、そういう非価値的なことに大事な時間を取られず、連続革命に向けて、闘いの持続をし抜いていくほかないものと思われます。(2019-11-25)

 

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❾「永遠の生命」についての一考察

夏目漱石の小説『虞美人草』の末尾に有名な一節があります。約二頁ほどにわたって書かれた内容は、生か死かという問題が最も人生で大事なテーマだが、皆日常の忙しさのゆえに忘れてしまってる、と述べているところです。日常の雑務に紛れることを喜劇、死と立ち向かうことを悲劇との表現で表したうえ、最末尾にロンドンにいる友から「此所では喜劇ばかりが流行る」との印象的な一文で締めくくっているのです。
漱石自身が、小宮豊隆宛の書簡で「最後に哲学をつける。此哲学は一つのセオリーである。僕は此セオリーを説明する為に全篇を書いているのである」と述べているように、洋の東西を問わず人間というものの在りようを示しているものとして、私は興味深く読みました。
19歳の春に日蓮仏法を学ぼうと、創価学会に入会した頃の私は、ひたすらに「生と死」を考えたものです。とりわけ、大学の4年間は、御本尊に唱題をし、折伏をすることを生活の基本に置いて、日蓮仏法のなんたるかを習得するべく、日夜ものの本を読み、考え、動き、喋るということを繰り返しました。その間に自身が肺結核を患い、闘病生活をするという事態に直面。まさにその悩みの最中の大学4年の春に人生の師・池田大作先生との運命的な出会いをすることが出来ました。
それから50年余の歳月が流れました。身近な人間における、58歳での母の死と78歳での父の死。幼子の死産。岳父の61歳の死を看取りました。また、仕事上の上司としてお世話になった大先輩とも82歳で別れました。気がつけば、自身がいつ亡くなっても、「惜しいね」と人様からは言って貰えぬほど十分に生きた年齢に達してしまっています。日蓮仏法で説く「生命の永遠」についての私の理解は、人は死んだら終わりではなく、その生命体の核心は、また新たな生命の中に宿り、蘇るというものです。
10代半ばの頃の私は浄土真宗の仏壇の前で、父の背後に座って、お盆やお正月などにご先祖を弔うお経を読んだものです。その頃は漠然とながら、死んだら西方極楽浄土に生まれ変わるものと思っておりました。つまり、今生きているこちらの世界から、あちらの死後の世界への転出です。その捉え方は、日蓮仏法を生活の中に取り入れるようになってから変化しました。こちらから、あちらではなく、こちらしか、人間の生きてる場はない、と。人はひとたび死んでも、またいつの日か新たに生まれ変わる、と。その人間の持つ条件というか、付加価値に差異はあっても、その基底部に流れる生命の傾向は、過去・現在・未来と三世変わらぬものであるというものです。
そのことを理論の上で知ろうとする際には「過去の因を知らんと欲せば、現在の果をみよ、未来の果を知らんと欲せば、現在の因を見よ」との仏説を熟慮せよ、と。また、そのことを直感で理解しようとする際には、創価学会の戸田第2代会長ご自身の戦時における獄中での永遠の生命の悟達に思いを馳せよ、と学んできました。さらに、戸田先生がご自分の亡くなられたお子様と、その後会っていると述べられた境涯に自分も到達したいものと、思い続けてきました。
未だ、そうした先に逝った人々との邂逅という覚知を自覚するには至っていません。ですが、これまでの人生を元気に生き抜いてこられたことそのものの中に「永遠の生命」を実感することが出来ているとの確信があります。とりわけ、最近は亡父との再会を意識の上で強く感じるようになっています。また仕事上の大先輩との邂逅も。今の姿形の連続ではなくても、新たな生命の体現者としての出会いを楽しみにすることが可能ではないかと思うに至っています。
漱石は『虞美人草』で展開した哲学にあって、流行ってるのは「喜劇」だと否定的に結論づけています。ですが、実際のところは、「悲劇」を十二分に意識した「喜劇」というものが、実は、望むべきものではないのか、と今の私には思えます。(2019-4-30)

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❽日蓮仏法と「四箇の格言」ー「排他的」の意味合い

入信いらい、私にとってずっと気になってきた課題は、日蓮仏法の持つ峻厳さと布教の関連性です。他宗を破折することの大事さと、人との友好保持の問題と言い換えてもいいでしょうか。その時の座談会で聞かされた、「四箇の格言」は鮮烈でした。念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊との規定づけに、殆ど反射神経的に反感を持つ一方、何故にそういう結論を日蓮は持つに至ったのかを知りたいがために、勉強しようというのが正直、入信動機の半分くらいを占めていました。あと半分は姉の抱えていた問題を解決出来るなら、という問題意識です。

数年経って気付いたのは、念仏、禅、真言の各宗派(律宗は殆ど存在感がないので除外します)が釈迦の本懐である法華経と敵対したことから、仏教の本義とずれてしまい、部分的には真理を含んでいるものの、トータル的には、間違った教えであるということでした。また、子どもの持つ身体の不調を苦にして悩んでいた姉は、私の折伏で入会。以後、初信の功徳を得たうえ、問題は解決。絶望感に沈む暗い過去から一転、明るく躍動感に溢れた女性へと変身していったのです。

