【45】公明党との連立讃える官房長官答弁ー平成15年(2003年)❸

●民主党と自由党の合併問題への警戒感

この年の7月23日に民主党と自由党とが合併に向けて調印をするという事態が起こりました。前年にその動きはあったのですが、両党の内部に反発する声があり、沙汰止みになったかに見えていましたが再浮上し、合意に漕ぎ着けたのです。この動きの背景は勿論、自民党にとって代わるもう一つの勢力を形成したいとの、二大政党制へのあくなき期待が存在します。より具体的かつ現実的な政治的背景を見ると、小沢一郎氏の執念が大きいと言えると思われます。新進党の失敗からしばらくなりを潜めたかに見えていましたが、ここに来て露わになってきたのです。

私はこの小沢氏の動きに対して、7月28日の国会リポートに、「警戒すべき民主・自由合併の動き」と題してこう書いています。

小沢党首の二大政党制への執念と見える試みは、私には少なからぬ衝撃です。この国にはなじまない制度との判断をしてきた身としては、小異を捨てて大同につこうとする小沢氏の挑戦には、若干の違和感を持ちつつも、大いに敬服に値するものと思います。公明党の与党入りの狙いはかねて私の言っているように、手を変え品を替えて、自民党政治の質を変えることにあります。決して自民党に無原則についていくことでもなく、ましてや与党であり続けることにのみ執着するものでもありません。その意味ではベクトルは逆ですが、小沢さんの行き方と、公明党の進み方は同じ意図を持ってるといっていいかもしれません。つまり、自民党を外から変えるか、内から変えるかの違いです。内から帰ることに失敗して、自民党を飛び出した人と、外から変えることの困難さに業を煮やして、連立を組んだ者との差は、口で言うほど簡単なものではないでしょうが‥。

問題は次の総選挙です。二大政党制に向かって収斂する方向に歩みを進めるのか、それとも再びその試みは斥けられるのか。私などは保守対リベラルの理念によって日本の政党は再整理されるべきだと考えてきました。今回のような形の自民党対民主党の対立軸では、例えていえば、「ごった煮対混ぜご飯」の対立のようで、よく分からないとくのが実態ではないでしょうか。つまりは、自民党も派閥の集合体ですが、新しい民主党も結局は旧政党の寄せ集めに過ぎず、理念、政策の隔たりは党内でも少なからずあって、似た者同士ということになります。根幹に及ぶ政策の一致を見ないと、選ぶ有権者の方は戸惑うばかりでしょう。

こう書いたあと、二大政党の対立の奔流の中で、弾き飛ばされないようにすべきだと、警鐘を鳴らしています。この見方はやがて正しかったことがはっきりするのですが、まだいささか先のことではあります。

●川戸恵子さんと国会内テレビで対談

この夏7月4日にTBSのCS放送「国会トーク フロントライン」に私は登場しました。この放送番組は国会記者会館に議員が呼ばれて、川戸恵子さんと対談するというもので、既に前年の7月19日にも出演して、これが2回目。川戸さんは少し年上の姫路出身の記者で、以前からそれなりに面識がありました。私のホームページを楽しみに面白く読んでいるなどと煽てられ、あれこれと話は弾みました。その中で、彼女がイラク支援法について、「有事法制の時と同じように、赤松さんは、小泉さんに厳しくおやりになって、小泉さんの方が完敗じゃないかっていう噂も出てるくらいです。どういうことからああいうやり方をなさったのですか?」と聞かれた。

以下、私の発言のポイントを要約すると次のようになります。

小泉首相は従来の自民党のリーダーが言わないことを言っている。本当に自民党政治を変える気があるのか、それともポーズだけなのか。この辺り、多少揺さぶって、真贋を試そうとしているのです。先だっての質問でも、公明党は与党の一員だけれども、緊張関係を持った関係でありたいということから質問を始めました。基本的には自民党のいいところを伸ばし、悪いところは直させるとのスタンスです。小泉さんには利用する価値があり、選挙になると、小泉さんでないと、与党は勝てないと思っています。そういうことから、前回の質問では厳しくやり過ぎたので、今回は少し手加減するーといった風に、使い分けしているつもりなんです。

随分、偉そうな言い方をしていますが、引き出し方のうまい女性アナウンサーにかかると、こういう発言がバンバン出てくるのでしょう。

●福田官房長官から重大な答弁引き出す

9月30日の衆議院テロ防止・イラク支援特別委員会で、私は福田康夫官房長官から重要な答弁を引き出すことができました。実は、私は質問の冒頭で、二大政党制がいいかどうかを問う前に、自公保政権を選ぶか、民主党政権を選ぶかが問われているが、感想を述べて欲しいといったのです。それに対して、同官房長官は「公明党が(連立政権に)参加してくださり、平和主義とか、国民一人ひとりの考え方を大事にするとか、弱者の視点といった自民党に不足しがちな時点で、国民のニーズを拾い上げてくれている。公明党と連合体をつくって、与党を組んでやってきたことは本当に良かった」と、実に率直に公明党の連立政権参加の効用を述べてくれたのです。

これまで様々な質疑を政府首脳とやってきていましたが、ここまでリップ・サービスをしてくれた人物は、誰もいません。私は答弁を聞いていて嬉しくなりました。思わず、次に立って、「(今の発言は)色んなところで利用させていただきます」と述べてしまいました。このくだりは、『公明党50年の歩み』の中にも引用されています。福田康夫さんとは実はこののち首相になられるまでも、なられてからも、さまざまな意味で深い仲になりました。その経緯についてはおいおい書いていきますので。

●市川雄一元書記長勇退へ

市川雄一常任顧問(元書記長)が次の衆議院選挙では出馬しないで、政界を引退するとのニュースは、すでにこの年の6月初めに明らかに(正式には9月公表)なっていました。公明党の内規である66歳定年を超え、衆議院議員の在職25年の節目を過ぎたことがその理由です。その時点で「現執行部は非常によく頑張っており、私の助言は全く必要としない」、「引退すべき時と判断した」とのコメントを出していたのです。確かに、自民党との連立を公明党が組んでからの3年ほどは、殆ど市川さんの表舞台への登場の機会は減っていました。細川政権から羽田政権への第1期与党時代ともいえる頃の八面六臂の活躍がピークとも言えました。日本共産党を憲法論争で完膚なきまでに論破し、旧社会党を翻弄し尽くす闘いをリードする中で、その日本政治史における輝ける金字塔を打ち立てられた功績は目を見張るものがありました。

市川さんはしばしば、人は得意の絶頂で失敗することが多い、高転びに転ぶものだとの意味のことを言われ、惜しまれて退くのが美しいともよく口にされていました。また、党内で多くの先輩に議員勇退の引導渡しの役割を果たしてこられた手前もあったと思います。まだまだ元気ですし、現役で力を発揮して欲しいとの声は内外に満ちていましたが、本人の強い意志で引退を決められました。

一時代の終わりを感じる寂しさが、わたしにはたとえようもなく迫ってきました。(2020-5-23 公開 つづく)

 

 

 

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