大交通事故と隣り合わせだった危険な日々 ー平成3年(1991年)【6】

消えた「兵庫県議選候補」

世界も日本もイラクのクウェート侵攻に始まる湾岸戦争に注目している頃、私はせっせと西播磨4市6郡21町の地元選挙区をご挨拶に走り回っていました。姫路は生まれ故郷とはいえ、43年もの長きにわたって離れており、見知らぬ人ばかりでした。最初の選挙で一年間動きましたが、とても皆さんとの絆は強いとはいえませんでした。このため引き続き、連日連夜の挨拶回りが必要でした。そんな頃。落選した平成2年の秋、翌年の地方統一選挙で県議会に出ないかとの話が持ち上がりました。

最長4年の浪人期を過ごすよりも、県議になって支援いただいた皆さんに恩返ししようとの気持ちが強かった私は、地元支援母体の意向をお受けすることにしました。平成3年春の統一地方選挙の候補者として名前が上がり、候補者一覧にまで印刷されたのです。ですが、やはり衆議院選挙を待とうとの判断が党本部から下され、数ヶ月後、急遽取りやめになりました。この辺り、運命のいたずらとでもいえましょうか。運命といえば、忘れられないのは交通事故を巡る出来事です。

車を巡る事故相次ぐ

選挙期間中と違って、普段はどこに行くのも一人で車を運転せねばなりません。新井先輩からは大きい車の方が何かと都合いいぞって言われたのですが、40歳を超えて生まれて初めて運転する身としては、やはり小さい方が楽だと思い、軽乗用車を購入していました。慣れない運転で、私は幾たびか危機に瀕します。恥ずかしい限りですが、私の車の事故にまつわるケースをいくつか披露しましょう。

神崎郡方面を走って姫路に帰る日のこと。夜遅くに疲れたので、高速道路を走らずに通常の生活道を使って帰りました。翌朝、家内を助手席に乗せて、駅の方へ出る用事がありました。西行き三車線の一方通行の真ん中を走っていた時、突然車がガクンと大きく揺れて傾きました。道端に車を寄せて降りて見ると、なんと前方左車輪がぺちゃんこ。ホイールが地面につくぐらいまでになっているのです。パンクです。もし、前日に高速道路を走っていたら、恐らくはパンクで対向車か道路脇の壁に激突していたに違いありません。今でもゾッとするとともに、その幸運さに心底感謝しています。

幸運に恵まれ大事故免れる

また、宍粟郡一宮町で街頭演説を一人でやった後、姫路市内に帰ってくる時のこと。夕方でしたが、やはり疲れていました。この時は、幼馴染でのちに姫路市議になった丸尾勝君(当時は会社経営=故人)に提供していただいていた車を一人で運転していました。夢前町の南端あたりを走っていて、つい、うとっと居眠りをしてしまったのです。道路左側の土でできた橋の欄干にががっと擦ってしまいました。瞬間のことでしたが、慌てても遅く、車は動きません。降りてみると、左のヘッドライト部分が壊れてしまっています。弱ったと思っても今のように携帯電話もなく、呆然としていました。そこへ、偶々夢前町に住むいとこが通りかかったのです。車の上にはでかでかと「赤松正雄を励ます会」の名の看板がかけてありましたから、目立ったのが幸いしました。彼が近くの自動車整備工場の友人に助けを求めてくれ、シャーシの曲がってしまった部分の応急の措置を施してくれました。時速10キロぐらいでトロトロと帰ったのですが、これももし右側にハンドルを切っていたら、対向車に正面衝突していたはず。修復に43万円ほどかかりましたが、その幸運に胸をなでおろしました。

これ以外にも、脱輪してしまって、その場にいた近所の子供たちに助けてもらったり、信号が変わる直前に前の大きなトラックで赤信号が見えずにすぐ後をわたったところ、隠れていた警察官に信号無視で捕まったり、大小様々な事故は数え切れません。
このように、選挙に落ちた後も、思えば危ない道路を、危険な橋を幾たびか渡ってきたものです。(続く)

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