創価学会が各地で展開する折伏座談会については、日本社会で類例をみない画期的なものと思います。何しろ人生における価値観を相互に議論するなんていうことはおよそ珍しいことだからです。その議論のベースに、人の幸不幸を分けるものが宗教の選択であり、いかなる宗派の家に生まれたかが決定的に重要だとの認識が創価学会員にはあります。その確信から、未だ掴み得ていない友に、ぜひとも教えたいとの願望が募り、誤った宗教観を打破すべく、対話していくのです。

ただ、一般的に「四箇の格言」というものは、イメージとして独善的な思い込みと受け取られがちです。私が入会した頃と違って、さほどこれを振りかざして議論を始めることは今ではありませんが、根本的には昔と変わりません。その宗教や仏教の中でもそれぞれの宗派の基本理念を比べあうということは当然あってしかるべきことです。理念や原理を曖昧にして、宗教、思想は崇高なものを目指すのだから、なんでも同じというわけにはいかないからです。

池田先生は布教について「どこまでも一人ひとりの心に、道理を尽くして語りかけ、触発をもって弘めていくもの」と論及されると共に、「仏法者の戦いとは、どこまでも非暴力による言論戦です。言論、対話というのは、相手を人間として遇することの証明です。それは、相手の良心を呼び覚ます、生命の触発作業であり、最も忍耐と粘り強さを必要とします」と述べています。

日蓮仏法の具体的な展開を進める創価学会に対して「排他主義」「非寛容」とのレッテル貼りがなされてきました。それに関しては、私は実態と違うとの違和感を感じてきましたが、日蓮仏法の研究者である松岡幹夫さんの著書『日蓮仏法と池田大作の思想』のなかに、刮目すべき一節を発見しました。重要なので長くなりますが引用します。

「日蓮仏法の折伏は決して排他主義ではない。じつはその反対であり、排他性と戦うことが折伏なのである。日蓮が特に折伏の対象とした法然の念仏は、極端な宗教的排他主義を標榜する仏教であった。日蓮はその排他主義を折伏したのである。厳密に言うなら、日蓮は、法然が宗教的に排他主義を取るというだけで折伏したのではない。平安の昔に天台宗が確立され『法華経』の教えが日本中に広まって久しい鎌倉時代に法然が現れ、巧妙にそれを排除しようとした。だからこそ、法然の念仏は『法華経』の真理に敵対する行為すなわち『謗法』とみなされ、日蓮が戦うべき相手となったのである」ー目からウロコの指摘でした。

今や世界各国でSGIの活躍する姿が目に付きます。一方、日本の仏教各派が世界で布教するといった動きは皆無です。これ一つとっても、特筆すべき創価学会の世界性と言えましょう。

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❼「一念三千」という観念の力の再認識

先日、仏教思想家の植木雅俊さんの近著『江戸の大詩人 元政上人』という本を読んでいて十界にまつわる面白い解説に気づきました。元政上人とは日蓮宗の僧侶で、京都深草に居を構え、母親思いの詩人だったと言われています。「東の芭蕉、西の元政」と言われるほどに俳句や和歌にその才能を遺憾無く発揮したようです。その元政上人が十界を和歌で描いているのです。以下紹介します。

❶地獄界  思ひとかばとづる氷のくれないゐももとよりきよき胸のはちすを

❷餓鬼界   たとひそのほりかねの井はもとむ共露だにあかじ武蔵野の原

❸畜生界  小車のをもきがうへに負杖もめぐるむくひをうしとしらなん

❹修羅界   それをだになどあらそひて雪折のはては見にくき松のすがたぞ

❺人界   うらやまず心にみつのたのしみも後世しらぬ人のたぐひは

❻天界   色もなくむなしき空をきはめてもなを限りある世をや歎かむ

❼声聞界  四十年余りかれたる木にも鷲の山法の華さく春にあふらし

❽縁覚界  月日かくをくれさきだつ中空のやみにもひとり出でるやま人

❾菩薩界  なべて世におほふ衣のさかだまに又きしかたのみちやたづねむ

➓仏界   今は世をすくふこゝろも忘貝さながらもれぬあみのめぐみに

以上いずれも味わい深い生命の働きを10の範疇に分け、詠んだものです。私が前回示したようなものと違って、ぼんやりとは解るもののちょっとこむづかしい感じは否めません。ですが、なかなかの趣きはあるでしょ。この10界がベースになって、三千種にまで発展するというのですから、驚きです。

一念三千というのは、人間の一念にこの宇宙の無限の差別相が具足して欠けるところがないと天台大師が説いた卓越した生命哲理です。以下、仏法辞典風に解説してみます。一言でいうと、これは一瞬の心の働きの中に三千もの凝縮された生命があるというのです。10から3000に、どうしてなるのでしょうか。まず、10の生命の境涯がそれぞれ単独で固定化しているのではなく、10の境涯が相互に具しているのが実相(ありのままの姿)だといいます。つまり10×10で100界です。そしてその10界の身心の活動の変化には、10の側面があると言います。十如是です。如是相、如是性、如是體、如是力、如是作、如是因、如是縁、如是果、如是報、如是本末究竟等の10側面です。これをかけると、百界千如となり、さらに、色心、依正の側面から、五陰、衆生、国土の三つの差別を立てることで、かける三の三千ということになります。

