【43】「イラク戦争」で悪戦苦闘の日々ー平成15年(2003年)❶

●自公間の国家戦略の違いを超えて

平成15年(2003年)の始めのこと。讀賣新聞のコラム『政治を読む』欄に「公明党」「求められる国家戦略」との見出しが目に飛び込んできました。5日ほど前に私が国会リポートで『国家観の違いをどう乗り越えるか』とのテーマで書いたものが明らかにネタとして使われていました。書いた田中隆之記者は、当時よく私の部屋にきてあれこれと雑談をしていたので、そんな会話の中から閃いたものを生かしたに違いありません。案の定、コラムの末尾には、「今国会では、米国が検討している対イラク攻撃に伴う『イラク復興支援法』(仮称)、北朝鮮の核開発問題や教育基本法改正案などが争点になる。いずれも、国家観、国家戦略といった政治の根本にかかわる問題で、『政権を共にする政党同士が大筋で一致することが望ましい』(赤松正雄衆議院議員)のは当然だ。そのための党内論議を急ぐことが、公明党の責任与党としての成熟につながるはずだ」とありました。

私の発言をアンカー的役割を持たせて使ってくれたのはいいのですが、最後の締めくくり方が気に入りません。自公両党が国家観、国家戦略で一致することが望ましいのですが、そのために、公明党が党内論議を急ぐようにしろとの結論は、私的には不満足でした。つまり、両方の党にとって大事な課題なのに、公明党だけの課題のように言われるのは本意でないと思えたのです。早速に翌日の国会リポートで「国家戦略を求められるのは誰か」と題して、自民党にもその作業を促す論評を掲載したのです。このように、私は部屋に取材にやってくる記者との対話を通じて自分の政治家としてのものの見方、考え方を磨いていきました。かつて市川さんが私を壁打ちの壁にしたと同じように、私は記者を壁にしていきました。この田中隆之記者も、その後政治部長になり、論説委員長になっています。

●イラク戦争勃発に際して関西風問答

3月20日にアメリカがイラクに攻撃を開始しました。このところ不穏な機運が高まってきていましたが、やっぱりかという感じでした。直ちに公明党は、新たな国連安保理決議がないまま、米英軍が武力行使を開始したことは、まことに残念であり、遺憾であるとの党声明を発表、小泉首相が米国などの行動に支持を表明したことについて、神崎代表がやむを得ないものだとの談話を公表しました。これについて、一部野党は公明党がイラク戦争を容認したとか、「戦争賛成の公明党」といった短絡的なレッテル貼りの攻撃を仕掛けてきました。こうした事態に、党員、支持者の皆さんの間でも動揺は否めず、党本部にも批判の声が数多く寄せられました。地方議員も問い合わせへの対応でおわらわの場面が起きてきたのです。

私は直ちに、ファックス版の国会リポートで連日のように、その考え方をオープンにしました。中でも我ながら出色の出来栄えだと思ったのは、「イラク情勢をめぐる関西風一問七答」です。

まず問いは、「戦争はあかん。なんで米国は武力に訴えたんや。フランスやドイツがいうとったみたいに、もうちょっと時間かけて調べて、イラクを押さえこむべきやった。日本も米国べったりにせんと、いろいろ注文つけて説得せんかい」という風に関西弁にしました。答えも勿論、関西弁です。

「そない簡単に決めつけはんな。これは戦争ちゅうても、自分の国の中でも、毒ガスみたいな化学兵器や生物兵器つこうて残忍な殺人をしたり、国連が査察という調査をしようとすると、嘘、妨害、拒否をさんざんぱら繰り返して滅茶苦茶あくどいことをしとう指導者をやっつける懲らしめや」ーこんな感じで、ぜんぶで七つの答えを用意して分かりやすさを第一に、延々と続けました。

すると、東京新聞が『話のタネ』というコラムで「説明責任果たしまっせ」との見出しで、書いてくれました。先にも触れた高山晶一記者です。私のホームページをアドレス付きで紹介して、イラク戦争の解説を書くに至った経緯を説明。想定質問を引用した後で、こう続けていました。

「これは『テロ撲滅介入』みたいなもんで、普通の戦争とちゃうんちゃうか」「日本はいざという時(米国に)守ってもらうことになってるんやで」「北朝鮮ちゅうめちゃな国がそばにいてる日本はのんきにしとられへんで」などと説明している。公明党支持者の間では、イラク戦争をめぐる政府・与党の姿勢に異論も根強いが、赤松氏は関西人らしいやり方で「支持者への説明責任」を果たそうとしている。国民の理解を得るためには何でも試してみるという点は、どこかの首相より、ええんちゃうか」と。慣れない関西弁で締めくくってくれたのには笑えました。

●憲法調査会でも二回にわたり活発に発言

この頃、3月20日と27日の二日間にわたって、憲法調査会が開かれ、「イラク戦争」をどう考えるかについて、自由討議の場が持たれました。その際に私は以下のような発言をしています。

「12年間に17回もの国連決議がありながら、一向に自らの挙証責任を果たそうとしないイラクによって、大量破壊兵器がテロリストの手に渡る公算が極めて高いという現実に脅威を抱くアメリカを、だれが大袈裟だと言えるでしょうか。あの9-11以降、アメリカは変わったということの重みをまだまだ私たちはわかっていないという風に思われます」

「要するに、隠す気で有れば、(大量破壊兵器を)到底探し出すことなど出来得ないということを、私たちは悟ったのです。つまり、圧倒的に小さい、少量で大量破壊、大量殺人ということが簡単に果たせるのです。査察というのは、時間をかければいいというものでもないということを改めて知りました。査察をめぐる多くの誤解があることを、視察を通じて知ったことは大きな収穫でした。」(埼玉・大宮の陸上自衛隊化学学校に視察に行き、秋山一郎校長=元国連化学兵器禁止機関OPCW初代査察局長の話を聞いた、と述べた上で)

「あのボスニアヘルツェゴビナにおける民族浄化という事態に対して、NATOが空爆してからちょうど4年。あれは人道介入と言われましたが、今度は、似て非なるものというか、いや逆に、非だが似ているもの、というべきかもしれません。テロ撲滅介入と、私は呼びたいと思います。戦争はもちろん反対であります。同時に、大量破壊兵器にも反対です。そして、このテロ撲滅介入に立ち上がったアメリカの行動に、悲しみを持ちつつ私は理解できなくはないと言いたいと思っております」

今振り返ると、言葉を大事にしたい政治家としての真骨頂が出ているのではないか、と自分を褒めてやりたい気がしてきます。(2020-5-17 公開 つづく)

 

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