未曾有の金融危機の中、小渕氏が首相にー平成10年(1998年)❶【23】

予算委で初の対首相質問

金融危機の真っ只中に、大蔵省の不祥事が続発しました。このことは庶民感情として全く許せないことでした。そうした空気を背景に、私は衆議院予算委員会で首相に質疑をすることになります。議員生活5年にして初の経験でした。テレビ中継もあり、緊張すると共に大いに気合を入れて準備したものです。1998年2月5日のことです。

質疑ではまず、バブル崩壊の過程の中で、政府の経済失策、そして大蔵省の護送船団方式の失敗をあげていきました。更には、金融機関の経営の失敗などのツケが全部弱い年金生活者にしわ寄せされているといった現状を述べました。また、30兆円もの公的資金の投入をするための法案の成立を図ろうとしていることについての問題点を追及しました。金融機関が自らの失敗を覆い隠すために、政府自民党と結託して不良債権の穴埋めに必死となっているではないか。金融業界からの「政治献金」を自民党が受け取っていることはおかしいではないかと、攻め立てたのです。

しかし、橋本さんは「首相」と「自民党総裁」という二つの立場の違いを使い分け、のらりくらりの答弁を繰り返すばかり。こちらは、政官財の癒着の実態を具体例をあげて追及したのですが、金融業界からの政治献金の使途については、経理区分した上で自粛することを強調するにとどまりました。十分に資料を集め、市川先輩のアドバイスを受けつつ質問への準備は、進めたのです。ですが、結果は空振り三振とは言えぬまでも、いい当たりのファウルを繰り返したのち、平凡な内野ゴロに仕留められた感じでした。この後、大蔵委員会でも松永光蔵相に対して大蔵省の不祥事を追及(4月28日)しました。このような政治不正、腐敗追及が出来たことは、野党ならではの貴重な議員経験といえましょう。やせ我慢めいて聞こえるかもしれませんが、正直そう思います。

自民党過半数割れの責任とり橋本氏辞任へ

橋本首相は生真面目な人で、群れるのを嫌う一匹狼的側面がありました。一般的には、能吏みたいで、お役所の課長よりも実務に詳しいと、揶揄されたものです。慶應義塾大学法学部出身の戦後最初の首相(吉田茂は中退、戦前は犬養毅ひとり)ということもあり、後輩にあたる私は大いに関心を持ち、正直期待もしました。だが、何かにつけて巡り合わせが悪かったといえるように思えます。行政改革の面では、今に至るまで影響を及ぼしている「官庁再編」を実施し、それなりの業績をあげました。ただ、経済対策については、 中々効果的な施策が打てず、結果的に海外からも「ツーリトル、ツーレイト(小さすぎて、遅すぎる)」と批判される政策を小出し、後出しにしたに過ぎませんでした。平成における「失われた10年」を決定づける「政策不況」を拡大させただけだったのです。また、ある中国人女性との間での機密漏えい問題についても、一部メディアで騒がれました。ハニートラップ(女性スパイによる色仕掛け諜報活動)に引っかかった典型例として、その著作に取り上げる著名な外交評論家もいます。失意のうちに2006年に67歳の若さで亡くなられたのは残念なことでした。

こうした背景もあって、98年7月に行われた参議院選挙では、自民党は改選議席61に対して45議席しか獲得出来ず、非改選議席と合わせても103議席という大敗を喫しました。過半数の126議席には遠く及ばなかったのです。尤も、このひと月前の6月1日に、自社さ連立政権は解消されていました。というのも、離党議員の復党などで、自民党はようやく衆議院における単独過半数の回復に漕ぎ着けていたからです。ただし、橋本首相は選挙大敗の責任をとって辞任。代わって小渕恵三氏が新首相に指名されました。7月30日のことです。

長銀救済をめぐり〝火の消し方〟を火事場で議論

小渕恵三氏といえば、平成の幕開けの際に、その命名の発信人として知られています。竹下政権の官房長官としての役回りでした。それいらい10年を経て、同じ派閥から橋本氏の後を継いで首相となりました。と、書けば簡単になったように思われますが、実は大変でした。参議院で、過半数議席に足らない自民党は、103票の小渕恵三氏よりも、野党民主党の菅直人代表が142票も獲得し、首相指名されるのです。衆参で違った結果が出たのですが、衆議院の指名を優先させる憲法の規定に則って小渕氏が首相になりました。田中角栄元首相の流れを組む、竹下登氏譲りの気配り、調整型の政治家との評価が専らでした。小渕氏の登場は、実に長銀の株価が額面割れに陥るという未曾有の金融危機の中でのことでした。蔵相に宮澤喜一元首相を登用するなど、必死の構えを見せて立ち向かおうとしたのです。

7月末から10月まで開催された臨時国会は、長銀救済をどうするかのテーマで、「金融国会」と呼ばれます。宮澤蔵相を中心に、公的資金の導入をしてまで長銀を延命させたいとする流れと、破綻させ国有化に持って行きたいとする野党民主党との間でせめぎ合いになりました。この争いで、特徴的だったのは、自民党の若手グループがベテラングループと対立し、民主党と組む動きを見せたことです。この連中は「政策新人類」と呼ばれるようになります。このあたりのことは、金融危機で燃え盛っている現場で、あたかもどう火を消せばいいかを議論しているようなものでした。この後、更に一段と、大蔵省の機能不全状態が鮮明になっていくのです。 (2020-3-22 公開=つづく)

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