苦節4年、ついに衆議院初当選果たすー平成5年(1993年)【9】

作家・宮本輝さんの応援演説を受ける

次点に終わった初めての選挙から3年が経った平成5年という年は、年明けから恐らく年内に総選挙になるとの予感がありました。地域を戸別に訪れる闘いも足掛け4年が経ち5年目に入りました。さあ、いつでも来いとの闘志が漲る中での新年を迎えたのです。前回の選挙では後援会長を横川豊信さん(兵庫シャンソン化粧品社長)に引き受けて頂いたのですが、今回は、長田高校時代の恩師の浅場一郎先生(神戸常盤短期大学事務局長=当時)に、新たに受けて頂きました。

この選挙では、それこそ関西一円はおろか日本中からの応援を頂きました。作家の宮本輝さんまで街頭での応援演説に来てくれたのです。「姫路の皆さん、芥川賞作家の宮本輝です。今日は私の親しい友人・赤松正雄さんの応援にやってまいりました」ーこういった口上を車の中から、そして街角での演説で繰り返し、支援を呼びかけてくれました。同世代の著名な人気作家の応援を得て百万の味方を得た思いがしました。その翌日、市内のある信用銀行の支店に挨拶回りに行った時のこと。受付の若い女性行員が私の顔を見て「あっ、昨日、宮本輝さんと一緒に歩いてた人だ」と口ずさんだのには、苦笑いせざるを得ませんでした。「私の応援に来てくれたんですよ」というと、「すみません。私、輝さんの大ファンなもんで。あの人の本、殆ど読んでます」と。

7月18日の投開票日ートップ当選でした。その喜びたるや、本当に筆舌に尽くしがたいものがありました。選挙事務所では誰彼となく抱き合い、涙を流して〝大大勝利〟を喜んでくれたのです。地元のサンテレビの放映で、兵庫一区で初当選した赤羽一嘉君と神戸と姫路の同時生中継という形で繋がり、言葉を交わしました。彼は慶大の後輩。13歳も年下です。一緒に当選したのは、まるで13年浪人した兄と初めて受験した弟が同時に大学に入ったような感じでした。

当選の直後に地元紙・神戸新聞の取材を受け、長いインタビューに答えたものが翌日の新聞に出ました。これまで新聞記者として書く側にいた人間が書かれる側に回ったのです。奇妙な、こそばゆさが実感でした。その時の担当記者が後に週刊誌記者へと転身し、『トップ屋稼業』を皮切りにジャーナリストとして破天荒な活躍をしていく男だったとは、神のみぞ知ることでした。

政治改革特別委員会で大物議員が隣席に

国会には若き日より数えきれぬほど通って赤絨毯の上を歩いていましたが、当選して初登院するとなると、また当然ながら微妙に違います。国会職員に議員バッジを付けて貰い、自分の名の書かれた掲示板を触る辺りから、権力の魔性の囁きが聴こえて来るような思いがしたのです。数えきれない人々の汗と涙の支援の結晶だということを片時も忘れずに頑張らねばと誓いました。

幾つか所属した委員会で、最も脚光を浴びたのは政治改革特別委員会でした。時あたかも「政治改革」の嵐が吹き荒んでいたのです。予算委員室が質疑議論の場に当てられました。最初に座った席の右隣が太田昭宏、左隣が小沢一郎、つまり内外の〝時の人〟だった二人に挟まれたのです。小沢氏は当選回数、政治経験において百戦錬磨の強者です。一方、こちらは政治家といっても、純真無垢な赤子みたいなもの。違いすぎる者が並び座ったわけで、気もそぞろに自己紹介をしたことを覚えています。

また、『パンツをはいた猿』などの著作で著名な学者だった栗本慎一郎氏(新生党から初当選)が左隣(小沢氏の代理で)に座ったことも。この人は大学の先輩。つい昔話に花を咲かせてしまいました。慶大の学費値上げ闘争に話が及んだのですが、当時塾監局を不法占拠した塾生の中心は自分だったと、得意そうに語られたのには驚きました。

そんな中、ついに同委員会で質問に立つ日が来ました。私の国会議員初デビューです。(続く)

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