なかなかこう説明しても分かりづらいのですが、私はこれを理性的に理解しようとせず(しても分からないので)、一瞬に三千もの膨大な側面を持つ働きが命にはあると直感的に理解しました。かつて、私は心というと、単純に観念的なものとして、退けていました。しかし、それは違うと認識を改めて、逆に一念にはそれぐらい複雑なものが内包されていると捉えるようになりました。朝夕の勤行の際に御観念文で、私たちは色々と念じているわけですが、これも単純に、思う、念ずるというのではなく、三千の生命の働きを総動員させるがゆえに、その願いが叶うということに直結すると考えます。

しかも、これを理屈として提起した天台大師と違って、日蓮大聖人は、事の一念三千の当体としての御本尊に具現化されました。つまり、人間の生命の姿を曼荼羅に表現(具体的図式化)し、それとの一体化の作法を確立されたのです。目で見て、口で妙法を唱え、耳でその自らの音声を聞き、心で念じるという4つが合体することで、誰しもがその意思が叶うということを実感できるのです。

私は、50余年に及ぶ信仰生活の中で、幾つかの超えがたいと思われた障害に直面しました。代表的なものとして、病気、人間関係、経済活動、選挙の当落の4つがありましたが、いずれも、「解決を期して、一心不乱に唱題し、念じきり、そのうえで行動を起こした」ことによって、信じがたい結果を得ることが出来ました。まさに、不思議で、妙法としか言いようがないのです。

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❻生命の変化を「十界論」で分析

生命って不思議なものです。その捉え方の極致ともいうべきものが「一念三千論」であり、その基礎をなすのが「十界論」です。人の生命状態はたしかに千変万化です。「今泣いたカラスがもう笑ってる」「女心(男心)と秋の空」など、移りやすい心の変化をいい表す表現は色々とあります。仏教でいう「十界論」を初めて知ったときは、なるほど言い得て妙だなあと本当に感心しました。

地獄界から仏界まで、人の一瞬の生命状態が十の範疇に分かれて捉えられます。私はかつてこのことを人に説明するにあたって、通勤ラッシュ時の満員電車の中での心情風景で例えました。朝ご飯もろくに食べず、慌てて通勤電車に押し込まれたと想像してみてください。もみくちゃで自分の身体でありながら全く自由が効かない状態ー地獄界です。そのうち、少し時間が経ち多少自分の身体と人の身体の間隔にゆとりが出来ますと、猛烈に空腹感が襲いますー餓鬼界です。あっと思う間も無く隣の人に靴を踏まれました。痛さで舌打ちしたくなりますー畜生界です。素知らぬ顔の隣の人に猛烈な怒りがこみ上げてきますー修羅界です。揺れる車中。乗降客の連続で、やがてゆとりが生じてきますー人界です。そのうち座席が空きます。良かった、座れたー天界です。新聞を開き見て、あれこれと情報に接するー声聞界です。そのうち、自分の今日の仕事、課題を解決するヒントを思いつきますー縁覚界です。はっと前を見ると、かなりのお年寄りが立っている。あっ、いけない。座席を替わろうー菩薩界です。その人が降りて、再び座席につき、深い眠りにつくー仏界です。最後の仏界については、いささか冗談気味ですが、あとは本質を突いているものと自賛したものですが、いかがでしょうか。

このように僅かな時間とちょっとした空間を想像すだけでも人はクルクルとその命のありようが変わる存在だということがわかります。これはある意味で瞬時の状態を分析したものですが、これを人の一生に拡大してみるとまた面白いことが見えてきます。図式化すると一目瞭然で分かりやすいのですが、ここではそれが出来ないので、文章のみになるのが残念です。縦軸が十界。横軸を時間にしてL字を描いて下さい。

時間が経つに連れて、十界は上下運動を繰り返します。地獄界から人界、天界つまり六道をいつも行ったり来たりの上下する生き方をするのを指して「六道輪廻」というのでしょう。声聞、縁覚という境涯には程遠い、時たまでしかないという人も少なくないと思われます。また逆に、地獄、餓鬼、畜生界とは縁遠い福運に満ちた人もいるでしょう。いや怒ってばかりの修羅界を低迷する人も時に出会います。一生というスパンに押し広げますと、人に応じて、より馴染みの多い境涯というものがあることに気づきます。なかなか人のため、世のために身を粉にして動く菩薩界とは縁遠いというのが実態かもしれません。

こうした人生の低迷状況(六道輪廻)を上向き傾向(声聞、縁覚界から菩薩道の実践)に引き上げるのはどうすればいいか。それを日蓮仏法では南無妙法蓮華経という題目をあげ続けることで可能になると、説いているのです。

 

 

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